地震津波原発日記(その2)

2011年4/5/6月分
伊達美徳

2011年4月6日水曜日
停電が普通の地から戻ってみれば

ネパールでは、停電が当たり前である。水力発電だけだから、乾季の今は1日のうち14時間も停電している。レストランで食事中でも、ホテルの便所の中でも、突然に真っ暗になっても慌てることはない。そのあたりにローソクを用意してあるから火をつければ良いのだ。とは言うものに、わたしは煙草を吸わないからマッチもライターもなくて、風呂場で真っ暗になってもローソクが役に立たない。だからしばらくそのまま待つ。やがて自家発電機が動いて、必要最小限なる明るさが戻ってくる。どこの店も家も自家発電機を備えているそうだ。日本語学校のネパール人教師から、日本でもそうかと聞かれて、とまどった。そうか、日本でわたしたちは停電がないことを前提に生活しているのである。

太平洋戦争で敗戦して数年間は、日常的に停電をしていた。自家発電機はなかったが、ローソクもマッチもいつも用意していたものだ。ネパールから9日ぶりに横浜に戻ってきてみれば、停電しないのが当たり前の生活に戻った。そして揺れないのが当たり前の生活にもなっていた。でも原発の放射能恐怖はあい変らずで、原発のないネパールでお見舞いの言葉をいただいたのを恥かしく思いだした。

ただし、ネパールは世界有数の地震の地である。インド大陸とユーラシア大陸がぶつかって、そのせいでヒマラヤ山脈ができたところなのだ。首都のカトマンズでは1934年の大地震で4296人、1988年にはウダイプール地震で721人が死んだそうだ。ところが、世界遺産登録になっている歴史的な市街地では、目でみてわかるくらいに古い建物、それも3階、4階建てのものがたくさんある。それらは伝統的な木材と煉瓦を組み合わせた構造なので、目に見えて傾いていてかなり怖いものもたくさんある。隣の新築煉瓦ビルに寄りかかっているものもある。新築のビルも多くは4~5階建て、20センチ角くらいの細いコンクリート柱を5m間隔くらいに建てて細い梁でつなぎ、間に鉄筋の補強もなしに煉瓦あるいはコンクリートブロックを積み上げている。開口部のマグサは厚さ10センチ程度で頼りにならない。

1932年とは比べ物にならないくらいに人口集中が著しいカトマンズで、もしも大地震が起きたら、万を超える人が死にそうだ。停電は平気でも地震は怖い。


2011年4月29日金曜日
言いにくいこと:震災犯人

福島第1原発の地震被害による放射能拡散災害についての東電の損害賠償支払は、「原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)」通称:原賠法)によるものらしい。

原賠法第三条:原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。

ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

これは一般的な自動車事故によって、他者に被害を与えたときの賠償とどう違うのか。

「自動車損害賠償保障法(昭和三十年七月二十九日法律第九十七号)」(自賠法)という法律がある。

自賠法第三条:自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。ただし、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明したときは、この限りでない。

原賠法の第3条とはなんだかニュアンスが異なる。原賠法が特に異常なことが起きた場合にしか責任が逃れられないのに対して、自賠法はいろいろと免責事項が書いてある。つまり原発に関しては、いったん事故がおきたらめったなことでは責任を逃れられないほどに大変なんだぞ、という“想定”が働いているらしい。

では民法の損害賠償責任はどうか。民法では損害賠償は2種類あって、債務不履行損害と不法行為損害である。債務不履行損害は、契約をしたのに果さなかったときに与える損害である。不法行為損害は、故意または過失による損害である。

さて、福島原発はこのどちらに当るのだろうか。この原発は事故がおきませんとくり返し広報したのに事故がおきたのだから、債務不履行だろうか。あるいは設計条件があまかった過失か、あるいは対策をするべきなのに怠った故意による不法行為だろうか。

原賠法に似ている「原子力損害賠償契約に関する法律」というものがある。

第二条:政府は、原子力事業者を相手方として、原子力事業者の原子力損害の賠償の責任が発生した場合において、責任保険契約その他の原子力損害を賠償するための措置によつてはうめることができない原子力損害を原子力事業者が賠償することにより生ずる損失を政府が補償することを約し、原子力事業者が補償料を納付することを約する契約を締結することができる。

つまり、あんまりでかい被害で、東電が補償金を支払えなくなるといけないので、政府が一定額以上は、東電に替わって支払ってやる、政府と東電はそういう契約をする、こういう法律であった。要するに補償金に税金を投入することができるというのが法律の趣旨らしい。つまり、原子力に関する事故は、とてつもなく大きい可能性があることを“想定した”法律であった。こういうとき、想定外いや想定内という論争は、どこに位置づけされるのだろうか?

では上の条文に出てくる責任保険契約とは何だろうか。これは上に書いた自動車保険と基本的には同じで、原発だけでなくどこにでもある普通のことだ。さて、東電と契約して電気を使って使用料金を支払っているわたしたち、あるいは東電株を持っいる株主たちは、損害賠償の対象となる“他者”なのだろうか?

この地震では東電だけが“震災犯人”扱いにされているが、それは原発が壊れたからだろう。では、防波堤が壊れた、造成宅地が傾いた、埋立田圃が沈没した、ビルが壊れた、家が傾いた、これらによる損害には震災犯人はいないのか。つまり、原発賠償は政府契約があって税金の投入はありうるが、損害賠償レベルの話だけならこれらも原発も民法で同じように債務不履行損害かあ不法行為損害として扱うように思うのだが、そういうものではないのかしら?

確かにこれまで地震で何回も被害があったが、一般論としては東電のような震災犯人に仕立てて過失責任損害賠償をした例はないだろうから、これはいまさらなにをいうかの論ではある。であるにしても、これまでになかった原発問題で寝た子が起きた感じだが、東日本大震災は、震災犯人がいる地域といない地域が存在するのである。なんだか腑に落ちない。この差は原賠法できまるのか。

とまあ、こんな風に普通の庶民たるわたしは思っていて、ちょっと言いにくいことを書いたが、法律ではどう解釈するのでしょうか? 念のため付言するが、わたしは原発廃止の立場である。人間が制御できないと分っていながら技術で押さえ込むという20世紀的工学の限界は、5回の大失敗(原爆2回、原発3回)で十分に身に沁みた。


2011年5月9日月曜日
原発から20kmの集落は今

おお、柏崎刈羽原発から20kmだよ~、わたしが仲間と棚田米つくりをしている中越の法末集落のことである。2004年に中越地震で被災した山村だ。もう6年も前から行ってるのに、今頃になって気がついた、というか、気がつかされた。 2004年中越地震、2007年中越沖地震とたて続けに大震災があって、柏崎刈羽原発も問題となったが、もうすっかり忘れていた。 でもあの時、もしかして福島第一原発のようなことがおきていたら、どうなっただろうか。 ことしも法末集落の田植えのシーズンがやってきた。福島ではどうしているのだろうかと思うと、中越だって現実のこととして考えざるを得ない。


2011年5月10日火曜日
大震災被災地の画像

google earthの衛星画像が、東日本大震災地域については、震災後の画像に入れ替わっている。

福島原発の周辺地域はこのようなところであるのかと、しげしげと眺めると、すぐそばには津波で破壊された集落があちこちにあり、ああ、ここの人たちは地震津波放射能の三重苦に襲われて、復旧にも復興にも戻れないのだなと、ただ見つめるばかり。
気仙沼の被災市街は、これは消滅市街と言ったほうがよいかと、これも呆然と見つめる。街であったろう跡に横たわる大きな長いもの、拡大すると船であった。鉄の船は壊れもせずに、木造家屋の成れの果てのガラクタの上に寝ているのであった。

三陸海岸を順に見ていくと、消滅市街・集落が次々と現れる。そんな街にもカメラマンが入っていて、被災地の姿を見せてくれる。写真マークをクリックすると、なんと360度カメラ画像が登場する。空中写真とは違う迫力であり、これも呆然と見つめるばかり。高度情報時代だとつくづく思う。


2011年5月16日月曜日
東日本大震災Before-Now

グーグルアースが、東日本大震災地域の3月13日から4月初めまでの衛星写真を公開している。まさに今の情景である。場所によっては、カメラマンが入って撮った現場パノラマ写真も、グーグルアース写真からアクセスできるようになっている。震災以前の同じ位置の衛星写真もアクセスできる。比較してそのあまりの変わりように、息を呑む場面の連続である。その現地にいた人たち、今も居る人たちに思いをいたしながら沿岸地域をたどると、たまらない気持ちだが、土地利用計画はどうなっていたのだろうかと次々に疑問が湧いてきて、目を離せなくて寝不足になってしまう。ここに、その一部をコピーして、美しかったBefore風景と、惨禍のNow風景を並べてみる。説明は不要であろう。


2011年5月18日水曜日
老人は福島原発汚染地域へ

仄聞するところでは、福島の壊れ原発から出てくる放射能の人体への影響の威力は、若い人ほど深刻になり、比較すると老人は深刻度は低いとか。放射線被曝によっておきる人体への影響の発現は、10年以上とか後になるらしい。それが本当だとしたら、ということは、つまり、私のような老人はその頃はあの世だから、どんなに影響が出ようと何の関係もないのだ。

そこで思いついた。この思いつきは「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」に続く、私の第2号提案である。私のような古希過ぎで元気な老人は、まずは福島原発汚染地域にボランティアに出かけよう。放射線被曝で未来が暗くなる若者たちにとって代わるのだ。日頃あちこちで出しゃばって嫌われている、ありあまる時間と知恵(わたしはあまりないけど)とお金(わたしはないけど)のある老人たちは、それらのつかいどころは、まさにここにある(ように思う)。

と、思いついたのだが、腕力・体力はないから、せめて原発汚染地域に住んで、地域の産物であるコメ、野菜、魚などを買って喰い、ガラ空きのゴルフ場(あるかどうかしらないが)やレジャー施設で遊ぶのだ。そうやって大勢の老人たちが、地域に金を落とせば、ゴーストタウンは復旧して生き返る(はずである)。で、そうやって老人たちは余生をここに住みついてしまうのだ。

そのためには国の政策として、全国から、いや外国からも募集して、福島原発汚染地域に住みたい老人の移転促進事業をやるのだ。例えば年金割り増し支給、東電が補償金を支払って買い取る土地建物の超廉価貸付、医療の無料化などで、老人居住地域モデル事業とするのだ。評判が悪かった老人の海外輸出といわれた事業やら、老人専用の村を作る事業のようなものだが、このたびは老人しか住むことができない地域が出現してしまったという非常に特殊なことだから仕方がない。いってみれば国営の老人居住地域にして、地域再生を図るのだ。

本当に正常に住むことができる地域に戻るには、何十年後か何世代後か知らないが、それまで地域を生活の場として保っておくには、そこに住む人たちが要る。そのリレー事業を老人たちが担うのだ。ランニング投資は必要だが、新たなイニシャルのインフラ投資は必要ないから安いものだ。もちろんこれはかなり特殊な事業で、これからもこんなことがあっては困るのだが、少なくとも東日本震災地域で手をこまねいてるしかない今の政策のなかで、唯一の可能になりそうなことと思うのだ。なんだかブラックユーモアにとられそうだが、4割くらいはそうとも思っているが、6割くらいは古希過ぎ老人の私の本音である。

わたしは前に「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」と提案している(これは100%本音)が、その登録がうまくいき、放射線汚染もある程度おさまったら、世界遺産観光ツアー客がやってくるだろうから、その観光ガイドが老人たちの新たな仕事になるのだ。さて、こんな考えはどんなもんでしょうか。もちろん、そういう政策が出たら、わたしは率先して行きます。


2011年5月26日木曜日
自然環境に還る人文空間

むかし、災害とは「地震雷火事泥棒」(泥棒をオヤジとするのは俗語)といったものだが、今では地震津波火事原発の順序でやって来たのが東日本大震災であった。地震、雷、津波それらに伴う倒壊や火災は自然災害となるのだろう。考えてみると、災害とは、地震、雷、津波が起きたときに、その影響範囲になんららかの人間の営為があった時に起きることである。誰も住んでないし農林漁業もやっていない山中とか海中とかで大地震が起きても津波が起きても雷が落ちて火事になっても、それを災害とは言わない。

自然のほうは人間がいようといまいと関係なく、ゆれたり崩れたりするだけである。だが人間たちは、津波が起きたら被災するだろうと分っている地域で営為を行なうし、地震が来たら崩れるだろうと分っている崖地や埋立地にも住む。大揺れしたら壊れそうなビルでも住んだり仕事をしていたりするし、もしも津波で壊れたら放射線が発生すると分っていても原発を作る。さて、どこまで自然災害で、どこから人文災害なのだろうか。この境目はあるのだろうか。


2011年6月8日水曜日
原発と貧しさ

青森県知事選挙で、県民の民意は原発容認と出された。国政レベルでも原発廃止にはなりそうにない。原発がこれほどの問題になっている現実の中でも、明確な原発廃止の方向にはならない。ところが、ドイツで日本の原発事故を正面から受け止めて、原発廃止の政策に転換した。日本とは大違いである。どうしてこうも違うのだろうか。
もしも事故があると、地域住民は命に関わるほどの迷惑施設であることが、福島第一原発で証明された。これまでも東海村やチェルノブイリで、十分に証明された事件があったのに、どういうわけか忘れてしまう。いや、忘れてはいないが、日本の貧しさが当面のお金に目をくらませて、忘れることにしているのだろう。原発のある地域の人たちが原発容認する考えなどが、最近の新聞などに載っている。それを読むと、どうも基本は地域の貧しさにあるとしか思えない。

原発容認の意見は簡単に言えば、まずは、原発がなくなると原発関連の雇用が失われるから家計が困る。そして、原発がなくなると電源立地交付金がなくなるから地方財政が困る。この2つである。どちらも金である。かつては貧しい地域の人たちは、都会へ出稼ぎという形で3K仕事についていた。原発は、本当は電力需要の大きな都会にあるほうが効率的である。だが、迷惑施設で都会では嫌われるし、住民が多いから反対運動が大きくなりやすい。そこであまり住民がいなくて貧しい地域に、3K仕事と持参金をもってくるからとて押し付けるのである。逆出稼ぎである。

あの日本の貧しかった時代の出稼ぎ構造は、実はいまだに変わっていなかったのだった。それが原発事故で分った。住民が少ないからまあいいや、と思っていたら、事故がおきたら超広域に被災の影響が及んだ。実は地元住民が大勢いたことに、住民さえも愕然とするばかりである。で、愕然としつつも、民意は原発廃止が大勢にならない。やっぱり明日の命より今日の金に目がくらむ、貧しい日本なのである。次はどういうことが起こるだろうか。

いまや出稼ぎ構造はグローバル時代になり、途上国から出稼ぎがやってくる。そのうちに、3K仕事と迷惑施設を持参金つきで、貧しい国に持って行って引き受けさせる時代が来るだろう。となれば、原発輸出である。電気は海を渡ってやってこないが、電気で作った製品は海でも空でも渡る。そして事故があると、放射性物質も海と空を渡ってやってくる。わたしの世代は、1944年から45年にかけて、空爆を避けて都会から田舎に学童疎開をした。わたしの次の世代その次の世代は、いったいどこに疎開すればよいのだろうか。


2011年6月17日金曜日
原発と空爆

どうもこの原発事故は、太平洋戦争末期と似ているようなのだ。こんなことはもう誰か言ってるだろうが、いちおう書いておく。原発から発した放射能物質が広く天から降ってくるのは、太平洋戦争末期に米軍機から受けた無差別空爆(空襲といった)と同じである。人口が集中しているから殺傷が効果的な都市を狙って、焼夷弾を雨のごとく降らした。おびえた人々は、都市から田舎へと避難(疎開といった)していった。米軍機は遠く南方の基地から飛び立ってやってきたが、放射性物質は近くの原発基地から飛び立って風に乗ってやってくる。おびえる人々は、風のとどかない遠くに疎開(今は避難という)している。
太平洋戦争の空爆基地は、はじめは日本列島から遠くの島からだったから空爆機の航続距離の都合で少なかったが、そのうちに近くに占領した基地が増えて、空爆は毎日のようになった。放射能空爆原発基地は、いまのところ一ヶ所だが、その候補地は日本列島にまだまだ50ヶ所以上もあるらしいから、どうなるのだろうか。疎開先は原発のない沖縄だけになるのだろうか。

米軍空爆はこちらの無条件降伏で止んだが、原発空爆はとっくに無条件降伏しているのにいまだに続く。やむをえず、本土決戦の肉弾戦がつづいている。原発空爆の殺傷効果はその後も何十年も後を引く。後を引く殺傷効果は、太平洋戦争でも広島と長崎で強烈に経験済みである。日本軍の大本営は、絶対に勝つといい、空爆機は撃墜したといい、本土上陸では国民皆兵で撃退するといい、どうもそれを、だれもが信じたらしい。反戦論者は抹殺された。

原発推進者たちは、絶対に安全だといたし、事故はないといい、今はそれくらいの放射能を浴びても大丈夫という。反原発論者は異端とされてきた。そして敗戦、とたんに一億総懺悔と言って、責任は国民みんなにあったとする。そして原発事故、とたんに一億総節電といって、電気を使いすぎた国民みんなに責任があるとする。で、戦争放棄の憲法を作ったが、まだまだ敗戦の記憶のあるうちに、また軍隊を持ってしまった。で、原発敗戦の生々しい記憶を積み重ねている今でも、原発廃止が世論の大勢にならない。わたしたちはまた原発を作るのだろう、自衛隊設置の論理をなぞって。歴史は繰り返すとは、本当のことであるらしい。

新聞に川柳が載っていた。
このたびは三国同盟なりたたず
第2次大戦では手を組んだドイツとイタリアに、反原発については日本は置いてけぼりにされたのである。この件では歴史は繰り返していない。


2011年6月26日日曜日
原発事故と復興構想

東日本大震災復興構想会議から「復興への提言」が出されたので、インタネットサイトでぱらぱらと議事録と資料を読んでみた。それぞれのご専門のかたがたの話があるが、なんとも評価しようがないのは、こちらにその能力がないからである。興味があるのは、どのお方も苦手であろうと思われる原発事故と復興について、どう述べておられるのかであった。だが、案の定、発言は少ないし、ナントカしなけりゃとは言っても、どうするかについては、どなたも歯に物が挟まるのは、仕方ないことである。

提言の中の第3章が、原発災害の話である。その出だしのところがブンガクテキで、前半の悲観的な口調と、一転して楽観する後半との落差、ちょっとわざとらしいノーテンキさに引っかかる。
ーーーその部分を引用するーーーー

「復興への提言~悲惨のなかの希望~」平成23年6月25日東日本大震災復興構想会議
第3章 原子力災害からの復興に向けて

(1)序
原子力災害の大きさと広がりには、底知れぬ恐怖がある。そして人々は、「戦後」を刻印したヒロシマ、ナガサキの原爆と、「災後」を刻印しつつあるフクシマの原発とを一本の歴史の軸の上に、あたかもフラッシュバックされる映像のように思い浮かべる。今回の地震と津波被害を起こりえないものとして、考慮の外に追いやっていたのと同様の思考のあり方が、ここにも見出せる。いや、人々は原子力については、ことさら「安全」神話を聞かされるなかで、疑う声もかき消されがちであった。原発事故を起こりえないものとした考え方は、その意味では、地震や津波災害の場合よりも、何か外の力が加わることによっていっそう閉ざされた構造になっていたのだ。今、人々は進行中で収束をとげぬ原発事故に、どう対処すべきか、思いあぐねている。今回の地震と津波の災害に対し、「減災」という対応方式が直ちに認知されたことと、それは対照的と言わざるをえない。ある型に回収されるような事態ではないからだ。パンドラの箱があいた時に、人類の上にありとあらゆる不幸が訪れたのと類似の事態が、思い浮かぶ。しかし、パンドラの箱には、たったひとつ誤ってしまわれていたものがあった。それは何か。「希望」であった。それから人類はあらゆる不幸の只中にあって、この「希望」を寄りどころにして、苦しい日々をたえた。「希望」―それは原発事故に遭遇したフクシマの人々には、まだ及びもつかぬ、とんでもない言葉かもしれぬ。しかしここでもまた人と人を「つなぐ」意味が出てくる。原発事故の被災地のなかに「希望」を見出し、あるいは「希望」をつかむことは、被災地内外の人と人を「つなぐ」糧となりうる。いや人は人とつながることによってこそ、「希望」の光のなかに、明日のフクシマを生きることになろう。だから、フクシマの復興は、「希望」を抱く人々の心のなかに、すでに芽吹き始めているに違いない。
ーーー引用ここまでーーー

委員の発言の中で、興味深く読んだのは、民俗学者の赤坂さんの発言である。
「東北なるもの」はこうであったかと、東北地方に疎いわたしには分ったし、「原発なるもの」がもたらす東北地方の展望も興味深いものである。
●参照→「鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 発表メモ」赤坂 憲雄
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf

西郷真理子さんは、都市計画家の肩書きで委員となっている。他の委員たちが職能ではなくて大学とかの職場の肩書きであって、エライセンセイらしいが、なにをする人か全然分らないのと比べて、この態度に好感をもった。税金つかってカイギする人なのに、それが何者か分らないのは、納税者はカイギにカイギ的になってしまう。安藤忠雄さんは、建築家と並べて東大名誉教授と肩書きにあるのが、気に入らない。なんで建築家だけじゃいけないのか、名誉教授なんて肩書きは落ちぶれたセンセイがつかうもんだぞ。

西郷さんが、100年前の津波被災地の地図に、津波被災エリアをかぶせてみたら、100年前の街はほとんど津波がかかっていないことを見せている。人口は2~3倍になっているが、市街地は10倍、20倍以上に海に近い低地の農地をつぶして拡大している。だから、そこがもろに津波をかぶったのであった。高台を新規開発しなくても、人口も減ってきたし、街を100年前の範囲にコンパクトに戻してもよかろうと、よく分るのである。

●参照→「復興構想会議検討部会メモ 持続可能(Sustainable)なまちづくりをめざして 2」2011年5月7日西郷真理子
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kentou4/saigou.pdf


2011年6月27日月曜日
ミサイルと原発

数日前の新聞に、福島第1原発から降ってくる放射能を避けるために、葛尾村では「外国からのミサイル攻撃に対処する避難計画」によって村民が疎開をした、とあった。えっ、そんな計画がそんな田舎の町にもあるのか、ギョッとして不気味な気持ちになった。それからその不気味さが、心の中に広がるばかりである。
で、ネットでそのキイワードで調べたら、なんと「国民保護法」なるものがあって、これに外国から攻撃を受けたときの対処方法があり、そこに避難のことが書いてあるのだ。
●参照→国民保護法サイト
http://www.kokuminhogo.go.jp/arekore/shikumi/hinan.html

あの村の人たちもそれによって避難したのかあ、知らなかったなあ、平和ボケになっているのかなあ。わたしの住む横浜市でもやっているんだろうか。なにか国家的・国際的陰謀が裏にあるのだろうか、なんだか怖くなってきた。
考えてみれば津波がなくても、どこかからミサイルが飛んできて原子力発電所にドッカーン、今度のようなことは起きるんだろうな。核弾頭が乗っていなくても、原発を狙えば原爆を落とすのと同じ効果になるんだなあ.。ならばミサイルはどこへでも飛んで来るだろうから、日本列島は原爆列島なんだよなあ。原発のない沖縄だけが安心だ。と思ったけど、ミサイルが狙うのは軍事基地だろうから、あそこも安全じゃないなあ。あ、ミサイルじゃなくても飛行機が事故で墜落してきたら、これはどうなるんだ。もう考えるのが嫌になってしまう。

まさか、それは杞憂です、とは言われないだろうなあ。杞の国の人たちは、天がおちてくると心配して笑われたが、福島原発には本当に天が落ちてきたのであった。これはやっぱりミサイルを打ってくる外国をやっつけようって、そう思うものだろうか。それとも原発をやめようと思うものだろうか。福島以外の原発のある市町村では、目先の金ほしさに原発廃止に抵抗しているようだが、そういうものでよいのだろうか。

戦争、核兵器、兵器産業、原子力業界、原発、これらがつながっていて、国民保護の建前で大震災対応と戦争対応とが巨大収益事業として連動しているとしたら、これほど不気味で怖いことはない。エネルギー革命を言う菅直人さんが、総理大臣の座から無理矢理引きずりおろされようとしている現在進行の政治劇は、じつは裏にはそんなことがあるのかと、勘ぐってしまう。浜岡原発停止の要請をするにあたって、事前にこれがもれると絶対に反対されて出来なくなるから突然にやったのだと、菅さんがあのときにいったと、その当時の新聞記事に載っていて、こんな正論に一体誰が反対するのだろうと不思議に思った。ところが、そのころから急に新聞論調が「菅やめろ」の雰囲気になってきたので、変だなあ、何か裏がありそうだと勘ぐっていたのだ。それは、そういうことなのかあ、あ、いや、考えすぎなんだろうか。


2011年6月29日水曜日
原発事故の株主責任は?

東京電力の株主総会で、一部株主による脱原発提案は圧倒的多数の反対で否決されたそうだ。ほかの電力会社も同様であった。株の数と株主の数は一致しないから、株主の頭数による差ではないだろうが、それにしてもこれだけ事故が拡大して恐怖を世界に与えていて、東電の責任であることが明白になっている状況でも、株主たちは責任をとろうとしない。

株主ってのは、投資したさきが何やろうと、責任がないものなの?、株主たちは東電に投資して配当を受けてきているから、その利益のなかには原子力発電による分がかなり入っているだろう。株主たちは東電に金を与えて原子力発電をさせ、それによって利益を得てきたし、それによって現在の被災者を生み出しているのだから、株主は東電と肩を並べる加害者のはずだ。それなのに圧倒的多数で原発を支持するとは、いったいどういうことなんだろうか。

そういうことで、この世の中は良いもんだろうか? そりゃまあ、投資した株が紙切れになるのが、原発の放射能よりも怖いのでしょうがねえ、。もともと株式投資とはそういうリスクを背負ってやるもんでしょう、ってことで、またこれからも放射能リスクを背負って行こうって、金持ちの強欲には負けるなあ。紙切れになるの嫌だから、原発の責任は知らない、もっと原発作れよ、利益のために投資してるんだから、ってのかしら。これって、どう考えても、被災者たちへの冒涜であるとしか思えないなんだよなあ。

信念として原発反対運動のために、まえまえから株主となって発言しているかたたちへの敬意は表するのだが、株主とは社会的にはいったいなんだろうか。儲かるなら死の商人へだって投資するのが株主だって、そういうものであったか、怖いなあ。蕪には縁があっても、株にはまったく縁のないわたしには、株主たちの態度は不可解きわまるのである。


2011年6月30日木曜日
怖いなあ、原子力という魔物は

環境経済学の観点からエネルギー政策の研究者、大島堅一さん(立命館大学教授)の語る
「実は誰も分かっていない原発のコスト」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110608/106639/?P=1
まえからなんかヘンだなと思っていた。

やっぱり、原発ってのはこんなに金がかかってるんだ。わたしでも原発のためにこんなに負担させられているんだ。後の世代はもっともっと負担するんだなあ。先が全然見えない。原子力というものは、金と命を食い物にして巨大化し、もう暴れても退治しようもなくなった、人間が作り出した魔物だと、貧乏人のわたしには思えてくる。怖いなあ。大島さんの話を要約するとこういうことになる。

◆◆◆

●政府発表の原発発電コストは最低額
・一般に発電コストは、2004年に政府が公表したが試算値が根拠
・液化天然ガスが5.7円/kWh、石炭火力が6.2円/kWh、石油火力が10.7円/kWh、一般水力が11.9円/kWh
・これに対して原発は5.3円/kWhと一番安い
・これには研究開発や立地対策に投入している財政はこの数字に反映されていない。
●現実に近い計算をすると原発発電コストが最高額
・年度ごとに『有価証券報告書総覧』で公表のデータを元に原発を持つ電力9社の発電原価を電源別に、設備の稼働率や減価償却などを含めた実態を反映して、可能な限り抽出して、総発電量で割り算すると
・1970~2007年の平均で、原子力8.64円/kWh、火力9.80円/kWh、一般水力3.88円/kWh
・原発とセットの揚水発電は原発の電力なので両者を平均して原発発電単価は10.13円/kWh
●実は更に高くなる原発発電コスト
・原発発電コストには(税金を投入する技術開発費と立地対策費年間約4000億円)が含まれていないが、これを含めるといくらになるか
・電源ごとの発電量当たり財政支出単価(1970~2007年平均)は、火力と一般水力がともに0.1円/kWh、原子力は2.05円/kWh
・財政支出を加えた総合の発電コスト(1970~2007年平均)は、一般水力3.98円/kWh、火力9.9円/kWh、原子力10.68円/kWh。
・揚水発電とのセットで考えると原発発電は12.23円/kWh
●どうしようもない原発廃棄物処理コスト
・原発発電コストには、莫大な使用済み燃料の取り扱い費用(バックエンド)が含まれていない
・六ヶ所再処理工場で40年間に使用済み燃料3万2000tを再処理するのに11兆円試算、MOX燃料加工に1兆1900億円、処置費用計12兆円以上
・そうして獲得できるMOX燃料をウラン資源換算で価格9000億円程度
・11兆円の大赤字
●そして大島さんはこう結ぶ
・バックエンド事業は数十~数百年、後世に負担だけを押しつけることになりかねない。
・それができない原発のコスト構造が本当の問題
・仮に今すぐ原発をすべて廃止しても大量に蓄積された廃棄物の問題から逃げることはできない

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今、起きている福島第1原発事故に対する補償やもろもろの復旧費用を入れたら、いったいどれくらい原発はコストがかかるものだろうか。長崎では昨日、経済産業大臣が「安全の責任は国が持ちます」って大見得きって、原発再開せよと自治体に首長たちにいったそうだ。
「国が責任を持つ」の意味はどういうことなんだろうか。事故が絶対おきないってことはありえないと、現今の状況で証明されたのだから、この責任とは大臣の首を貰ってもしょうがないから、事故がおきたら国が補償するってことだろう。ということは、税金を投入するってことである。わたしは嫌だね。怖いなあ、あと20年くらいで巨大な難問題に直面するのだろうが、わたしはその頃はこの世にいないから、シ~ラナイッ…。

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