はじめに 伊達美徳
2011年3月11日から始まった大事件は、名づけて東日本大震災。もしかしたら日本の第二の大敗北事件になるかもしれない。もちろん第1の大敗北は、太平洋戦争である。原発事故が誘発されて、新たな思想史的展開が起きそうだ。
横浜に住むひとりの庶民として、3月11日の発災の日から地震原発日記をブログに載せてきたが、ここにまとめておく。こうやってまとめて読むと、なんだか説得力あるような気がする。
あれから4ヶ月近く、いまだに東北に足を踏みいれていない、ある種の心やましさを持っている。(110705伊達美徳)
13時40分頃、県立図書館からふらふらと坂を降りて、伊勢町のバス停留所でバスを待っていた。友人から電話がかかってきて話していると、めまいがしてきて足元がえらくふらふらする。あれれ、もしかして脳梗塞か?
見上げると電信柱も電線も左右に振れている。あ、地震だ、ゆらゆら、長いなあ、立っているのが不安で、そばの電信柱につかまって身体を支える。目の前の2階建ての店舗がゆれていて、なんだかこちらに倒れて来そうで、歩道から車道のほうに逃げる。友人と何を話していたか忘れて、あ、地震だ、またあとでねと切り、今度は自宅に電話すれども通じない、何度やっても通じない。周りのビルを見ても特に被害はなさそうだから、築10年と比較的新しいわたしの共同住宅ビルは大丈夫だろうと、自分に言い聞かせる。
少し揺れが収まりつつあり、やがてバスが来た。医者に寄って戻るつもりだったが、真っ直ぐに家の戻る。道に出ている人がえらく多いのは、ビルから避難したのか。
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1階のビルの玄関を入るとエレベーターが止まっている。インターホンで妻に無事かと言えば、無事と答があってほっとする。7階まで階段を登って家に入る。げた箱の上の絵の額が壷に寄りかかっている。居間など特に変わりなしで安心。
ところが、わたしの部屋に入ろうとしたら、ドアが開かないのだ。1センチぐらい向うに動くが、そこに何かがつかえている。隙間から見ると、ドアの並びの壁の本棚が壁から浮いてドアの前に傾いていて、開くのをさえぎっているらしい。横から棒や板を突っ込んで本棚を押すが、意外に重くて動かない。ドアのまんなかぶち破って入るしかないかと思案しているところに、近くに勤め先のある息子が心配してやって来た。二人でどかどかと押しているうちに、隙間が2センチぐらいに開いた。そこからのこぎりを突っ込んでジャマしている棚板を切り落としたら、やっとドアが開いて部屋にはいることができた。この間2時間くらいだったろうか。部屋の中のドア近くには、本棚を押したり切ったりしたので20冊ほどの本が落下したていたが、これは地震の間接被害で、振動の直接被害で棚から落下したのは10冊程度であったようだ。壁にかけている弟が打った能面が傾いている。
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とにかく無事でよかったが、こんなに大きくゆれたのは物心ついてからだと、1948年の福井地震以来の経験である。寒い東北地方が大被災のようで、気の毒である。まだまだ余震が続いていて、船酔いみたいな気分、これが酒酔い気分になればいいが。これで民主党政権は危機管理をいろいろと問われる試練になるだろうが、献金とか年金とかでマスコミと野党からあれこれ重箱の隅をつつかれるのは、とりあえずお預けであろう。
昨日の東北関東大地震で、太平洋岸の津波がものすごいことになっている。 東京は知らないが横浜都心でも、ビルの表で見たところでは数は多くはないが若干の被害が見えるから、内部では物が壊れたりしてかなり被害があるだろう。 自転車で医者に行ったついでに、ご近所の探検をしてきた。 ビルの壁のタイルや仕上げの崩落があるところが、あちこちにある。 地面の舗装が妙にひん曲がったり、落ち込んだりしているところがあり、修理をあちこちでやっている。 山下公園が立ち入り禁止となっているのは、どんな被害があるのだろう。 伊勢佐木モール入り口にあるゲームビルが、全館休業している。聞いたら電気系統が故障なのだそうだ。 モールの中ほどにあるゲームビルも、3階の窓ガラスが2箇所割れているが、こちらは営業中。モールの店で休んでいるものの点在するのは、片づけをしているのだろう。 街を行く人たちの会話や携帯電話の声が聞こえると、ほとんどが地震を話題にしている。露天商のおばさんが、今日は商品が来ないのよ、 と大きな声で言っている。 みなとみらい21地区は特に何もないように静かだ。 中華街も何もなかったように営業しているが、土曜日なのに人出が少ないのは、さすがに遊びに来る人がいないからだろう。
http://homepage2.nifty.com/datey/tunami0311/tunami-before-after.htm
ウェブサイトでのマスコミ報道を見ると、地震の名前がいろいろあるようだ。気象庁の命名は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」という長たらしい名前だ。
主な新聞社のサイトには、朝日、産経、毎日は「東日本大震災」、日経、読売は「東日本巨大地震」、NHK画面は「東北関東大震災」と書いてある。「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」といっても誰もぴんと来ないが、これは「阪神淡路大震災」のことである。
ということは、「地震」とそれが引き起こした「震災」とは、命名が違うってことなんだろう。ではこんどの「震災」は、なんと言うのだろうか、そして誰が命名するのだろうか。
(追記110407)ネパールから帰ってNHKTVを見ると、「東日本大震災」といっている。あれ、いつから変わったのだろうとNHKのWEBサイトで調べたら、どうも4月1日の午後あたりかららしい。何があったのだろうか。
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震災の名に地名がつくと、その地域はどんなメリットデメリットがあるのだろうか。復興支援を受けやすくなるのがメリット、観光客は来なくなるのはデメリットか。東日本と超広大な地域名をつけておけば、メリットもデメリットも分散する効果があるだろう。
でも、概念的には東日本というと、東北地方の印象が薄いように思う。こんなに広過ぎると大被災地への支援が手薄になりそうだとか、災害の記憶がぼやける感もある。「震災」への命名は、津波被害の中心は東北地方の東海岸地域だから、それをイメージさせる用語をあてたらどうか。
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ところで、今回の津波被害は、阪神淡路や中越などの大震災とは異なる局面を見ることができた。土地と建物の位置関係が変わることはなかった阪神淡路よりも、土地が動いた中越に近いかもしれない。今後どのような復興をするのか、地域によっては復興するにも土地が海面下になったところもあるように見える。
リアス海岸にある過疎の小集落は、復興しても住む人がいないかもしれない。中には住民ともども消滅したかもしれない。海水をかぶった農地は、はたして復元できるのか。
そして人口減少社会である。短期的な対応は当たり前としても、このような状況での広域的かつ長期的な今後を見据える震災復興の都市計画とは、一体なんだろうか。
横浜駅あたりの様子をみてきた。
地下鉄は運行しているが、エレベーターもエスカレータも停止。
地下5階くらいの深い駅もあるから、これでは年寄りや子供連れはとても使えなくて、バスにするしかない。 京浜急行は3時半で今日はお終いだそうである。電力のせいだろうか。
駅ビルも岡田屋も休み。地下街は店は休みで薄暗い。高島屋百貨店は2時半でお終い。
一般小売店は営業している。食品量販店とコンビニエンスストアに入ってみたら、水は売り切れ、カップ麺も残り少ない。いつもあれこれいっぱいある棚が風通しが良い。いつもあれこれありすぎるから、これでいいのだ。
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電気屋の前には「LEDライト、懐中電灯は売り切れ」と書いてある。
月末からネパールに行く予定だが、あちらは停電が当たり前の国なので、LEDライトを買って持っていこうと思っていた矢先にこれだ。
でも、近くにある小さな職人用の工具や衣料を売っている店にはあったので、用がたりた。穴場である。
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新田間川の橋をわたるとビブレは休業、パルナードを行けばダイエーがしまっていて、その周りの歩道がめちゃめちゃになっている。
ダイエーは都市機構の市街地住宅付きゲタ履きビルの下に入っている。住宅は人が出入りしているから閉鎖してはいない。
周りを見ると、どうやらビルは問題ないが道路が10~15センチ沈下したらしく、建物の地下部分との境が割れて段差ができたのだ。
このビルの隣のビルは、角の柱から仕上げタイルがはがれて、内部の鉄筋が見えている。それが赤錆になってむき出しってことは、もともとこれは手抜きで、鉄筋にコンクリートがかぶさっていないままに、タイルでごまかしたのかもしれない。
このあたりはズブズブの土地で、もともと道路が波をうっている。
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商店街の人出はいつもより少ないし、道路の自動車も少ないようだ。
ところが、道路が突然に大渋滞するところが、ところところに出てくる。その渋滞の先をみると、給油所なのである。どうやら油がこなくて休業している給油所が多いようで、開店している店に殺到しているのだ。
津波で流れてくる建物はともかくとしても、自動車の数の多いのに驚かされた。あんなにも必要なんだろうか。重いから片付けるのも簡単でないから、余計に救援を阻害しているように見える。またガソリンから火が出たのかもしれないともおもう。
地震、電気、石油、原子力などの一連のつながりを考えると、これからの生活のあり方を考え直す時代が来たような気がする。
原子力発電がクリーンエネルギーで、電気自動車がクリーンビークルなんて、大嘘って分った。
高度情報時代で、WEBサイトでいろいろと知りたいことが出てくる。内容はともかくとして、ここに気になったものを後々のために挙げておく。
●巨大津波の大災害とその復興の事例はほんのちょっと前にもあった。
北海道南西沖地震と復興への道のり
http://unimaru.com/?page_id=80
北海道南西沖地震の概要
http://www.town.okushiri.lg.jp/bousai_kyukyu/nansei/nansei003.html
●原子力発電の問題
破局は避けられるか:広瀬隆
http://diamond.jp/articles/-/11514
大前研一
http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ&feature=player_embedded
原子力資料室
http://www.ustream.tv/recorded/13293716
●津波の前と後
津波前後
http://picasaweb.google.com/118079222830783600944/Japan#「まちもり通信」編集の津波前後写真
http://homepage2.nifty.com/datey/tunami0311/tunami-before-after.htm
民主党政権になって、公共政策としての居住政策が強化されるのかと思っていたが、反対で自民党よりも劣った政策であった。公営・公社・都市機構などによる公共賃貸借住宅が、このところ縮小に縮小を続けている。東北関東東部大震災で、これだけ多くの人たちが避難や疎開をしているが、これに対応する仮設住宅の建設がこれから進められるが、それまで待っている人たちの生活が思いやられる。しかし、仮設住宅はあくまで仮設であり、いつの日か本設の自分の家にもどるのが筋道である。
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ところが今回の場合は、戻るべき自分の家のあった土地が、沈下して水面下になっている、海に近くて再び住む気にならない、放射能汚染されていて戻りたくない、今後も放射能汚染事故があるかもしれないから戻りたくない、高齢でいまさら戻る資力も気力もない、などなど、今までの地震災害とはかなり異なる局面があるように思うのである。
つまり元に戻らないで疎開先に定着することになる。そこで浮かび上がってくるのが、それらの人たちに、適切な地域に安価な疎開定住住宅として公共賃貸借住宅の供給である。ところがはじめに書いたように、公共住宅賃貸借住宅は少なくなっているので、現在の空き家を提供しようとすると、元の居住地とはかけ離れた遠くの地に、しかもバラバラと求めざるを得ない。これでは移る人たちにとってはまことに不安である。
わたしは公共賃貸借住宅の減少政策に反対、更なる建設促進をこれまで唱えていた。それは大規模震災への対応がベースにはあったが、今回のような移転疎開用までは思いが及ばなかった。これでその面でも必要と分った。
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これからぜひとも公共賃貸借住宅を災害疎開者のために建設してほしい。新たな住宅建設のための負担を、持家優遇政策で被災者に借金させてはならない。それも被災した地域の内陸にある母都市の中心部に、疎開者の元のコミュニティ集団に対する単位として建設するのだ。こうすることで、災害疎開者のコミュニティの継続と、空洞化する地方都市の再生とをセットにする震災復興都市計画、いや震災再生国土計画とするのである。
繰り返すが、災害復興政策として持家建設やマンション購入を優遇する金融や税制を優先するのではなく、震災疎開先定住用の公共賃貸借住宅を内陸母都市の市街地に計画的に建設してほしい。
●参照
たった一人キャンペーン:分譲マンション反対論
http://homepage2.nifty.com/datey/kyodojutaku-kiken.htm
384また住宅政策の後退
http://datey.blogspot.com/2011/02/384.html
357今度はURも賃貸住宅縮小か
http://datey.blogspot.com/2010/12/357.html
353公営住宅縮小の愚策
http://datey.blogspot.com/2010/11/353.html
095貧困な住宅政策
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_13.html
187民主党の居住・住宅政策は?
http://datey.blogspot.com/2009/10/187.html