自然環境に戻る人文空間

自然環境に戻る人文空間

文・写真 伊達美徳

 昔から災難とは地震雷火事泥棒(泥棒をオヤジとするのは俗遊び)だったのが、今では地震津波火事原発の順序でやって来たのが東日本大震災であった。地震、雷、津波それらに伴う倒壊や火災は自然災害となるのだろう。
 考えてみると、災害とは、地震、雷、津波が起きたときに、その影響範囲になんららかの人間の営為があった時に起きることである。誰も住んでないし農林漁業もやっていない山中とか海中とかで大地震が起きても津波が起きても雷が落ちて火事になっても、それを災害とは言わない。

 自然のほうは人間がいようといまいと関係なく、ゆれたり崩れたりするだけである。だが人間たちは、津波が起きたら被災するだろうと分っている地域で営為を行なうし、地震が来たら崩れるだろうと分っている崖地や埋立地にも住む。
 大揺れしたら壊れそうなビルでも住んだり仕事をしていたりするし、もしも津波で壊れたら放射線が発生すると分っていても原発を作る。さて、どこまで自然災害で、どこから人文災害なのだろうか。この境目はあるのだろうか。

 今年は実はもうひとつ「雪害」という災難があったのだ。中越山村の法末集落に、今年の正月から降った4メートルを超える積雪量は、とても半端なものではなかった。あちこちで雪害が出た。
 わたしたちが活動拠点としている茅葺の家は、積った雪の重みで軒先が折れ、かわらが壊れ、2階の柱が傾いた。軒は方杖で突っ張って応急修理したが、傾いた柱はさてどうするか。傾いた2階で寝るのは、ちょっと不気味であった。夕飯からは一階の居間で酒を飲んでいて、眠たくなったら2階に登りさっさと寝て、起きたらさっさと床から出て階下に降りるのだ。傾いた部屋の中を眺めないのだ。

 それにしても、津波が来ると分っている三陸海岸の地域に人々が住むように、自然災害が起きるほどの豪雪地になぜ暮すのだろうかと、雪国育ちでないわたしは毎年のように思うのだ。
 なるほど雪が融けた5月からの萌える緑から秋の紅葉にかけて、山村の美しさ快適さは格別であることは確かだ。山菜が豊富に採れるし、棚田に稔るコシヒカリ米は実に美味い(平地と比べると手間がかかるが)。
 だがしかしそれが、雪囲いの中の家は獄舎のようだし、外は暗い空に積る雪で年とると外出もままならないし、来る日も来る日も元の木阿弥になる雪掘りをしなければならない冬の日々と、果たして引き換えになるほどの魅力があるだろうか。

 毎年そう思いながらも、中越山村の法末集落に、少なくとも冬に1回、春から秋に3回は行っている。今年も小正月の賽の神行事に行って豪雪に驚き、この5月半ばから9日間を田植えと山菜採りに行ったのであった。
 集落の中を歩けば、そこここに屋根の軒が折れた家があり、修理した家もあるがそのままの家もある。つぶれてしまった家もある。この集落の伝統的民家は、大きな茅葺の屋根が単純にかかる平屋である。それに増築して玄関やら2階を差し込んで作るのである。
 単に急勾配の大屋根だけなら雪は自然落下するから、雪堀は家の周りだけをやれば良い。それが増築すると、たいていは雪が自分ではすべり落ちない緩い勾配にするものだから、屋根に登って雪下ろしをしなければならない。これは実に怖い。わたしにはとてもできない。

 昔のように大家族で若いものがいたなら雪下ろし、雪掘りができただろうが、今では老人ばかりで、あの重労働は無理な時代になっている。だから屋根に積った雪を下ろせないから、その重みで軒は折れるし、瓦は割れるし、時には屋根をぶち抜いて積雪が屋内に落ちる。
 わたしたちの拠点民家だって、いつも居る住人ではないから雪が屋根にどんどん積る。2階の増築は北側に片勾配だから、雪は北庭側に落ちようとして屋根を引きづるらしい。それで増築2階部分だけが傾いたのだろう。

 集落には空き家になっている家も多く、去年は屋根だけが壊れていたのにとか、下屋だけがつぶれていたのにとか、いろいろあったのが今年はその中のいくつかが倒壊している。倒壊したままになって何年もそのままにしてある家もあり、しだいに自然に還るさまが実に興味深い。いろいろと人間が自然に手を加えて、人間の営為の空間としてきているが、人間が放棄すると自然が取り戻しに来るらしい。
 いや、放棄しなくとも、自然にちょっと無理なあるいは大きすぎる手の加え方をして使っていると、もう精算して元の身体にしておくれと、ある日突然に自然がやってくるものらしい。つまり人文空間の行き過ぎが、自然環境のゆり戻しを招いて、その結果が災害となるのだろうか。

参照:豪雪の山村で思ったこと
http://sites.google.com/site/dateyg/matimori-hukei/hosse-snow2011


集落風景

法末おじゃんち2011初夏景色

法末おじゃんち2011正月冬景色

法末へんなかフェ2011初夏景色

法末へんなかフェ2011正月冬景色

法末へんなカフェ2011年1月末 積雪4mの屋根は重みに耐えかねて

法末ヘンなかフェ初夏景色 折れた軒先を方杖で支える応急修理   庭には雪がまだ

2階の増築部分の内部はこんなに柱が傾いている

法末の隣の集落・芹窪にある廃屋はこの冬にとうとう一階が前のめりに崩れてしまった

その去年の姿は

3年前の姿は

法末集落内の空家が崩れた  下はその去年の姿

こちらも法末集落の崩れた空家

その去年の姿は

こちらは去年の冬に崩れてしまった空家だが、今年見ると更に自然に戻っている

これは2004年被災の土蔵で、そのときに骨組みだけにしたが今年はかなり傾いたようだ

(2011.05.24 Copyright(C) 2000-2011 DATE,Y. All Rights Reserved.)

参照⇒

「中山間地論」(まちもり通信:伊達美徳)

「まちもり通信」(「伊達美徳)