【東京路地徘徊】麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その4)

7.我善坊谷の未来を勝手に想像する

◆我善坊谷の再開発準備組合エリア

我善坊谷の北の丘上の六本木から赤坂にかけては、巨大開発でどんどんと地形も風景も変化が激しい。しかも、東京都心に近いほうからだんだんと南に開発が進んで来る。その最前線の真正面にあるのが、今や我善坊谷である。

いったいどうなるのだろうか、都市計画はどうなっているんだろうかと、ネットをうろうろと徘徊して探す。現場がどうなのか全く知らない。インタネットだけが頼りである。というか、よほど面白いことでもないと(永井荷風の女のような)、それ以上の努力はしないのである。

港区の公式サイトに、2012年策定の「六本木・虎ノ門地区まちづくりガイドライン」なる計画が乗っていて、ここに我善坊谷も含まれているので、これがまずは基本であろうと読んでみた。

と言っても、こういう類のものは、わたしも作った経験があるから知っているが、初めのほうのあれこれと書いているお題目はどうでもよくて(よくはないのだが、面白くない)ので、我善坊谷あたりの図を拾うようにした。

まず、この六本木・虎ノ門あたりの開発状況図である。

まったくすごいものである。このうちどれが森蛭森虎兄弟の事業かわからないが、半分以上はそうだろう。この図の南のほうの「虎ノ門・麻布台地区」のピンクゾーンの開発検討地区が、我善坊谷である。
これで見ると谷の西のほうは除外されていることがわかる。東のほうは桜田通りまで入れているのに、この除外にはどんな事情があるのだろうか。
飯倉台の上は、麻布郵便局が開発検討地区に入っているが、霊友会釈迦殿や西久保八幡神社はふくまれていない。もっとも、霊友会の釈迦堂の北にある霊友会第2ビルの大きな建物は、開発検討区域に入っているから、この宗教団体も再開発に参加するらしい。
この我善坊谷の開発検討区域は、森ビルのサイトにあったアークヒルズエリアなる図の中の「市街再開発事業準備組合」と記してあるエリアと一致しているようだ。

◆市街地再開発準備組合とはなんぞや

では、準備組合はここでどんな再開発をしようと企画しているのだろうか。

ここで知ったかぶりの解説をしておく。

市街地再開発事業というのは、ある一定範囲の街で、そこに土地を持っている人が、土地と建設資金を出しあって、共同してビルを建てることである。みんなが合意してひとつの住宅や事務所などのビルにして、それをまたみんなで配分して持つのだから、その間には並々ならぬお互いに協力する努力が必要である。

準備組合の意味するところは、この共同する人たちが、法人としての組合を作って建設事業をしようということで、正式な法人となる前の準備段階の組合ということである。

このように土地権利者たちが市街地再開発組合を作って事業をするならば、都市再開発法にもとづいて国や自治体がいろいろと支援する制度がある。

任意の再開発もできるのだが、法的な裏付けを持つほうが公正に進めることができるし、補助金や税制優遇、あるいは都市計画制限の緩和措置等があるので、事業を進めやすい。参加する土地の権利者たちも、任意よりも法に守られた事業のほうが安心できる。

この事業の基本的問題は、土地はそれぞれ持っているからみんなで持ち寄ることはできるしても、巨額の建設費を持ち寄るのが最も大変であることだ。

そこで、でき上がる建物をみんなで山分けするのではなくて、一部を第3者に売って、その代金の全部または一部を建設費に充てる方法をとることが行われている。

再開発前は低層建物であった街が、再開発後に超高層ビルになることが多いのは、この他に売る部分をたくさんにして、建設資金を稼ぎ出した結果である。

超高層ビルを建てることが再開発の目的ではないのだが、この際だから目いっぱい建てさせて買い取って儲けようという不動産事業者が、組合の事業に協力する形で参加してきて、結果として巨大ビルの超高層建築になる。

でも、東京の中心部だから再開発後の建物を買う事業者や住宅を買う人がいるが、小さな地方都市では需要がない。そのような街での再開は事業では、身の丈にあった建物になっていることも多い。

せっかくだから、以前に著書に載せた再開発事業の仕組み図をここに載せておく。この図の施行者のところが公共団体だったり、組合だったり、会社だったりするが、我善坊谷では組合であるようだ。ただし、多分、森ビルがその組合をリードをして事業を進めるのであろう。

◆どんな姿の再開発の街になるのだろうか

さて、我善坊谷の再開発事業は、どんな形に現れてくるのだろうか。
港区の「六本木・虎ノ門地区まちづくりガイドライン」に、このような道路の計画がある(あくまで素案らしいが)。

これはちょっと面白い。我善坊谷の谷底を通る落合坂を、歩行者専用の道にするらしい。
そうすると各敷地への車でのアプローチが難しくなるが、そこは谷の北と南の崖に沿って新しい道路を落合坂に並行して通し、ここから敷地へのアプローチをするらしい。
平面的にはそれでよろしいが、崖による段差をどうするのかという、技術的問題がありそうだ。
北の台地上を南北につなぐいわゆる尾根道を、我善坊谷にも延長し、そのまま飯倉台上にも通す計画も見える。高低差をどう解決するか、工夫が要りそうだが、これも興味深い。
ところで、今の都市計画による土地利用規制は、このようになっている。

我善坊谷のおおくは第2種住居専用地域で容積率は300%、西半分の北半分は第2種中高層住居専用地域で300%、東の桜田通りに面するたりは商業地域の400%と700%である。
再開発にあたってこれをどう変えるのだろうか。開発に当たっては飴と鞭がつきものだが、適正なる再開発は飴のほうが鞭よりも多くなる。要するに鞭とは道路や公園などの提供であり、飴とはそれらと引き換えに容積率や高さ制限の緩和である。
我善坊谷に最も近く、最も最近の市街地再開発事業は、2012年完成の仙石山の「六本木・虎ノ門地区第1種市街地再開発事業」である。その巨大な「アークヒルズ仙石山森タワー」が我善坊谷を覗き込んでいる。
この再開発はる区域面積約2ヘクタール、組合員数29名だそうだから、我善坊谷の再開発よりもかなり小さい。もっとも、全部を一体的に一度に再開発するのではなくて、いくつかに区切って順番に事業するのかもしれないから、規模は何とも言えない

その仙石山の再開発事業であるが、再開発前の区域内の都市計画の用途地域指定は第2種中高層専用地域容積率300%と、第2種住居専用地域容積率300%以下であった。
それを再開発のために、大部分を容積率720%、高さを210mに緩和したのである。もちろん大きな広場や広い道路も作っている。
こうしたからこそ、あのような超高層ビルが出現できたのである。
我善坊谷の再開発でも同じようなことが起きるのだろうか。

◆もしかして堂塔伽藍立ち並ぶ仏教聖地になるのかも

これまでこの周辺地域で行われてきた再開発事業と、我善坊での再開発事業とのおおきな違いを見ると、これまでの事業では種地があるが、我善坊では種地がなさそうだということである。
種地とは、再開発区域の中に、再開発の前に大きな土地を持つ権利者がいることである。たとえば大規模なビルや工場、あるいはホテルなどの跡地である。小さな土地ばかりではなかなか動きが取れないが、大きな種地があると事業に柔軟性が出てくるものである。
仙石山での種地は、旧麻布グリーン会館であった。今の超高層ビルはその跡地に立っている。たぶん、中層の住宅ビルには周辺の小規模住宅地の関係権利者が権利変換で受け取って入居したのであろう。
我善坊谷の検討区域を眺めていて、霊友会の釈迦殿は入っていないが、その北隣の谷底に立っている霊友会第2ビルは区域内であることに気が付いた。我善坊谷でここが最も広い土地である。つまり霊友会が事業のキイになる種地なのかもしれない。
ここからは、わたしの完全に勝手な想像であるという前提お読みいただきたい。現地のことは何にも知らないで書いているのだ。
何を言いたいかというと、森ビルが事業をリードするとしても、できる床を全部買うのではないだろうから、どこかが沢山の床を買い取ってくれる企業や団体があれば事業は楽になる。その買い取る団体が、ここの場合は霊友会であるような気がしてきたので、その空想的未来を占おうというのである。
たいていの宗教団体は金持ちである。霊友会が再開発ビルのかなりの部分を買い取るのかもしれない。そして我善坊の谷に七堂伽藍、塔堂伽藍が建立されて、一大宗教的聖地になるのである。こんな空想未来像があるかもしれないなあ、、これは面白い?。
市街地再開発事業で寺院を建造した例をわたしは知らないが、神社は福井市内に例がある。
あの、すみません、地図を見て勝手に空想して面白がっているだけです。わたしは霊友会とは何の関係もありません。実態はなんにも知りません。仏罰を当てないで下さいませ。
こうなったら面白がりついでに、西久保八幡神社が我善坊谷の再開発に、空中権を売るという仕組みも考えられる。
専門的に言えば、一緒に地区計画をかけて容積率移転(容積率売買)をするのである。そして受け取ったその対価で境内の森や社殿の整備、あるいは祭礼等の運営基金にするのである。
この仕組みはすでに日枝山王神社がやっている。あのドコモが入っている超高層ビルは、日枝神社の空中権を使っている。愛宕山の近くのお寺で、これは森ビルが仕組んで同じようなことをして、超高層ビルが2本建っている。
あ、余計なこと言って、八幡様、ごめんなさい。地図を見て勝手に想像して面白がっているだけです。実態はなんにも知らないのです。神罰を当てないでくださいませ。

そうだ、ついでにもう一つ、ちょっと文化的な施設も作るってのもいいなと、例の永井荷風が芸者を引かせて囲った「壺中庵」を復元してはいかがか。
で、その中身は、永井荷風、岩野泡鳴、正宗白鳥等の我善坊関係文士の何かを展示するんですな。
あ、江戸時代は火付け盗賊改め方の与力たちの組屋敷町だったんだから、何か時代劇の展示もあるかもなあ。なんて勝手なもんである。

このような冗談はさしおいて、我善坊谷の再開発の特徴は、これまで森ビルがやってきた再開発のような大きな種地がないということである。
小宅地や小集合住宅の多くの関係権利者ばかりであるが、これこそ本来的な法的再開発である。広い宅地の建て直しついでに少し周りも取り込むというのは、税金をつぎ込む市街地再開発事業としては邪道である。
木造密集住宅地のような、都市問題が典型的に積み重なる地域こそ、公的資金をつぎ込む法定再開発事業を行うべきである。その点では我善坊谷は法的再開発事業を行うべきところである。

あ、あの街の今の風景が好きだって人、再開発の超高層ビルなんて大嫌いって人には、こんな話は向きませんね。
わたしは現実主義者だから、ほどよい姿の未来の再開発を期待していますよ、我善坊谷の住民のみなさま、。(完 2013.07.28)

(2017年1月20日追記)

我善坊谷の再開発を主導する森ビルが、こんな開発計画を出して、お上から「都市再生特別地区」のお墨付きをもらったらしい。
あの細分化した路地の谷底街が、いきなりドドーンと巨大ビル2棟、もしかして谷は埋まっちまうのかしら、丘の上にもっと巨大なのがどーン、なんとまあ、谷の上の郵政用地をとりこんで大きな種地にしている、、いかにも森蛭らしいよなあ、、、これじゃあもう荷風さんを思い出すこともできない。

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