遺構による近世公家住宅の研究1960(前編)

東京工業大学理工学部建築学課程1960年度卒業研究論文(復刻2015年) 
遺構による近世公家住宅の研究1960(前編)
だて よしのり

目次

Ⅰ 研究の目的  
Ⅱ 京都御所遺構の調査実測とその結果
 1.実測について
 2.木割書に示された寸法体系について
 3.修学院離宮中茶屋客殿
 4.円満院宸殿
 5.勧修寺書院
 6.妙法院大書院
             (以下、7.以降は後編へ) 
 7.法然院方丈
 8.林休寺玄関及び客殿
 9.大覚寺宸殿
 10.勧修寺宸殿
 11.実相院
Ⅲ 京都御所造営における設計方法について
Ⅳ 結


Ⅰ 研究の目的

 すでにすすめられている京都御所造営史の研究のひとつとして、各所に残されている京都御所の遺構と立証されている建物、あるいは遺構であると伝えられている建物の調査を行って、その前身を明らかにし、実測によって建築のあたった大工の設計方法を探り出すことを目的とした。
 特に武家系統の書院造に関しては、「匠明」、「新編武家雛形」等によって代表される木割書が記されており、その設計にあたっての寸法体系が定められ、一つのモジュールが形成されていたことが示されているにもかかわらず、この武家の書院造の遺構は現存していない。
 そこで、現存する公家住宅の遺構に、あるいは前述のような寸法体系が適用されているのではないかと考えてみた。もしこの木割書に示されたと同様の寸法をこれらの建物が示せば、そのモジュールは公家系統にも考えられていたことが判明する。また、もし全く別の寸法体系を示せば、公家系統にはまた独自のモジュールの考えがあったことがわかる。
 このことに注目して、この観点から、近世公家住宅の代表的なものとである京都御所の造営に関して、その設計方法の解明を行うことを目的とした。


Ⅱ 遺構の調査実測とその結果

1.実測について

(1)実測をどのようにしたか
 柱間の実測には布テープ、矩計図をとるための各部材及びそれらの間隔はスチールテープによって実測した。
 実測の制度をあげるため、また、尺寸で測定することによって想定される寸法の先入観による実測値にとらわれることを防ぐために、測定単位はメートル法でミリメートルまで読んだ。
 各部材の測定にあたっては、縁、、付書院を含む梁行方向の断面で、屋根、小屋組、床下を除く部分について、主として縁部の矩計図を書きうるように、またこの断面に床棚が入らないときは別にこれらを実測した。
 柱間寸法は、一応、内法で実測した。

(2)実測値の処理
 柱寸法については、その実測値を後に示すような頻度表にして、その数が最も多くなる付近の実測値で、尺寸に換算して分の単位まででちょうど割り切れる値を、柱寸法の設計値とした。
 柱寸法については、内法で測った実測値を芯々になおして換算したが、どの遺構についてもすべて基準柱間寸法は6尺5寸であった。京都御所の建築に使われた柱間寸法は、芯々で7尺と6尺5寸以外にはなかった。今回の調査ではすべて6尺5寸であったから、各遺構の実測値については、後に述べるが、柱間については特に触れないことにする。
 実測値の処理にあたっては、ある一つの寸法体系、すなわち木割が存在するか否かを調べることを目的とした。そのために近世の木割書のうちでもっとも代表的な「匠明」「新編武家雛形」を目安として、実測値と木割法から割り出された計算値との比較を行っていった。
 前述のようにして推定算出した柱寸法(太さ、面内、面)をもとにして、木割法によって算出した部材寸法、部材間隔寸法の計算値と、実測値のとの間に生じた差異は、計算値のプラスマイナス0.5パーセント以下にあるとき、それは寸法体系にある寸法と考えて、それ以上の差異の出た場合、その部材は「匠明」「新編武家雛形」等の木割法には乗らないものと考えた。


2.木割書に示された寸法体系について

 遺構の実測値処理の目安とした「匠明」(殿屋集)と「新編武家雛形」の木割で示される部材寸法、部材間隔寸法を記号的に処理すると、次の第1表のように表される。なお、実測の関係ない部材については省略した。

●(第1)表
「匠明」(殿屋集)と「新編武家雛形」の木割で示される部材寸法、部材間隔寸法の記号的処理一覧

3.修学院離宮中茶屋客殿について

(1)前身建物
 延宝6年(1621年)に後水尾上皇の中宮・東福門院が死去し、その女院御所が林休寺宮に下賜された。その女院御所の奥対面所に一部改造を加え、現存する中茶屋客殿として移築された。現在の内仏間はこのときにつけ加えられたものである(注1)。
 即ち、中茶屋客殿の前身は、延宝度第2造営東福門院御所の奥対面所である。

●修学院離宮中茶屋写真

(2)仕様書
 延宝度第2造営東福門院御所奥対面所の仕様については、次のように記されている(注2)。
 規模……梁間4間 桁行6間内半間ニ2間 ●隅縁廂取込共2間半ニ3間半西指出
 屋根……2分木賊葺、軒厚5寸 勾配6寸7分 両妻作リ破風 葵懸魚釘隠塗物 狐格子前包有 軒出7尺1寸
 軸組……縁柱4寸8分、広縁側大桁作リ、2軒化粧屋根裏 柱削立4寸2分
 造作……天井長押 内法長押 切目長押、天井棹縁、縁指鴨居、雨戸、明障子、小壁四分の一有   (以下略)
 なお、ここに示したのは特に今回の実測に関係する部分についての仕様である。

 (注1)森薀「修学院離宮」
 (注2)延宝5年4月「女院御所御作事御所作付大工数割帳」宮内庁書陵部蔵

●修学院離宮中茶屋客殿平面図

(3)柱寸法
 柱寸法の実測値は(第4)表と(第5)表で示した。これらの設計寸法推定算出のための頻度表は(第2)図及び(第3)図である。なお、このグラフには、内仏間の柱、C-3、E-3、E-4、E-6、E-9、F-3、G-4の7本はプロットしていない。
 この頻度表によって、縁柱ではb=4寸5分、d=4寸1分、e=0.4寸、主柱ではb=4寸、d=3寸5分、e=0,5寸となることがわかる。
 内仏間を校正する柱のうち、上記の7本は他の柱とはかなり異なる寸法を示すので、頻度表にはプロットしなかった。C-3は太さは他と大差ないが面の寸法が0.4~0.5cm(0.132~0.165寸)という、他の柱のそれと比べて小さすぎる値を示し、E-4、E-9は面取が無く、E-3、F-3、G-4は3寸から3寸5分という他に比べて細すぎる。これらはこの仏間が他の的と同時に作られたものではないことを示す。即ち、前身建物の古図平面との比較及び森薀氏の指摘されているように、移築前の一の間、二の間、三の間で構成されていたプランに、移築時にこの内仏間を補加したということを裏付けるものである。

●(第2)図:修学院離宮中茶屋客殿柱面内寸法頻度  ●(第3)図:柱太さ寸法頻度
●(第4)表:修学院離宮中茶屋客殿 柱面内寸法一覧 ●(第5)表:柱太さ寸法一覧

(4)実測値と木割との関係
 (第6)表示したように、今、b=4,0、d=3.6とすれば、これを基準として木割によって算出した部材寸法の計算値と実測値とは、非常によく適合する。
 これまでは木割法については、武家系統にしか用いられていなかったと考えられていたのに、ここに示したように公家系統にも武家系統の木割に類似した寸法体系が見いだされたということは、いったい何を示すのであろうか。

 (2)の仕様書の項で示したように、奥対面所の仕様書には、軸組の部材、それらを構成するすんぽうについては全く記載されていない。しかし仕様書作成以前に、あるいは同じ頃に材木関係の文書が見られ、材木の積には人さ、長さ、材質を明記して本数をあげているから、軸部を構成する諸言が仕様書にはなくとも、すでに定められていたと考えられる。

 それではそれらの寸法は、どのように定められたか。これには二つの場合が考えられる。その一つは、旧規を踏襲したけれど、その造営については全く新しい寸法が定められた場合で、このときは詳細な寸法の書付か図面を必要とする。
 もうひとつの場合は、何らかの寸法体系、いわゆる木割にもとづいて寸法が定められ、そのまま、あるいは多少の融通性をもって実施された場合で、この場合は詳しい書付、図面の類を必要としない。

 当時の大工の技術や多くの伝書、雛形の存在することから考えて、おそらく後者であったと思われる。ところが前述のように奥対面所はかなりよく「匠明」「武家雛形」で示された木割法と一致する寸法を示している。即ち、仕様書に軸部の寸法が記されていないのは、実は当時の大工が、この木割書に示されていたと同様の寸法体系、あるいは、それら木割書と基本的には同様の考えよりなる寸法体系を採用して設計施工を行ったことを示すものであろう。

 ここで疑問の点は、頻度表からは柱面内寸法d=3.5と推定されるのに、木割の体系ではこれをd=3.6と推定するほうが適当であること、もうひとつは、仕様書には「柱削立4寸2分」と記されているにもかかわらず、頻度表からはb=4.0と出てくることである。
 この原因には次の4つの場合が考えられる。
 ①当時の尺度と実測に使用した尺度が異なるものであったこと
 ②移築時に削られたこと
 ③施工時における施工誤差
 ④設計変更によること

 まず、①の場合であるが、もしも現在の4寸が当時の4寸2分に相当するとすれば、現在の6尺5寸は当時の6尺8寸2分にあたることになる。しかし、柱間の実測値は設計寸法と同じ柱間芯々で6尺5寸を得ているため、使用され亜尺度の差ではない。
 ②の場合、もし削られたとすれば、長押、敷居等の収まりが正常ではなくなる。しかし現在の客殿にはそのようなことは見られないことから考えて、削られたとは考えられない。
 次に③の場合であるが、柱間の寸法をみるとそれはすべて6尺5寸を基準とする寸法であることを、じっそくちが示していることから考えて、柱に2分も施工誤差が出るとは思えない。
 とすれば、残る④の設計変更によるものと考えられる。事実、奥対面所には一度、平面の変更が行われたことが指図でわかっている。このときに柱寸法についても変更が行われたのであろう。

◆(第6)表:修学院離宮中茶屋客殿 部材実測値と木割法計算値の比較
 さて、従来この客殿は楽只軒の方から見ると小高い所に建っているため、その姿が美しいプロポーションを見せるが、正面にまわると他のプロポーションから考えて、縁高が低すぎることが指摘されていた。
 古図の階段の段数は、一の間縁で4段(縁共。正面階段はゆるやかなのが常である)、二の間縁では縁共3段で、現在いきなり縁に上れる高さとは違っていたと思われる。勧修寺、実相院の階段から想定される高さは、1.8尺~2.6尺が適当と思われる。
 前述の考察から得た寸法体系にもとづいて奥対面所が設計され、もし「匠明古法」が適用されていたとすれば、縁高は1尺8寸(「武家雛形」でも同様)となり、もし「匠明当世法」なら2尺6寸となる。いずれもその床高は現在のそれよりも髙かったことは確実である。(注1)

 (注1)森薀博士の復元図には、床高は5尺に描かれているが、階段の段数も古図と異なり、そのように高かったとは考えられない。

◆修学院離宮中茶屋客殿矩計図

4.円満院宸殿について

(1)前身建物
 円満院宸殿の前身については、藤岡通夫著「京都御所」にくわしく記されている。それによると、元和5年(1619年)造営の女御御所(後の東福門院)の御局であったことが指摘されている。この御局が円満院に下賜されて、床棚、納戸構は別のところに付け替えられ、西側廊下を取り除き、また母屋の室列の梁間を南北入れ替える等の変更が行われて移築されたものである。

●円満院宸殿写真


(2)軸部に関する仕様書
 御局に関する仕様については、「禁中女御様御作事塗物之検地帳」があるだけで、他には明らかでない。これには納戸構、床棚に使用された塗物に関する仕様のみで、柱等主要軸部に関する図書ではない。結局、軸部に関する仕様書は不明である。

●円満院宸殿平面図

(3)柱寸法
 柱の寸法は(第9図)、(第10図)の頻度表より、その設計寸法は縁柱b=5寸4分、d=4寸6分、e=0.8寸、主柱b=4寸8分、d=4寸1分、e=0.7寸と算出される。
 ただし、母屋部分の柱のうち、G-10、G-13の2本他とは異なる寸法を示している。即ち、G-10はb=5,84×5.84、d=5.05×4.98、G-13はb=5.41×5.48、d=4.59×4.65と、他と比べて太い。
 前記「京都御所」には、この2本の柱について「この中央の2本の柱は東が5寸4分角、西が5寸角で母屋外側の柱よりも太いが、2本の柱の太さがやや異なることが注目すべき点である。恐らくその中の1本は西側の縁側の太い柱を転用したため棚の痕跡が認められないのであろう。」と記されている。すなわち、G-10の柱はb=5.4×5.4、Gー13はb=5.0×5.0と言われているのである。
 今回の実測の結果、Gー10はb=5.8×5.8、G-13はb=5.4×5.4と設計値が推定されるので、上記文中の値とは多少異なるが、そのうちの1本が縁の柱であったとすれば、G-13の柱の寸法がちょうど縁の柱寸法と合致するので、これがそれにあたる。
 G-10の柱は極端に太く、これはおそらくこの建物とは元は関係のないものであったか、新しく替えたものと考えるのが妥当であろう。

●(第7)表:円満院宸殿柱面内寸法実測値(単位㎝)

●(第8)表:円満院宸殿柱太さ実測値(単位㎝) 

●(第9)図:円満院宸殿柱寸法頻度表(面内)、●(第10)図:頻度表(柱太さ)

(4)部材の実測値と木割
 (第11)表で示したように軒の一部を除き、他の寸法はd、aを基準とするモジュールが認められ、木割があることがわかる。
 この木割は「匠明」と「武家雛形」とを併用した形で、修学院中茶屋客殿の場合とよく似ている。どちらも格式は同程度での建物であったし、使われ方も住空間としての要素が強かったことから、このような性格の建物には武家の書院造の木割と同様なプロポーションを与える寸法体系が、公家住宅であるこれらの建物にも使用されたのであろうと思われる。

●(第11)表:円満院宸殿部材寸法実測値と木割法計算値の比較

●円満院宸殿平面図矩計図


5.勧修寺書院について

(1)前身建物
 勧修寺書院の前身については諸説があったが、平井聖氏の論文によれば、延宝度造営の後西院御所の旧殿舎を貞享3、4年頃に下賜移築されたが、それがその広御所であったとする寺伝は正確さを欠き、むしろ、御書院が移建されたのではないか、とされている。
●勧修寺書院 写真



(2)御書院の仕様書
 今、前述の書院の仕様書の一部をここにあげて、後述の実測値との比較を試みることにする。

 梁行四間半 桁行六間
 御由香廂間半ニ壱間
 御付書院壱尺六寸、壱間
 屋根とくさふきかうはい六寸 軒出端裏側外迄五尺弐寸両妻●詰瓦鬼蛭鎰鐶有
 右之御造作仕様檜柱太サ削立四寸四分表太桁作壱軒木舞物化粧裏板かんき打天井長押内法長押地覆貫有但内法長押ニ蓋有天井平縁ノ分ハ天井長押ナシ西御床之弐間壱間半天井棹縁板透はき合釘(以下略)

 このように見えがかりに関する部材の列挙はしてあるが、それらの寸法の記載が全くないことに注目すべきである。

●勧修寺書院平面図

(3)柱寸法
  (第14)図、(第15)図の柱寸法頻度表で示すように、柱太さは4寸から4寸2分までの間が設計寸法であることを示している。ピークとなっているのは6寸6厘のところであるが、他の寸法の柱もそれを設計寸法とするか定め難い。特に面内寸法については全く一つの寸法に定め難い。なお、修理の際の新補の柱はこのグラフには記入していない。
 このことは、この建物の施工が粗雑であったか、あるいは2種以上の建物から集めた材で建てられたことを示すものであろう。また、この建物は移築に際して、かなりの変更が加えられているとも考えられる。
 前述のように、仕様書には「柱太サ削立四寸四分」とあるのに、太さ4寸4分の柱は2本のみである。この点からは、御書院を前身であるとすることも困難であると思われる。

●(第12)表:勧修寺書院柱面内寸法実測値、●(第13)表:柱太さ実測値

●(第14)図:勧修寺書院柱面内寸法頻度、●(第15)図:太さ寸法頻度

(4)実測値と木割
 上記のように柱寸法はかなりまちまちであるが、b=4.0、d=3.6、e=0.4と仮定すれば、実測値は木割法による計算値とかなりよくあった寸法を示すことが、(第16)表からわかる。ということは、前項で触れた施工の粗雑と異うろこは考えられない。
 この書院も武家系統にあると似たプロポーションを示して、その設計には木割という考えがあったものと思われる。

●(第16)表:勧修寺書院部材実測値と木割比較

●勧修寺書院矩計図


6.妙法院大書院について

(1)前身建物
 妙法院大書院の前身建物は元和6年(1620年)の徳川和子(東福門院)入内にそなえて、元和5年(1619年)に造営された女御御所の奏物所であったと指摘されている(注1)。ただし、かなりの変更が加えられていると考えられている。
(注1)藤岡通夫「京都御所」彰国社

●妙法院大書院写真

●妙法院大書院平面図

(2)仕様書
 奏者所に関する仕様書は「御奏者所張付検地」によって、平研的なことと建具について判明するのみで、軸部に関することは全く不明である。

(3)柱寸法
 (第17)図、(第18)図の頻度表から、d=4.3、b=5.1、e=0.8と推定される。
 一般に縁柱は主柱にくらべて太いが、この大書院では縁柱がb=4,84という細めの値を示すことが注目される。
 主柱のうちA-1は5寸2分と太めで、Aー2は面が5分で小さく、G-3はb=4.59×、4.49と細く、またG-4はb=4.62×5.02と縦横の差がありすぎる値を示し、他の柱とは異なる寸法を示している。

●(第17)図:妙法院大書院柱寸法頻度(面内)、●(第18)図:柱寸法頻度(太さ)

●(第19)表:妙法院大書院柱寸法実測値(面内)

●(第20)表:妙法院大書院柱寸法実測値(太さ)

(4)実測値と木割
 (第21)表の様に落縁部以外は、b、d、eを基準とするモヂュールに沿った寸法を示すことが実測された。この大書院は、武家系統にみられる寸法体系の考えと基本的には同様の考えが設計に用いられたと考えてよいと思われる。とすれば、この建物の前身は、勧修寺書院、円満院宸殿、修学院中茶屋客殿の前身と同様に、近世的な格式も同様な建物であったろうと推測される。
 では落縁部の寸法が木割にのらないのは何故か。これはもともとの移築前の建物にはこの落縁は無くて、移築時にこれが補加されたものと考えることによって解決する。

●(第21)表:妙法院大書院部材実測値と木割比較
●妙法院大書院矩計図

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