宮脇昭提唱の森の長城づくりと行政の現場【岩沼市相野釜】

宮脇昭提唱の森の長城づくりと

行政の現場【岩沼市相野釜】

文と写真 伊達美徳

◆老いの一徹・宮脇昭の森の長城の原点の森

宮脇昭さんは、今86歳、東日本大震災の津波被災海岸部に、森の防潮堤を延々と築くことを提唱して、その実行にいまは老いの一徹のごとくに精力をかたむけている植物生態学者である。

昨日(2014年3月16日)、横浜国大で「命を守る森の防潮堤ーこれからの展望」と題する講演会があった。ここは宮脇さんの古巣であり、彼の本物の森の最初の実践の地である。

まだ落葉樹は葉がなくて寒々としているが、横浜国大キャンパスの常緑広葉樹の森は緑をたたえている。知らない人はこの森が人工林とは思わず、森を切り開いて大学キャンパスにしたと思うだろう。

実はここはもとはゴルフ場だったから、森ではなくて草原だった。そこに今では宮脇方式と言われる手法で、苗木を植えた常緑の森を作り上げたのだ。

◆宮脇さんとの出会いから40年に一貫する主張

「まだたったの86歳です。120歳まで生きます」と、あいかわらぬ意気軒昂ぶりで、生態としての人間と自然のあり方をとうとうと説き続ける。

わたしは最近は疎遠になったが、40年ほど前に知り合ってから、自宅にも研究室にもしょっちゅう訪れ、わたしがやっていた仕事で依頼した植生調査に一緒に行ったことも何回かあったし、ヨーロッパに植生調査団にも入れてもらって、彼の氏のチュクセン氏を訪ねたこともある。

その最初に会った頃と今とでは、彼の主張は「本物の緑を」と一貫しているのは、さすがであると思う。だが、最近はなんだか哲学の世界に入り込みつつあるようだ。いや、わたしはいつも現場からしかものを考えないのだ、机の上の哲学ではないぞ、と、怒られそうだが、現場の哲学である。

少し耳が遠くなったのか、講演会の会場からの質問にすれ違ったお答えがあったりして、さすがに現場の鉄人も歳には勝てないらしい。

◆津波被災地・岩沼市海岸部「千年希望の丘」群

東北の津波被災地の海岸に、その常緑樹の森が延々とつななる防潮堤を築いていこうという、宮脇さんの提案は紆余曲折を経ながらも、少しづつ実現に向かっているようだ。わたしも少しだけ手伝いに現地に行った。https://sites.google.com/site/dandysworldg/greatforestwall

昨日の講演者は、その宮脇さんと、津波で被災した海辺に常緑広葉樹の森の丘を連ねようとしている岩沼市の市長の井口さんであった。

井口さんは、震災復興の地元の指揮者の政治家として、苦労話と自慢話の両面で面白かった。理想論を唱える学者たち、既成の法規制を振り回す中央官庁役人、そして主役たる住民市民、これらの間での地元行政が初めて遭遇した大災害事件を突破して、現実の混乱の中で復興へと突き進むのは並大抵なことではない。

ここで学者とは宮脇昭さんであり、石川幹子さんである。石川さんは、岩沼市出身の緑地系の都市計画学者で、岩沼市震災復興計画づくりを指導した。宮脇さんの生態学系の植生の考え方と、石川さんの農学系のそれとは必ずしも一致しなくて、現場は右往左往したようだ。

でも昔から、農学系、造園系の学者と、生態学系の宮脇さんとが現場で違うのは、珍しいことではない。

岩沼市は津波で沿岸地域は壊滅した。

震災復興計画で壊滅集落を内陸部に集団移転して、防潮堤内側の沿岸地域平野部に15カ所に丘を盛り上げて、そこに宮脇方式の常緑広葉樹の森をつくる計画である。

その丘群のアイデアは、松島湾に浮かぶ小島群が津波の勢いを弱めたために、景勝地松島は大きな被災にならなかった教訓をいただいたそうである。

わたしは被災した松島に行ったが、松島湾の外の東松島市の沿岸部が壊滅したのに比べて、湾奥の松嶋や塩竈の街が比較的被害度が低いことを見てきた。

https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru

◆宮脇方式の理論と法規制の壁

岩沼市ではそれらの丘を「千年希望の丘」と名づけて整備中だが、現場ではいろいろと苦労があるようだ。これに対して国庫からの助成金を引き出す策が、大抵なことではないらしい。初めてのことというか、助成金のシステムにとってこんな事業は「想定外」であるらしい。

宮脇さんは、津波で出た家屋廃材、倒木、瓦礫などを小山に埋めれば、焼却処理で炭酸ガスを出さないし、地域内で処理できるから遠方で焼くよりもコストが安い、そして木質系の腐敗によって植生の肥料となるし、塊状埋設物の隙間は酸素の供給にもなり、一石2鳥も3鳥もなると主張されている。

ところが廃棄物の処理に関する法律は、それらの埋設によって腐敗ガスが出たり、陥没して人が埋まって死ぬ危険があるので許さないのだそうである。しょうがないので細かく砕いたり切り刻んだりして、許されるように対応して盛り上げたそうである。

宮脇さんに言わせると、そんな考えは経験の少なかった1950年代の浅はかな考えのままの法律だ、ドイツでは戦前から塊状の廃棄物類を埋設し盛り上げて森をつくっている、と、怒りまくる。

と言われても、行政の現場では困るのである。

◆津波被災地・大槌町で最初の「緑の長城」

実は、最初に宮脇流のやり方、つまり震災津波廃材をそのまま使って小山をつくって常緑広葉樹の苗木を植える方式での防潮堤は、岩手県大槌町で生れたのだそうだ。

まだ誰も理解せず、政府からの支援もない中、「災害の恐ろしさを未来に伝える『鎮魂の森』を町内に築きたい」という町長の英断があり、スポンサーが登場してできたのであった。

このときは町当局、県、環境庁の間で、更に宮脇さんもスポンサー企業の横浜ゴムも挟んであれこれやり取りがあって、では実証実験ならよろしいと、国からお許しが出たそうである。

そうやって長さたった50mほどの防潮堤が実験的にできたのが、2012年4月のことだった。どこからも金が出ないので、宮脇さんが企業の横浜ゴムに掛けあったら、スポンサーになってくれた。

講演会の日は横浜ゴムの人が来ていて、苦労話を少ししてくださった。そして陥没したり毒ガスが出るかその後調査しているそうだが、毒ガスは出ていないし、陥没も起きていないが、全体が1年1センチくらい沈んでいるという。盛り上げたのだから、自重で締まって沈下するのは当たり前である。

その後、この防潮堤は着々と長さを伸ばしているそうである。

http://www.yrc-pressroom.jp/support/?p=350

http://www.yrc.co.jp/csr/feature/topics6.html

http://www.town.otsuchi.iwate.jp/docs/2013052000056/

◆二つの市の境界上にある被災集落

さて、復興は各地で着々と進んでいるのだろうか。井口岩沼市長の話では、岩沼が復興の最先端を走っているとのご自慢であった。スピードを持って、しかもコスト意識をもって復興をするとて、まことに良いことである。

話を聞いていて、ふと疑問が頭をよぎった。

実は岩沼市を訪ねたことはないのだが、その北隣の名取市北釜集落、正確には集落があったが津波で消えた跡地を訪ねたことがある。

https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama

そこは名取市の南端部であり、南隣は岩沼市相野釜集落である。空中写真を見ると北釜とまるで双子のようによく似た地区、というよりも一つに集落に見えるが、どちらの集落も消滅した。

北釜は119世帯という記録を見つけたが、相野釜の世帯数は分からない。いずれにしても大差はないだろう。地めのどちらにもつく「釜」とは、昔は製塩集落だったことを現す。

たまたまこの2集落の間に行政境界が入っているが、多分、歴史的にも民俗的にも産業についても似たようなものだろうし、両集落にそれぞれ親戚関係者もおおいだろう。つまりひとつのコミュニティーであったにちがいない。

普通に考えると、これら二つはともに同じところに集団移転しそうなものである。ところが、津波で被災した今、ふたつの集落は全く異なった方向に移転してしまうのである。北釜は北の方の空港の北地区に、相野釜は南の方の玉浦西地区へと、集団移転するのである。どちらも他の集落と統合する新たな住宅地を形成するのである。

◆同じコミュニティでも行政が異なると異なる移転先

なぜそうなるか、多分、二つの集落が別の自治体に属するので、それぞれ別の復興計画に従うからであろう。

余所者の余計な心配だが、このようにな集落の間にたまたま行政境界が入っていることによって、復興のために離れ離れになることは、普通のことなのだろうか。いや、今回初めての事件だから普通のことではない。

防災集団移転は、制度上は市町村を越えて可能であるようだが、この2集落は同じところに集団移転したい、あるいは世帯によっては隣の集落の移転先に行きたいとか、そのような要望がどちらの集落側からも出なかったのだろうか。出なかったのならば、わたしの杞憂である。

井口市長が強調しておっしゃっていた、避難所も仮設住宅も元のコミュニティを維持できるように配置し、集団移転もそのように計画しているとて、それは誠に良いことであろう。

それとこれとはどうつながるのか。市町村を超えると県の役割だから避けたのか。

他の被災地では、このような例はあるのかないのか、どうなのだろうか。

東北被災地では、市街地が行政境界を越えて連担する地域はなかったのかも知れないが、関東や東海道地域となると街の中に行政境界があるのは珍しいことではない。行政境界を超える難しい問題が起きる可能性が多分にある。

◆津波は行政境界に無関係にやってくるのに

市境を挟んで南の岩沼側は、防潮堤、千年の丘、貞山堀土手嵩上げ、市道嵩上げという何重もの構えで守りを固めるのに対して、北側の名取市側では、千年の丘のような事業はないらしい。

もちろん防潮堤や防潮林を整備はしているのは見てきたのだが、千年の丘のような特徴ある計画はないらしい。

両市の復興計画図を見ると、名取市北釜では交通結節点としてなにか開発的事業をやるらしい赤丸が画いてあるが、岩沼市相野釜の方では千年希望の丘をつくるらしい。双方につながりはないらしい。

ここに限らないが、沿岸部自治体の震災復興計画をみていると、行政境界で図がつながらないことがあちこちである。

しかし、津波は市境とは関係なくやってくる。

千年の丘や緑の防潮堤の有無で、その被害がどう違うのか、その時になってみなければわからないし、どのような方策が最上であるか誰もわからないだろうが、線の1本で隣り合う行政が異なる対策をとることが、わたしには釈然としないのである。

こうなるとしょうがないから、こんどおいでになる津波さんには、市の境で別々に襲ってもらうようにお願いするしかない。

宮脇さんは、千年の丘の「千年」が気にいらないらしく、「九千年の丘にしてほしい、次の人類滅亡となる9000年後の氷河期までこの森は永続するんだ」と、なんども強調しておられたのが、宮脇さんらしい一徹さであった。宮脇さんは、キュウシェンニェンと発音する。わたしと同郷なのだが、あのあたりではこうは発音しないのになあ。

わたしには千年も九千年も、自分が死んだ後だから同じことだが、そこが俗人と宮脇さんの違いである。(20140317)

◆関連する伊達美徳のページ

・地震津波核毒原発おろおろ日録

http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

・森の長城で大津波に備える市民プロジェクトが動き出した

https://sites.google.com/site/dandysworldg/greatforestwall

・自然と人間はどこで折り合って持続する環境を維持できるのか【東松島市野蒜】

https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru

・復興で仙台・名取都市圏はどう変わるのだろうか【名取市北釜】

https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama

・宮脇昭提唱の森の長城づくりと行政の現場【岩沼市相野釜】

https://sites.google.com/site/dandysworldg/iwanuma-ainokama

◆関連する外部ページ

・がれきを活用した森づくりの第一弾、岩手県大槌町で開催【横浜ゴム】

http://www.yrc-pressroom.jp/support/?p=350

・それぞれの想いが一つに重なり、創り上げた「いのちを守る森の防潮堤」【横浜ゴム】

http://www.yrc.co.jp/csr/feature/topics6.html

・命を守る緑の防波堤/大槌町の防災林「平成の杜」に5,000本植樹【大槌町】

http://www.town.otsuchi.iwate.jp/docs/2013052000056/

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