・本文では西洋近代社会で「石器時代」「旧石器時代」と呼ばれる時代が、現存する未開の民族が生きる世界と同一視されているが、これは適切なのか。[田中美衣]
・『石器時代の経済学』というタイトルは、レヴィ=ストロースが未開社会の人々の在り方を「具体の科学」と名付けてそこに「科学」があることを強調したのと似ているのかもしれないと思った。[井出明日佳]
・冒頭から一貫して、レヴィ=ストロースでさえ用いていた「未開人」という言葉を使っていないことに驚いた。<原始経済人→テクノロジーの発達→余暇の発生→文化の形成(→文明の発達→文明社会による未開社会の支配)>という、文化進化論そのものを否定するために、遂にとった措置なのだろうか。(と思っていたら、「未開社会」や「未開民」という言葉が出てきた)[阪田天祐]
***
・荷物をなんでもかつぐような自己搾取的な王も、富の流れる水路としての王もわたしが思い描いていた王とは大きく異なっていて、この文章全体のテーマである予断に疑問を呈するということを体感できた。[楠田薫]
・少し話はズレるかもしれないが、日本の鎖国時代のように交易を通じた利益追求のためでなく、自給自足のためでもなく、税を多く取られるために必死に働くというサバイバル的な労働のあり方も考えられると思った。[高橋征吾]
***
・サーリンズの著作や、後に続く生態人類学の論文にはグラフや図表といった量的なデータが多いと感じる。このように他の人類学の分野と比較して生態人類学が「はかる」ことを重んじるのはなぜなのか。また、研究手法の違いに際してほかの人類学の分野との相互批判としてはどのような議論があったのだろうか。[中山皓聖]
・環境の豊かさがそこにいる人たちの労働のあり方をある程度規定しているというのは、人間のみならず他の生物でも、環境の過酷さに応じて適応的な姿に淘汰されていき、ありようを変えるという法則に似たものを感じた。[高橋征吾]
・サーリンズの手法は、社会学・経済学っぽいところがあるが、この文献はどのような点で民族誌・人類学的記述だと言えるだろうか。→確かに数値を扱いそれを元に分析している部分はあるが、それを数あるデータの一つとして捉えてはいない。むしろ他の社会的事例の認識にも還元できるような事例の一つとして考察されているところに、人類学的 [西川結菜]
***
・『石器時代の経済学』は資本主義社会を一つの文脈として書かれていそうだが、1972年の発行なので、マルクス主義との関わりはどのなのか気になった。[井出明日佳]
・「労働の分割も同様に単純ですぐれて性による分業である」(20)とあるが、性別役割分業もそれが本人の意思に反していたり、お金や地位などの評価基準に結びつかない限り、効率的でそこまで悪いものでもないのかなあと思った。[森山倫]
***
・アーネム・ランドの狩猟民が⦅単なる存続⦆だけでは満足せず、多様な食料を調達しようとするという記述がp29にあったのが印象的だった。これを踏まえると、これ以上生産量を増やしても生活が豊かにならないから食料の多様性という方向で生活を豊かにしようとする狩猟民の社会と、さらに生産量を増やしたら生活が良くなるからそうするブルジョア企業家が中心の社会を、人間が生産の目的か生産が人間の目的かみたいに対照的なものとして捉えていいのかと思った。[北村晴希]
***
・「アーネム・ランドの人々が、《文化形成》に失敗したのも、正確には、時間の欠如からではない。なまけ上手のゆえなのだ。」(p.30)に論理の飛躍が見られる気がする。「《文化形成》に失敗」した旨の記述が唐突だと思った。[川田寛]
・「《文化形成》に失敗した」(30)という表現は、狩猟民の生活にはある種の物質的な潤沢さはあれど、文化的な充実はないという内容を含意しているのだろうか。[山本大貴]
・30ページの≪文化形成≫と、22ページの「積極的な文化的事実」で使われている、「文化」という言葉の意味は、違うのだろうと思った。これが、アメリカ文化人類学における”「文化」の換骨奪胎“? [阪田天祐]
***
・「厄介ばらい」(48)について、幼児や老人だけでなくて、ここに書かれていないが傷病者や障害のある人も対象になりうるのか、彼らはどうサバイブしているのか気になった。[森山倫]
・「可動性と中庸(mobility and moderation)が自分たちの技術手段の範囲内に、狩猟民の目的を設定する」(日本語p.49 英語p.34下方)は、可搬性を重視することと、禁欲的で節制をする、という特徴のことをのべているのだろうか。[中山皓聖] → 原文: Periodic movement and restraint in wealth and population are at once imperatives of the economic practice and creative adaptations, the kinds of necessities of which virtues are made. Precisely in such a framework, affluence becomes possible. Mobility and moderation put hunters' ends within range of their technical means.
***
・25歳までのらくら過ごせるクン・ブッシュマンが羨ましいです。日本社会の就活早期化とか生き急ぐことの美徳とかもう少し緩和されてもいいのになとか思います。[森山倫]
・大切な社会的エネルギーを経済過程から組織的に引き上げるという問題に関わっているからである。しかも、それだけにとどまらない。他の人々、つまり就労生産者の現実の労働量を規定するという、もう一つの問題があるからである(71)とはどいういうことか。[田中美衣] → 原文: But that is the problem: we have to do with the organized withdrawal of important social energies from the economic process. Nor is it the only problem. Another is how much the others, the effective producers, actually do work.
***
・著者は結局「使用のための生産↔︎交換のための生産」を肯定しているのか。p.99では「先住民でも交換はしており、交易が生計のためなのか、利潤のためなのかということが大切だ」と言っている割には、p101で「経済人類学でこの区別を無視してきたのは残念だ」と言っている。ここ付近の数ページの理解に苦しんだ。[川田寛]
・「むしろ生計がさしあたり確保されると、さしあたり生産も中止されるという傾向がある。使用のための生産は、不連続的で、不規則におこなわれ、全体として労働力を出しおしむのである(101)」とあるが、そうは言っても、もっとお腹いっぱい食べたいとか思わないんだろうか。それともこの時点で十分にお腹いっぱいだから必要ないのだろうか。自分だったら日がな一日ご飯を獲る労働と食事ばかりしてしまいそうな気がする。[原菜乃葉]
***
・「全社会が、このがんこな経済的土台のうえに構築されており、したがって、矛盾のうえに構築されている。なぜなら、家族制経済が、自らののりこえを強制されるのでなければ、全社会は生きのびてはゆけないだろうからである」(104)とあるが、「矛盾」が何なのか、「全社会は生きのびてはゆけない」とはどういう意味か、分からなかった。[阪田天祐]
・p104に「経済的にいうと、未開社会は、反社会のうえに基礎付けられていると言わねばならない。」とあるが、この「反社会」とはどういうことか。[北村晴希]
→ 原文: Otherwise said, the DMP[Domestic Mode of Production] harbors an antisurplus principle. Geared to the production of livelihood, it is endowed with the tendency to come to a halt at that point. Hence if "surplus" is defined as output above the producers' requirements, the household system is not organized for it. Nothing within the structure of production for use pushes it to transcend itself. The entire society is constructed on an obstinate economic base, therefore on a contradiction, because unless the domestic economy is forced beyond itself the entire society does not survive. Economically, primitive society is founded on an antisociety.
・「家族制生産様式の三つの要素ーすなわち、もっぱら性による区別だけのわずかばかりの労働力、単純なテクノロジー、および有限な生産目的ーは体系的に相互関連している。(中略)どれか一要素が並外れた発展傾向を示すと、他の要素の抵抗が増大して、両立し得なくなる。」(104)なぜか?[北村晴希]
***
・「もっとも無能な家族制集団、とりわけ、自分たちの必要すらみたしえない相当数の人々の窮状は、それだけますます容易ならぬものとなる。というのも、より大きな労働力をもっている世帯が、よりすくない労働力しかるたない世帯にかわって、自分たちの生産を自動的にふやすわけではないからである。生産組織それ自体のなかには、自身の体系的な欠陥を体系的に補整する機構をなんらそなえていない、といわねばならない。」(109) 必要なものが手に入らない相当数の人たちはどうやって生活しているのだろう?「生産組織それ自体」以外の場所(ミッションなど?)から物資が供給されているのか? / ビックマン・システムのもとでは過剰生産と再分配が行われるため、「無能な家族制集団」の成員もある程度養われるだろう。それでもサーリンズはビックマン・システムの方が合理的だというような書き方はしないのが面白く、相対主義が徹底されていると思った。[楠田薫]
***
・複数の先住民集団での例(p.133etc.)によって、先住民集団によって生産強度が異なることが理解できたが、その相違は「生産強度は、生産能力と反比例の関係にある」(p.109)だけで説明できるのだろうか。また、ここでの生産能力とは、彼らの住む土地の豊かさのみを表しているのだろうか。[川田寛]
・参考p.109の原文: Productive intensity is inversely related to productive capacity.
・133ページ以降の労働強度のグラフについてがよくわからなかった。このグラフが示しているのは、チャヤーノフ動向とビッグマン・システムは共存しつつも、どちらの程度が強いのかは地域によって異なるということだろうか。チャヤーノフ動向とビックマン・システムは、それぞれ使用のための生産と交換のための生産に対応すると考えられる。それらは「野蛮」「部族」と「文明」「西洋」という二分とは必ずしも一致せず、生産と消費がどのような規模で対応しているのか(共同体の福祉を基準として世帯に留まっているのか、あるいは世帯を超えて首長が権力を持つような循環の中に位置付けられるのか)によるのだということだろうか。[西川結菜]
***
じじつ、九戸のうち六戸は、平均世帯構成以下だが、しかし劇的なまでに下回っているというほどでもない。したがって、剰余労働の推進力は、マズルー族でよりも、カパウク族の方で、ずっとひろく人々のあいだに分布してあらわれる(137・139)とあるが、なぜそういえるのかよくわからなかった。[田中美衣]
・ビッグマンが普遍的ではないとはいえ一般的に見られるのは、なぜなんだろうと思った。[高橋征吾]
・3章ではビッグマンを目指す原因について家族制生産様式をはじめとする経済的原因を中心に説明していた。しかし、人々がなぜ名声を求め、野心を持つのかについては説明されておらず、心理的要因や政治的要因についてはあまり触れられていない。ビッグマンを望む人と望まない人は生産の状態が異なるだけではなく、元の(心理的、政治的)原因があるとすれば、その原因が別の流れとして経済的側面に与える影響もあるのではないか。[中山皓聖]
・ビッグマンについて、彼らと伝統的な首長との差異は興味深い。両者はともに富にむすびついた権力を獲得している点で共通点もあるが、首長の方はよりシステムとして構造的な権力関係に基づいているのに対し、ビッグマンは自らの様々な行動の積み重ねで成り上がってく点で、まさに「起業家」であると感じた。一方で、ビッグマンと首長は対立するものなのか、共存しうるものなのかが気になった。「彼らは、親類の長老よりもむしろ彼(ビッグマン)の方を管財人として、自分たちの富を委託しようとだんだん思うようになってくるのである。(159)」という記述からは、ビッグマンが伝統的な首長の役割を代替しうる可能性が示唆さている一方で、「自分自身の名声をたしかめようという関心をとおして、メラネシアのビッグマンは、部族構造のなかでの、連節点となるわけである。(160)」という記述からは、ビッグマンは既存の社会システムのなかにおいて、その構造に変化を与える存在であると考えられる。[秋場千慧]
・未開経済において、その物質的な潤沢さや労働力の充足から、技術的な開発や効率的な生産には関心が示されないのならば、技術的な進歩や生産性の向上は、その必要性に迫られることによってしか起こらないといってしまっていいのかについて考えた。[山本大貴]
・オリエンタリズム的かもしれないが、「狩猟=採集民は、彼らの唯物的な《衝動》を制御したのではない。たんにそうした衝動を制度化しなかっただけなのだ(24)」とあるような、人間のもつ欲望が生得的なものではなく社会構造や生活様式によって作り出されたものであるという考え方は、際限のない欲望によって苦しんでいる人々への救いになると感じた。[原菜乃葉]
・本文の趣旨とは外れるかもしれないが、気前の良さを基盤とする首長も、ビッグマンも、ピラミッド型社会の首長も、富を分配することで人々からの尊敬や立場を保っているのに、資本主義が進んだ社会では単に富を持っているだけで(羨望はともかく)尊敬の対象になっていることがあるのがちょっと変だなと思う。[原菜乃葉]