・今日の授業で理解を深めたいのは、近代、生権力、権力関係の3つ。
・今日取り上げるのは1970年代後半から1984年の死までのフーコーである。フーコーは『監獄の誕生』(1975)で一番よく知られているが、今日の文献はそれ以降の、いうなれば「後期フーコー」で、出版物としては『性の歴史』(1976, 1984)以外には対談集等しかなかったため、1990年代末まで広くは知られていなかった。本格的に影響を与え始めたのは1990年代以降、特に『コレージュ・ド・フランス講義録』がでたあとの2000年代以降のこと。
・人類学との関係:1990年代。非西欧・前近代の社会・文化の人類学が次第にそのままの形では不可能になってくる。レイヴとウェンガーの実践コミュニティのように、人々が絶えず学びながら存続していくような社会像が必要になってくる。
・私も1990-92年に博論のために南米先住民のフィールドワークをしたが、そこで思い知らされたのは、彼ら先住民を近代的な主体として(も)考えなければならないということ(ある意味で、東京から休みに帰郷してふるさとの祭りに参加することとさほど変わらない部分もあった。その頃、「他なるものから似たものへ」(1993)という論文を書いた)。レヴィ=ストロースの『野生の思考』やサーリンズの『石器時代の経済学』は重要だが、そのままの形では人類学は進めない。人類学は「近代modernity」と正面から取り組まないといけない。この意味で、(レヴィ=ストロースの影響のもとで)人類学に似た視点から西洋の近世・近代を研究したフーコーの仕事は次第に重要になってくる。
・1990年代はまたグローバル化の時代であり、新自由主義が浸透していく時代。十年間に世界中の人たちの考えが大きく変わってしまった。ところで、1970年代後半のフーコーが、コレージュ・ド・フランス講義でずっと取り上げていたのが自由主義・新自由主義の問題だった(特に1978年の講義『安全・領土・人口』と1979年の講義『生政治の誕生』)。『生政治の誕生』では、新自由主義的主体とは「各々が自分自身の企業家となること」だと論じている。新自由主義が世界を席巻していく10〜20年前のことである。
・この「後期フーコー」の重要概念の一つが「生権力」で(その出発点が『知への意志』の最後の章)、それによって「近代」を生権力という権力形態によって特徴づけた。フーコーはその後、『安全・領土・人口』や『生政治の誕生』等を通じてこの考察を深めたあと、そうした生権力のもとに生きる我々がどのように自由でありうるかを古代ギリシア・ローマに遡って研究する。二番目のインタビューはこのフーコーの最後の思索を反映したもの。