全体的に文学的、詩的な印象がある。これはインゴルドの書き方だけでなく、訳語の選択にもよるものだと思う。(例えば、bindingを「結合」ではなく「結ぼれ」としているなど)
一般的な世界観とはかなり異なる見方をフィールドワークの結果、つまりどこか別の集団から学んだこととしてではなく自分の意見として記述している点で、これまで読んできた論文より踏み込んだ立場をとっていると言えそうだ。
世界について室内で考えることが、そっくり世界を想像するような誤りをもたらすのだとしたら、フィールドにおいて考えることはかなり重要だと思った。
インゴルドの議論はひとりの人間が往来(知覚)できる範囲についてうまく説明できているが、その範囲を超えることには対応しておらず、それらは「科学的な」知識で補おうとされてきているのではないか。また、「科学的」な範疇の知識が現象学的に捉えられる範囲にも侵食してきたために冒頭の実験の例のような歪みが生まれたのではないか。
知覚できる範囲外のものとして、暗闇はどのように説明できるのか考えた。街頭や星の明かりのある夜空は昼間の空と同様に輝きそのものとして捉えられると思うのだが、真っ暗で何も見えない田舎の夜の森の中の暗闇はどうなのだろうか。このとき知覚者と世界は混沌としているが、それが知覚者になにかを知覚することを可能にしているわけではない。
as though people and material objects were indeed all there is.(30)を「人々や物質的なモノが実際にすべてそこにあるかのように」(182)と訳したのは誤りではないか。「実際に人々や物質的なモノがそこにあるすべてであるかのように」という意味だと思う。(訳については、Weは「われわれ」と訳すのにI は「私は」ではなく「筆者は」と訳されているのも不思議だった)
「開かれた世界とは、形成と変容の過程の世界である。」とあるが、変容しないものもあるのではないか。
知覚するものとされるものの両方が存在しなければ世界は成立し得ないということか。
筆者は何を目的に「開かれた世界」という見方を提示したのか。何を被験者たちが絵に描いた世界観と同様、ギブソンや筆者の理論も異なる世界観を提示しているだけではないのか。筆者の「開かれた世界」観は中世のキリスト教世界や「未開社会」の世界観と共通する部分があるため、それらの理解に役立つということか。
媒質としての風はより広く解釈できると感じた。例えば、ジンバブエ のンビラという楽器をつかった儀礼に参加した際に、ンビラの音楽の音が聞こえると、あたり一体の雰囲気が変わり、近所の人が集まり、上下関係は関係なく、先祖の霊も交えて儀礼が行われていた。音楽も音という意味では空気(風)の振動(176右下)だが、感覚器の耳で聞くだけではなく、媒質として生死や立場を超えて場を存在論的に変容させる大きな役割を儀礼で果たしていると感じた。
あまり話の本筋とは関係ないが、子供の描いた絵や、図3のイラストで大地や地面とともに描かれるものが人や家であることが興味深いと感じた。私自身、バイトで地層などの話題を教えるために地面のイラストを書く時、想像しやすいように人や家、木のイラストを書く癖がある(本来のスケールだと、大地や地面に比べてこれらのものはそれほど大きい訳がない)。これらの付随するイラストも図3の空が現象学的なステレオタイプに基づいているように、現象学的な想定を含んでいると言えるのだろうか。
「この知覚者と居住する世界との混淆は、触れる対象としての事物と、触れる主体としての知覚者との両者が分離するための存在論的前提である。」(181)の記述がよくわからない。むしろ逆ではないのか? 感じることが「自己とその周囲とのある種の相互浸透(180)」であって「われわれがすることのみならず、われわれであることに存する(180)」のならば、知覚する人とその世界つまり、触れる対象と主体は分離ではなく不可分になるのではないか?
[原文] Feeling, then, lies not just in what we do but in what we are: in that commingling of the perceiver with the world he or she inhabits that is an existential precondition for the isolation both of things as objects of touch and of the perceiver as a subject who touches.
閉じられた世界と開かれた世界は、都会の家と田舎の家を連想させる。都会の家は常にドアが施錠され、隣人の家の中がどのようで、どのように生活しているのかさえ知ることはほとんどない。(孤独死をしても長い間気付かれないということもあるように、、、)一方で、田舎の家はドアを施錠せず、近所の人がふらっと立ち寄って世間話をしたり食事をしたりすると聞いた。こう考えると、田舎では人びとが媒質である空気を常に共有しているし、個人の家の中までも媒質が浸透し、人間と環境が混ざりあって「開かれ」のなかにあると感じる。
エージェンシーをものに内在するものとみなす見方を批判し、媒質の流れによって相互作用が生まれるという主張は非常に新鮮で、納得させられた。
インゴルドがここで議論していることは閉ざされた空間には全く適用できないものなのか。開かれた空間と閉ざされた空間を全く別のものとして考えることに少し違和感を感じる。
インゴルドが室内で考えられることと野外で考えられることは違うと言っていたので、川沿いを散歩して公園のベンチに座ってみた。読んでいる時はどうして風にこれほど重要性を置くのか理解できていなかったが、それがわかったような気がする。風はたまに吹くだけのものだと思っていたが、ほとんどずっと吹いている。風に合わせて視界の木が全て揺れ、地面の砂つぶや植物の一片が飛ばされる。落ち葉が川に落ちると、水面に小さな波を立てる。自分がよく散歩している場所が実はこれほど動的なものであって、一瞬一瞬変化し続けていることに驚いた。また、川沿いの家からは、夕食のいい匂いがした。確かにただ鼻で知覚されるのではなく、美味しい匂いが身体中に広がる感覚があった。散歩することがさらに好きになった。
身体感覚的で、世界認識に関する描写が多く、冒頭から展開されるインゴルド・ワールドに入り込むのがやや困難だった。読み終わった後には、「大地の形状の科学的な説明」までも疑ってかかるのが人類学なのか、と軽い衝撃を受けた。さらに、そのような思考はどこから降ってくるのだろう、と考えたときに、多分インゴルドは外に出て風を感じたり、土を踏みしめて歩いたりすることが好きなのだろうな、と感じた。FWに限らず、外部の刺激の「受容」とその「言語化」を極めると、このような世界が見えてくるのかもしれない。
夏に針葉樹の森を歩く感覚の例(185下)が自分にはかなり刺さった。確かに、奥多摩の山林を歩いていれば、日々変化している地図には載らない無限の起伏、土を踏むときに僅かに沈み込む感覚、倒木を跨いだり潜ったりしながら進む道など、「地面」が明瞭ではない例などいくらでも挙げることができる。一方で都心に戻ってくれば、硬くて滑らかなアスファルトの明瞭な「地面」があることに何の疑いもなく暮らすことになる。ここでは、「地面」が時々陥没したりするにせよ、可変性のないもの、動的であってはいけないものとして認識されている。それでも、山道を5, 6時間ほど歩いた後にアスファルトの道に戻ると、「土を踏み込む感覚」がないことに慣れるにはほんの少し、時間がかかる。逆の場合であれば何の疑いもなしに土の感覚に入っていける気がする。人によると思うけれど。
日本家屋を連想した。開かれていて、風や天候の変化を受け入れる構造になっていて、それらを物質的な生の形態と結びつけているのは、生命として自然な居住のあり方のように思える。日本家屋のみならず、このような形態の住居は多く見られるだろう。むしろ、近代が大地と空の分離を図っていることこそが不自然なのかもしれない。ひとえにこれは前回のデ・ラ・カデナと通じることだが、近代社会自然から距離をとる中で、空を自然、大地を肌理を取り除いたコントロール可能な非自然とみなすようになり、その帰結として我々が想像するような近代建築が完成されてきたのかもしれない。
呼称があることが、事物にエージェンシーを認めたくなる理由なのかもしれないと思った。例えば、「風」と呼ぶことで、自分に吹きかける空気の運動性は「風」という事物として対象化される。これはアルチュセールの呼びかけとsubject化に通じるものがあるかもしれない。名前を与えることで、固定化され独立した事物をイメージしがちになるのではないか。その意味で、呼称が生まれていない時代を考えれば、事物以前には名も無きエージェンシーだけがあったはずで、エージェンシーに事物(とその呼称)が還元されているというインゴルドの主張はわかりやすくなる気もする。
ギブソンの媒質の理論で、魚にとっては媒質である水が人間にとっては物質だと言いながら、環境の質は特定の生命形態との関係においてのみ考察されうると強調している(176)のが面白かった。同じように空気を媒質としている人間と鳥でも、空気の質みたいなものは違って立ち現れてくるのかななどと思った。
「開かれた世界に住むこととは媒質の流れ、つまり陽光や雨、風の流れに浸されること」、「空の光は知覚者と世界との混淆として経験され、それなくして見るべきものは一切ありえないだろう」(181)という部分を読んで、砂漠の中心で遊牧民の礼拝の呼びかけを聞いた時のことを思い出した。それまでいつも聞き流していた街中でモスクからスピーカーで流されるアザーンとは異なり、家長が居住範囲に届く限りの声で呼びかけるアザーンからは、より空気の中で浸されているような感覚を得た。他にも、中東に住んでいた時の方が月の満ち欠けに敏感になって空との一体感をいつもより強く感じることもあった。
たとえば、「風」を物理的な空気の移動としてとらえ、測定する科学者の(物理局面的な?)語りはどのように説明されるのか。そのように風を認識することは、感じることとは無関係であるということか。
「アニミズムは事物のうちに生命を注入するということではなく、それを生み出した運動へと事物を復帰させることである。」(183)とあるが、「復帰させる」とはどういうことなのかわからなかった。
[原文] it is not a matter of putting life into things but of restoring those things to the movements that gave rise to them.(ランダムハウス英和大辞典) 「〜へと復帰/回復させる、戻る = restore...to」例 be restored to one's usual health(ふだんの健康に戻る) →「事物をそれを生み出した運動へと立ち戻らせる」くらいか。
「生命や居住があるところはどこでも、物質と媒質の界面における分離は撹乱されて相互の浸透と結ぼれが現れる」(185)、「生命は、居住者の存在全体を貫く、触れるのではなく感じられるこうした流れにたゆたっているのである」(187)など、インゴルドの言葉遣いは距離を置いた分析的なものというよりも、より現実に重なるもののように感じた。新しさと読みやすさが両立されているような文章だと感じた。
「空を描く」という素朴な実践から、「〇〇であること」や「開かれた世界に住むこと」などの豊かな思考に広げていくところがすごいと思った。現実からかけ離れてしまうような机上の空論になることなく、誰しもが思いつくよりは少し発展して新しいことを提唱するためにはどうするべきなのか、どのようにしたら良いのか気になった。
「そしてこれを達成するためにわれわれは、世界において凝結した物質やそれらが見せる堅固な表情から、物質たちがその中にあって形をとり、また溶けてもゆく媒体へと視線を移さねばならない」(179)とあるが、「われわれ」とは誰か(人類学者たち?人類全体?)、また「媒体へと視線を移す」とは具体的にどのように認識することなのか気になった。
思いついた例 ―
・”付き合う” “結婚する”:子供の頃、付き合うというのがどういうことなのかよくわからなかった。例えばお互いに好意があったとして、 ”付き合う” と宣言し合うと何が変わるのか。
・インゴルドに言わせれば、 ”付き合う” こととは、相手を ”付き合っている人” として開かれた世界からかたどり、経験することなのだと思う。また、 ”付き合うと宣言し合うこと” (”告白する” “別れる” 等)は、互いに親密に好意を寄せ合う ”付き合う” 状態を永続的なものだと取り違えてみることだと思う。
・この宣言がいかに幻想なのかは経験上とてもよく理解しているつもりだが、それなのになぜ、 ”付き合うと宣言すること” をなぜこんなに欲望してしまうのか気になった。(=世界は過程の世界なのに、なぜそっくり世界を求めるのか)
「よって開かれた世界に住むこととは媒質の流れ、つまり陽光や雨、風の流れに浸されるころである。かわりにこの浸されはそれぞれ、見ること、聞くこと、触れることの能力をわれわれに与える」(181)とあるが、ここでいう雨を音の媒質というのは無理がある、l;;と思う。
[直前の文] 神学者ジョン・ハルは、成人してから視力を失った自身の経験を述べつつ、ちょうど太陽が世界を光に浸すように、降り続ける雨はいかに世界を音に浸し、「あらゆるものの輪郭を明らかにするか」を描写する。「私の身体と雨は混ざり合い、ひとつの聴覚的に触知可能な三次元宇宙となり、その中に、またその全体を通して、私の意識が広がっている」。