第六話 庭

   一

 ナムリスは小ぶりな寝台の上で目を覚ました。薄汚れた天井が目に入る。それを生身の目で見つつ、視線を動かす。彼は何の被り物もしていない。

 少し首を持ち上げ、自分の体を見ると土で汚れていた。まるで、一度埋められた後に掘り起こされたかのように土だらけだ。彼は指が動くことを確かめると、腕を持ち上げ、掌を見た。やはり、黒く汚れているが、爪の間に土は入っていない。

 彼は自らの手で土穴から這い出た覚えも、自らの足で立ち上がった覚えもなかった。ここまでは誰かの手を借りてやってきたものと思える。

 ナムリスは眉をひそめると、上半身を起こした。彼は素朴な平屋の端っこで目を覚ます。部屋に人の気配はない。

 寝台から立ち上がると、全く急がずに平屋を出る。

 外は落ち着いた田舎町だった。周囲に人気はなく、なんの生活音も響いてこない。試しに少しだけ散策し、家々を覗いてみたが、誰とも出会わなかった。

 彼は完全に一人だと理解した。その孤独の懐かしさに、ナムリスはにやりとする。

(墓所を思い出す)

 シュワの墓所では、常に大勢の人間が暮らしていたが、ナムリスはそこで安息を感じたことがなかった。皇兄をつま弾きにする皇弟派にしろ、皇弟に表立って異を唱えられない皇兄派にしろ、どちらもナムリスにとっては彼を遠巻きに眺める群衆にすぎない。

 群衆は落ち着きがなく、かまびすしいだけで、彼の心には頓着しなかった。

 彼も自ら関わろうとは思わなかった。奴らは勝手に策動する。ただし、ナムリス自身が動き出しさえすれば、それらの企みは簡単に握り潰せてしまう。

 誰も彼に影響しないという状況下と、無人の廃村は近似する。

 ナムリスは一際大きな家の庭に足を踏み入れた。庭は荒れ果て、枯れ果てた草花が乱雑に

 折り重なっている。そこに赤い花を咲かせる一本の木があった。木の下にはぽつりぽつりと花が落ちている。どうやら、この木は花を散らせる時、花弁を散り散りにさせるのではなく、花をそのまま落とすらしかった。赤々と美しい花も腐れて醜い花も、同様に大地へ横たわっている。

 ナムリスは大地に散った花を踏みつぶしつつ、木に咲く花を摘んだ。

「残酷なことをする」

 ナムリスの目が届かぬ木の幹の裏側から、朗らかな男の声がした。

「摘むなら愛でたまえよ」

「愛でぬとでも?」

 あえて、ナムリスは動かず、木の幹に向かって返事をする。相手も木の幹から顔を出そうとはしない。

「君は愛で方を知らんのさ」

 幹から腕だけだし、ナムリスの足元を指差した。ナムリスは踏みつぶした花を見つつ、口角の片方を持ち上げると、掌中の花をちぎる。

「そうかね? 俺には俺の愛で方がある」

 花弁の一枚を口に含んだ。

「呆れた子だ」

「お前は?」

 花の残骸を投げ捨てる。

「名乗れ」

「この世界の言葉では発音できないと思うね。ナムリス」

 相手のその言葉がナムリスの琴線に触れた。ナムリスは無言で近付くと幹の裏側へ回り込む。

 そこにいたのはトルメキアのものでも土鬼(ドルク)のものでもない帽子をかぶった、風変わりの髪型をした若い男だった。彼は腕組みをして幹に寄りかかっている。見た目には青二才である容貌を、落ち着き払った態度の老練さが印象を変えた。彼は憂いさえ帯びた瞳でナムリスを見る。

「いびつな鏡を見ているようだよ。君も私のようになるのかな?」

「貴様もヒドラか」

「その時には、いずれの主になるのだろうね」

 ナムリスは幹に肘をつくと、彼の顔をやや下から覗き込む。

「気に食わん物言いだな。貴様はなんの主だというのだ? あの獣か?」

 ナムリスは振り向かずに背後を指差した。そこには彼のものと思しき二本角で四つ足の獣がいる。

「確かにケストは私の召使いだがね。森の少年には庭の主と言われたよ」

「庭……?」

「気になるなら見にくると良い」

 庭の主はすんなりとナムリスを避けると、歩を進めた。その表情に敵意はない。

 ナムリスは思案顔で彼の背中を見つめている。

(ヒドラの庭とは、先帝の言っていた旧世界の種を伝える庭か? 浄化の後に世界を再建するという……)

 やがては庭の主の後を追った。

「面白い。俺を囲おうというのか」

 主はケストの横に立つと振り返る。

「私は誰でも良いという訳ではないのだよ。正直、君には見込みがない」

「なら何故、誘う?」

「君よりも会って伝えるべきことのある人物がいる」

 主の言葉にナムリスは一瞬、目を丸くしたが、

 その意を掴むと立ち止まって笑い出した。

「クシャナか。そいつァ良い。俺に繋がる唯一の人間だからな。この俺を撒き餌に使おうという訳だ」

 ひひひひと笑い続ける。

「ナムリスは面白くなさそうに笑うね」

 ナムリスはムッとした顔をして、笑いを収めた。

「図星かな?」

「もう一度、聞く。何故、俺を誘う? クシャナに会いたければ、直接、王城へ行けば良い」

「私は庭を長く離れることができない。ここの入口がトルメキアでは庭に一番近い」

「庭への入口は複数あると?」

「人類が世界へ伝えるべきものの門戸は広く持たねばね。それで、君はどうする? 本来、庭の客人たりえないナムリスは、私についてくるのかな?」

「良いだろう」

 再び、ナムリスは歩きだす。

「案内せよ。まさか、ここの庭が貴様の庭ではあるまいな?」

「ここの裏門を抜けたところだ」

 主はかなたを指差した。

「おいで」

 ケストと共に彼も歩きだす。ナムリスと主は一定の距離を保ったまま進んだ。

「子供をあやすような言い方をするな」

「私は君よりも相当に年上だよ」

「関係ないな」

 裏門を抜けると、そこには多くの墓が並んでいた。主はなんの感慨もなく通り過ぎる。

「そうだ。丁度良い。湯あみをしたい」

「墓場から掘り起こされたように汚れているね」

「実際、掘り起こされたんだろうな」

「準備をさせよう。だが、ナムリスこそ物言いに気を付けた方が良い」

 大きな風車の前で立ち止まる。

「君は望まれぬ客人だということを忘れないように」

 その時、ナムリスは主の姿形に変化が表れたことに気が付いた。体つきが女性に近付き、その容貌が土鬼(ドルク)の氏族のものに近付く。

 ナムリスは嫌悪感を露わにする。

「誰だ? それは誰を真似ているのだ?」

「あまり、動き回らないことだ。私に会いたくなければ」

 主はケストに言付けをすると、もときた道を引き返していく。後にはナムリスとケストが残された。

(あれは誰だ? 俺はあれを知っている。絶対に知っているのに、脳髄が記憶を辿ることを拒否している……)

 ナムリスはあの眼差しを思い出すとぞうっとする。

(胸糞悪い。なんて目で俺を見やがったのか。あんな目をした女など土鬼(ドルク)にはいなかった)

 不貞腐れたような顔で物思いに沈むナムリスの肩に、ケストが鼻づらをつける。ついてこいということらしい。ナムリスは逆らわずにケストと並んで歩きだす。

(あの目……あの目だ。まるで傷ましいものを見るように俺と視線をあわせる)

 ケストに導かれ、離れにあるドーム状の建物の中に入った。天井の真ん中には小さくない穴が開いている。その下にバスタブがあった。

 立ち止まって記憶を反芻し続けるナムリスを尻目に湯あみの準備が整えられていく。ケストとその仲間たちがどこからか湯を桶に入れて持ってくる。バスタブに湯が張られた後は、香りの良い草花が投げ入れられた。そこで準備が終わったようで、ケストたちは去っていった。

 考えても仕方がないとでも言うように、ナムリスは大きく息をはくと、衣服を脱ぎ始める。その場に脱ぎ捨てると、手桶を使って体の汚れを流してから湯船に浸かった。

 周囲は静かで物音一つしない。

(俺はここで寝ていれば良い訳だ)

 湯船の中に完全に沈む。妙に心地良く、言うなれば安息とでも名付けたいような気分だ。だが、それはナムリスの気性にはそぐわず、腹の底がざわざわとして落ち着かない。

(クシャナ、か)

 おそらく、自分はこの廃村に軟禁状態に置かれるはずだったのだろうと、ナムリスは当たりをつけた。囲い者の姿が消え、もしかしたら今は人狩りが行われているかもしれない。だが、主の口ぶりから想像するに、クシャナ自身が出てこない限り、庭の入口は開かれないと思われた。

(来るな、クシャナ。俺は自分の用を済ませたら、すぐに帰る。来るな)

 しだいに睡魔が彼を捉え始め、水中に体を沈めていく。睡魔が勝ったと思われた瞬間、湯船を覗く者があった。それは逆光で黒く塗りつぶされている。

(ミラルパ)

 水中で微睡みながら、ナムリスは弟を思い出した。兄に謀殺された後、ミラルパは彼の周囲を漂っていた。それが昔の話であると、ナムリスは判断できない。呆然としたまま、黒塗りの人物に湯船から抱き起される。それは庭の主だった。

「ミラルパ、戻ってきたのか?」

「ミラルパではないよ」

 庭の主はナムリスをタオルでくるむと、両の腕に抱いた。

「眠っていなさい」

 主の言葉に逆らいきれず、ナムリスはそのまま眠りに落ちていった。

   二

 母がミラルパを産んでから産褥で死ぬまでの間に、日数をさほど用いなかった。しかし、それは遠い記憶の出来事なので事実とは異なるかもしれない。

 ナムリスが物心ついた頃、周囲は超常の力に目覚めない彼に落胆していた。それに一番、傷付いたのは母だった。

「こんな子を産んで」

 気持ちが荒れると、母は涙を流しながら口癖のように言う。

「陛下に顔向けできないわ」

 恋女房の言葉を父は否定も肯定もせずに受け入れた。そして、第二子の誕生となる。

「今度こそ」

 産後の肥立ちが悪く、熱に浮かされながらミラルパを抱く。

「間違えないわ」

 ナムリスが母の記憶として持っているのは、たった二つの言葉だけだった。「先帝に顔向けのできない長子」と「間違いのない次子」である。

 そして実際、母は間違わずに超常の力を宿す子どもを産んだのだ。

 ナムリスは窓際の寝台で目を覚ます。窓から見える青空が美しかった。

 サイドテーブルには衣服が用意されているが、すぐには手を伸ばさない。心地良い脱力感に身を任せていたかった。

「歌をうたえるそうだね」

 部屋の扉から主が入ってくるのを、横たわったまま視界に納める。

「うたってご覧。聴いてあげるから」

 ナムリスの口から出たのは、いつもの勇ましい歌ではなく、郷里を懐かしむ歌だった。その旋律は静かで優しく、儚げだ。

「上手だね」

 歌は郷里の人々をも懐かしむ。

「待っていてくれ」

 俺は帰る……と、ナムリスは歌い上げる。目から一筋の雫が流れた。

(クシャナ)

 ふいに別れを告げた女を思い出す。彼女も彼に別れを告げた。しかし、クシャナは「 生き続けろ」とも言ったのだ。

(俺を殺す女が、だ)

 死を想う。その憩いを羨む。ナムリスは我に返った。

「貴様」

 寝台に上半身を起こすと、顔を朱に染め、部屋の隅に立つ主を睨みつける。

「それが君の客人としての資格だ」

 薄ら笑いを残し、主は部屋から去った。

 ナムリスは乱暴に衣服を身に付けると部屋をでる。長い廊下に立つナムリスはヘルメットを被らず、鎧もつけず、太刀を佩かず、拳銃もない。完全なる無防備で、主を追う。

「待つが良い」

 ナムリスの言葉に、長い廊下の中途で主は鷹揚に振り返る。ナムリスと相対するように向き合った。やはり、その姿は女性のままだ。

「ナムリス、静かに」

 主の物言いにナムリスは思わず動きを止めた。遠い昔に忘れ去った記憶が甦る。

「それは母か!?」

「良く言われたろう。忘れてしまうとはね」

 ナムリスは頭に血がのぼると、すぐに行動へ移した。主に駆け寄ると首を締め上げる。両腕を持ち上げて力を込めた。

 主の顔は余裕の笑みだ。徐々に強まる力に苦しげながらも挑発的な笑みを絶やさない。ナムリスが早く意識を落とそうと躍起になるほどにその笑顔は凄味を増す。

「ナムリス!」

 背後からのクシャナの声に、ナムリスは思わず両手から主の首を離した。クシャナの傍らにケストがいる。

「ご苦労、ケスト」

 主はしゃがんでむせながら従僕を労った。どうやら、クシャナを庭まで導いたのはこの獣らしかった。

 クシャナは足早にナムリスに近寄る。

「何故、ここに……」

「クロトワからお前が消えたと報告があった。あれは誰だ?」

「ヒドラだ。庭の話をナウシカから聞いているか?」

「庭……?」

 主はゆっくりと立ち上がった。

「浄化の後に撒くべき種を集約した庭だよ。と言っても、君は何も知るまい。クシャナ」

 一瞬、クシャナの顔が強張る。

「ようこそ、私の庭へ。私は仮に庭の主と呼ばれている。私が言ったことは間違っていないだろう? ナウシカは君には何も教えていない。彼女が世の統治に不要だと考えたことは、トルメキアにも土鬼(ドルク)にも伝えていないはずだ」

「ならば、ここは私には不要の場所。帰らせてもらおう」

 クシャナはナウシカの判断を否定しない。その瞳にナウシカへの信頼を宿す。

 彼女はナムリスの手を取った。

「私の良人も連れ帰る」

 クシャナの行動にナムリスは驚いて彼女を見たが、すぐに繋がれた手に軽く力を込めて応えた。

「それではナムリスの気が済まないのでは? クシャナが良くてもね。私は彼のプライドを傷付けた」

「さっさとクシャナへの用を済ませろ」

 ナムリスが怒りを秘めて言う。

「ふむ。それで君が納得するかな? それでは、ついてくると良い」

 主が背中を見せて歩き始める。立ち止まったままのナムリスとクシャナを追い抜き、ケストが先を行く。

「いつまで手を握っている」

 クシャナが強気に手を振り払った。ナムリスは彼女の言動にちょっと物申したい様子だったが、すぐにクシャナの手を握り直す。

「いつまででも良いだろう?」

 クシャナは好きにしろとばかりに無視する。

 主とケストについて歩くと、建物をでて風車を通り過ぎ、入口付近の墓場まできた。

「見なさい。クシャナの兄君たちの墓だ」

 ナムリスとクシャナは意外の感に打たれる。

「ナウシカと共に庭へきたが、彼らは外へは帰らなかった。ここの客人として一生を終えた」

「これを私に?」

「知らせてやりたいと思ってね」

「変なところが人間臭い奴だな」

「君に言われたくはない」

 主は笑顔を向けた。

「兄君たちは連弾の名手だったよ。命をすり減らすほどに奏でてくれた」

 クシャナはナムリスの手を離すと、義兄らの墓に膝をつき、短い黙祷を捧げた。

「ありがとう」

 クシャナは主を見上げる。

「良いんだ」

「それで? 俺の腹をどうおさめてくれるのかな?」

 今、太刀を佩くのはクシャナが一人だけだ。クシャナが立ち上がる。

「殺したいか、ナムリス」

「血は赤いものだ」

 問うクシャナにナムリスは小首を傾げて答える。

「正直、どうしてもという理由はないのだがな。それは殺すのも殺さないのも同じことだ」

「止めはしない。だが、太刀は渡せぬ」

 クシャナは一歩下がり、ナムリスは前進する。クシャナは見るに耐えぬという風に視線を伏せる。

「呆れた子だ」

 主はケストを横に置き、傍の切り株に腰を下ろす。

「血を滾らせるのに理由などいるものか」

 ナムリスは頓着せずに言い放った。

「そうだ。一つだけ答えろ。ここにヒドラについての技術はあるか」

「良くわかっているだろう。墓所の皇帝よ。その術はここにはない。そんなものは人類に伝えるべきものではないのだ」

 瞬間、ケストが突進する。その行動を予測していたナムリスは避けられたが、ナムリスの背後に立っていたクシャナは違う。ケストの角に思い切り当てられ、体を大地に転がせる。

「クシャナ!」

 ナムリスは主を捨て置き、彼女の元へ駆け寄った。

 薄れゆく意識の中で、クシャナは腕を上げる。その腕が下ろされる前に、ナムリスがしゃがみながら両手で掴んだ。そのまま、クシャナは昏倒する。

「動かさない方が良い」

 主がそっと近寄り、判断する。

「だが、このままここにいると、この子は血を噴いて死んでしまう」

 ナムリスはクシャナの顔を呆然と見ながら、主の言葉を聞く。

 主は腰に下げていた水筒を大地に置いた。

「この水を少しずつ飲ませてやりなさい。ここの空気にも少しは体がもつだろう」

 主はナムリスの肩を掴んで顔を寄せる。

「言ったろう? 君は愛で方を知らぬと」

 捨て台詞を残し、庭の主とゲストは去っていった。

 ナムリスはクシャナの手を握ったまま動かない。

(ナムリス、静かに。壊してしまいますよ)

 唐突に亡き母の言葉を思い出す。

「俺は……」

 呆然とひとりごちる。

「俺は壊すだけ……」

(兄君にお出来になることは、武芸の鍛錬で相手に怪我を負わせる程度のことです)

 かつての臣下の言葉を思い出す。

(残酷なことをする……愛でたまえよ)

 主人の置いていった水筒に口をつけ含むと、クシャナに口移しで与え始めた。ゆっくりと、

 クシャナが嚥下するのを確かめながら、少量ずつ流し込む。何度か繰り返す内に、クシャナの意識が戻ってきた。

 まだ、朦朧としている女の口内に舌を滑り込ませた。壊れ物を扱うよう愛撫する。女も微弱ながら応えた。互いの口を吸いあう内に、クシャナの瞳に雫が潤む。

「嫌か」

 ナムリスが唇を離した。

 クシャナは涙を流すほかに反応を示せない。まだ、意識がしっかりとはしないようだ。ただのその瞳だけが悩ましい。

 再び、ナムリスは水筒の水を口に含み、口移しで与え始めた。何度か与えている内に、クシャナが彼の背中に腕を回す。ナムリスとクシャナは舌を絡ませる。彼女は愛撫されながら、彼の舌を唇で甘噛みした。

「具合は?」

 唇を離し、クシャナを優しく抱き起こしながら、ナムリスが尋ねる。

「悪くない、な……」

「では帰ろう。黄昏へ」

「黄昏の国に玉座は二つとない。私とお前は歩む道を違えたのだ」

「わかっているさ。ただ、今はこれだけ。これだけだ」

 クシャナの腰と後頭部に手を当て、かき乱すように抱きしめる。

 女は空を見上げるように顎をあげる。男は首筋に接吻する。

 クシャナの見上げる空は、木々に覆われ見通せない。それでも、陽光の煌めきが瞳を射抜いた。

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