第22回
国際障害者年とその後の運動
国際障害者年とその後の運動
国際障害者年
「完全参加と平等」を掲げ、1981年は国際障害者年でした。国連で1971年「知的障害者の権利宣言」1975年「障害者の権利宣言」を採択し、これを単なる理念としてではなく実現すべきという意図のもと設定されました。
国際障害者年は、私にとっても大きな転機になりました。特に「障害者も同じ地域に住む、同年代の市民と同じ権利をもつ」という提起は、その後の私の人生の指針になっています。生活、医療、まちづくりなどはもちろん、自分の仕事、結婚、子育て、親戚付き合い、レクリエーションなどあらゆる事柄を、この指針にそって考えてきました。30歳を過ぎた私は、「結婚して家庭をもち、普通の市民として暮らしたい」と思うようになりました。
東京でも、地域でも、
国際障害者年前年頃から、運動も大きく進みました。東京では、障都連の呼びかけによる「国際障害者年をすすめる東京の会準備会」が1980年10月12日に結成され、同年11月24日には、正式発足されるという異例の早さで運動が広がりました。また、同じころから、これも障都連が呼びかけて、東京は各区市町村で「国際障害者年を進める○○の会」が作られました。足立区で角田昌夫さんが、葛飾区で渡邊正春さんが、板橋区で佐藤哲雄さん、などが中心になり立ち上がりました。
私も国際障害者年の意義を訴えて地域を回りました。1日2回講演した日も何度かありました。その頃、障都連では「障害者と生活」という季刊雑誌を発行して、それに国際障害者年の資料を載せました。それを持って話に行きました。雑誌は、よく売れました。毎回、私が持って行く分、全部売り切れました。新しい時代を切り開く国際的提起を知ろうという熱意が伝わってきました。そして、31、2歳の若僧の私の話をよく聞いてくれました。私も学びながら、言語障害の克服も含め、話すポイントをつかんでいきました。また、福祉や教育の制度要求だけでなく、人権保障を柱に運動を進めなければならない、と私は強く思うようになりました。
NHKでも
国際障害者年の意義を広めることにも努めました。NHKテレビでは、午後9時のニュースの前に3分位障害者の映像を1年間流して「今年は、国際障害者年です」と伝えました。今日のように障害者の映像があまり流れない時代でした。私は講演の中で「民放ならば大企業が何百万使い宣伝する時間だ、効果あるのでは」と話しました。実際、世論調査で「今年は、国際障害者年」と知っていると答えた人が、春頃には10%台だったものが年末には50%に近づきました。
「スポーツと文化の祭典」を開きました
私たちも、国際障害者年の意義を広めることにも努めました。国際障害者年を進める東京の会を広範な人々とつくり、集会を開いたり、先述したように地域での運動を呼びかけました。東京の会では「国際障害者年を進めるスポーツと文化の祭典」をそれまで以上の広範な人々と実行委員会を作り、江東区・夢の島で1981年10月に開き、歌手の桑江知子さんや元日本チャンピオンボクサーの協力を得て1000人が集まりました。夢の島のコロシアムに仮設舞台を設けましたが雨で使用できませんでした。それでも室内の体育館などで熱気ムンムンの祭典となりました。先日亡くなった上坪陽さんなどと一緒に歌を作りレコードも出しました。大きな赤字をつくり苦労しましたが、今になると良い思い出です。
「スポーツと文化の祭典」は、翌年も夢の島で開きましたが、その時も雨でした。その後、日本体育大学をお借りしたり、新設された国立市の東京都障害者多摩スポーツセンターや北区の東京都障害者総合スポーツセンターを会場に続けられました。だいぶ規模は小さくなりましたが、30年位続けられました。東洋大学の「風みどり」というサークルが手伝ってくれました。
国際障害者年を契機に「障害者まつり」や「福祉まつり」が、社会福祉協総会など行政関係主導ですが、各区市町村で開かれるようになりました。今も続いているところが多くあります。障害者のことを広げることに一役かっていると思います。自主的なものでは、埼玉の障埼連の「障害者まつり」が毎年1000名の参加で今も続いています。
「国際障害者年日本推進協議会」が結成
国際障害者年は、国段階で大きな変化がありました。1980年4月に「国際障害者年日本推進協議会」が結成されました。元厚生省事務次官の太宰博邦さんが代表に、花田春兆さん、育成会の仲野好雄さん、そして障全協会長の矢島せい子さんが副代表になりました。本当に幅広い運動ができる、と期待が持たれました。この年の12月に開かれた「国際障害者年推進プレ国民会議」に私も参加しました。障害者関係の幅広い人たちが集った国民会議に力強さを感じました。以後、12月に開かれた「国民会議」に毎年参加していました。国際障害者年日本推進協議会の後継体が、今日の日本障害者協総会(JD)です。
国際障害者年は、障害者の権利保障の運動を切り開き、今も継続されています。