第20回
ろう重複の施設「たましろの郷」設立へ
ろう重複の施設「たましろの郷」設立へ
障害の違いを超え
障都連の主旨は「障害の違いを超え、要求で一致し、運動を進める」です。今では当然のことですが、私が障都連に入った当時は、まだまだの面がありました。蜂の会など肢体障害者の運動に参加していた私には、初めての出会いが、たくさんありました。
ろう重複の人との出会い
私がろう重複の人と初めて出会ったのは、今から50年前だと思います。私が障都連に勤め始めた頃「障都連文化祭」というのがありました。そこに、宇佐美はじめさんが参加していました。小学4年位だったと思います。舞台に上がったり下がったり司会や手話通訳の横に行ったり、自由に会場を飛び回っていました。それでもプログラムを止めることなく進行しました。障害の違いを超えて運動を進めることを学んだ気がしました。障害児学校の先生からは、ろう重複学級設立の経過を教えてもらいました。その頃、ろう重複学級合同遠足というのがあり、私も参加させていただきました。お弁当を食べながら都内各ろう学校から参加したお母さん方のお話を聞き、私が学ばなければならないことがたくさんあることを知りました。「学校卒業後の生活が心配だ」「子どもたちが安心して暮らせる施設が欲しい」と切実な願いが出されました。その頃から、チューリップ球根売りなどの資金集めが始められていました。
局長への要請
その頃は、都政でも重複障害者の施策は進んでいませんでした。障害福祉部の課長に「ろう重複の人の問題を話したいから局長と会わせて」と談判しました。実現して、当時の金平福祉局長のところへお母さん方がチューリップ球根を持って大勢参加しました。二時間話せたと思います。お母さん方は熱意を込め、子どもたちの障害の特徴、学校卒業後の生活が心配であることなどを口々に語りました。最後に金平局長が「今日はいい話を聞かせていただいてありがとうございました。私の知らないことも沢山ありました。今後、福祉局としてどのように活かして行くか考えます」と話しました。お母さん方の熱意が伝わり、たましろの郷建設の芽吹きになったと思います。
「たましろの郷」設立
その後、「ろう重複の人の施設をつくろう」の声が急速に広がりました。家族の声が聴覚障害者へ、手話通訳へ、そして支援の輪が広がりました。まず土地探し。私も情報をつかみ、奥多摩町の土地を紹介しました。しかし、施設など建てられない急斜面。「とんでもない土地を紹介して」と怒られましたが、「市橋も一生懸命情報を集めてくれている」と言われました。青梅市に土地が見つかり、資金も集まり、2002年に設立されたのが「たましろの郷」です。