ずいぶん前になるが,県の防災砂防課から自宅宛に封書が送られてきた.仕事の書類なら大学に届くはずなので,なんだろう,と中を確認すると,我が家が土砂災害のレッドゾーンに指定されたとのことだった.今後,増改築や建て替えの時には,県に連絡し,自宅の背後にコンクリート擁壁を設置するようにと書かれていた.
私の現在の専門分野は,測量とリモートセンシングであるが,学生時代における研究テーマは,地すべりであった.当時の恩師とともに地すべりや斜面崩壊,土石流の調査を行った.そこで学んだことが現在の里山暮らしの拠点を決めるのに役立っている.まず,大昔から住居として使われている場所は,災害のリスクが低いこと.我が家の昔の地名である小字名は「ドイ」.昔から屋敷があったとされる場所だ.次に地質構造.地層の向きと傾斜は,崩れやすい斜面かどうかを判断できる.地質の傾きが斜面の向きに沿っていると,流れ盤といって崩れやすい.我が家は地層の向きに対して直角の向きとなっている.リスクゼロとは言えないが,それなりの場所である.そしてコンクリート擁壁よりも石積みの方が安全だということ.コンクリートで覆ってしまうと,地中から浸み出す水の流れが変わってしまう.石積みなら水がどこから染み出しているか,よくわかる.空気の出入りも可能なため,植物の根がしっかりと張り巡らされる.壊れるとしても石垣の一部から壊れるため,非難の判断は難しくない.壊れた石積みは,その都度修復すれば良い.我が家の周辺は,石垣で囲まれている.草刈りなどメンテナンスは大変だが,安全に暮らすことを考えると必要な手間と考えている.
そんな我が家がなぜレッドゾーンに?広島での土砂災害の事例を重く見た国土交通省が,土砂災害のハザードマップを改定しているそうだ.そのハザードマップは,斜面の角度のみで判断したもので,地質構造や住まい方を考慮したものではない.広島での災害は,宅地開発のために造成した斜面で発生した.元々リスクの高い場所だったのである.それを傾斜角度という一律のルールのみで日本全国のリスクを評価するのは,あまりにも乱暴である.
そもそも斜面災害は,洪水や津波などのように広域的な被害を受けるものではなく,特定の場所に限定される.豪雨時に避難しておけば,人命は失われない.豪雨による洪水や地震による津波からの避難とは格段に差がある.洪水や津波に関するハザードマップも公開されているが,個別に高台移転を促してはいないようだ.私の感覚だと,浸水地域では積極的に高台移転を勧め,移転先としては里山を代表例に挙げたいところだ.
我々が活動している里山研究フィールドには,氏神様が祀られている.先日その祭事を行った.里山研究フィールドは,2016年に住民がいなくなった消滅集落の古民家一件を大学で購入し,周辺の農林地を借り受け,里山再生に向けて活動している場である.その集落の氏神様である金峯神社は,森林の中にあり,拝殿が著しい劣化で傾いている状態だった.そこで建築系の先生が仮社殿を設置し,再建に向けた活動を行なっている.祭事については,里山研究フィールド設置と同時に復活させた.その地域で活動する者として,氏神様への祈りは,自然への感謝の意を伝え,人為的な介入へのお許しを願う意味を込めている.今回も問題なく祭事を終え,ホッとしているところだ.
私が幼少の頃,松山で経験したお祭りは,御輿を担いで練り歩くスタイルだった.瀬戸内の祭りには神輿を使った行事が多い.愛媛県だと,松山の四角さん八角さん,西条のだんじり,新居浜の太鼓台などがある.いずれも地域同士の戦いの場というイメージが濃い.一方高知県では,室戸方面や四万十方面で神輿を使った祭事が行われているが,戦う祭りというイメージはない.よさこい祭りのダンス大会や,どろめ祭りの酒飲み大会は,競い合うイベントではあるが,神事ではなさそうだ.
高知の祭事で驚いたのは,回数が多いことである.地域にもよるが現在私の住む集落では,氏神様の祭事だけで年に4回ある.集落それぞれの氏神さまだけでなく,周辺の集落が合同で祀っている大きな神社でのお祭りも数回催されている.昔はもっと多く催されていたそうだ.祭りをたくさん催せるということは,信仰心が厚いというだけでなく,豊かだったのではないかと想像できる.
愛媛は雨が少ない.そして意外にも日射量は太平洋側ほど多くない.つまりコメなど農産物の収穫量は,比較的少なく,お酒となると非常に貴重なものだっただろう.年に何度も開催される祭事の後に毎回お酒を飲むのは難しく,年に1度のお楽しみにしていたのではないだろうか.となれば,年に一度はたくさんお酒を飲んで,大暴れしたくなる気も理解できる.高知のアルコール消費量は多く,大酒飲みが多いというイメージが定着しているが,そこには豊かな自然の恵みを背景に,祭事の回数の多さも影響しているに違いない.
そろそろ旧暦の神無月,氏神さまたちが出雲大社へ旅たつ.私の住む集落では,「おみたて」と言って旅たつ神様を見送る祭事があり,その1ヶ月後にはお迎えの祭事がある.早々にしめ縄づくりを始めなければ間に合いそうにない.週末我が家に遊びに来る人は,手伝わされることを覚悟してもらおう.
我が家には,柿の木が3本ある.甘柿が2本,渋柿が1本で,いずれも春先にたくさんの花が咲くが,毎年梅雨明けになるまでに,実を落としてしまう.近所の人は,病気かもしれないから思いっきり剪定した方が良いとか,梅雨前に消毒した方が良いとか,アドバイスをくれた.剪定はしているが,薬剤は避けたいので消毒はしていない.10月の時点で今年も甘柿は実を全て落としてしまった.渋柿は,実がそこそこ残っているが,心配でならない.
ところで今年は,カメムシが異様に少ない.夏場はピーマンやシシトウに群がっているのが普通だが,それがいなかったのである.天敵が頑張ってくれたのか?と思ったが,カマキリが増殖している訳でもない.もしかすると1月の寒さが影響したのかもしれない.当地の今年の1月は,マイナス8度近くまで冷え込む時があった.この冷え込みではカメムシは越冬できなかったであろう.ただカメムシが柿の実落下の主な原因とは考え難い.来年は,さらに注意深く柿の実を観察する必要がありそうだ.
温暖化の影響が顕在化している現在,カメムシにとっては良好な環境となってしまう.そればかりか温暖化は,干し柿がうまくできないという問題にもつながる.干し柿は,実が熟す前に収穫し,皮をむいて干すのだが,晴れが続いてくれないとうまくできない.雨が降って暖かくなったりすると,一気にカビだらけ.干し柿は,冬場のお茶請けに最適なのに,温暖化は情け容赦ない.
今後温暖化で干し柿が作れないとなると,どうするか?あとは酢づくりに賭けるしかなさそうだ.去年,カミさんが知り合いからいただいた渋柿を瓶に詰めて酢作りに挑戦した.特に酵母を添加する必要はなく,もともと柿の表面には酵母はついているとのことだ.発酵が始まると酵母が増殖して泡が立ってくる.放っておくと腐敗が始まるので,酵母が呼吸できるように毎日かき混ぜる.これを繰り返していくと,やがて酢になる.いわゆる柿酢である.味はまろやかな味なので,様々な用途に使えそうな感じ.高知では柚子を絞った柚子酢を使うことが多いが,柿酢もオススメである.これからは気候に応じた食材の活かし方を学んでおいた方がよい.特に東南アジアの食文化を今のうちに学んでおこう.
8月は,異常な長雨で当地では総雨量1000ミリを超え,2週間以上日射がなかった.そのおかげでキュウリ・ゴーヤ・ナスは,元気をなくし,トマトは次々と実が割れてしまった.夏野菜の多くは,日射を必要とする.そんな中でも意外と元気に育っていたのは空芯菜やゴマ.大雨で倒れても茎から根を生やして凌いでいる.根性という言葉は,そんなところから来たのかもしれない.8月下旬になってようやく日射が戻り,夏野菜達が今頃になって少しずつ復活している.
今回の長雨で裏山の斜面が少し崩れてしまった.崩れた土砂が母屋に影響を与えなかったのは幸いである.被害さえなければ,規模の小さな斜面の崩壊は,新しい土や岩の贈り物が届いたようなものである.大きい石は積み石として,小石は敷石として使える.そして残った土を利用して炭焼窯を作ろうかと考えている.その場に作れば,土砂を移動させる労力も少なくて済む.耐火煉瓦を組み合わせれば,かなり楽に作れそうである.
炭は燃料として重宝する.焚き火で料理をすると,鍋がススで真っ黒になるが,炭は炎が立たず,煙も出ないので室内で使うこともできる.しかし里山暮らしでは,焚き火料理も手間がかからない.例えば鍋の代わりに竹を使うのである.竹を割って肉や野菜を詰め,割った竹を元の状態に戻して,そのまま炎の中に入れると,蒸し焼きができる.ご飯も炊くことができた.そのまま器として使えて,食べ終わったら燃やせる.焚き火の途中,炎の出なくなった熾火を片隅に集めて網を置けば,焼き物料理ができる.炭ほど火持ちはしないが,炎のそばなので,あっという間に火が通る.熾火はススがつかないので鉄板や鍋を使った料理もできる.熾火は徐々に灰になっていくが,灰は保温効果が高いので熾火の火力を長持ちさせてくれる.
焚き火は,燃やす木の種類によって炎の立ち方が異なる.杉・檜はよく燃えてくれるが,煙が目にしみる.樫や栗は高温にならないと燃えてくれないが火持ちがする.桜や梅は香りが高いので燻製に向いている.我が家の周辺は,定期的に伐採しているので,様々な木が燃料として使える状態にある.木々の特徴を生かしながらの焚き火料理は,楽しいものである.
ただ,伐採した木はたくさんあり,全てを焚き火にするには追いつかない.放っておくと徐々に腐っていく.温室効果の高いメタンガスを放出させるのも問題なので,太い幹は,椅子や机など材料として使い,長期間の炭素固定に寄与させた方が良い.材として使えないような枝や幹は,炭としてストックすることは重要なのである.そして植栽もすれば,ゼロカーボンどころか,マイナスカーボンの暮らしにつながる.今年は,クヌギやコナラを植栽した.カブトムシやクワガタが増えることも期待している.
人間社会は,間違いなく気候変動に影響を与えている.IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は,最新の報告書にそれを記した.IPCCの設立は,1988年.私が東京大学生産技術研究所で衛星リモートセンシングの研究を始めたのが1990年だ.当時所属していて研究室では,地球規模での植生変化を捉えることが大きな研究テーマだった.当時私に与えられた仕事は,日本の人工衛星(MOS-1)で,インドシナ半島全体の森林の状況を把握すること.NASDA(現在のJAXA)から500本以上の膨大な磁気テープが送られてきて,衛星画像毎に色補正と幾何補正を施すという地道な処理をひたすら行った.古き良き思い出の一つである.出来上がったインドシナ半島全体の植生図は,国境沿いに森林が無くなっているという状況が一目で分かるものであった.あれから約30年.今,人間社会による二酸化炭素の年間排出量は,森林による吸収量の2倍.恐ろしいほど溜まり続けているので,気候変動が落ち着く訳が無い.再生可能エネルギーに替えていくことも重要だが,もう差し迫った状況なのだ.経済活動そのものにブレーキをかける必要がある.そしてCOVID-19も,別の観点から人間社会の問題点を炙り出した.都市を作り,密集した経済活動は,ウイルスにとって格好の環境なのである.経済活動に少しブレーキがかかった.
さて先日,我が家の近くにニホンミツバチの巣を発見した.天然の巣である.ニホンミツバチは,農薬の影響で激減していただけに嬉しい出来事だ.普通,ミツバチの巣は,雨の当たらない場所に作られるが,なんと柚子の木の中に作っているのである.去年,近所の家屋で,雨戸の戸袋にミツバチの巣が作られたというのは聞いていた.そこから分蜂したのかもしれない.当地には養蜂のための巣箱が各所に設置されているが,ミツバチの入っている巣箱はほとんどなかった.そこに入らず,わざわざ柚子の木の中に作るというのは,よっぽど巣箱の環境が悪かったのだろう.そして現在,8月とはいえ秋雨前線による長雨が続いている.今後台風もやってくるかもしれない.彼らの今後が心配で仕方ない.
とはいえニホンミツバチは復活してきた.里山暮らしならではの豊かさを感じる.ところで,先日行われた東京オリンピックでは,日本人選手の活躍が目覚しかったようだ.その豊かさの先には何があるのだろうか?人種や国境を超えた共生を育むイベントなら別のやり方がありそうである.それはそれとして,こっちは新しい住民,ニホンミツバチとの共生が重要な課題.心地よい移住先を提供したいものである.気候変動に対応できるように.
今年の四国の梅雨入りは,5月15日.最も早い梅雨入りだった.そして梅雨明けは平年並みであったが,日本では最も遅く7月19日.普通なら梅雨前線の北上に伴って九州の次に梅雨明けとなるが,太平洋高気圧の西側への張り出しが弱く,梅雨前線が消えても南東からの湿った空気にさらされて雨模様が続いた.非常に長い梅雨だったとはいえ,総雨量は平年より少し多い程度だった.おかげで四国は大きな災害に至ることはなかったが,静岡県の熱海では土石流による大災害が発生した.その災害の要因は,大雨だけでなく,上流部での盛土が原因だったことには驚かされた.
谷は水の集まるところ.そんなところに盛土をしていたという問題である.普通に土木のことを知っていれば,谷部への盛土が大きなリスクになることは常識.この災害は,人災と言われても仕方ないだろう.山間部の開発によって出てしまう残土をどうするか,自治体や業者は,その扱いに苦慮しているようだ.一般に残土は,産業廃棄物扱いになっていて,しかもそれを谷部に廃棄するということに対しては疑問を感じずにいられない.
日本のほとんどの河川は,ダムによって土砂が海まで流れていかない.なので砂浜は減り,魚の産卵場も減っている.堤防も整備され,農地に新しい土を供給することもない.ダムや堤防は,洪水被害を防ぐだけでなく,水資源の確保も大きな役割のため,環境破壊と言われつつ建設されてきた.しかし最近は,ダムや堤防があっても毎年どこかで洪水被害が発生している.気候変動を考慮し,総合的な防災対策が必要となっている.
それにしても土を邪魔者扱いしすぎじゃないだろうか.水と土のおかげで様々な微生物が活動し,植物が元気に育つ.土は,我々人間だけでなく,全ての生物になくてはならない存在である.そしてその土が必要とされているところに届いていない.痩せた土地に肥えた土を持ってくることを客土と呼んでいる.土を産業廃棄物として扱うのではなく,生物資源を豊かにする客土の役割を担ってもらうことで,国土保全に資する仕組みが必要となっている.土は本来貴重な資源だ.
現在,ホタルの舞うピークは過ぎ,ホタルブクロの花が咲き始めている.ビワとウメの実りは,去年よりかなり早く収穫時期を迎えた.幸い今年は遅霜がなかったので豊作だ.先月から既にアカショウビンが鳴き始めた.今年は春の訪れが早く,動物たちもそれに呼応して早めに活動を開始しているようである.気象庁は昨年11月,70年に渡る生物季節の観測を大幅に縮小するとアナウンスした.桜の開花やウグイスの初鳴きなど,これまで57種の観測項目が,6種になってしまった.気象台周辺は都市化が進み,自然環境を観測する場所として適さなくなったのが原因のようだ.しかし,都市化であろうが,環境の変化を見続ける意義はあったと思われるだけに惜しまれて仕方ない.今後は,環境省と連携して継続することを決めたようだが,観測主体が変わるとデータの均質性には問題が残る.
インターネットやスマートフォンが普及し,様々な情報が溢れている現在だが,コンピュータで解析できる数値データを公開している機関は限られている.自然環境や社会経済に関する主要なデータに関しては,環境省・国土交通省・総務省・経済産業省などの関連機関がデータを公開していて,研究にも利用できるレベルの高いものである.市町村単位のデータであれば,かなり充実している.しかし,細かな地域のデータとなると,極端に情報量が少なくなる.
先月,学生たちが商店街の衰退が激しいので,店舗数の減少傾向を人口動態や交通量の変化と合わせて状況を把握したいと言ってきた.じゃあ商工会と市役所に行けばデータを貰えるんじゃないか,とアドバイスしたが,商工会では店舗数は集計していないと言われ,市役所では人口に関する印刷物のコピーを貰ってきただけであった.せめて人口に関しては,数値データを渡してほしかった.
巨大IT企業は,膨大なデータを収集し,ビッグデータの解析も行なって,次の事業へと発展させている.市町村も規模は小さいが,様々なデータを収集しているので,そのデータを活用して地域資源の有効利用や新規事業の検討をしてほしいものだ.個人情報や機密情報を除いて,各種データを公開しておくだけで,もしかすると誰かが様々な解析をしてくれるかもしれない.教育用の教材としても機能する.データって,蓄えれば蓄えるほど掛け替えのない大きな財産になるだけどなあ....
田植えの季節である.日本の棚田は,里山の風景の代表ともなっているが,私はもっと地域性があっていいのではないかと思う.つまり,棚田に適した土地ではないのに水路を延々と引き,土も客土で稲作をしている地域が結構ある.我が里山も河岸段丘に位置するのでそれに当たる.稲作に適していない場所の田園風景に,違和感を抱いてしまう.
コメは美味しくて日持ちがすることから価値が高かった.価値が高いからこそ年貢として取り立てられていたと想像できる.昔の人は,美味しいから植えていたのか,年貢だから仕方なく植えていたのか,今となってはよくわからない.ただ,近所の多くの人は,昔はコメなんてあまり食べてなかったけどね,と言っている.もちろん年貢を納めていた時代の人ではないが,終戦直後の時代は人出が少なかったこともあって,コメが主食ではなかったようだ.
稲作の工程は,代掻き,田植え,施肥,消毒,稲刈り,脱穀.そして食べるには,籾摺り,精米を経てやっとご飯を炊ける状態となる.相当な労力を必要とする.ところが現在は,機械化のおかげでそれら全ての工程に機械が導入されている.なので今の稲作は,人口減少が著しい今も機械化のおかげで維持されているのだろう.さらに最近は,次世代園芸施設といって,野菜などの園芸作物を対象に,環境管理の行き届いたハウスで自動栽培する取り組みが増えている.土や日光さえも必要ないというところまで来ている.これって持続可能なのだろうか?電源喪失という事態となれば,全く機能しなくなるだろう...
カミさんが,畑で麦を植えた.水源から遠く,砂質の当地に麦は向いているようだ.結構いい感じで実っている.冬に植えるので雑草の心配もあまりなく,ほったらかし.ズボラな我々にはピッタリかもしれない.現在,手鎌で収穫し,天日干し中.しばらくしたら脱穀.そして石臼で挽いて粉にしようと考えている.我が家には窯もあるので,まずはパンを焼いてみたいところだ.酵母は,その時採れる果物から取りたい.梅の実がだんだん熟してきた.このワクワク感がたまらない.
我が家の電気代は,かみさんと二人暮らしで,月800円前後.普通の人は,このことを話すと驚いてくれる.でもそんなに不便な暮らしはしていない.我が家で使っている主な電気製品は,ワンドアの小さな冷蔵庫,炊飯器,洗濯機,掃除機,照明器具,ノートPC,スマホ.結構現代文明を取り入れた暮らしをしている.
我が家にない電気製品は,まずエアコン.したがって夏場は戸を開け放ち,自然の風を取り入れる.蚊取り線香は必需品である.冬場は襖で家の中を細かく小さくしきり,石油ストーブや炭の行火コタツ.火鉢でお餅を焼くと風流である.隙間風があるおかげで一酸化炭素中毒にはならない.現在の省エネ住宅は,エアコン利用が前提で,断熱と気密性を重視している.我が家と真逆の方向性である.体には快適そうだが,電気も必要だし炭火は使えず,風流には程遠い...
電子レンジも我が家にはなく,必要性も感じない.温めは,蒸したり焼いたりする方がずっと美味しい.コンビニなどで売っているお弁当には,揚げ物がよく入っているが,それを電子レンジで温めても揚げ物っぽくは感じられない.弁当の揚げ物は,七輪で炙ると蘇ってくれる.肉まんも蒸した方が断然美味しい.
テレビもないが,くだらない番組が多いので,空を眺めて鳥や虫の音に耳を傾ける方がずっと心地よい.情報は,新聞とスマホで得るので十分.
現代は,電気に依存した生活になっているので,屋根にソーラーパネルを設置している住宅が増えてきた.災害時にも安心というわけだ.我が家もいざという時のために,防災向けのソーラーパネルとモバイルバッテリーを購入してみた.ソーラーパネルは晴れていれば約70Wの出力,バッテリーは300Whの充電容量である.これで冷蔵庫と炊飯器は動かせないが,それ以外は十分動いてくれそうである.
電力会社の電気代を調べてみると,1kWhあたり20〜30円.とすると,購入したバッテリーの充電容量分を電力会社から買えば,10円にも満たないことになる.晴れの日はバッテリーのフル充電に5時間程度ですむと喜んだのもつかの間,電気代にすると5時間かけて10円に届かない...電気代,安すぎじゃない?どんどん電気を使ってくださいという価格である.化石燃料や原子力で作る電力がこの値段だと,排出ガスは減らないし,放射性廃棄物は増える一方だなあ...
ようやく様々な入学試験も終わり,卒業シーズンとなった.大学進学を目指していた受験生にとって,今年は特に大変な状況だったに違いない.COVID-19の影響で,授業が大きく変化したことへの対応,そして今回の大学入試は,センター試験から共通テストに移行し,思考力を問う出題が増えたとのことで,これに対する不安も相当なものだっただろう.それを乗り越えての今は,結果はどうだったにせよ,とにかく安らげるひと時である.春の穏やかな気候と植物の芽生えとともに,新生活に向けて鋭気を十分養っていただきたい.
私は,小学校から大学まで,成績の良い方ではなかった.難解な問題は,解けないのである.ただ,理解すべき重要なポイントは,そんなに難しいものではない.私が学ぶ喜びを感じ始めたのは,大学に入ってから.例えば電磁波を学ぶには,マックスウェルの方程式から入るのが一般的な筋みちだが,波動方程式からも学ぶことができた.力学におけるモーメントは外積を使うと簡単に表現でき,天体の位置計算にしても球面三角法よりも回転行列を使った方が分かりやい.随所で数学の重要性をひしひしと感じた.しかし数学は,物理学を理解する役割を担っているが,それが本質ではない.数学自身の本質は,別に存在する.そしてそれぞれの本質は,相当に奥が深く,まだ誰も知らない部分が数多く存在する.
試験は,どれだけ本質を理解しているか,評価するための手段である.しかし限られた時間,限られた紙面で解答することを前提に作られる.となれば設問の内容は限られてしまい,本質の理解度を測るには無理がある.入学試験となれば,受験者の序列化が目的の問題でもあるからなおさらといえよう.試験で失敗したとしても心配することなかれ.学ぶことの喜びが感じられたならば十分.そうして学んだことは,様々なことに活かせて,人生も豊かになるはず.試験に受かるのためだけの学びは辛く,合格しても試験が終わった途端に忘れてしまう.大学での学びは,本質と向き合う楽しい学びのはず...
里山の冬は寒いが,夏のせわしさに比べると,ずっと穏やかに暮らせる.夏は畑や畦道の草刈り・草引き・草むしりに追われるが,冬はそれから解放される.冬場の仕事場は山.山は放っておくと密林になり,入る事も出来なくなってしまうばかりか,林床に光が届かなくなるので,生物の多様性も低くなってしまう.適度に木々を伐採し,様々な植物が繁茂するような手入れが欠かせないのである.我が家の裏山も鬱蒼としてきたので,時間を見つけては除伐に精を出している.
冬場に伐採するのは,伐採した木が腐りにくいというメリットも大きい.木には,樹種に応じて様々な用途がある.竹は,軽くて加工が簡単なので様々な道具の材料として利用されている.しかし,夏に伐採して作ると,すぐにカビだらけ.そこで,初冬に伐採して,よく乾燥させてから使う.11月の新月に伐採しなさい,という言い伝えもあるそうだ.植物が水を吸い上げる力を想像すると,潮汐はかなり影響を及ぼしているだろう.
樫のように硬い材は,木槌や木刀,鋤や鍬の柄に使われてきた.火持ちもいいので,小さな材は,かまどの燃料として使ったり,炭にも使える.椎は若干柔らかく,割れやすいので,材としてはあまり利用されていない.その代わり実を食べることができる.実が小さいので食べるのに手間暇かかるが,結構美味しい実である.今年はこの椎を伐採して,椎茸でも作ってみようかと企んでいた.
椎茸栽培は,一般にクヌギが使われている.しかし椎茸と名のつくキノコなので,名前の通り椎で栽培した本物の椎茸を目指したい.ただ今回は,伐採のタイミングを逃してしまった.椎茸栽培のためなら12月までに伐採しておく必要がある.気づいた時はもう既に2月.去年のうちに伐採して,菌を植え付けたとしても,収穫は2年後.自然とのお付き合いは,タイミングが大事なことを今回も思い知らされた.
ところが先日,いつものように裏山の除伐に精を出していたところ,なんと倒木した椎に椎茸が生えているのを発見.確か倒木は,2017年10月台風21号によるものだ.あれから3年あまり.当時は,倒木した木が多くて処理しきれず,邪魔にならないものは,放ったらかしにしていた.そんな倒木に正真正銘の椎茸が育っているのである.自然からは思いも寄らないご褒美もいただける.
早速,正真正銘の椎茸を食した.香りと味は濃厚で感激.土壌細菌が専門の先生にそのことを話すと,是非その椎茸の分析をしたいとのこと.さらに面白くなってきそうである.
里山に来てからの正月は,学生たちを招いて餅つきをしていた.かまどで火をおこし,もち米を蒸し,石臼と杵で餅をつく.蒸したもち米の香り,餅をつく感触と音,できたての餅の味わい,随所に感動が得られる.ほとんどの学生たちは,この豊かさから程遠いところで生活してきた.私が幼少の頃,餅つきは家族総出の重大な行事であった.餅つきのたびに,父親の力,母親と伯母の手際,祖母の知性に驚かされたものである.半世紀も前のことか...
今年は,会食を避けなければならないことから,学生を集めての餅つきは諦めた.その代わり学生たちには,地元での正月料理を写真に収めてSNSで披露してもらうことにした.正月から焼肉という学生もいたが,地域性のある料理も多く,結構面白かった.ただ,学生たちの地元といっても両親の出身地による影響が大きいようであった.学生たちの地元とはいえ,両親の出身地はそれぞれ異なる場合が多い.その環境に応じて家庭ごとの食文化は育まれているようである.かく言う自分も出身地は松山市でありながら,子育ては土佐山田であった.今も土佐の食文化に感動しつつ,たまには鯛めしも作りたくなってしまう.
いささか寂しい今年の正月であったが,今回はしめ縄飾りを自分で作ってみた.もちろん自分自身は何も知らないので,集落の長老に手ほどきを受けながらのことである.しめ縄飾りの形状は,地域によって異なる.我が里山でのしめ縄は,細めで七本,五本,三本の稲藁が飛び出る形状となっている.縄ないは,以前教わったのでなんとかできるが,しめ縄飾りとなると新たなコツを体得しなければならない.長老は,そのコツを教えてくれるのだが,なかなか難しい.しばらく長老の手さばきを観察し,その様子と言葉の意味を考えて実践.トライアンドエラーを繰り返すことで,やっとコツを理解することができた.そのしめ縄に,ウラジロ,ユズリハ,サカキの葉を添えて出来上がり.派手さはないが,雰囲気は良い.
来年もCOVID-19の影響が続いて,学生を集めての餅つきがダメそうなら,次なる手は縄ない教室の開催か?縄ないやしめ縄飾り作りだと,会食を伴わないので,感染対策を施せば大丈夫そうである.先ずは長老に講師になってもらうようお願いしとこう.