理系・文系
好き嫌いは,あるものです.勉学でいうと,私は,国語,歴史・生物・化学が苦手でした.たくさんありました.
でも大人になって物事を広く見れるようになってくると,様々な学問の繋がりが重要であることに気づきました.
国語は,生活も含めた全てにおいてベースになります.歴史もそうです.
何が嫌いにさせたのかというと,テストではないかと思います.
テストで点の取れない科目は,どうしても好きになれない.点を稼ぐための勉強は苦痛になり,その学問の面白さや重要性が感じ取れない.
その結果,自分は◯◯系だな?と思ってしまうのです.
それぞれの学問の面白さを受け止めることができていたら,もっと勉強したくなったのではないかと思います.
学ぶことの大切さ,学んで得るものの価値,そこを教える側も解ってほしいものです.
学部
私は天文少年だったので,大学では理学部で学びたかったのですが,受験勉強が苦手で農学部で学ぶことになりました.
自然好きの自分としては,セカンドベストと思ってました.
しかし農学部では,干拓,ダム,圃場整備など,自然破壊じゃないか?と思うことをたくさん学び,違和感を感じたものです.
そんな自分が,大学院でハマった研究が地すべり.自然現象なのですが,訳のわからない所が多いので,面白かったのです.
地すべり学会のシンポジウムでは,理学部の専門家,工学部の専門家,農学部の専門家が寄ってたかって議論します.
それぞれの専門家の視点から,一つの現象について議論するわけですから,本当に勉強になりました.
そこで感じたのは,理学部の先生は,発生メカニズムに興味はあるけれど,動きを止めることには興味がない人が多い.工学部の先生は,安全率重視で杭やアンカーを使って力で地すべりを制することが好きそう.農学部の先生は,地下水・地中水の排除して,やんわり抑え込むことが好きそうでした.
学部ごとの専門性が反映されていて,面白かったです.
自分は現在,工学部の分野で働いていますが,理学的視点と工学的技術,そして農学的配慮を心がけるようにしています.
そんな能力あるのか?って言われそうですが...
学会
学会は,分野ごとに大きな研究課題を解決するために組織されたものと言えます.
組織が大きくなってくると,学会の中でも細分化され,場合によっては新しい学会が設立されて来ました.
そして同じような学会が複数存在していたります.異なる学会から派生した学会に,そのような例が多いようです.
一方で,現在のように技術がどんどん発展してくると,研究課題は少なくなり,研究者も減少します.
私の専門とする測量は,既に国内では研究者があまりいません.測量技術が成熟し,誰でも簡単に測量できる時代になったからです.
とは言え,学問がなくなったわけではありません.測ることは発達してきましたが,精度よく簡単に測れるようになったおかげで,国土の形が地殻変動によって変化しているのも捉えられるため,位置決めの基準をどうすべきか悩ましい部分が課題として出てきました.
さて,話を学会に戻しましょう.時代とともに社会における学会の役割も変化します.例えば,私の所属していた農業土木学会は,農業農村工学会に名称変更しました.農業土木の施設である堰やダム,大規模事業である干拓や圃場整備は,現在はその必要性自体が疑問視されたりします.なので施設そのものでなく,農業や農村全体を主体に研究すべきとの判断でしょう.
そして学会によっては,省庁との結びつきが強く,国の仕事を押し付けられているんじゃない?と感じることもあります.国の施策に絡む調査・研究を受託するのって大丈夫なのでしょうか?学会の独自財源で調査・研究を行なって,それを国に提言すべきことのようにも思います.
学会で掲げている大きな研究課題がなくなっているのなら,めでたく解散して欲しいものです.