日々是好日
クラフトビール
2023年12月
通勤に使っている道路沿いにTOSACOというクラフトビールの工場が出来た.そこにはビールスタンドもあって,その場でビールが飲める.とはいうものの我が家から職場までの道のりは15km,最寄りのバス停まで8km.どうしても自動車かバイク通勤となってしまうので,帰りにちょっと一杯という訳にはいかない.でも嬉しいのは,ビールを量り売りしてもらえるのだ.毎週金曜日は週末のご褒美として,買って帰ることにしている.水筒に詰めてもらうので,瓶や缶のゴミも出ない.
そのビール工場で作られているビールは,地元の農家さんとコラボし,種類が豊富なのが特徴だ.私のオススメは榧の実を使ったビール.榧は,将棋盤や囲碁盤に使われている木材だが,実は苦いが,香りが高い.柑橘系のような香りでビールの苦味とマッチしている.他にも高知の代表的な柑橘であるユズやブンタンなどを使ったビールもあって,遠方から知り合いが遊びに来た際には,それらのビールを楽しんでもらっている.
このビール工場の社長さんが,うちの大学で講演するというので聞きに行った.社長さんのビールに対する熱い想いが伝わり,ビールに関する知識も増えた.講演の後,学生から鋭い質問が飛ぶ「麦やホップは輸入に頼って大丈夫でしょうか?」その通りだ.でもそれはビール特有の問題ではなく,日本の食品の多くに言える問題.米は自給率がほぼ100%だが,小麦は10%台.大麦になるとそれより少ない.パン屋さん製麺屋さんなども持続的とは言えない.
麦は乾燥に強いので,米に比べて育てやすい.高知は雨が多いが,それは夏場のこと.冬は降らないので,冬にタネを撒き,梅雨前に収穫すれば大丈夫なはず.実際昔は夏に米,冬に麦を育てる二毛作が多かった.現在二毛作が少ないのは,戦後小麦を輸入するようになり,経済成長に伴う円高によって輸入小麦の価格が低く維持され,作っても採算が取れなかったことが影響しているようだ.日本の米作は国の施策によって保護され,1993年まで輸入できなかったこともあって,米作中心の農家は今も多い.麦は見捨てられた作物のように感じてならない.
輸入に頼っている食材は,麦だけではない.大豆もほとんど自給出来ていない.大豆は,味噌,醤油,豆腐だけでなく,油や大豆ミートなどに使われおり,小麦との共通点は,そのまま食べるのではなく,ほとんどが加工される.加工される場所は,今や大規模工場なので,膨大な量とそのコスト,さらに品質が安定している必要がある.そうなると広大な農地が利用できる海外の穀物が有利となってしまう.昔,大豆はあぜ豆と呼ばれ,田畑や道の畦(あぜ)に植えられていた.味噌は各家庭で作られていたため,欠かせない食材だった.現在,味噌を作っている家庭は絶滅危惧種と言ってもいいかもしれない.各家庭で必要な大豆なら,畦に植える程度で済むように思われる.
今は円安の時代に突入し,ウクライナでの情勢不安も影響し,輸入に頼れなくなりそうな気配からか,少しずつ麦や大豆の栽培が増えているようだ.良い傾向と言えるが,地元で作られた麦や大豆がスーパーにたくさん並んでいる状況にはまだなってない.家庭で加工していないので,店頭では売れないのかもしれない.家庭で加工するようになれば,少量でも品質が高ければ消費してもらえるだろう.ビールにしても,味噌にしても発酵食品.発酵は,その土地にあった状態で作り出されるものなので,オリジナリティの高いものとなる.まずは手前味噌の文化を取り戻していかねば.
科学と宗教
2023年11月
科学が発展したことで様々な現象を予測できるようなり,技術が発達したことで便利な道具が次々と生み出されている.GPS衛星は,自分の居場所を人工衛星を使って測ることができる機器だが,これがスマホで利用できる.この技術は,アインシュタインの相対性理論が組み込まれている.宇宙に興味がなくても,数学や物理が嫌いでも,誰でも利用できる.とはいえ自然界には,解明されていない部分が,今だにたくさんある.身近なところで言えば,天気予報の精度は上がったが,昨夏の天気予報はほとんど当たらなかった.地震の予測も地殻変動や周期性に特徴があることまで分かってきたが,未だ確立されたとはいえない.
そして便利な世の中になっても様々な事件や事故は発生する.交通事故は無くならないし,詐欺や強盗も無くならない.そんな事象に遭遇すると,神に見放されたかな?と思う人は多いだろう.一方で欲望は果てしなく,様々なお願いを神様に託すこともしている.科学技術が発達した今も,神様の役割は失われてなさそうである.
私の師匠からは度々「ちゃんしたと宗教を持ちなさい.そうじゃないと外国人から馬鹿にされるぞ.」と言われてきた.国際学会の会長も務めた師匠なので,たくさんの国の人と交流を通して得られた教訓である.学会での議論は,論理性が重視されるため宗教が出てくる隙はない.ただ,ブレイクやパーティの席では自己紹介が必要となり,出身地だけでなく宗教についても聞かれることがある.「I’m Buddhist.」 私の浅い経験だと,この返事だけで十分だった.今の日本では宗教二世の問題も顕在化していて,私の研究室の学生たちに「宗教を持ちなさい」となかなか言えない.
宗教は人間にとって必要かもしれないが,政治と宗教との関係は古くから大きな問題を孕む.戦国時代は,信長が延暦寺を焼き討ちにし,国家神道は太平洋戦争にまで及んだ.海外では宗教戦争が今も続いている.人間は群れたがる動物で,群れの中にいると安心し,他を排除したくなるのだろう.人間は,群れたがると同時に,分類もしたがる.血液型で性格を判断されたりもするので要注意だ.学問においても分類好きで,たくさんの学会が生まれ,その中でいろいろな事象が分類されていく.天文学では,恒星と惑星の分類から始まったに違いない.恒星に比べて惑星の動きは予測が難しく,予言者いて,それが宗教的な信者を集めることに使われたのではないかと考えられる.天動説と地動説においても宗教が絡んでいたことを見れば想像しやすい.
ところで最近,科学的な根拠に基づいて,という言葉を政治家が使うようになった.相手を説得しやすいからだろう.あまりにも頻繁に耳にするようになったので,科学が政治に使われているようにも感じる.かつて宗教が科学を使い,政治にも使われていたように.科学は発展し続けるものなので,その時点での根拠は希薄である.時代が進展すると,それが間違いだったとされることもある.教科書ですら改訂が繰り返されている.日本の高速道路は地震に耐えられるとされていたが,1995年,神戸では大惨事となった.当時も科学的な根拠に基づいていたはずである.自然が科学によって解明され,技術の発展によって便利な世の中になったが,我々が自然を理解している部分は,ほんのわずかに過ぎない.そして宗教や政治の問題は,昔からちっとも変わっていない.人類はまだまだ未成熟と言わざるを得ない.
栗ごはん
2023年10月
10月になってやっと秋らしい気候になった.今年の8月は日本各地で最高気温が更新され,9月の平均気温はこれまでより2度以上高かったようだ.高知では猛暑日がなかったもの雨の降る日も多く,9月になっても梅雨明けしてない感じがした.今後,梅雨という言葉が雨季という言葉に置き換わるかもしれない.今年の夏はそんな気候だったが,9月終わりになると例年通りクリのシーズンが到来.いつもはイノシシとの競争なのだが,今年は珍しくイノシシが来てない.地元の猟師さんによると,今年は鹿はとれるがイノシシはあまりとれないのだそうだ.単に個体数が減ったのか,里に降りて来なくても山に食べ物が豊富なのか,それともブタ熱にやられたのか,よく分らない.現在,哺乳動物の専門家に尋ねているところである.
とにかく今年はクリが豊富にあるので,学生たちにクリ拾いをしてもらうことにした.研究室の学生に声をかけると,9人が手を挙げてくれたので,クリご飯や秋の収穫物を使った料理を振る舞うことにした.クリ拾いをするのは初めてという学生も多く,足でクリのイガを踏みつけて実を取り出すコツを教えることから始めた.人数が多いので,収穫はあっという間に終わる.クリは収穫直後のものより,しばらく寝かせたほうが甘みが増す.そこで,収穫したものは持ち帰ってもらい,1週間前に収穫したものを調理することにした.
収穫はあっという間だが,学生たちを待ち受けていた大きな仕事は,クリの皮剥き.鬼皮を剥くのは力がいるので,怪我をすることのないように包丁の使い方を教える.渋皮を取るのは細かな作業で,ここで上手い下手の個人差が現れる.何れにしても学生たちは,クリの皮剥きがこんなに大変なのかと気づく.一方で芋煮も作るために,里芋の皮剥きも手伝ってもらう.里芋は形がゴツゴツしていてヌメりもあることから,それはそれで骨の折れる作業である.
学生たちがクリと里芋の下処理をしている間に,私とカミさんは料理の準備.妹の実家でもらった新米一升五合を研いで羽釜に仕掛ける.ほどなく皮剥きがそれぞれ終わり,羽釜にクリを入れてカマドに火を入れる.新聞紙とマッチを使ったお決まりの火入れだ.ご飯を炊くコツは,学生たちも知っていて,「はじめチョロチョロ,中パッパ...」ですよねと言う.ただ,カマドで炊くときは,「はじめチョロチョロ」を意識してはいけない.ガスコンロやIH調理器のように,いきなり強火とはならないのだ.だから普通に火を大きくしていけば,「はじめチョロチョロ」は実現されるので意識する必要はない.あとは,炊き上がりのタイミングを見逃さないようにすれば良いだけ.そのタイミングは,以前にも書いたが,羽釜から噴き上がる水蒸気の匂いが焦げ臭くなった時.そのタイミングで,羽釜を火から降ろす.
ご飯を炊く間,七輪で里芋煮を作り,続いて特別に調達したサンマを網で焼く.カミさんはリュウキュウの酢の物も作ってくれた.リュウキュウは,近所のおばさんからもらったもので,酢に使ったスダチはカミさんの実家で実ったものだ.サンマを除くと自給率が極めて高い秋の味覚,しかも化石燃料の使用はゼロの料理である.学生は収穫から料理まで体験し,下ごしらえが如何に大変かを学んでもらった.炊き上がった新米クリご飯は美味しかったようで,次々とおかわりをしてくれた.来年も学生たちとクリご飯を楽しみたいが,イノシシは大丈夫だろうか...
人との繋がり
2023年9月
私が山に登り始めたのは2009年からで,その時の年齢は47才,中年を過ぎてからだ.山登りのきっかけは,研究上必要になったからである.研究における目標の一つに,人工衛星で植物を捉え,その量を把握することが加わった.その検証には,現地調査や現地観測が必要なのである.当時,衛星画像で分類できる樹種は,分解能が悪かったこともあって限られており,針葉樹・広葉樹,落葉樹・常緑樹といった大雑把なものであった.とはいえ現地に行くと,様々な樹木が乱立している.針葉樹と広葉樹の判断はあまり難しくないが,落葉か常緑かを判断するには樹木名まで把握でになければならない.そこで登山ガイドブックと樹木図鑑を携え,山を登る.いきなり学生たちと一緒に登るのは,様々なリスクが存在する.そこで下見には,若い頃登山家だったカミサンに同行してもらった.いまだに山に登ると「アンタが山に登るとは思っても見なかった」と言われている.
当時,山に関するいくつかのガイドブックや写真集を購入したが,お気に入りの本の共通点は,偶然にも写真家が前田博史さんであった.前田さんの作品は,撮影タイミングや背景の収め方など,非常に丁寧に撮影していることがよく分かる.私も写真撮影は好きなので,星の写真を撮影する際には手本にさせてもらっている.
2013年の冬,天狗高原で学生たちと合宿を行った時,宿で老夫婦に声をかけられた.話を伺うと,その方は地質調査で有名な西先生であった.四国の地質図は,西先生が編纂されていたのを思い出した.学生時代に地すべりの研究をしていた時,その地質図には随分お世話になった.そんな先生に天狗高原という地で出会えたので,かなり興奮した.西先生は,我々の研究活動に興味を持ってくださり,自分の後にも山を調査している研究者がいることを喜んでくださった.そんな会話の中で,西先生は前田博史さんに地形や地質を教えていたことを聞いた.なるほど,前田さんの作品は,地形や地質の特徴を捉えているものが多い.
2014年,牧野植物園の稲垣典年さんとともに,四国における有用植物の調査を開始していた.稲垣さんは,牧野植物園のレジェンドと言われる有名人である.四国の里山を巡り,有用植物の分布マップ作成が目的であった.ある地域で調査中に稲垣さんから,今日は有用植物で「おきゃく」をしませんか,と提案があった.「おきゃく」とは,高知では宴会のことを指す.稲垣さんの知り合いも呼びたいということで,当時助手だった村井さんの自宅で行うことにした.そこに現れたのがなんと前田博史さん.大感激である.前田さんは,自然について様々な専門家から学び,そこから作品を生み出していることを改めて知った.そして何かの縁を感じずにはいられなかった.
前田さんは近年,ブナの森が衰退していることを心配し,現在の美しいブナの森を作品の題材として表現している.作品作りだけでなく,ご自身で自宅裏山の整備にも乗り出し,山の管理も手掛けている.そこで,今年から前田博史さんに里山アドバイザーに就任してもらうことにした.ブナの森を維持するには,里山との関係が非常に重要だからである.そして里山の美しさも前田さんに表現してほしいという希望もある.自然の美しさは,大小さまざまで,時間変化や季節変化も含めると,膨大に存在するが,それに気づかない場合が多い.それに気づいてもらうのに前田さんの写真は,大きな役割を果たしてくれると期待している.
リジェネラティブ農業
2023年8月
リジェネラティブ農業が話題となっている.「土を育てる」という本の訳者である服部雄一郎さんに,大学院の授業で話をしてもらった.現在のほとんどの農業は,二次産業となっている.種や苗を購入し,肥料や消毒液も購入して育てるので原材料を加工して販売する二次産業と同じ形態だからだ.円安やエネルギー価格の高騰で,費用が高くなると,収益は下がってしまう.露路ものの場合は,同じ時期に一斉に出荷されるので,作物は高く売れず,収益はさらに低くなる.リジェネラティブ農業は,自然を再生しつつ作物を育てる農法で,不耕起,無消毒,無施肥.生物多様性を基本とし,様々な生物の活動によって土を肥やしてもらう.いわゆる自然農法だ.収量は減るが,費用が少なくて済む農法なので,収益は上がるという仕組み.学生たちは経験があまりないので,素直に聞いてくれたようだが,教員の中には,菜園を楽しんでいる人もいて,不耕起栽培に対しては懐疑的な反応であった.
不耕起栽培の重要なポイントは,地中の土壌細菌のネットワークを壊さないことにある.様々な細菌が信号を出したり受け取ったりしながら共生している.動物には腸内細菌がいて,その細菌が栄養の吸収を担っている.健康の源は,腸内細菌にあると言っても過言ではない.植物は根を通して土壌細菌から栄養を摂取しているので,土自体が植物にとっては腸内と言えるわけだ.そして植物は動いて捕食することはできない.細菌に運んできてもらうほかない.土を耕し,単一の作物を植えると,土壌細菌の恩恵は受けにくくなり,施肥が必要となる.また,外敵からも見つけられやすくなり,数々の攻撃にさらされることになるので,消毒も必要となる.
土壌細菌の種類やそのネットワークがどのようになっているか,目に見えない.リジェネラティブ農業で様々な作物の収量を十分得るまでには,試行錯誤の連続.カミさんは雑穀の栽培で今も苦労している.夏場の私の役割は草刈りだが,それもかなり難しい.雑草の中に作物が育っているので,区別がつきにくいのだ.重労働である草刈りを終え,ホッと一息つけると思いきや,「ようやく花をつけたのに...」と怒られることもしばしば.最近は少しずつ目の分解能が上がってきて,雑草の中の作物が見えるようになってきたが,新しい作物は認識力が低く,やってしまうことがいまだにある.そして雑草の刈り過ぎも良くない.周りの雑草がなくなると,水分が蒸発しやすくなり,風のダメージも受ける.一方で雑草だらけだと風通しが悪くなり,カビが猛威を振るうことになる.雑草が強いのは,長い年月をかけて土壌細菌との共生を確立しており,集団で水分を夜露で集め,守り合っているからだろう.
大学の里山研究フィールドでは,まだ何も栽培していないが,学生たちが耕作放棄地をなんとかしたいと,少しずつ活動している.地下水が豊富で,農地が水浸しになっているところは,池を掘り,ビオトープのようにした.すると,希少な水生生物や藻がすぐにやってきた.別の農地では,農業用水路から漏れ出た水が耕作放棄地を浸水させ,イノシシのヌタ場となっていた.そこで農地の脇に水路を掘り,竹の三面張を施した.おかげで農地は乾き,様々な有用植物が繁茂し始めている.今回,リジェネラティブ農業の話を聞いて,何人かの学生は,自分たちも農地を整備したいと言ってくれた.現在,新たな活動計画を作っているが,どんな成果が得られるか,今年も楽しみである.
旧暦
2023年7月
暦は生活に欠かせないものだが,日常に溶け込んでいることから,その奥深さを認識する機会は少ない.暦を作るためには,1日や1年の長さをどう測るか,から始まる.そのためにはまず,正確な時計が必要となる.現在時間は,光を基準としている.真空中での光速は,299,792,458m/sとされているので,1秒とは,光が1/299,792,458m移動するのにかかる時間と定義されている.一方で1mとは,光が1/299,792,458秒間に進む距離ともなり,光速は距離の基準でもある.光が伝わる速度は,真空中で最も速く一定で,光の波長に依存することもないので,基準として採用されたようだ.とはいえ1日は,24x60x60秒でないと困る.そして1年の長さが決まらないと,暦はできない.イギリスのストーンヘンジをはじめとする様々なストーンサークルは,1年の長さを測る,あるいは1年の始まりを決めるのに用いられていたとされている.農耕をする上で,正確な季節を知ることは重要だったに違いない.また冬はいつ終わり,どうやって冬を乗り越えるかという問題でもあったはずだ.現在も,天文台での天体観測のほかに,人工衛星を用いた観測も行っており,1年の長さや1日の長さを正確に測り,その変化も解析され続けている.
日本は昔,太陰太陽暦を採用していた.月日を表すのは太陰暦で,月の運行をもとに1月を29.5日と決めているため,月の満ち欠けとの相性は良いが,12ヶ月で354日となり,年を経るごとに季節が徐々にズレていく.そこで太陽暦に基づいた二十四節気を暦の中に入れて,季節の変わり目を明確にするとともに,3年ごとに閏月を導入して,つじつまを合わせたのが旧暦の太陰太陽暦だ.非常に複雑な暦にも関わらず昔の人が利用していたのは,暦が手元になくても誰でも月を見れば日々が分かる便利さと,夜の行動は月に依存してしまう仕方なさがあったからではないだろうか.
昔は街路灯など全くなく,月が昇ってくるまでは,夜は全く周りが見えないので,行動できない.月の呼び名を改めて確認すると,満月の十五夜を過ぎると,十六夜(いざよい),十七夜(立ち待ち月),十八夜(居待ち月),十九夜(寝待ち月)となり,月の出を待つ仕草を表す言葉が並ぶ.現代は街路灯だけでなく,様々な照明施設が煌々と照らしているので,月明かりに気づくことの方が稀で,街中で星を見ることすら難しくなっている.
7月といえば七夕だが,新暦の7月7日は,いつも梅雨の最中.今年も高知県は雨模様の天気だった.そして日没が遅いので20時半頃にならないと天の川は見えない.7月7日の月齢は,年によって変わり,梅雨の晴れ間であったとしても,年によっては満月で天の川が見えないこともある.一方,旧暦7月7日は,新暦では概ね8月.今年は8月22日が旧暦の七夕である.天候は安定しており,常に七日月なので上弦の月の手前で,天の川も見えるし,なんとか活動もできる月明かりでもある.そして日没も早くなり,19時半頃には天の川が見えはじめ,絶好の七夕日和となるのだ.
里山で暮らしていると,月明かりに敏感になる.月明かりの無い時は,無数の星が輝きを増すが,周囲が見えない.月があれば,部屋の電灯を消しても部屋の中が何となく分かる.特にこの季節の満月は高度が低いため,部屋の中まで月光が差し込む.結構眩しいなあと思いつつ,心地よい月光浴で眠りにつくことができる.月とともに暮らす.里山ならではの暮らし方の一つだ.
里山昼食会
2023年6月
この3年,新型コロナウイルスが世間を騒がせ,繁華街での飲み会は激減した.そして,よく通った居酒屋さんは,次々となくなってしまった.高知に来て26年になる,あの頃元気だった居酒屋のオヤジさんもかなりの歳となり,新型コロナウイルスのせいだけではなく,店主の高齢化も要因だろう.
それでも宴席が好きな私は,我が家に知り合いを招いて飲むようになった.我が家は交通の便が悪いので,昼食会となることも多いが,意外と評判が良い.里山ならではの食材,自家製の漬物や味噌,カマドで炊いたご飯があれば,高価な食材でなくとも喜んでもらえる.学生たちも頻繁に来る.普通なら先生の自宅に行くのは避けたいところだろうが,我が家には喜んで来てくれる,と勝手に感じている.来るとまず,みんな縁側に腰掛けてくつろいでいるのだ.頻繁に来ているので,単に慣れたのかもしれないが...
学生に対しては,もてなすというより里山暮らし指導となる.まずは薪割りから.チェーンソーを使った木の伐倒はさすがに危険なので,2mほどの長さにして切り出した材をノコギリで短く切ってもらう.ノコギリは,まっすぐに引くことが重要だが,そこが難しいようだ.徐々に曲がっていき,ノコが動かなくなってしまい,最初からやり直しということも多い.そして斧を使って薪を割る.薪割りにはコツがあり,木の根本を上にすると割りやすい.節がなければ,あまり力をかけなくても,あっさりと割れる.斧が入った瞬間,パンと割れると,学生たちは感動する.
次は火を起こし.学生に渡すのは,マッチと新聞1枚.枯れ枝を集めさせ,カマドに火を入れる.最近はマッチを使ったことのない学生もいて,火をつけるのもおっかなびっくりな感じ.空気の通り道を確保して,小さな火から徐々に大きくしていくコツが掴めず,なかなか火が起きない.これも経験なので口は出すが,手出しはしないことにしている.お陰でマッチの消費量は多い.
ご飯は羽釜で炊く.沸騰したら火を絶やさないように,そして炊けたタイミングを逃さないようにしてもらう.羽釜から出る水蒸気の香りが少し焦げ臭くなった時がそのタイミング.すぐさま羽釜を火から下ろし,蒸らしに入る.蒸らしている間に,オカズ作り.熾火を七輪に移し,汁モノを作ったり,カマドにフライパンを置いて野草の天ぷらを作ったりする.野草はもちろん自宅周辺で採取する.今の時期であれば,ホタルブクロやヤブカンゾウの花が食べごろで,ヒメコウゾの実もなり始めた.カキドオシやユキノシタ,ギボウシなどの葉は,硬くなってきたが,天ぷらにすれば美味しく食べられる.
燃料も食材も周辺から調達し,しかも自分たちで作ったものを自然景観の良い古民家の縁側で食べるのだから,美味しくないはずはない.大量に作るので,余り物は多くなるが,学生たちは,弁当箱にそれを詰めて持って帰ってくれる.最近では,弁当箱持参で来る学生もいるほどだ.薪作りや野草の採取から始めるので,今時のキャンプよりも遥にワイルドな上,ゼロ円,ゼロカーボン,ゼロウエイスト.それでいて今流行りのグランピングより遥に充実している.本当の里山暮らしを満喫してもらい,関係人口を増やすことで,里山への移住者を増やしたいものだ.
自動流星観測
2023年5月
最近のコンピュータは,物体検知や顔認識などは当たり前で,会話もできるようになってきた.情報を集めて文章も生成できるようになり,様々な組織で導入を進めている一方,悪用についての警鐘も鳴らされている.昔,コンピュータが得意とするのは,計算だった.次いで半導体の発展により,記憶も得意分野となった.認識や判断などには,曖昧さがつきまとうため,人間がするものと思っていた.コンピュータと人間の役割は,明確だったのだ.認識や判断は,人間なら簡単にできるので,簡単なことをコンピュータにやってもらう意義が感じられなかった.しかし,楽曲がコンピュータで聴けるようになり,動画もネットを通じて配信されるようになり,買い物もネットで注文.膨大な情報がサーバーに蓄えられ,それがどんどん増えて行く.少子高齢化で深刻な人手不足となっている今,コンピュータに学習させて便利に使おうという発想は,自然の成り行きと言える.私の趣味である天体観測もその恩恵を受けている.
先日,流星観測者の間で話題となっていた監視カメラを購入した.5千円くらいのカメラだが,感度が高く,流星観測に使えると評判だったのだ.早速購入して夜空に監視カメラを向けると,5等星より暗い星まで写っていた.動画での撮影のため,一瞬の現象である流星の様子も十分捉えることができる.ただ,一晩中撮影した後,流星が写っているか,目で確認するのは大変な作業である.早送り再生で見るにしても,見落とさないように神経を使う作業は結構辛い.そこで登場するのが物体認識のプログラム.流星観測の第一人者が作った流星検出プログラムが無料で公開されているので,ありがたく使わせてもらった.日時を指定すると,検出結果が次々とリストアップされ,検出された流星の動画が保存されていく.その動画を確認すると,ほぼ間違いなく流星.その晩は,30個以上の流星が確認できた.いやはや便利になったものである.
学生時代,天文仲間との流星観測は,よき思い出である.晴れれば,大学の屋上に寝袋を敷き,4・5人が放射状に寝転がって担当する方角の空を眺める.流星が確認されれば「来た!」と掛け声をかけて記録.枕元に置いてある星図に流星の経路を書き込む.経路は,流星群と呼ばれる特定の軌道に乗って来た流星かどうか,判断する材料となる.時には突発群と呼ばれる流星群が出現し,その場が湧いたものである.
目で見る眼視観測と並行して写真観測にも挑戦していた.手書きの流星経路は誤差が大きいので,写真で正確にという目論見である.そして多点で写真観測ができれば,流星の実経路が3次元で計算でき,どこから来た流星かを推定できる.私より観測に熱心な後輩たちは,広島大学と連携し,瀬戸内海を挟んで同時流星写真観測に取り組んでいた,しかし当時のフィルムカメラは感度が低く,同じ流星を広島と松山で捉えるのに相当苦労していた.そんな流星観測が今,監視カメラで正確にできるようになっている.
技術が進歩して楽に観測ができるようになった.監視カメラを起動しておけば,部屋で熱燗を飲んでいても,布団に入って寝ていても構わない.しかし,監視カメラに任せた途端,実物の感動は味わえない.流星は美しい現象なので,実物を見て,そしてできたら誰かと一緒に見て,感動を分かち合いたい.今度カミさんを流星観測に誘ってみようと思うが,嫌がるだろうなあ...
自己表現
2023年4月
先日,地理情報システムに関するシンポジウムで,「社会の創り手としての市民を育成する」というテーマの講演があった.より良い社会を目指すのは悪いことではない.ただ,それを教育の目的にするのは行き過ぎじゃないか?教育の目的は,子供達それぞれが,豊かな教養を身につけて,自己表現がうまくできるようになることで十分だろう.大学の授業で学生を見ていると,多くの学生はそれすらできていないように感じる.
人間は,想像したり様々なモノを作ることのできる稀な生き物である.自己表現は進化した生物にとって必要な要素で,人間の場合,その手段が極めて多い.言葉や文字,絵やモノ作り,音楽やスポーツ,そして暮らし方まで含めるとたくさんある.その自己表現は,目的や内容に応じて,社会や歴史,自然科学という様々な背景を理解しておくことが重要となる.
小学校では,様々な表現手法を学んだ.作文,習字,音楽,図画,工作,裁縫,料理など.私は元来不器用なので,当時の作品は褒められたモノではないが,たくさん作らされた.それが中学になった途端に国語,数学,理科,社会,英語が中心となり,自己表現の機会が極端に減少する.現在は総合的学習の時間が導入されたが,グループで調べたことを発表する場や,キャリア形成の場になっているようだ.どうせなら時間をかけて自分の作品を完成させる場を設けて欲しいものだ.絵画にしても音楽にしても地理や歴史的背景が関連する.自然科学とも縁が切れない.色は光と物質の相互作用であり,音は空気の振動である.紙や筆の材料,楽器の構造も重要なはず.つまり自己表現のプロセスには,学ぶきっかけがたくさんがある.
多くの人は,そんな作品作りに没頭しても趣味であって仕事にはならない,というだろう.確かに趣味を仕事にすることは難しいが,一生やり通せる趣味があれば,豊かな人生となる.趣味があるから辛い仕事もできたりする.残念ながらサラリーマンには定年がある.高齢化社会になるのだからこそ,趣味が重要となる.
自己表現は,生活の中にもたくさんある.掃除にしても料理にしても,何かにこだわりを持って取り組むと個性が現れる.掃除のついでに野山の花を生ける.漬物は自分で糠床から作る.それが親から受け継いだものであっても,自分の手で作り上げたものであれば,それらは唯一無二の作品だ.生物や化学を学んでいれば,なお奥深い作品になるだろう.生活は,生きる活動と書く.オリジナリティあふれる自己表現そのものなのだが,便利な道具や買ってきたもので済ませると,自己表現の質は下がっていく.
カミさんは今,雑穀料理にハマっている.色んな情報を仕入れて試行錯誤を繰り返している.私は火の番が好きなので,もっぱらカマドに火を入れて羽釜で雑穀ご飯を炊く係だ.出来上がった料理は,一つの作品.たまに客人をもてなすが,その時は掛け軸や生花にも気を遣う.客人がそれらに気づき,喜んでもらえた時の嬉しさは心地よい.あらゆるところに自己表現の場が存在し,勉強の機会も溢れている.多くの大人がそれらを放棄していると,子供達も自己表現が苦手で,時に極端な方向に走ってしまうような気がしてならない.
地震防災
2023年3月
トルコ南部で地震が発生し,死者が5万人を上回る大惨事となった.高知では南海トラフに関連する地震の発生が迫っているだけに,心配が募る.これまで大災害のたびに惨事が報道されてきた.今回も多くのマスメディアが地震の怖さを伝え,防災に関する番組を制作している.一方で受け手側は,災害を真剣に自分ごととして捉えているだろうか.2011年,東日本大震災で大津波による被害を受け,南海トラフ地震での津波浸水予測も更新された.しかし一向に高台移転は進んでいない.それどころか,津波浸水が予測される場所に,次々とマンションが建てられていたりする.そして今回の地震は,耐震性能の問題を改めて突きつけた.あと2〜30年は大丈夫だろうという判断かもしれないが,次の住処をいつ決めて,いつ行動に移すのだろうか.
私は大学で防災に関する授業も分担して行なっている.私の担当は,事業継続計画(BCP)策定の力を備えさせることだ.防災は,被害を軽減させる取り組みだが,BCPとなると被害を軽減させるだけでなく,様々な事業を続けるために準備しておくものとなる.学生たちに事業といってもピンとこないので,普段の生活そのものを事業と見立て,家族単位のBCPを作ることで自分ごととして学んでもらっている.
その授業では,ハザードマップを作成し,まず災害に対する被害予測を行う.住居の耐震性,津波浸水や液状化による影響,火災による延焼,ライフラインの途絶,あらゆるリスクを想定させる.次に行動計画や対応体制,そして災害発生後の拠点をどうするか計画させる.活動の拠点は,極めて重要な項目である.それに対して,避難所を拠点にしますという学生が案外いるのに驚く.避難所は,想定外の事態に遭遇し,どうしようもない場合に行くところで,避難所を頼ることなく活動するための計画がBCPなのだ,と力説するが,なかなかピンときてくれない.
現在自治体は,台風や豪雨ごとに早めの避難を促し,メディアは避難所の状況や問題点を報道し,自治体はそれを受けて改善を行う.それらは重要な事項ではあるが,住民それぞれの備えについては,突っ込んだ議論ができていない.市内全域に避難指示が発令されると,避難所はパンクする.各家庭でどこに避難し,活動拠点をどう確保するのか,事前に全住民に対してアドバイスしておかなければ解決できそうにない.
以前,都心で豪雨が発生した時,避難所に多くの住民が集まったが,ホームレスの人は別の場所に移動してほしいとの要望が一部の住民からあったと報道されていた.避難所はその目的を考えると,よりサポートが必要な人ほど優先されるべきだ.ちゃんと納税している人には,それなりのサービスをしてほしいという意見なのかもしれないが,それは公共サービスには当てはまらない.高額納税者ならば,別荘への避難やホテルへの避難もできるはずだし,普通の納税者でも安全な親戚の家への避難,勤め先の会社への避難も可能だ.教育を受けた立派な大人ならば,様々なことを想定して,事前に手を打っておくことが出来るはずである.
現在は核家族化が進むとともに,家族も分散して暮らす傾向となっている.寂しい感じはするが,リスクを分散させるという意味合いからは悪いことではない.災害時の避難先や活動拠点は,親や兄弟の家が候補となり得るだろう.しかし,災害時のことまで考えて生活の拠点を選んでいるだろうか.家族や親戚の中に里山で暮らす人がいれば,自給率が高まり,実効性の高いBCPが作れるのだが...
罪と罰
2023年2月
大学での私の仕事は,研究や教育の他に,学生支援センター長という役割も背負っている.課外活動の支援や奨学金,授業料免除に関することが主な業務だが,不祥事を起こした学生の処分もある.最も辛い仕事だ.新型コロナウイルスが猛威を振るう前は,飲酒に伴う不祥事が多かったが,現在はめっきり減った.カンニングなどの不祥事は,今も時折発生しており,最近ではパスワードの盗用というネット関係の不祥事も新たに発生したりしている.
不祥事を起こした学生に対して,厳重注意・指導するのは当然として,罰を与えるべきか,最も悩ましい部分である.そもそも罰とは何か?罰をどう与えるべきか?悩みは尽きない.自分の犯した罪に対して,反省し,罪を償い,更生してもらうことが重要なので,できれば罰は与えたくない.一方で罰を与えなければ,被害を被った人や周囲の真面目な学生に対して不公平とみられる場合もある.そのバランスに悩まされる.
罰をルール化してしまうと,簡単に裁けるが,いろいろ問題を感じてしまうことがある.例えばカンニングがそれである.現在勤めている大学で,カンニングに関する不正行為が発覚すると,その時期に受けた試験の全てが不合格となる処分が下される.不正行為には,試験中にスマートフォンを身につけていることも入っており,これが発覚しても同様の罰が適用される.単にスマートフォンを鞄に入れ忘れていただけでも,発覚した時点でアウト!この場合,罰としては厳し過ぎである.厳罰によって抑止効果を狙っているのだろうが,いかがなものか.
随分前の話だが,家族を乗せてドライブ中,スピードが若干遅いトラックの後ろを走っていた.こちらはついて行くつもりだったが,見通しの良い直線道路でトラックが左ウインカーを出してくれた.抜いても大丈夫だよ,というサインと受け止め,スピードを上げてトラックを抜き,ハザードランプを点灯させて挨拶した.その直後,パトカーが路側帯に停車していたのを発見して減速.しかし警察官はこっちに来いと合図.万事休す.事情を説明したが受け入れてもらえず,スピード違反で反則切符と罰金を支払うという罰を与えられた.しかし罪の意識は低く,「運が悪かったな...」という感情しか残らなかった.
道路交通法にしても罰則を大きく掲げて抑止効果を狙っているのだろうが,ルール違反としての罰は,罪の意識が低くなるのではないだろうか.罰を与えられないようにルールの隙を狙う人も出てくる.一方で法律やルールがないという理由で,迷惑をかけられたのに罰を与えられないという事例もある.今話題となっている宗教がらみの霊感商法もその一つだ.
そもそも犯した罪については,何が問題で,誰にどのような被害や迷惑がかかり,今後どのようにその罪を償うのか,罪を犯した本人が償い方を提案し,周囲の理解を得ることが重要である.ちょっとしたスピード違反の罪は,誰かに被害を与えてしまったという意識が希薄なので,これを当てはめるのは無理だが,教育機関において発生した不祥事は,こう対処したい.大学は,教育機関でもあるので,学生の処分はできるだけしたくないのである.
薪ストーブ
2023年1月
遂に薪ストーブが我が家にやってきた.里山に住み始める時に設置したかったのだが,妻は火事が怖いということで拒否されていた.地震時に煙突が壊れたりすると確かに危ない.なので我が家では石油ストーブが活躍していた.石油ストーブは,揺れを感知して消火してくれる.しかし我々にとって石油ストーブの大きな問題は,化石燃料を使うということにある.環境にやさしい暮らしを求めて里山にやって来たのだ.電気代は月900円で暮らせている.電気が止まったとしても大きな問題は発生しない.かまどがあり,風呂も薪で沸かしている.ガスがなくても問題はない.暖房だけが残された課題だった.これからも原油価格は下がらず,円安状態は続くだろう.化石燃料からの脱却は急務である.母屋における火災のリスクに対しては,別棟となっている風呂場や外納屋を建て替え,蔵も健在なことから,避難場所は確保されている.妻からのGoサインがようやく得られた.
薪ストーブの選定には少しこだわった.針葉樹でも広葉樹でも燃やせるストーブであってほしい.針葉樹の炎は,温度が上がりすぎるので,薪は広葉樹限定となっているストーブが多い.我が家の裏山には広葉樹が多いので,薪の調達には困らないが,針葉樹も伐採することがある.高知県に薪ストーブを製作している会社「おのストーブ」があると聞き,早速調べた.おしゃれなストーブで,古民家の我が家には不似合いと思ったが,樹種を選ばず,独自のロストルで着火が早い.そして三次燃焼までさせる機構で,非常に考えられた作りだ.高知で頑張っている会社は応援したくなる.高価なストーブで製作には半年以上かかり,屋根の改修も結構な工事になりそうだったが,最近の物価高騰を考えると早い方が良いと考え,今年の春に発注した.
屋根に煙突を取り付ける工事は,馴染みの大工さんにお願いした.煙突の取り付け工事は初めてだそうで,結構苦労していた.一方で重たい薪ストーブを支える床には,コンクリートを打設し,壁に熱が伝わらないようにブロックも積む必要がある.そこは左官屋さんにお願いするところだが,その左官屋さんは,現在絶滅の危機にあるという.土壁を使った家は少なくなってしまったことが要因のようだ.仕方ないので,自分達でコンクリートの打設と防火壁のブロック積みを試みた.我が家は道路から離れているうえ,高低差5mを歩いて登る必要がある.セメントや砂利,ブロックなど,資材の質量はトータルで700kg程度となり,相当重い.研究室の学生たちに手伝ってもらいながら施工した.
そして薪ストーブの納品.これも相当な質量なので分解して搬入し,半日ほどかけて組み立て設置.そして火入れ.謳い文句に違わぬ速い着火で,太い薪がゴーゴー音を立てて燃え上がる.二次燃焼,三次燃焼の炎が美しい.全ての窓を開け放しにした部屋が20℃に達した.石油ストーブとは次元の異なる暖かさだ.薪ストーブは桁違いの輻射熱によって直接モノを温めてくれる.身体に輻射熱が伝わる感覚が非常に心地よい.ただ,よく燃えるだけに大量の薪を確保しなければならない.
これまで裏山で樹木の伐採を少しずつ行っていたが,薪ストーブのため,伐採の量を多くする必要がありそうだ.ただし,伐採した木は全て薪にするのではなく,カブトムシなどの産卵場のために残しておきたい.樹木を間引くと,下草も増え,鳥の活動も活発になる.伐採された木は,細菌によって分解され,昆虫たちの寝床ともなる.薪ストーブの導入によって理想的な里山への再生スピードは,グンと上がるはずだ.