先月は,皆既月食があった.月食自体は,去年の11月19日にも見ることができたが,完全な皆既月食ではなく,食分0.98という皆既月食に近い部分月食だった.今回の月食は,完全な皆既月食で,皆既時間は1時間以上,そして皆既中に天王星食も起こるというビッグイベントだ.天王星は,5等星相当の明るさで,それが皆既月食中の月に隠されるという現象である.皆既中の月は,赤銅色で暗いため,天王星が隠される様子を見るには好都合なのだ.
そんな外せないイベントの日に出張が入ってしまった.JAXAの主催するワークショップで,研究の進捗を発表しなければならない.「しきさい(GCOM-C1)」という人工衛星データを使った応用研究で,新緑・紅葉マップの作成が私の研究課題である.私の発表は,14:45に終わる予定となっており,15:00過ぎに会場を出れば,18:20高知に到着する飛行機に搭乗できる.部分月食は18:09に始まっているが,皆既月食の始まる19:17には間に合いそうだ.そして天王星食は20:28である.
出張当日,GPV天気予報は快晴.月食の撮影機材を軽トラックに積んで高知空港に向かう.会場は東京駅に近いので,交通の便は良い.13:30にワークショップが始まり,次々と研究者から報告がある.JAXAのワークショップは,外国人もいるため,英語がオフィシャル言語となっている.外国人のプレゼンが長いのは諦めていたが,日本人も自分の持ち時間をオーバーして喋る人が多く,プログラムは遅れるばかり.日本人はいつから時間に対してルーズになってしまったのか?自分の番が来たときは,5分以上も遅れていた.そこで,自分のプレゼン時間を短くする作戦を強行.重要度の低いスライドはカットした.そのおかげでワークショップが終わったのは14:50.ヨッシャ!間に合う.急いで会場を後にし,羽田空港を目指した.
飛行機の出発が少し遅れたが,気にする程度ではない.日本のエアラインは信頼できる.ただ,この時期の上空は,偏西風の影響で,向かい風がキツイ.高度8000メートルを航行中との機内アナウンスで,少し安堵.低空ほど向かい風は弱いからだ.そして高知空港に到着したのは,なんと定刻の18:20.パイロットや管制官はじめ,航空便に携わる人々に感謝である.足早に空港を後にして軽トラに乗り込み,学生たちの待つ大学へ.19:00前に到着し,機材をセッティング.学生たちにモニタを見せながら解説し,望遠鏡を覗いてもらい,肉眼でも観望してもらう.地球の影に入った赤銅色のグラデーションが美しい.写真は画像処理で色や明るさを強調できるが,肉眼で見た透明感のある状況は再現できない.実物が最も美しいのである.なので写真機材とは別に,肉眼で観察する望遠鏡は欠かせない.
天王星は,望遠鏡を通して緑色の姿が確認できた.徐々に月に近づいていき,急に暗くなりながら吸い込まれるように月の裏側に隠れた.恒星が月に隠されるときは,一瞬にして消える.しかし天王星は暗くなりながら消える.恒星は何百何千光年と遥か彼方なので,点にしか見えないが,天王星は太陽系の中なので,肉眼では分からなくとも面積を持った円であり,その円が少しずつ隠されていくからである.肉眼では見れないような遠い天王星も太陽系の仲間であることを再認識できる機会でもあった.
11月の終わりに,JAXAから発表内容の評価が届いた.「現場観測をベースにした取り組みで、着実に進められていることが分かりました...」との内容だった.短めの発表でも十分伝わったようで安心した.
10月に新型コロナウイルスの感染者数が減少し,重症化リスクも低くなっていることから,出張が可能となった.今月は出張依頼や講演依頼が急増し,忙しい日々に戻った感がある.そして観光需要喚起を目的とする施策が息を吹き返した.そんな状況だが,私は旅行が苦手.もともと出無精な性格なのである.ただ,重要な目的があり,それを達成するためなら,重い腰を上げる.研究では,現地調査でモンゴルやネパール,国際会議で欧米やアジア各地を訪れた.そして天文マニアの私は,美しい星空や様々な天体現象を求めて,アラスカやオーストラリアへ行った.9月は石鎚登山をしたが,卒業生に会うことと,美しい星空を求めてのことである.目的が達成された旅は満足度が高く,ついついその成果を人に語ってしまう.そんな訳で周囲の人たちは,私が旅行嫌いであることに,ほとんど気づいていない.
旅行嫌いなのは,観光地もそうさせている.典型的な観光地に足を踏み入れると,当然だが観光客で混雑している.私は人混みも苦手.観光地の沿道にはお土産物屋が並び,強引な客引もあったりしてリラックスできない.以前,東京オリンピック誘致に向けて,日本政府は「おもてなし」で観光客も呼び込む作戦を展開したが,下心が透けて見えた.科学技術立国から観光立国へのシフト.災害が多発し,食料自給率が低い日本の場合,観光客頼みという他力本願の施策は,リスク軽減につながらない.
ところで,巷ではソロキャンプが流行っているという.ソロキャンプは,私も学生時代からしてきた.しかしこれもキャンプが目的ではない.星空の撮影だ.必要にかられてキャンプしているに過ぎない.キャンプサイトは,もっぱら視界の開けた道の路肩.寝袋で横たわれるスペースがあればよく,キャンプ飯はスーパーの惣菜やカップ麺で十分.雨の日に行くことはないので,テントすら張らない.せっかくの星空が見えなくなる.それってキャンプ?と言われそうだが,ただの野営も立派なキャンプである.
旅行にしてもキャンプにしても,私にとってはそれが目的ではない.目的を達成するための手段の一つだ.手段を楽しむのは悪いことではないので,旅行好きやキャンプ好きを否定するものではない.私の好きな星空撮影も手段の一つにすぎない.写真撮影は,カメラという機材を使って,その時空間を切り取り,記録するという手段である.手段といえども対象物を際立たせるため,レンズの性能を引き出し,カメラの機能を駆使する.すると,単なる記録ではなく,自分の作品として成立する.作品作りは,それなりに美を追求しつつ,自分の意図を強く反映させる.意図は人それぞれ.手段の向こう側が大事なのだ.
9月23日の秋分の日に石鎚山に登った.石鎚山の標高は1982m,西日本一高い山である.学生の時に登って以来なので,約40年ぶり.きっかけは,卒業生が頂上山荘で働いており,「先生,来てください!」と誘われたことだ.去年は都合がつかなかったが,今年は運良く予定が空いていた.しかも秋分の日に.障害物のない山頂だと,真西への日の入りと,真東からの日の出が見られる.そしてきっと星空も美しいに違いない.当日の天気次第だが,期待は膨らむ.
9月18日,中心気圧925hPaという猛烈な大型台風14号が九州に上陸.高知県も暴風雨に見舞われた.移動速度が遅い台風だったので,各地で被害が出た.ウチの葡萄棚も倒れてしまった.登山道だけでなく登山口に至る道路に被害はないか心配だ.9月21日に頂上山荘から連絡があり,初心者用の登山口である土小屋へのルートは,全て土砂崩れなどで封鎖されていて,西条市側の登山口である成就社からのみ登れるとの情報が入った.高知からだと,土小屋へも成就社へも同じくらいの時間距離だが,成就社からの登山道は,急斜面が続き,鎖場もあるので少し辛い.
当日は,お昼頃に成就社に到着.今にも雨が降り出しそうな天気だったが,登山を開始.登山道は成就社からのルートだけなので,登山客が集中しているかと思ったが,閑散としていた.その登山道は,昨晩の雨でぬかるんだところが多く,歩きづらい.雨に濡れた鎖場は,滑りやすく,同行してくれた娘は,足を滑らせて転びそうになり,肝を冷やした.カミさんは息が上がって遅れがち.そのうちに雨粒が大きくなり,カッパを羽織る.修験道の山なので容易には登らせてくれなかった.
4時間かけてやっと登頂.すると卒業生が満面の笑みで出迎えてくれた.楽しそうに働いている様子もわかり,最初の目的達成である.夕食を済ませ,日の入りとなる6時.雨は止んだが分厚い雲が強風で吹き付けており,辺りは霞んでいる.ピッタリ12時間後,ご来光を拝みたいところだ.持って上がったウイスキーを飲んで暫しくつろぎ,21時就寝.
4時に起きると,雲は少なく,星が瞬いていた.大急ぎで防寒服を身にまとい,カメラを持って外に出る.天狗岳の上にシリウスが輝き,東の空に月齢28の月が昇って来た.月は獅子座の中にあり,その背景には黄道光がぼんやりと見える.地球と火星の軌道の間には,目には見えない小さな小惑星が無数に存在し,それらが太陽に照らされてぼんやりと光っているのが,黄道光である.5時になると,オレンジ色の地平線から濃紺の天頂に至るグラデーションが美しい.次第に地平線の明るさが増してきた頃,地球から遠ざかり,平地ではほとんど見ることのできなくなった金星も見えてきた.そして5時54分,待望のご来光.柔らかい光が辺りを照らし,天狗岳は茜色に染まる.2時間にわたる静かでスローなライブショー.娘もカミさんも満足げ.卒業生のおかげだ.
下山から二日後,筋肉痛に悩まされていたが,自宅に宅配便が届いていた.別の卒業生からの還暦祝いだった.感激に続く感激.目頭が熱くなった.
今年も私の研究室の就職希望の学生は皆,8月までに内定をもらった.公務員希望の学生を除くと,5月には決まっていた.円安・インフレの時代に突入したが,少子化の影響で企業は人材不足の状況が続いている.就職氷河期やリーマンショックの頃からは想像できなかった状況だ,その当時の学生たちは,なかなか内定をもらえず苦しんでいた.そこで,学生の希望する会社に出向いて,採用の可能性を確かめに行ったものである.私は,建設系の学生を指導しているので,訪問先は建設業界.当時不況に加えて,コンクリートから人へという大合唱で公共投資は激減し,ゼネコン・コンサルともに採用意欲は低い状態だった.採用担当者は,わざわざ先生に来ていただいたけれど,期待には応えられません,といった感じだった.そのころ助教授(今でいう准教授)だった私にとって,辛い営業活動だったが,信頼して良い会社かどうか感じ取る力は得られた.信頼できる会社には,現在も継続して学生たちが就職している.
一方で,学生たちの書くエントリーシートの添削や面接練習もした.過保護と思われるかもしれないが,学生が成長するきっかけになるので,現在も行っている.何が好きなの?将来はどうしたいの?何のために働くの?地元には帰らないの?これらが整理できてないと,書類作成も面接もうまくいかないし,その業界に自分が向いているのかも分からない.
「何のために生まれて,何をして生きるのか...何が君の幸せ,何をして喜ぶ...」アンパンマンのテーマソングの一節,絵本作家であった「やなせたかしさん」からのメッセージである.高知工科大学は,やなせたかしさんの生まれ故郷に近いので,学生に対する就職指導では積極的に使わせてもらっている.
大学を卒業すると,ほとんどがサラリーマンになる.大学教員となった私もその一人である.サラリーマンには,定年がある.組織の一部として働くので,一生やり通せる仕事でもない.なので定年後は,再雇用してもらうか,新たな就職活動をすることになる.そしてその後は年金暮らし.これでは寂しすぎないか?やなせたかしさんの1番目の問いかけに答えられていない.この歌詞は,日本のサラリーマンに突きつけているように感じてならない.
もっと若い時から里山暮らしを始めるべきだった.サラリーマンとしての仕事より畑仕事や山仕事の方が楽しいし,やりがいもある.私の場合,大学という場から離れると,研究のための高価な機材は使えなくなるが,テーマ次第で,経費のかからない面白い研究が自由にできる.自然の中で里山を維持しながら地域の人たちと共に楽しく暮らすこと,これが私のやなせたかしさんへの答えだ.
今年の8月で,60歳になってしまった.いわゆる還暦である.私が大学生の頃,教授の還暦祝いに参加したが,自分がそんな歳になったとは思えない.私の場合,お祝いをしましょうとも声をかけられなかったので(新型コロナウイルスの影響であって欲しいが...),無自覚のままで過ごしてしまいそうだ.
体力は衰えたものの,幸にして山仕事や畑仕事で,もう無理だ,と感じることはない.子供の頃から無理をせず,自分ができる範囲をわきまえていたからかもしれない.しかし近年,授業では痛切に歳を感じる.それは,自分の体験を通して分かりやすく説明しようとしても,その体験談は,学生たちにとっては遥か遠い昔話なので,ピンと来てくれないのである.
例えば測量の授業で,経度を測る基本として,太陽の正中時刻を測ることをまず教える.その時刻を測るのに,昔は色々な仕組みの時計があったが,どの時計も正確でなくて苦労していたことを話したいところだ.しかし学生は,昔の時計をイメージできない.我々の歳なら,振り子時計,ぜんまい時計,水晶発振時計などを想像する.今や時計は,電波時計かネットワークに繋がった時計で,多くの家電にも内蔵され,腕時計などのファッション時計は例外として,時計は部品であり,正確で当たり前の時代なのである.今の学生に昔の時計は?と尋ねて返って来る答えは,砂時計,日時計.つまり小学校の学習教材だ.
電磁波の話にしても,ラジオの周波数帯を知っている学生は皆無.工学部の学生なら知っておいて欲しいが,今は,ラジオやテレビの時代ではない.WiFiで動画を視聴する時代である.WiFiの周波数帯を知る意味などない.私が中学生の頃,松山でニッポン放送やラジオ大阪の深夜番組を直接受信しようと,ラジオのチューニングつまみを微妙に調整しながら周波数を合わせ,雑音に悩まされながら聴いていたことが懐かしい.昼は太陽からの電磁波の影響で,遠くの放送局の電波はかき消されてしまうが,夜は結構届くのである.今の学生にラジオを知っているか?と聞くと,やはり小学校の教材としてだった.
自分は時代と共に電子技術の発展を間近に体験できた世代だが,Z世代の学生たちは,生まれた時から様々な電子機器が当たり前に存在する時代で,触れるメディアも全く異なる.したがって教材を通してしか学べなくなっている.そして都市での生活は,暦や自然とかけ離れているため,生活を通して学ぶネタも減っている.何とかしたいものだ.「60にして耳順う」とは孔子の言葉.自然に相手に合わせられる境地ならないとダメなのに,それには程遠い還暦の夏をヒグラシの鳴き声を聞きながら過ごしている.
大学時代に住んでいた伯母の家が取り壊されることになった.伯母は一人暮らしになり,施設に入ってからは空き家となった.年に数回施設を訪問し,伯母を見舞っていたが,新型コロナウイルスの影響で,ここ数年会えてない.現在その家屋は母が管理してるが,老朽化が進み,地震時に倒壊して道路を塞ぐのも心配だったので,思い切って取り壊すことにしたそうだ.
高知で里山暮らしを始める時,既に空き家なっていたその家から箪笥や羽釜,茶道具,掛け軸などをもらって来た.今回取り壊すに当たって,改めて思い出の品や使えそうな物をもらってくることにした.懐かしい茶碗や木桶など里山暮らしにマッチする物の他に,計算尺が出てきた.自分が高校生の時に使っていた物である.竹製で40年以上前の物だが,全く狂いがない.
天文少年だった私は,計算尺で天体の方位角や高度を計算したものである.3桁の精度であれば計算尺で十分足りる.大学に入り,農学部ではあったが測量を学ぶ機会があった.測量は測地学ともつながり,天文学にも通じる.非常に興味を持って楽しく学ぶことができた.その頃まさか自分が学生たちに測量を教える立場になるとは,全く思わなかった.当時自分が選んだ専門は,土質力学に関する研究室だったからである.それはそれとして,測量計算は,非常に高い計算精度が求められる.大学の授業ですら6桁以上の精度が求められる.計算尺では追いつかない.そこで初めて関数電卓を購入した.どうせ買うならということで,プログラム機能のついたものを購入.それがプログラミングとの出会いである.
それ以降,計算尺についての記憶はない.程なく関数電卓のプログラム機能では飽き足らず,8bitパソコンを購入.大学院では計算機室に入り浸り,汎用機やUNIXマシンを使わせてもらった.計算尺は,上京時に色々な文房具と共に段ボールに詰めて置いていたのだろう.当時使っていた星図と共に出てきた.
今は,星を見るのに計算する必要はない.あらゆる天体の見かけの位置は,観測地の緯度経度と時刻を入力すれば,コンピュータが全て答えてくれる.そして望遠鏡がネットワークに接続されていれば,見たい天体に望遠鏡を自動的に向けてくれる.しかしそんな便利な最近の機材は,寿命が短い.新しい規格のネットワークやOSに対応しないとかで,程なくジャンク品になりそうでだ.計算尺は,大切に保管しておこう.ネットワークに繋がらない古い望遠鏡(赤道儀)も使い続けよう.古くて良いものは,いざという時に頼りになる相棒だから.
さまざまな組織で総会が開催される季節だ.職業柄,これまでにたくさんの学会や協会に関わってきた.さらに趣味の分野でも様々な団体と関わっている.いい歳になると,委員だとか理事だとかの役を当てがわれ,会議への出席をたくさん依頼される.以前は,リモート参加を認めてくれなかったため,日程を調整して出張に明け暮れたものである.授業の多いこの時期の出張は,かなり大変だった.ところが新型コロナウイルスの影響で,一転してリモート参加が認められ,楽に参加できるようになった.有り難いことである.
各組織の理事会や総会に出席すると,お決まりの事業報告,決算報告,事業計画案,予算案を審議する.それぞれ重要な審議事項であるが,もっと本質的な議論もすべきではないかと,いつも感じてしまう.社会情勢の変化や技術革新により,それぞれの組織の理念やビジョンは同じで大丈夫か?事業がルーチン化してしまうと,思考停止に陥りがちだ.本当にその事業は,今もやる意味があるのか?組織自体,将来も社会から必要とされるのか?
あらゆる団体に共通だが,会員数が減少すると経営自体が厳しくなる.学会の場合,学問分野がどんどん細分化され,多くの学会が生まれてきた.現在は少子化の時代に突入し,会員数の維持が大きな問題となっている.そして質の高い論文が集まらないと,学会存続の意義すら薄れる.若手研究者は,ステップアップのため,格付けの高い国際学会へ論文を投稿し,研究業績を増やしていかなければならない.国内の学会には目を向けてくれず,厳しさは増す一方である.
今後は,学会の統廃合が進んでいくだろう.強い学会は残るだろうが,そんな学会にこそ,学会の役割や意義を考えてもらいたい.失われた30年という言葉を色々なところで聞く.国際的な格付けが下がり続けていることからだが,学術の分野でも同様な気がする.重要な研究に対して,どのようなサポートをしていくかが鍵となる.資金より体制の方が研究成果につながると思われるが,今の大学の多くは,一人の教員に対して一つの研究室となっている.つまり組織だった研究には不向きな環境である.一つの研究室に教授・准教授・助教といった複数の教員で組織すると,大きな成果が得られそうだが,パワハラやアカハラが横行したり,研究分野の重要性が失われた時に研究室の廃止も困難になるからだそうだ.質の高い研究を組織的に遂行する場が少なくなっている現在,手遅れ感はあるが,学会でも真剣に考えていくべき課題だ.失われた40年,50年にならないためにも.
今年も美味しいタケノコを味わえた.厳しい冬だったせいか,タケノコが顔を出し始めたのは例年より遅かったが,ゴールデンウィークまで収穫できた.タケノコは,高知に来てもっとも感動した食材である.その感動したタケノコは,スーパーで買ったものではなく,ご近所さんからの戴き物.既に茹で上がったものだったので,そのまま味見すると,トウモロコシのような香りにタケノコの風味が力強く,これが本物のタケノコなんだ...と驚いた.
タケノコは,鮮度が非常に重要な食材である.掘り出した途端にエグ味が増していく.そこですぐに湯がかなければならない.エグ味を取るため,料理の本には米ぬかと一緒に湯がくように書かれているが,掘り立てのタケノコの場合,単に水で湯がいたので大丈夫.湯がく時は,タケノコの先を切り取り,皮は剥かず,皮に包丁で切れ込みを入れる.水を張った羽釜にタケノコを入れ,沸騰させて1時間ほど湯がき,そのまま一晩寝かせるのがコツだ.
スーパーに置かれているタケノコは,朝取れとうたっていても時間は経過している.ご近所さんに戴いた絶品のタケノコは,掘りたてをすぐに湯がいたものだったのだろう.本当に美味しいものは,お金で買えない.ということをその時に実感した.
そしてイノシシやシカの肉も,スーパーで買うより猟師さんから分けてもらった肉の方が断然に美味しい.イノシシやシカの肉を販売目的で流通に乗せるとなると,法令に基づいて処理しなければならない.つまり衛生管理の行き届いた施設での解体が要求される.山奥で仕留められたイノシシやシカをそのような施設まで持っていくのは,非常に大変な作業であり,時間がかかってしまう.そこで多くの猟師さんは,谷水が取れる最も近い場所までは運び,そこで解体し,必要な部分だけ切り取り,不要な部分は土に埋める.そのような肉は,流通に乗せられないので,分けてもらえる場合があるのだ.仕留めてから時間をおかずに解体された肉なので,新鮮で臭みがない.里山暮らしを始めたおかげで,イノシシやシカの本当の美味しさも味わうことができた.
現代は食材を保存し,長距離輸送が可能となり,都市に暮らす人たちにとっての食材は,購入するものとなってしまった.日本は,エネルギー自給率だけでなく,食料自給率も低い.特に家畜のエサは,輸入に頼りきっている.本来食べ物は,その地域,その時に得られる食材を利用するものである.せめて食料自給率は.100%を達成しなければ,安心な暮らしとは言えない.
新型コロナウイルスは,都市での経済活動に一石を投じたが,今度は追い討ちをかけるように,円安と政情不安が始まった.物価は上昇の一途.お金の価値が下がった時に困るのも都市生活.やっぱり里山暮らしが安心だ.
高知県には関勉さんという有名なコメットハンターがいる.コメットハンターとは,新彗星の発見に力を注ぐ人のことだ.関さんは,1960年代に自作望遠鏡を使って眼視観測で関・ラインズ彗星,池谷・関彗星など,6つの新彗星を発見し,その後,芸西天文台で写真観測により,50以上の小惑星も発見している.私は小さい頃から宇宙に興味を抱き,中学校の頃,従兄弟から天体写真の撮り方を教えてもらい,現在に至るまで天体写真の撮影を趣味としている.関さんのことを知ったのは,中学生の頃だった.関さんの書いた彗星の発見記「星をもとめて」という本を読んで.当時は自分も新彗星を発見したいという気持ちになったものだ.
その本が,去年の暮れに復刻版として出版されたことを知り,すぐに購入した.寝床で読み始めると,過去にワクワクしながら読んだことが一気に蘇った.今回読み返すと,現在自分が高知に住んでいることから,地名が出てきたとき,その場所の様子が目に浮かぶ.関さんは,私も好きな山である三嶺に登ったことが記されており,改めて感動できた部分も多い.関さんは,現在90歳を越える年齢だが,現役として天体観測を続けているという.とんでもなくパワフルなコメットハンターだ.
さて,私自身はこの本に再度感動してしまったが,現代の宇宙好きの若い人は,この本を読んでどのように感じるのだろうか?昔の人はすごいな,いい時代だったんだろうな,で終わってしまわないか...現在,コメットハンターの数は極めて少ない.天体観測のシステムは凄まじく発展し,ほぼ全自動で新天体の探索が行われている.しかも人工衛星を使って宇宙から観測している時代でもある.現在新彗星の発見は,アマチュアには非常に難しいことになってしまった.
一方現在は,観測機材は安く高性能な製品が続々と登場している.天体望遠鏡を扱うハードルは,かなり低くなった.肉眼で見えない天体も自動導入で簡単に捉えることができる.そして肉眼では見えなくともデジタルカメラを使って画像化できる時代である.昔は天文台でなければできなかったような観測が,いとも簡単にできてしまう.アマチュアなりの天体観測の楽しみ方は,非常に広がっている.
私は毎年秋に近くの小学校の子供たち向けに,星空教室を開催している.小さい望遠鏡を持って行って,それで月や惑星を見てもらって感動してもらおうというもの.こんなに小さな望遠鏡でも月のクレーターや土星の輪が見えるということを知ってもらいたいことから,敢えて小さい望遠鏡を持っていくことにしている.そこで最近気になるのが,感動してくれる子供が少なくなったことである.昔は望遠鏡から離れない子供たちが何人もいたが,最近はほとんどいなくなった.望遠鏡を覗き込み,こちらから「見えた?」と声をかけると,「うわーすごい!」という言葉がたくさん返ってきていたが,今はほとんどが「うん見えた」に変わってしまった.実物よりバーチャルが受ける時代だからか?
星空教室が始まる前,「綺麗な夕日!」と言って感動していたのは,サポーターの大学生たちだった.成長したからこそ,小さいものでも現実世界に感動できるようになったのかもしれない.こうなると星空教室は,大学生向けにやった方が良さそうである.コメットハンターを育てることは無理としても,自然の美しさに感動できる大人に育てることは重要そうだ.
卒業論文や博士論文の審査を終え,ホッと一息できる感じになった.今年は,久々に国際会議の論文査読も引き受け,ほぼ毎日論文と向き合い続けていた.査読は論文の内容を吟味し,オリジナリティがあり,他の研究者に有益な内容か否かを判断するものである.良い論文を読ませてもらうと,「この着想はすごいな」「深いところまで考慮してるな」「これは苦労したろうな」という感動と同時に,自分も頑張ろうという刺激を受ける.一方,悪い論文となると,「この件は既に多くの研究者がやってきたぞ」「精度評価してないじゃん」「この成果は特殊な環境での話だよね」というツッコミ的感想となる.そして著者宛に,良い論文に近づいてもらうための意見を細かく書かねばなない.その意見の書き方に気をつかうので,結構骨の折れる作業となる.
一般に国際会議の査読は,研究の最新動向を知ることができ,結構楽しめるものなのだが,今回は面白い論文が少なかった.これが国際会議のレベルなのかと残念にも思った.「最近の若いもんは...」と呟くジジイになってしまったのか?
さて,国際会議は,研究者が各国から集まり,分野ごとに分かれて研究発表があったり,著名な研究者のキーノートスピーチがあったり,現地見学があったりと,メニューは盛りだくさんである.若い頃は,出席するたびに圧倒されっぱなしだったが,出席することで,著名な研究者を支えているのは,そこの研究室の若手研究者であることも分かった.そりゃそうだろう.有名教授ともなると,自分で研究する時間がほとんどない.今から30年前,私が生産技術研究所の助手だった時,教授は国際会議に引っ張りだこで,研究室に来ること自体が稀だった.研究室の仲間とは「今の仕事,ボスが出張から帰るまでに間に合う?」「出張から帰るとまた仕事が増えるなあ」と話をしたものである.当時の非力なコンピュータとネットワークでは,相当工夫しても長時間労働を伴わなければ,満足のいく成果は得られなかった.研究室で寝泊まりしながら作業を行ったものだ.その成果は,国際学会の会長を務めるボスが発表するものなので,かなりのプレッシャーがかかっていた.
昔は大変だったと,自分も含めて今の年寄りは言うものの,もっと大昔はコンピュータすらなく,計算自体が重労働だった.ニュートンの時代は,電卓はおろか,計算尺がやっと登場した時代だ.惑星の見かけの位置を計算するのは,相当苦労したはずである.そのコンピュータがない時代でも科学は着実に発達してきた.凄いとしか言いようがない.
現代はいわゆるICT技術のおかげで,研究者でなくとも様々な解析ができる時代になっている.特に応用研究は,便利なソフトウェアの相次ぐ登場と,充実してきたオープンデータは,大きな役割を果たしている.研究者の裾野が広がるのはいいこととしても,指導する立場の人間は,簡単には増えないのが現実だ.高等学校の教育課程に情報が加わったが,指導者不足で困っていると聞く.状況としては同じと言っていいだろう.だから今は,指導者が少ない分,論文の質が下がっているのかもしれない.査読を通して研究指導をせよ,と言うことか.やはり仕事は増え続ける.
我が家のトイレと風呂は,母屋とは別の建物となっている.建物はかなり老朽化が進んでいたので,昨年その建て替えを行った.建て替えに踏み切るなら,普通に考えれば,母屋に備え付けると便利だ.しかし敢えて場所はそのままに建て替えることにした.以前のトイレは,汲み取りの和式.それをコンポストの洋式に.以前の風呂は,灯油と薪の両方使える外釜式の風呂.それを薪のみの五右衛門風呂とした.となると,これまで通り外にあったほうが衛生面や安全面で安心だからである.
汲み取り式のトイレは,匂いがきつい.一方のコンポストトイレは,微生物が分解してくれるので,あまり臭わない.微生物の活動状況によって臭いが発生する場合もあるが,しばらくすると落ち着いてくる.溜まってきたら堆肥として利用できるのも大きな利点である.
外釜式の風呂は,浴槽を直接温めるものではなかった.灯油が使える便利さはあるが,火が消えると直ぐに冷めていた.特に冬場は,火を絶やさないようにしなければならなかった.今回は風呂釜自体を直接温めるので,なかなか冷えない.というより火が消えても熾火が残っていれば,徐々に熱くなっていく.体の芯まで温まる感じである.
そして風呂釜の火は,様々なことに活用できる.例えば風呂を沸かしている最中,サツマイモを入れおけば焼き芋ができる.熾火が出来れば,行火こたつの熱源に使う.風呂から上がって,大きめの熾火は七輪に移して焼き物料理に使い,風呂釜の余熱でオーブン料理ができる.これまでピザ,パン,ケーキなどを作ったが,結構うまい具合にいっている.おかげでガス代がずいぶん節約できている.
燃料となる薪は,里山整備のために間伐した材がふんだんにある.チェンソーで伐倒した直後の木は,多くの水分を含んでいるので,1年ほど寝かせる.その後玉切りして,斧で割る.薪割りはストレス解消にもってこいの良い運動だ.チェンソーを使って出るおがくずは,コンポストトイレ用に使える.薪は,木の種類によって燃え方は異なり,煙の匂いも様々である.それを考慮して燃やす順番を考える.火をおこすときは針葉樹を使い,その後広葉樹を使う.そうすれば,火が長持ちするだけでなく,最後にオーブンとして使った時に,燻煙される香りも良い.
これでお客人への対応も楽になった.泊まりに来た人の評判もそこそこである.大人数を受け入れるのは難しいが,来た人には,自然の中で暮らすことの楽しさを味わってもらいたい.
昨年の12月は,天体ショーを存分に楽しめた.まずレナード彗星が地球に接近し,久しぶりに尾をたなびかせた彗星を写真に収めることができた.12月中旬,レナード彗星は,太陽に近づいたことでバーストを起こし,核が小さくなって尾も消えたかと思われたが,その後大きく姿を変えた.肉眼で確認できるほど明るくならなかったが,写真に撮ると尾の変化が面白い彗星だった.
そして,ふたご座流星群も楽しめた.明け方の空にたくさんの流星を見ることができた.ただ,写真に収めるには対策が必要だった.明け方は人工衛星がたくさん写り込んでしまう.多くの人工衛星は,夜中に見ることができない.人工衛星は,地球の影の中にいるからだ.夕方と明け方は,上空にいる人工衛星に太陽の光が当たり,反射した光が地上に届いてしまう.なのでそんな人工衛星が写真に写りこまれないよう,朝5時に撮影を切り上げた.それでも20個以上の流星の写真が撮影できたのは幸いである.
現在,おびただしい数の人工衛星が地球を周回している.しかも商用の衛星が圧倒的に多い.宇宙技術の進展は目覚ましく,技術自体が民間企業の手に委ねられるようになったことが大きい.たくさん衛星が打ち上げられる一方で,それを回収する取り組みは,ほとんどなされていない.つまり宇宙はゴミだらけになっている.
火星に人類を送り込む計画も進んでいるようだが,必要性を全く感じない.どんどんAIやロボット技術が発達している今,生身の人間が行く価値を私は見出せない.昨年末,日本の大金持ちが,国際宇宙ステーションに滞在し,宇宙旅行が身近になって来たと報道されていた.ロケット打ち上げ時に排出されるCO2は膨大である.SDGsを考えると,辞めるべき観光事業だ.
人間は,宇宙基地で過ごすことはできても,宇宙では暮らせない.もちろん月や火星,金星でも暮らせない.持続可能で心豊かな社会は創れない.まず大気があり,山があり,川があり,土があり,多様な微生物や動植物と一緒でなければ暮らしは成り立たないはず.宇宙はその地球から眺めるのが最も美しい.