忘年会のシーズンであるが,COVID-19の影響で今年の忘年会は,予定がゼロ.土佐山田に住んでいた時は,12月になると,週に3回程度の予定が入っていた.里山に越してきてからは,縁の薄い宴席はお断りしたり,ノンアルで参加したりして凌いできたが,いきなりゼロとなると寂しく感じる.
研究室の忘年会は,土佐の酒遊びを知ることを目的として実施してきた.土佐には返杯と言って盃を酌み交わす風習があるほか,箸拳,菊の花,ベク杯など酒遊びがたくさんある.学生たちは,地元の方々との宴席があまりないので,これらの風習を知らないまま卒業するケースが多い.最近では高知出身の学生ですら知らないようである.ならば研究室の忘年会で知ってもらおうという趣旨であった.
土佐では宴席のことを「おきゃく」と呼んでいる.その「おきゃく」に欠かせない料理が皿鉢と呼ばれる大皿料理である.普通の和食といえば,個々にお膳が配置されることが多く,これは感染症のリスクを減らす目的もあったようだ.一方皿鉢を囲んで返杯となると,感染リスクは極めて高くなる.特に返杯は,自分の盃で相手に飲んでもらうのだから,感染拡大のための飲み方となる.このような風習が残っていたということは,土佐は隔絶された特殊な土地であったことが伺える.
COVID-19のおかげで,土佐の食文化と酒文化すらも崩壊の危機にある.モータリゼーションとグローバル化が行き過ぎた結果,もたらされた災いである.少子高齢化によって,文化を継承することが難しいことは承知していたが,災いがその速度を速めている.忘年会はできないが,災い転じて福と為すすべを手酌でちびちび飲みながら考えてみよう.
学生たちと,「ゼロ・ウェイスト・ホーム」いわゆるゴミを無くす生活についての話を聞いた.リサイクルできるものや自然に還るものはセーフ!,プラスチックゴミなど,埋めるか燃やすしかできないものはアウト!である.自分の生活を振り返ると,缶ビールの空き缶や刺身やお惣菜のトレイは,リサイクルできていると信じてセーフ?でも野菜を包んでいるラップ,包装用のビニール袋はアウトとなる.お菓子も個包装が進み,丹念に袋分けされているので,とんでもなくアウト.スーパーやコンビニに代表される小売店に並ぶ商品は,アウトだらけで買えるものがない.食品は,市場で箱買いするしかなさそうである.
先日,靴を買った.買った靴を履いて帰りたいと告げると,その店は良心的で,今履いている靴を廃棄してくれるという.自分にとってはゴミゼロで購入できて大満足.しかし考えてみると,廃棄してもらった靴は,合成皮革・合成ゴムが素材なので,実質はアウトと言わざるを得ない.自動車にしてもリサイクルは進んでいるらしいが,現在は金属部品が減り,リサイクルできる部分も減っているように思われる.じゃあ馬に乗るか?でも馬糞などの始末はめんどくさそう...そもそも乗れるのか?自問自答が続く.
今後,食料は自給自足を目指し,モノも自分で作れということか.狩猟免許は取得した.鋸,斧,鉈は持っているので,山から木を切り出せば色々なモノを作ることもできるだろう.不器用な私にはうまく作れそうにないが,里山ではブサイクなモノも味わいとして許してもらえそうな気がする.
今年は,自分の趣味である星空を撮影するチャンスが非常に多い.天気に恵まれているというよりも,COVID-19のおかげで飲み会が減り,自由な夜が増えたからである.今,撮影に力を入れているのが流星群の撮影.今年は,8月のペルセウス座流星群に続き,10月のオリオン座流星群も写真に捉えることができた.11月はしし座流星群,12月はふたご座流星群と続く.明るい流星を見たときの感動は,今も昔も変わらず大きい.
夜中に目が醒めてトイレに行く時,我が家のトイレは外にあるので,晴れていれば行き帰りで必ず夜空を見上げる.「ああ,もうシリウスがこんなに昇ってきたか」とか「今日の月は眩しいなあ」とか,小さな感動がたくさんある.そしてたまに明るい流星が現れると,「きたあぁ!」と思わず叫んでしまう.里山で暮らしを始めて,つくづく良かったと思う瞬間である.トイレが家の中にあると,それは楽だろうけれど,感動する瞬間はほとんどゼロ.トイレくらいなら目をつぶった状態でも行けてしまう.便利な生活は,楽だけれど感動に乏しい.
松山に住む母親の影響からか,俳句を詠みたくなる時がある.里山での暮らしは,四季折々の感動が多く,心にも余裕ができたからだろう.今は10月,冬鳥は飛来し,雄ジカは鳴き,シュウメイギクの花も咲き始めた.ネタは揃っている.あとは句として成立させるためのセンスを磨かねば...
今年の9月は,台風9号10号と立て続けに九州の西側を通過した.台風10号の勢力は非常に強く,熊本では梅雨の大雨によって大きな被害が出ていたので,大災害の発生が心配された.九州に近づいた時,やや勢力を弱めてくれたおかげもあって,甚大な被害は出なかったようだ.私の住む高知の里山でも風雨は激しく,風速20mを記録していた.
近年,豪雨災害や台風災害が頻発している.これに対して関係省庁は,災害対応について,次様々な変更を行った.警戒レベルや特別警報の見直しは,分かりやすくしたようだが,変更は一時的に混乱を招いてしまう.そしてCOVID-19への対応もあるため,避難所の受け入れ人数が少なくなり,親戚宅・知人宅・ホテルへの避難も提唱しはじめた.避難所は最後の手段とするべきなので,この提唱は的を得ている.ただ,ある地域が避難所としてホテルを活用したために,全てのホテルが避難所になるのかと,住民に誤解を与えたところもあったようである.
台風10号接近前,各メディアはハザードマップの活用を盛んに伝えていた.それは必要な情報だが十分でない.ハザードマップで暴風のことは,その地域全体が被害を被るので,記載できないのである.今回は70m級の暴風が予想されていた.考えただけで恐ろしくなる.自分の住む地域の地形を知り,気象についての知識があれば,台風が来た時,いつ頃からどの向きの風が強くなるか想像できるため,それへの備えが可能でる.しかし70mの暴風となるとお手上げである.地域の避難所でも危険であろう.こうなれば,県をまたぐ避難についても真剣に考えなければならない.その必要性を痛切に感じさせてくれた台風であった.今ならGOTOトラベルを活用した避難もいいかもしれない.
里山で暮らしていると,知識・経験そして想像力の重要性をひしひしと感じる.山仕事は,特に危険な作業なので,なおさらである.以前,台風で倒れた木を片付けようと,チェンソーで切断していたとき,倒れた木がいきなり跳ねて来た.体に当たっていたら大けがまちがいなし.気を落ち着けて状況を振り返る.倒れている木とはいえ,地中に残っている根もあるので,根元は固定されている.その木が,わずかに別の木に接触していたようだ.そうなるると,木は若干弓なりになり,力がかかった状態になる.そして接触部分と根元の間を切断してしまうと,力が解放されて木が跳ねる.当たり前ではあるが,素人は接触部分を見落とし,木に力がかかっていると想像できない場合がある.構造力学も学んだはずの自分としては,かなりへこんでしまった.
さて,組織を率いる人間も同様で,知識・経験そして想像力が要求される.そうでなければ,難局を乗り越えられない.ただ時として組織のトップは,突然外部からやってくることがある.組織を立て直す手法の一つで,悪い部分を取り除くのには効果的だが,本質的でない.組織のトップは,履歴書でなく,親族や縁故でもない,真の実力者であってほしいと願っている.最近は,アルバイトで入社した人が力を発揮し,社長にまでなったという痛快な話も聞くので,良い組織も増えているのかもしれない.
現在のITは,多くの人が知識を得やすい状況を提供している.新型コロナウイルスの影響で,学習教材も充実してきた.もう知識を学歴に頼る時代ではなさそうだ.あとは経験して学びを深め,想像する力を養うことである.今の大学教育では,卒業研究や修士研究がそれに当たるが,専門分野は狭く,鍛えられる期間は短い.大学が人材育成を担うなら,大変革が必要である.
今年も各地で豪雨災害が発生し始めた.Windy.comで,風の状況を確認する.先月話題にした標高10,000mでの偏西風が,蛇行しながらも今だに日本上空に居座っている.標高3000mでは偏西風の縁に沿って秒速30m以上の西風が吹き荒れており,梅雨前線はそこに停滞している.したがって梅雨前線に沿う雨雲は,東にも移動しながら,余計に湿った空気を巻き上げ,線状降水帯を発生させているようだ.私は気象の専門家ではないが,最近の梅雨前線に伴う豪雨は,この偏西風がかなり影響しているとみている.
その豪雨が各地で猛威を振るっている最中に高松出張.5月の時点で私は,事務局の方にWeb会議でやりましょうと提案した.COVID-19による非常事態宣言が解除され,6月下旬に県をまたぐ移動ができるようになるとは言え,不安だったからである.そして7月になると,豪雨災害も想定される.しかし他の参加者は全員高松への参集に意欲的のこと.四国支部長という肩書を持つ私だけがWebで参加というのも変なので,重い腰を上げた.前日は愛媛県でも豪雨が発生し,当日の朝はJR土讃線の一部区間が運休していて,開催できるか心配したが,幸い幹線道に問題はなく,当日は全員揃うことができた.結果オーライ.プロセスを重視する私にとっては,最も使いたくない言葉の一つである.
里山に戻ると,避難準備・警戒レベル3が発令された.まだまだ安心できない.COVID-19も,東京では毎日のように100人を超える感染者が出ている.これもまだまだ安心できない.COVID-19は,仕事の仕方だけでなく,様々な仕事そのものの価値をガラリと変えようとしている.観光や飲食,娯楽やエンターテイメントに関係する業界は,大打撃を受けた.多くの人を楽しませ,元気にする業界だが,生きていくための優先順位で言えば低くなる.家族揃って健康な暮らしが第一.その上で地域で必要とされる仕事や活動を大切にしていかなければならない.我が里山にほど近い集落で生まれた漫画家のやなせたかしは,アンパンマンのテーマソングの中で「何のために生まれて,何をして生きるのか....」と問い続けていた.
自分自身の仕事を考える.今の大学は,地域に必要とされているのか?知の拠点としての役割を果たしているのか?大きな岐路に立たされている.
今年は,タケノコが豊作だった.ビワも立派に成長した.一方,我が里山周辺のウメの実は少ない.「遅霜の影響だな」と地元の人は言う.自然任せなので仕方ない.
冬は星がキラキラと瞬く.1万メートル上空の偏西風が吹き荒れているからである.偏西風は,ジェット気流とも呼ばれ,およそ100m/sという爆風が西から東に吹き荒れている.したがって上空に偏西風があると,夜空は,大気が激しく揺らめく結果,流れの速い川底を見ているような状態になり,星はキラキラ瞬くのである.
冬場,高知から飛行機で東京に行くと,飛んでいる時間は1時間かからないことが多い.偏西風の追い風を受けているからである.そして例年3月過ぎれば偏西風は北に移動し,やがて弱まる.そうすると星は瞬きが少なくなり,東京へ行くのも1時間以上かかる.ところが今年は,6月になってもまだ偏西風が居座っている.
5月は,宵の明星である金星が地球に近づいた.望遠鏡を向けると,三日月状の金星の形が激しく揺らめいていた.今年は火星も接近してくる.7月くらいから観測の好機に入る.既に木星と土星は観測の好機に入っている.早く偏西風がおさまってくれないと,惑星表面の模様がよく見えない.これも自然任せなので仕方ないが...
こんな異常な対流圏上部の状態を目の当たりにして,やっぱり気になるのが,排出ガスによる気候変動.その気候変動は何とか食い止めたいものである.排出ガス規制については,以前より各方面から遵守するよう求められている.日本や米国の政府にやる気は感じられない.グレタ・トゥンベリさんが頑張っていることを思い出す.現在,COVID-19の感染拡大を防ぐため,国境を超えた往来だけでなく,県をまたぐ移動も制限されている.経済活動は大打撃を受けているが,排出ガスは激減しているのではないだろうか.現在は辛い時期だが,地球に優しい経済活動を広げるチャンスのように感じる.里山に追い風が吹きそうである.
2020年の1月からニュースでCOVID-19が取り上げられ,2月に中国で感染が拡大.3月には世界各地で感染者が急増,日本でもクルーズ船だけでなく,ライブハウスや医療機関でクラスター感染が発生した.そして欧米アジア諸国は,早々と緊急事態を宣言.4月はじめに,やっと日本も緊急事態宣言が発令された.したがってGWは,外出禁止要請のため,予定していた親父の法要にも行かず,我が里山の大井平でずっと過ごすことに.松山市内に住むお袋は,妹家族にも会ってないらしく,寂しそうだった.そこで,最近流行りのインターネットを介したWebミーティングを定期的にして,気を紛らせてもらっている.
とはいえ,こんな状況でも不自由なく過ごせるのが里山暮らしの良いところである.米と塩さえあれば,当面なんとかなる.感染止のため自粛すべきは,人々との交流であり,自然と向き合うのは全く問題ない.里山は,草刈り,植え付け,水やり,そして収穫.一人でできることが多い.特にこの時期に外せない作業は茶摘み.その茶葉は本当に美しい.
星空に目を向けると,この時期は夏の天の川が夜半過ぎ昇って来る.夏の天の川との再会は,もうじきやってくる梅雨を前に,嬉しさとともに焦りに似た感情も湧き上がらせる.夏の天の川には撮影対象がたくさんあって,毎年撮りきれてないのである.
さて,外出禁止の都市では,公園にいる人々が問題として取り上げられ,県外ナンバーの車に対する嫌がらせも発生しているようだ.都会で外に出ると,視線の先はコンクリート製の人工構造物,見上げても空は狭く星はほとんど見えない.だから人のしていることが気になって仕方ないのだろう.ラジオ番組では,家でできる運動や趣味について連日報道されているが,都市という環境下では限界がある.もともと都市は,インフラを整備し,たくさんの人が集まり,効率よく経済活動を行うために設計されているからだ.人々の交流が禁止されれば,都市の意味をなさない.
今回の緊急事態宣言,里山で暮らすことの豊かさにどれだけの人が気づいてくれるだろうか...