趣味は人生を豊かにしてくれる.様々な趣味があり,中には悪趣味もあるだろうが,それは自分の中にしまっておけば良い.音楽やスポーツは多くの人が好む趣味だ.私も音楽は大好きで,一人の時は,ロック,演歌,クラシック,ジャズ,その時の環境や感情に合わせて楽曲を選ぶ.幼少期はピアノを習っていた.しかし妹が追いついてきて,こりゃかなわんと,ピアノから離脱.それ以降は聴く専門となった.ピアノを習っていた影響が残っているのか,コンピュータのキーボードにはこだわりがあり,いまだに同じメーカーのキーボードを使い続けている.
好んで聴く楽曲は,ボーカルだけでなく,イントロを含め,バックバンドとの掛け合いを聞かせてもらえるもの.若い頃は歌詞に意味を求めず,聴いて恥ずかしくなるような歌詞の曲は避け続けた.1970年代はフォークソングからニューミュージックへと変遷していく時代だったが,宇崎竜童のロックギターには痺れた.そして1980年代はロック全盛となる.その頃のお気に入りは,ロックではなく井上陽水だった.フォークソングのイメージから脱却し,高中正義や安全地帯のバンドを従えた楽曲の完成度に心を奪われた.井上陽水の曲は透明感があり,歌詞は捉えどころがないものの奥深さがある.コンサートツアーには何度も行き,その歌唱力に驚かされたものである.ロックは洋楽を中心に,Queen,Journey,Van Halen,Bon Joviなどをよく聴いた.それぞれのバンドには,有名なギタリストがいる.
1990年〜2000年代は,子育て真っ盛りとなり,子供向けの楽曲をよく聴くようになる.ただ車の中では,自分の好きな曲をかけた.その中で子供達が好んでくれた楽曲は,ビートルズだった.シンプルなバンド構成でノリがいいからだろう.さすがにVan Halenはハードすぎる.今の若者の多くは,親の聴く楽曲で育っていることだろう.
子供達が中学生くらいになると,それぞれお気に入りのアーティストができ,それを聴かされることになる.それはそれで新しい曲との出会いが楽しめたが,自分自身の新しいお気に入りを求めるようになる.そんな時はラジオがいい.2012年,車を運転していると,家入レオのサブリナがラジオから流れてきた.おお!これは面白い楽曲だ.次にリリースされたのがShine,乗りの良い曲に強いメッセージ性,これで完全にハマってしまい,アルバムが出るのを待った.若い頃,メッセージ性の強い歌詞は苦手だったが,これには惹かれた.歳なのかもしれない.2013年にリリースされたファーストアルバム「Leo」を購入,満足度の高いものだった.それ以来,家入レオのアルバムを購入し続けている.当時,家入レオが30歳になったら,どんな曲を発表してくれるのだろう,と期待したものである.
今年の10月,研究室の学生たちと飲んでいると,なぜか家入レオの話題となった.熱く語る私に学生が,ライブは行ったことあるんですか?と.まだないのなら一緒に行きましょうとなり,あっという間にライブの予約までしてもらい,女子学生2人に引き連れられての初ライブとなった.
ライブ会場は倉敷.会場に入り,タオルとTシャツを購入.娘からライブに行ったらタオルは必ず購入しなさいと言われていた.学生たちは購入したTシャツに着替えに行き.自分はぼーっとしていると,12月で30歳の誕生日を迎える家入レオにメッセージを書いて下さいと,スタッフに声をかけられた.なんと,もう30歳だったのか.その記念アルバムとなる「My Name」のライブツアーに来たのだ.改めてこのライブの重要性に気づき,学生たちの段取りに感謝する.さあ初ライブ.彼女の歌声がストレートに響いた.アルバムで聴くより遥に力強く,高音の伸びが素晴らしい.涙が溢れ出す.3曲目のShineで全員立ち上がり,人差し指を突き上げる.買ったタオルは,涙を拭くのに使ったが,曲に合わせて振り回すためのものだった.30歳を迎える家入レオは,「友達はそれぞれの道を歩んでいる.自分も自分に素直に生きたい.みんなもあんまり頑張らなくていいよ,今日は歌で会場を包み込みたい」と語ってくれた.涙は止まらい.
11月になってようやく秋めいてきたが,中旬でも日中は25度を上回る夏日になったり,台風が四つも発生していたり,異常な状況で気候変動を肌で感じる.とにかくエネルギーの消費を抑えて行かねばならないが,そんな政策を訴える政治家はほとんどいない.
さて,これから我が家では,薪の消費量が増えていく.一般に薪1kgで約4,000Kcalの発熱量があるとされている.これを1時間かけて燃焼させると,一般的なガスコンロと同等である.実際に薪を使って羽釜で三合のご飯を炊くと,500g程度の薪で30分で炊き上がる.そして残った熾火で煮物や焼き物も作れる.200Lの風呂の水を沸かすには,約5,000Kcal必要であり,実際我が家の風呂は冬場は1時間ちょっと,夏場は40分ほどで沸き,その後も湯船の温度はゆっくり上昇していく.我が家で薪を使って風呂を沸かすのは,年間100日程度,つまり年間150kg程度の薪で十分だ.20mの杉材なら幹重量が250kgくらいで,カマドや薪ストーブ用に合わせても,年間1本程度伐採しておけば,足りる計算となる.4人家族となるともう少し必要かもしれないが,2人暮らしなら十分だろう.木の成長に40年と見積もると,約1反の林地を用意し,40本分を管理すれば良いことになる.
木材は,炭にすると,1kgで8,000Kcalと倍にもなる.煙が出ないので,昔から室内で火鉢に炭を入れて使っていた.茶室での茶釜も炭を使う.ただ,木材から炭にすると質量は半分程度に減少する.そして炭にする過程で出る熱は使われていないので,その熱量は非常にもったいない.
木材を直接燃やすと,始めは炎と煙が出る.煙は炎の元となるガスも多く残っている.この煙も炎にさせるため,必要な酸素を送り込んで,二次燃焼させる仕組みを実現しているのがロケットストーブと呼ばれているものである.ロケットストーブは,火力が強く煙が出ないのが特徴である.私もロケットストーブを何台か試作して使ってみた.薪の量が少なくて済むのはありがたいが,薪は細いものが良く,一気に燃え尽きるので,火の番が忙しく,スローライフにはあまり向いていないようだ.炭作りの際の焚き口には向いているかもしれない.
昔ながらの囲炉裏は,火を上手に使うために非常によく考えられている.単なる焚き火と同じと思われるかもしれないが,灰をうまく使うことで火をコントロールできる.灰は断熱効果が高く,隙間もあるので,ゆっくり燃やすために灰をかけたり,早く燃やすために炎の下に溝を作って空気を送り込んだりできる.木材が燃えて炎と煙がなくなると,熾火となる.大部分は燃え尽きているので,炭のように長時間は火持ちしないが,ススが着かないので,五徳を使えば普通のコンロとして使える.中途半端に燃え残ったものも灰の中に埋めておくと,煙は少し立つが,火がまわって熾火となり,最後には灰となる.
現在,我が家のカマドも灰をたっぷり敷き詰めて囲炉裏方式としている.以前は燃え残った熾炭がたくさんできていたが,今は熾炭が残らず,全て灰となる.また灰のおかげで,炎が立つまでの時間が短くなった.熾炭は土壌改良に役立つ材料なので,全て灰になってしまうのも困る.そこで畑の一角には炭焼き用の穴を掘っている.土壌改良用の炭はそこで作れるので良しとしよう.そして炭焼きの時の熱は,何かに使いたいものである.例えば炭を作りながら蒸留させることができないかと思案中であったが,ちょうど大学院生たちがそれを提案してくれた.炭を作りながら谷水を蒸留して飲料水にしたいという.思いは伝わるものだ.
紫金山アトラス彗星がやってきた.昨年発見された彗星で,今年の9月下旬から10月中旬にかけて大彗星になると噂されていた.彗星本体は,汚れた雪だるまに例えられている.太陽に近づくと太陽放射を強く受け,彗星からダストやイオンが噴き出す.それらは,太陽と反対側に流れていくので,尾をたなびかせているように見える.私がこれまで見た彗星で,最も明るかったのは,1997年に接近したヘール・ボップ彗星だ.ちょうど東京から高知県に引っ越してきたばかりで,宿舎の駐車場から,マイナス1等級の美しい彗星の姿を堪能することができた.それ以来,マイナス等級になる大彗星を見ていない.2007年にマックノート彗星が明るくなったそうだが,日本からの観測条件が悪く,見ることが叶わなかった.
当初,紫金山アトラス彗星の予想光度は1等級.心がときめいた.ところが7月,彗星は既に崩壊が始まっているという報告があり,このままだと明るくならないのではないか,という説が飛び交った.2013年11月に接近したアイソン彗星を思い出す.太陽に接近中だったアイソン彗星は,明け方東の空に肉眼でもなんとか見ることができた(写真1).彗星が太陽に接近すると,太陽のそばにいる彗星は見ることができなくなる.その後太陽から離れると,今度は夕方西の空に,長い尾をたなびかせた彗星が見られるようになるはずだった.しかしアイソン彗星の場合,太陽に接近しすぎて崩壊,蒸発してしまった.このように彗星は,ひとつひとつの特徴が大きく異なるので,予測が難しい天体とされている.彗星の魅力は,そんなところにもある.
9月23日,天文仲間から3等級ぐらいで紫金山アトラス彗星を明け方に撮影できたと第一報が入る.26日頃から写真投稿サイトに,長い尾をたなびかせた彗星が続々と投稿され始めた.27日に彗星は最も太陽に近づき,尾はさらに長くなったようだ.ただ当地では悪天候が続き,GPV気象予報やWindyを見ながらチャンスを待つ.10月5日がタイムリミット.それ以降は再び太陽との位置関係から見えなくなる.10月中旬から今度は夕方に見え始める.とはいえ,彗星はどんどん姿を変えるので,できるだけ早く見ておきたい.
9月30日,夜から翌朝にかけてのGPV気象予報は雲り.しかし,寝る前に空を見上げると快晴.寝る前に撮影機材を自動車に積み込む.3時に起き,標高900mの松尾峠に向けて出発.4時前に撮影ポイントに到着.ススキが背丈以上に伸びていたので,ある程度刈り取って3台のカメラをセッティング.低空に雲があるが,大きな支障はなさそうだ.4時30分,月齢28の細い月が昇ってきた.紫金山アトラス彗星は,4時45分に昇ってくる.ただちょうどその方向に標高1000mの御在所山がそびえる.4時50分になってもまだ見えない.とりあえず御在所山に向けてシャッターを切ると,なんと御在所山を前に彗星の尾が写っていた(写真2).「早く上がってこい!」4時55分,遂に頭も顔を出した.肉眼でも右上にたなびく尾が見える(写真3).光度にすると2等級にはなってそうである.黄昏色の空,細い月,御在所山のシルエット,そして彗星.素晴らしい光景に鳥肌がたつ(写真4).日の出が近づき空がどんどん明るくなっていく.5時15分には,肉眼で彗星が見えなくなった.撮影終了.小型望遠鏡に取り付けた天体カメラでは,迫力ある彗星の姿を収めることができた(写真5).
10月12日,彗星は夕方の空に見え始める最初の日である.千切れ雲が流れていたが,土曜日だったので,大豊町のゆとりすとパークまで行って,夕方の空に回ってきた彗星を迎え撃つ.夕焼けの中,星が見えるようになってからわずか20分程度しか見えないだろう.難易度は高い.18時過ぎにカメラをセットし,西に向けて撮影.画像を拡大して見ていくと,青空の中にぼんやりとした彗星が確認できた.カメラの方角は間違いなさそうだ.肉眼では見えない.空はだんだん暗くなり,画像でも尾が確認できるようになる(写真6).18時20分に肉眼でも短い尾をひく彗星が見え始め,その10分後,雲に吸い込まれるように沈んだ.彗星は,健全な状態で運行しているようだ.
10月14日,祝日で天候は曇り.ところが晩御飯を食べていると晴れ間が広がり始める.もしかすると雲間から見えるかもしれないと,カミさんの運転で西の開けたところまで急いで出発.車の窓越しに長い尾を引く彗星が見えた.「これはすごい!ヘール・ボップ彗星以来だ」.橋のたもとに車を停めてもらい,カメラをセッティング.どんどん晴れ間が狭くなってきた.慌ててシャッターを切る.長い尾を携えた彗星が写し出された(写真7).その後どんどん雲が広がり,彗星を呑み込んでいった.それにしても紫金山アトラス彗星は,こんな大彗星になるとは思っても見なかった.当初の予想光度通り1等級と見積もられた.7月に彗星が崩壊し始めたらしいが,彗星の軌道は金星と水星の間くらいを通り抜けたので,この彗星にとっては程よい太陽放射で大きな崩壊に至らなかったのだろう.27年ぶりに感動できた大彗星であった.
先日,里山工学合宿を開催した.場所は愛媛県西条市.加茂川の上流で,石鎚ふれあいの里というところである.そこに西条自然学校というNPO法人があり,放置人工林を天然林化するプロジェクトを行なっているということで,行ってみたい場所だった.
せっかく西条市に行くならということで,打ち抜き水の見学も行った.西条市には,パイプを地中に打ち込んで,地下水を自噴させている場所がいくつもある.たくさんのポリタンクを持った地元の人が次から次へと,水を汲みにきていた.弘法水というところは,海の中から真水が自噴している.飲むと少ししょっぱいが,真水が自噴しているのは十分わかる.自噴していると言うことは,大きな圧力がかかった地下水脈ということだ.
四国は東西に中央構造線が走り,西条市では,平野と山地の境界となっている.山地の大部分は,付加体と言ってプレートに載って太平洋から運ばれてきた地層である.その地層は太平洋側からどんどん押されて,圧力変成を受けながら急峻な四国山地を作っている.お隣の新居浜市には,赤石山系という,アケボノツツジが美しい1500m級の山が連なる.圧力変成を受けた岩石は,緑色片岩と呼ばれる薄っぺらくて脆い層状になっており,亀裂が多く,破砕帯があったり,それが粘土化して地すべりを誘発している.赤石山系の南側に降った雨は,吉野川に合流し,徳島県に流れて行ってしまう.瀬戸内側は,雨が少ない上に,降った雨が流れてくる面積も狭い.なので至る所に溜池を作って水不足に対応している.しかし西条市は,地下水が豊富なのである.その立役者は石鎚山.地下深くからマグマが盛り上がって出来た石鎚山は,付加体を貫いている.したがって石鎚山の裾野が付加体の下に広がり,そこが地下水の通り道となっているようだ.石鎚山周辺に降った雨は,付加体の亀裂を伝って地下に流れて行く水も多いに違いない.相当長い年月をかけて地中を降りていき,圧力がかかるほどになったのだろう.
西条自然学校の人は,年々加茂川の水位が下がってきていることを心配していた.森林が管理されていないので樹冠が過密になり,雨が地面に届かなくなっているという.恐らく地中に到達した水も密集した木が争って吸い上げ,蒸散させてしまっている効果もあるだろう.とすると地下水脈への水の供給量も少なくなっている.それを案じて放置人工林の天然林化を始めたと言うことだ.大型機械を導入したとしても,機械が入れない狭い場所や,電線などの障害物があると使えないので,地道にチェンソーと牽引具を用いた手作業で伐採している.活動資金を確保するため,炭を焼いたり,スギやクロモジでアロマオイルを作ったり,経済活動をしながらの伐採ということで,頭の下がる思いだった.
伐採した後は,自然に鳥が種を運んできてくれるので,特に植林しなくても大丈夫らしい.確かにアカメガシワやカラスザンショウなどは,真っ先に生えてくる落葉樹である.私の住む里山だと,タラノキもどんどん増えている.ただ放ったらかしではダメだ.密度が高くなるのが良くない.定期的に隙間を作って光・空気・水の通り道を確保することが重要なのだ.木は色々なことに使える.最終的に燃やすとしても熱として利用できるし,灰も色々なことに使える.自然を利用することで,自然が保たれてきた訳だ.里山工学は,それを実証する学問.宿題は増える一方だが,面白いテーマばかりだ.
植物が生い茂り,草刈りが大変な季節である.放っておくとすぐに藪化してしまうが,美しい里山,美しい集落を維持するのにどこまで管理する必要があるのだろうか.人間が作ってきた棚田景観を見て,美しいと思う人は多いだろう.先日,石積みの専門家の話を聞いた.川には瀬と呼ばれる浅くなっている部分がるが,その川底における石の状況は,下流側は石積み,上流側は石張りと同じような構造ということだった.瀬は川の流れの変化点であり,水量が多くなっても形状が保たれているのである.石積みと川の瀬が結びつくとは思ってもみなかったが,水圧にしても土圧にしても,その圧力に耐える構造という点では確かに一致している.
私が借りている農地も基本的に石積みの段畑だが,石の形は大小様々で,隙間が大きいため草木が生えている.自然石をそのまま使っているので隙間がないように積むことなどは不可能で,野づら積みと呼ばれる石積みだ.幾何学的な美しさには程遠いが,曲線が多く柔らかな景観となっている.そんな石積みは,草刈りは大変だが,様々な生物の棲家となっているので,生物多様性が保たれている.
そんな農地にオリーブを植えたが,元気がなくなってきた.土壌細菌との相性が合わなくなったか,相性の悪い土壌細菌が増えてきたのかもしれない.よく見るとそこは,石積みではなくコンクリートで固められた場所だった.そこで土壌改良の方法を考えた.理想的には元のように石積みに置き換えるべきだが,コンクリートを崩して石を調達する必要があり,かなり難しい.コンクリートが何に悪さをしているかというと,土中内の水や空気の行き場がなくなるところにある.そこでオリーブとコンクリートとの間に暗渠を通して,水と空気の通り道を作ることにした.コンクリートと並行に深さ50センチほどの溝を掘り,そこに礫と竹を敷き詰め,埋め戻した.するとオリーブが徐々に元気になってきたのである.
お墓の脇に植えた枝垂桜も弱っていた.ここはコンクリートに覆われているわけではないが,地盤が固く,やはり水と空気の出入りは少なそうな場所である.なんでそんなところに植えたのか?と言われそうだが,当時の自分は地中の土壌細菌や水や空気の流れを意識できておらず,単にここに枝垂桜があれば,お墓詣りに来た人が心地よいだろうと考えただけだった.枝垂桜の周辺は,溝を掘れるような場所ではなかったので,やむなく移植することにした.移植したところは,除伐して日光が差し込むようになった斜面である.弱っていた枝垂桜は,元気を取り戻したようだ.
石積みの畑は,放っておくと次第に崩れていく.崩れた石積みは,石がその場に残るので,それを積み直して元通りにすることはそんなに難しくないだろう.ただ,石積みを元の通りに修復する必要はどこまであるのだろうか?石積みは,圃場を水平にする役割が大きい.水田にするには効果的であり,畑にしても機械化のためには水平となっている方が良いだろう.我々にしてみれば,大型機械を入れるつもりはなく,地形や地質を考えると水捌けの良い畑が適している.それであれば,水平を保った段畑である必要はなく,ある程度傾斜があった方が水の流れは良い.石積みが崩れたところは,水が集まるところなので,そこを無理に修復しても再度崩れそうだ.ならば崩れたところを低い石積みにして川の瀬のようにするのも良いだろう.そうなると規則的で整然とした段畑ではなく,変化に富む自然に近い状況となる.そんな農地を美しい景観と見てもらえるだろうか?そこがちょっとだけ気になるが,解ってくれる人はいると信じよう.
暑い夏がやってきた.熱中症警戒アラートが発令されるようになり,熱中症での救急搬送が増えている.患者の多くは高齢者のようだ.ニュースは連日,エアコンの効いた室内で過ごすように訴えている.我が家にエアコンはないが,標高200mの家の中は風通しがよいため,何とかなっている.都会でエアコンは必須ということだろうが,都会の家にエアコンがない場合どうすればいいのだろう.エアコンの効いた施設まで行くのも命懸けになるのではないだろうか.そして夜はどうしても自宅で乗り切るしかない.温暖化も進んでおり,最高気温が35度を越える猛暑日,最低気温が25度を上回る熱帯夜は増えている.ヒートアイランド現象も相まって,都市の夏は過酷であり,日本は高齢化が加速している.将来さらに深刻な状況になることが想像できる.
自分が子供の頃は,エアコンはおろか,クーラーすらなかった.実家は松山の道後温泉の近くで,風はあまり吹かない.そして家には風呂もなかったので,隣接する祖母の家の風呂を使わせてもらったり銭湯通いだった.当時は銭湯にもクーラーはなく,風呂上がりは扇風機に当たって体を冷やしたものである.暑い日は,水浴びや行水が心地よかった.そして風鈴の音を聞きながら縁台でスイカをかじる.今,そんな風景を今はあまり見ないが,水浴びは現代でも推奨していいんじゃないかと思う.今も夏場の草刈りは,途中何度も頭から水をかけて行う.ファンを服に取り付けた空調服が流行っているが,水をかぶるとファンやバッテリーが壊れそうで触手が動かない.
ところで,汗をかく力は3歳頃までに決まると言われている.それまでに汗をかけるようになっておく必要がある.つまり3歳頃までずっと冷房の効いた部屋で過ごしてしまうと,発汗機能が発達しないということになる.実家にクーラーが設置されたのは,1980年代で高校生の頃だったが,その頃の使い方は限定的で,1日中つけっぱなしということはなかった.家庭での電力消費量について調べてみると,2005年がピークで,1980年の二倍近くになっている.エアコン,冷凍冷蔵庫,電子レンジなど消費電力の大きな家電が増えた時代である.その後はわずかに減って来ているようだが,ほとんど横ばいで,地球温暖化への道はまっしぐらである.一方で,2003年に建築基準法において24時間換気が義務付けられた.換気とエアコンは別問題だが,換気すると外気が室内に入ってくるので,エアコンの稼働時間は,増えていることだろう.そんな状況だと,今の20歳代より若い人たちには,発汗機能が発達していない人もいる可能性がある.たまに学校行事や課外活動での若年層の熱中症も報道されているのは,そのせいのように思われる.
やはり里山での古民家暮らしは熱中症対策にもオススメ.古民家は,木と土で作られているためシックハウスになることはない.つまり24時間換気は不要.隙間風はあるものの,木と土は室内の湿度も抑えてくれる.厄介なのは虫の侵入であるが,蚊取り線香で何とかなっている.日中は水浴びしながら山仕事をして大汗をかき,夕凪の間にぬるめの風呂に入る.そしてヒグラシの大合唱を聞きながら夕焼け空を眺め,仕事帰りに買ってきたクラフトビールを味わう.夕食をとっている間に星が瞬きはじめ,夜風も入り始める.外にある便所に行くついでに,夏の天の川に挨拶してから床に就くのが例年だが,今年は80年周期で新星爆発が予測されている「かんむり座T」の状況を肉眼で確かめることもルーチンに加わった.ちょっと楽しみの増えた夏,孫もここで暮らしてくれると,健康にいいんだけどなぁ...
高度経済成長時代の日本は,電気製品や自動車など輸出産業が急成長し,どんどん円高となった.お陰で,モノが安くなっていったが,輸出産業が利益を出せなくなったので,海外に拠点を置く企業が増えた.どんどん安くモノが買えるようになった一方で,様々な自給率は低くなり,日本の産業の空洞化につながった.円安ということは,輸出産業には有利となる.ただ,自給率の高いものでなければ利益は少ない.
産業の発展と円高で物価の安い時代が続いたことから,暮らしも,多くのことをお金で解決させる方向に導かれてしまった.衣服はほぼ海外で製造され,糸を紡いだり,機織りするのは,わずかな工芸品だけになっている.食品にしても食材を購入する費用よりもインスタント製品やお惣菜を購入する費用の方が上回っているのではないだろうか.味噌や糠漬けを家庭で作る人はごく少数である.手間暇をかけることをお金で解決している状況には危機を感じてしまう.
里山暮らしを始めてつくづく感じることがある,お金ってズルいなと.為替レートや物価に左右されつつもお金が有利なのは,腐らないことにある.農産物は時間とともに劣化し,売れなくなる.おまけに一斉に同じものが実るので,値が高くならない.出荷すらできずに,捨てられている作物が多いのに驚く.農作物を効率よく換金させるには,時期をずらすことと,大量に作ることになっていく.ハウス栽培や機械化,肥料と農薬の依存度が高くなってしまう.のんびりと畑仕事をしたい人が多いはずだが,それとは程遠い働き方になり,せっかく就農したのに諦めた人も多い.貨幣経済においては,一次産業が最も不利で,三次産業が最も有利なのだ.
義務教育では,社会科,家庭科,生活科で金融教育が取り入れられ,さらに高校では資産形成についての単元も導入された.教育は,豊かな人生を送るためにあり,お金は豊さに必要だという理屈なのだろうか.お金を通して様々な価値について考えることは重要だが,金融資産形成となると行き過ぎの感がある.既にIT技術者を増やすべくプログラミング教育も取り入れられているので,薄っぺらい教育内容が増え続け,本来あるべき教育から遠ざかっているように思われる.
本質を理解することに力点を置いて欲しいものだ.豊な人生にお金はどこまで必要なのか.楽な暮らしとか楽しい暮らしは,お金で解決できそうな部分が多いかもしれない.しかし言葉を代えて,安らぎのある暮らしと愛のある暮らしだと,お金では解決できない部分が見えてくる.自分を理解してくれる人がいてこそ安らぎがあり,その人に喜んでもらえるような暮らしが,理想的である.そして暮らしの自給率を上げていくと,お金への依存度が低くなるので,お金の使い方が変わってくる.
我が家に来る人は,ここでしか体験できないことに喜んでくれる.野草を採取して火を起こし,料理して食べながら話をすれば楽しんでくれるので,人を招くのにもあまりお金は必要ない.となるとお金は,周りの人や周りの環境に使いたくなる.本当の意味の投資ではないだろうか.お金は投資に使うもの.この言葉だけだと誤解を招きそうだが,積極的に自分なりの投資をしていきたい.
もう30年くらい前にもなるが,高知工科大学に勤めることが決まった時,家族は皆喜んでくれた.高知工科大学は,やなせたかしの生まれ故郷の麓にあり,アンパンマンミュージアムも近くにあるからだ.カミさんは彼の大ファンなので,高知に赴任すると,ミュージアムだけでなく,ミュージカルショーにも家族総出で行ったものだ.そうするうちに,自分もやなせたかしの魅力が分かってきた.子供に大人気のミュージアムだが,4Fには原画や直筆の詩が展示されていて,大人もじっくり鑑賞できる空間がある.やなせたかし自身が描いた背丈以上ある大きなアンパンマンの原画はぜひ見てほしい.そこに吸い込まれそうになり,ぼーっと見続けたい作品がたくさん並んでいる.詩も心に刺さるものばかりで「人生喜ばせごっこ」は,最も感銘を受けた言葉である.現在,やなせたかしの生まれ故郷の近くで里山暮らしをしていることに,必然を感じてしまう.
もともと絵本との縁は薄かった自分だが,息子や娘が小さい時は,カミさんが買ったり借りてきた絵本を読み聞かせしていた.子供達の成長と共にまた絵本から遠ざかってしまったが,新聞やラジオを通じて気になる絵本が紹介されると,今も行きつけの本屋さんに注文して入手している.絵本は,絵とストーリーが一体となっていて,作家の意図が伝わるだけに感情移入しやすい.
先日,新聞記事で絵本作家かがくいひろしの展覧会があることを知った.可愛らしいダルマの絵本が代表作である.2008年発行なので,娘は小5.ちょうど絵本から遠ざかった頃だ.展覧会の場所はアンパンマンミュージアムに隣接する美術館.知らない作家だったので,カミさんに聞くと,それは行くべし,ということで早速カミさんと一緒に行ってみた.原画と絵本が展示されており,ダルマの可愛らしさだけでなく,原画の質感の深さに感動した.美術作家になることを夢見ていたかがくいひろしは,特別支援学校の教員となり,体が不自由な子供にも楽しめる絵本を目指し始める.50歳でデビューし,教員を退職して専業作家になったものの54歳という若さで急逝という背景を知った.彼の作品は,文字が少なく,想像を巡らせてページを捲ると,オチがある.これは彼の優しさからきているのだろう.会場の後半で,若かりし頃の作品を見たり,彼を取り巻く様々な人物のコメントを読み,最後に奥さんの文章に触れた途端,グッと込み上げてくるものがあった.やばい!
私は,楽曲を聴いたり映画を観たりしている時,感動すると涙が溢れてくる.年末に実家に戻って家族と見る紅白歌合戦ですら涙が溢れることがある.一瞬でも心の叫びを受け取ったような感覚になるとダメなのである.かがくいひろしの展覧会では,本人の言葉ではなく,作品とそれにまつわるエピソードからだが,彼は家族や仕事を通してやるべきことを自覚し,自分が本来やりたかったことが昇華されて絵本作家にたどり着いたことが理解できた.作品自体凄いものは,その背景はもっと凄い.かがくいひろしの作品との出会いは,いきなり展覧会だったので強烈だった.宿命に耐え,運命と戯れ,使命に生きる,という言葉を思い出した.
今年の桜は,開花が少し遅かったものの,一斉に様々な種類の桜が開花した.この時期は宴会が多いが,里山暮らしだと交通や宿泊で悩むことが多い.土佐山田駅から我が家まで20km,高知駅からだと35km.高知で宴会がある場合は,ホテルに泊まることにしている.タクシーより安上がりで,体も楽だ.土佐山田での宴会の場合もホテルに泊まることが多かったが,困ったことにビジネスホテルがなくなってしまった.タクシーで帰れなくもないが,タクシーの台数も激減し,深夜はかなり待たないと来てもらえない.大学まで歩いて行き,研究室で寝袋を敷いて寝ることもあった.寝袋なら公園のベンチでも構わないが,それはカミさんからキツく止められている.
ところで,古民家の改修事業に取り組み,古民家をリノベーションした施設が土佐山田にある.林業と建築のツアーで出会った人が経営しており,気になっていた.ちょうど委員会がその近くで開催されたので,早めに出発して寄って行くことにした.アポ無しで行ったがそこのオーナーや経営者が運良くいらっしゃって,施設を詳しく案内してくれた.古民家をコワーキングスペースやゲストハウス,賃貸住宅としてリノベーションさせていた.アンティークな感じの空間で,落ち着いて仕事ができそうである.ゲストハウスは1泊3000円と安い.「宴会の後,このゲストハウスで宿泊しても大丈夫でしょうか?」と尋ねると,問題ないとのご返事.これはありがたい.ゲストハウスは,広い居間の奥に2段ベッドが両脇に置いてある.寝台列車のような感じなので,旅人との相部屋空間として違和感はない.共同のキッチンや冷蔵庫もある.もしかすると寝酒に付き合ってくれる旅人もいるかもしれない.
早速先月,学生たちの送別会の後,そのゲストハウスに泊まることにした.寝酒用の日本酒を用意してゲストハウスに向かう.到着すると,私を待ち構えている人がいた.というか,そもそもこのゲストハウスは,気の合う仲間が集う拠点だったようだ.以前は学生も居ついていたという.寝酒のつもりだったが,新たな宴会の始まりである.この交流の出発点は,里山工学シンポジウムにある.里山というキーワードは,良い縁を運んでくれている.
ゲストハウスは,既に何度か利用させてもらっており,その都度楽しいひと時を過ごしている.ただ一つだけ難点がある.居心地が良すぎて寝酒のつもりの宴会を切り上げるタイミングが難しい.酔っ払いあるあるかもしれないが,宴会が始まってまもなくは,時計を見ても未だ全然時間が経ってないな,という感じで時の流れが遅い.それが酔っ払ってくると一気に時が流れ,気がつくと日付が変わっていたという時もしばしば.そんな時は大抵が二日酔い.そこでそれを回避するため,今ではあらかじめアラームを設定している.
ホテルやタクシーが減って困っていたが,私の前にゲストハウスが出現した.そのおかげで仲間たちと濃密な時を過ごすことができている.不便が良い縁を運んできて,豊さに繋がった.
今年度を振り返り,心に残った活動は,里山研究フィールドにおける氏神さまの本殿を移設したことである.里山研究フィールドは,大学から北へ4キロほどの山間部にある.2016年に大学で古民家を購入し,フィールド活動を始めた際,学生が山中に金嶺神社を見つけた.地元の人に聞くと,かつては9世帯が暮らす集落の氏神様で,毎年数回祭事が行われていたそうだ.現在この集落に住む氏子は一人だけで祭事は行われなくなった.ただ社殿には新しい榊が飾られていたので,お参りに来る人はいたようだ.その社殿は,山側屋根の損傷が激しく雨漏りしており,谷側の地盤は沈み,扉が開かない状況であった.このままでは数年で朽ち落ちる危険性があった.その状況を案じた建築の先生は,仮社殿を建立し,御神体を遷座させる提案をしてくれた,氏神さまの存続は,我々がフィールドで安全に活動する上でも重要なので,非常にありがたかった.仮社殿の場所を古民家の近くにすれば,お参りに来る高齢の人も楽になる.早速建ててくれた仮社殿は,単管と波板を使った簡易的なものだが,建築の先生だけあって荘厳さが感じられるものであった.それがきっかけで祭事も復活を果たしている.
金嶺神社の中には,江戸期に作られたと見られる本殿がある.御神体は,その本殿に祀られている.本殿も仮社殿に移動させたかったが,重量が100Kgほどあり,急斜面を担いで下すことは無理そうだった.そこで御神体だけ仮社殿に遷座し,本殿は金嶺神社に隣接する境内の脇に別の建屋を造り,そこに納めることになった.その建屋は動かしてもとの場所に移動させることを考慮し,タイヤを装着していることから,山車社殿と呼んでいる.
本殿は取り出した上で元の社殿を解体し,更地にして山車社殿を元の社殿の位置に戻す予定だった.社殿の取り壊しは完了させたが,山側の斜面の上にある御神木が弱り,倒れて来る危険性があった.2017年,樹木医に診てもらい,剪定を実施することとなった.御神木は胴回りが2m以上もあるコバンモチ.危険な作業となるので,森林ボランティアメンバーと足場を四方に組んで剪定をした.山中なので資材を運ぶのには相当苦労した.翌年は様子を見ることにしたが,葉がどんどん少なくなっていき,樹皮も割れてきた.2019年の梅雨時,とうとう御神木が倒れてしまった.せっかく足場まで組んで剪定したのに...本殿の移動予定地は,倒れた御神木と土砂に埋もれた.そこでまた森林ボランティアメンバーの手を借りて,御神木を撤去するとともに,境内周辺の間伐を実施した.日光を入れ,周辺の地盤に下層植生が繁茂することを期待してのことである.
2020年,新型コロナウイルスの影響で里山研究フィールドでの活動は停滞.ただ,御神木が倒れた斜面を安定させる時間としては丁度よかったようだ.斜面には低木も生えて来ており,間伐の効果は出てきた.2023年,満を持したように山車社殿を元の社地に戻したいという学生が現れた.ただ,軽く1トンを超える山車社殿をどのように動かすか,タイヤがついているとはいえ,社地に戻すには,何段かの段差を乗り越えさせなければならない.そこで,林業で利用されているハンドウインチ(チルホール)を使うことにした.1トンの張力があるウインチ2台をレンタルし,動滑車を2台着けることで負担はさらに少なくなる.ウインチ2台使えば移動方向も制御できる.
学生たちは,年末に社地の整地を行うとともに,排水のための水路も設置.最終的な山車社殿の移動は2024年の1月下旬となった.山車社殿の左右に2つの滑車を取り付け,アンカーとなる木を2本ずつ選び,ウインチで結ぶ.いよいよ動かす時が来た.2人の学生が息を合わせてウインチを操作する.動き始めた時はホッとした.だが,動く方向がよろしくない.ウインチを片方だけ操作してもらったが,どんどん谷側に近づく.一旦引くのを止め,人力で方向転換.10人がかりで何とか動いてくれた.ココ一番で人海戦術は頼りになる.動かせたい方向に進むようアンカーとなる木を変更.今度はウマイ具合に動き出した.順調に進む.山車社殿の移設は無事完了.あるべきところに設置された山車社殿は,風景にも溶け込んでいる.金嶺神社は,色々なドラマを生み出してくれた.そしてこのドラマはまだまだ続く.御神体の遷座,今後の神事の催し方,宿題はいろいろ残っているが,少しずつだが未来が見えてきた.
行きつけのビールスタンドでアルバイトをしている女の子から,「こんなツアーを企画したので参加してもらえませんか?」と声をかけられた.その子は林業大学校で勉強中で,将来は自伐型林業をやりたいという.昨年私が企画した里山工学シンポジウムにも参加してくれた.2日間のツアーの1日目は,ゼロウェイストホームを実践している方の自宅に行き,木造建築の設計を営む方が解説.2日目の午前は大規模林業と小規模林業の実践の場に出向き,地元で林業を営む方が解説,午後は移住して大工を営む方が実際に建てた家を見ながら解説するというものだった.
2日とも参加してみようと思ったが,1日目の後半は,別の講演会に参加することになっていたので,途中で退席した.その講演会は,生命科学の分野においてゲノム解析で著名な研究者が古民家について語るというもの.古民家は木と土で作られおり,材料のほとんどは,その土地のものが使われている.木と土は,気象状態によって乾燥したり湿ったりし,付着している様々な菌が活動しており,それを捕食する虫たちがいる.ダニ,クモ,アリ,ゴキブリだけでなく,ムカデやゲジゲジ,ヤモリまで出てくる.そんな生態系を構築しているのが古民家だ.ゲノム解析で古民家の生態が研究されているとすれば,非常に興味のある話題である.今の建築物の多くは,そのような生態系の構築を許さないものとなっていて,気密性を高くして外部と遮断する一方で,強制的に換気する仕組みをとっている.
講演の内容は,現在の科学技術の問題を提起し,地球上で活動する生命を曼荼羅を例に解説した後,農業を通して子供達を育てることが重要との話で締めくくられた.共感できる話ではあったが,結局古民家の話は出てこなかった.ゲノム解析の専門家が,古民家再生事業を行っている企業から招かれて講演に来たということだった.古民家の中に生命の曼荼羅が描けると確信できたにも関わらず,その話に繋がらなかったのが残念である.
さて,ツアー2日目はフルに参加した.林業の現場は知っていたが,自伐林業に従事している人から直接話をする機会はなかったので,大変参考になった.現在の大規模林業は,とにかく真っ直ぐの材を同じ長さで切り出していくというやり方である.農業でも真っ直ぐで同じ長さの野菜がもてはやされる.それは物流における効率性と加工における機械化への対応が背景にある.産業が機械化されすぎると,モノを通した連携が薄くなる.規格に合ったもの生産していれば,その先でどのように使われているか,気にしなくてもいい.受け取るほうも規格に適合していれば,提供する人の思い入れなどはどうでも良くなり,安いモノを求めてしまう.
一方自伐林業においては,切り倒した木を丁寧に観察し,利用に応じて適切な部位を適切な長さで切り出し,この材をこの大工に使ってもらいたい,そんな思いを込めて仕事ができるというのだ.今回のツアーは,木材の利用をテーマに据えたもので,木こりと大工の連携の重要性を訴えていた.それぞれ地元に根を生やして活動している人たちの話なので説得力に満ちている.世界的に有名な研究者より,地元で地道な活動をしている人の方が遥に尊いことを改めて知る良い機会だったし,地域に若くて良い人材が集まってきていることにワクワクした.特にこのツアーを企画し,実行したビールスタンドの女の子は,高知に来てまだ1年経ってない.とんでもない実行力の持ち主だ.彼女を中心に色々なことが良い方向に動いていく予感がする.
新年早々,能登半島で大地震,羽田空港で飛行機事故が発生し,とんでもない幕開けとなった.昨年は中古車販売会社や新車製造会社の不正,政治資金の不正が次々発覚し,日本の機能不全が感じられていただけに辛い追い討ちである.一方で我が家は去年,息子夫婦に第一子が誕生.私たち夫婦にとっては初孫で,名実ともに爺さん婆さんとなった.現在息子は中国で働いており単身赴任中で,孫と義娘は大阪で2人だけとなる.そこで,カミさんが子育てサポートのため大阪に行っている.里山での一人暮らしは寂しいが,週に1度のWebミーティングで孫の顔を見ることができるのはありがたい.このミーティングは新型コロナウイルスがきっかけで,2020年からずっと続けている.パンデミックで外出を控えるように要請され,松山に住む母親が心配だったことから始めた.中国から息子,松山から母親や妹家族,名古屋から娘も参加している.あれから3年以上になるが,人の動きに制限がなくなった今もこのWebミーティングは欠かしていない.新型コロナウイルスがなければ,このような習慣は続かなかっただろう.
Webミーティングでは,色々なことを試した.例えば風呂とトイレを改修した時,Webカメラを使って披露したり,天体望遠鏡にカメラを取り付け,星空観望会なども行った.Webミーティングを通しての観望会は,地域によって天気が違うため,その場で同じものが見えるとは限らないが,思いもよらないコラボレーションが生まれることがある.Webミーティングのタイミングで宵の明星と三日月が近づいた時,ミーティング参加者に西の空を見てもらった.松山で母親はその感激を俳句にし.私は里山から金星と月を撮影した.俳句の内容は,ひ孫が生まれることを楽しみにしているものだった.場所は違えども天体はどこからでも見えるので,晴れてさえいれば同時に感動を味わうことができる.後日,母親が筆で書いたその俳句と私の写真を重ねて作品に仕上げた.我々家族にしか分からない内容ではあるが,この作品は,家族の思い出として刻まれる.インターネットを通して,小さくても深い喜びに出会えるとは思っても見なかった.ネット時代が生み出した新しい感動である.
さて,里山での一人暮らしは結構大変である.大学の仕事は忙しく,暮らしが追いつかない.土日もイベントがあったりするので,しないといけないことが溜まり続けている.炊事・洗濯・掃除は何とかこなせているが,それ以外は後手になる.畑の管理は,カミさんが主担当だったので新規で増えた仕事だらけ.カミさんからは,大根とカブは順調かと連絡があるが,ほったらかし.こんな時,雑草の中で育てる自然農は効果を発揮してくれている.何週間も雨が降らない時でも,雑草が夜露を集めてくれているからか,作物は萎れなかった.一方,冬場は山仕事も重要で,裏山を間伐し,薪ストーブ用の薪を確保しなければならないが,後回しになっている.薪をストックする棚を作ろうと思っていたのに,これも後回し.まあ,薪ストーブを一人で使うのは贅沢すぎるので,今年は石油ストーブで凌ぐことになりそうだ.今ある薪は来年使うためにとっておこう.
一方で,周辺の方が一人暮らしの私にいろいろと気遣ってくれるのがありがたい.調理したものや野菜を分けてくれて助かっている.家族は遠くにいて当てにならないが,ご近所さんは本当に頼りになる.自分にとってのご近所さんは,親戚付き合い以上の深い間柄となっている.家族の絆は離れていても縁が切れることはないが,ご近所さんは物理的に離れることがないので,これも切れる縁ではない.こんな強固な縁を持てる里山暮らしを孫の代まで継承していきたいものだ.