各地の都市計画審議会を傍聴する

第1話

各地の都計審を傍聴する

いろいろな市の都市計画審議会を傍聴して歩く。

その都市の都市計画行政の真面目さが分かるが、

審議会のありようはたいして変わらないのである。

1.都市計画審議会ウォッチネット研究会活動

仕事場のオフィスを閉じてひまなので、2007年から、ときどきあちこちの自治体の「都市計画審議会」の傍聴をしている。

身近なまちづくりの大きなことや小さなことを都市計画法で決めるときに、この審議会が最後の判定をする。ここでOKが出ないと実質的には都市計画は決まらない。かなり重要な会議だと思うのだが、世に知られているとはどうも思えない。

それが証拠には、どこの市の都市計画審議会でも、かなり重要な議事であっても傍聴者がとにかく少ないのだ。稀に反対運動のある開発案件が議題にかかると、関係者の傍聴が増えることがある。そのようなときでも、その案件が終わると他の議案があっても傍聴者ががくんと減る。都市計画全般への関心ではないのが残念である。

まちづくり仲間が語らって、(NPO)日本都市計画家協会に「都市計画審議会ウォッチネット研究会」(通称タウンズという。TOWNS=TOKEISIN Watchers Network Society)を結成し、全国各自治体にある都市計画審議会を、その地にいる仲間が傍聴して、都市計画行政を評価しようという活動をはじめた。2007年10月のことである。

わたしもそのメンバーとなっていて、いろいろな自治体の都市計画審議会傍聴に行ってみると違いが分かって面白い。

傍聴させてつかわす、といわんばかりに、なにやらもったいぶって事前申し込みやら待機やらさせて、会議資料は見せるけど持って帰るなというところ(神奈川県)もあれば、当日その場で受け付けて資料は持ち帰りOK(横浜市)、会議予定や議事録などをインタネット公開しているところ、なんにも情報のないところ等、その自治体の都市計画行政の性格が表われる。

この審議会の委員は、大学教員、弁護士、都市計画コンサルタント、建築家などの専門家、関連業界団体の代表、市議会の議員代表、公募市民などから構成する。

いくつか傍聴してきて、どうも大学系の学識委員の欠席が多い傾向があるのが気になる。大学の教員は都市計画の専門家であるものが多い。

都市計画ではない他の専門家委員の意見も重要だし、議員や市民のようにまったくの素人感覚の目も非常に重要であるが、専門家の目が薄くなるのは問題である。

市議会議員が委員となることは、都市計画決定が議会の決議の外にあることの代償であろうが、市民から選抜された審議会委員としてこれはよいことと思う。ただし、あまりに素人的な質問をされると、これで議員としてよいのかと気になることもある。横浜市のように議員が委員総数のほぼ半分を占めると、これは多すぎると思う。

2.横須賀市都市計画審議会を傍聴

(1)傍聴者へのサービスがよろしい

県や市の都市計画を決めるにあたって、それぞれの自治体にある都市計画審議会(都計審)がその内容を審議して可否を下すのだが、その傍聴を趣味と実益を兼ねてやっている。

傍聴の目的は、第1は審議会の委員がきちんと審議しているのか、第2は議題となった都市計画の内容が適切なものか、ということである。

2008年6月、横須賀市の都市計画審議会を傍聴してきた。わたしは横須賀市では四半世紀にわたって仕事をしていたので、その日の議題となったいくつかの中の半分くらいは、わたしがかつて濃淡はあるがなんらか関わったことがある件である。それらがいよいよ都市計画決定することになったかと、回顧的な興味もあった。

会場は広くて、出席者全員の席に事務局説明の映像用ディスプレイがあり、傍聴者席にもあった。

どこの都市計画審議会でも、傍聴者は邪魔者あつかいされて、部屋の片隅にイスだけあり、資料があっても机がないから床におくことになる。その資料さえないこともある。

横須賀都計審では、傍聴者への対応はピカイチであった。

問題は、審議会委員の出席状況と審議状況である。どこでも学識経験者委員の欠席が多いのだが、ここでも全委員16名のうち9名が学識経験者、その内の5名が欠席している。

学識者といっても宛て職もあって、本当の専門家は大学系の4名で、その3名が欠席だから、司会もする会長のみが専門家であった。

(2)実質的な審議をしていない

中心市街地内での市街地再開発事業に関する都市計画決定案件が目玉の議案であった。

大規模な駐車場と超高層共同住宅ビルに低層部商業施設を組み合わせ、高さ150m、容積率850%といずれも基準値に5割もの割り増し緩和をする巨大な開発である。

わたしが見たところ、いろいろ審議しておくべきことがありそうだ。例えば、密集する繁華街でのこれだけ大規模なものならば、街並み景観のあり方(景観審議会はどうしたのか)とか、駐車場出入りで商店街の連続性が途切れるのをどうするかとか、駐車場への待ち行列対策とか、都心居住政策のあり方とか、今後同じような巨大開発ができる場合の対応策とか、市街地再開発事業特有の権利者等の状況とか、事業認可へのスケジュールとかである。

ところが素人ばかりだから、市の事務局側に素人質問をして、法制度解説の答弁をもらうばかりで、委員同士で審議はしないままに採決に入るのだった。ほとんど実質審議になってない。

その都市計画議案の内容についての評価をここではしないが、審議会については委員の見識が問われると思った。

計画案縦覧に対して一般からの意見書が出なかったそうだが、それならばなおさら審議会がしっかりと審議するべきだ。その上での原案通りの可決ならば、それなりに存在価値がある。

事前に分かっている議題だから、委員として法制度くらいは勉強して来なさいよ。分からなければ、事前に市当局に聞いいておき、当日は質問じゃなくて、委員としての意見を言うべきである。

もちろん素人感覚は重要であるし、専門馬鹿だけで審議してはろくなことにならないから困るが、素人談義だけの審議のようなものではもっと困る。

専門家が会長だけだったのだから、会長が審議内容をもっと提起するべきであると思ったのであった。

3.鎌倉市都市計画審議会を傍聴

(1)成熟時代の企業市民

『鎌倉においてこの15メートル高さ規制は、まず基本となることであり、産業界としてはやむをえないとして受け入れることとします』

これは鎌倉市のメインストリート若宮大路に本店を構えている鎌倉産業界を代表する委員の方の発言である。2008年1月の鎌倉都市計画審議会を傍聴したわたしの耳に入った要旨である。

これにはわたしは少なからぬ感銘を受けた。景観法による規制で、もっとも繁華な中心市街地に高さ15mを超える建物は建てられなくする議案に、産業界が賛成なのである。

どこの都市でも産業界は都市計画とは角突き合わせて、規制緩和ばかりをとなえる立場である。鎌倉もそうであったと仄聞したこともある。

それが消極的ながらも規制に賛意の表明なのだ。時代は変わったものである。成熟の時代の成熟する企業市民を見る気がした。

実は鎌倉市は神奈川県内では有数の工業都市であるし、また年間二千万人もの観光客のやってくる大商業都市である。産業界はこの都市の行方に大きな役割を持っている。

中心街での建物は例外なく4~5階建て程度までとする規制強化の議案を鎌倉産業界がOKするには、今後の都市のあり方を見据える大きな決断があったにちがいない。

今、大都市でも地方都市でも中心市街への人口移動が起きつつある。これからは良い環境の都市だけが、良い産業と良い顧客そして良い市民を呼び込んで持続する。

それは街の再生をもたらすだろうが、一方では的確にコントロールしないと、林立する共同住宅や商業のビルで環境悪化を再生産する。

現にドミノマンションといわれる将棋倒しのような住宅ビル群も各地でできつつある。京都、横須賀、東京銀座など各地の市街地で、建物高さ規制を広範囲にかける施策がでてきているのは、景観保全とともに都市の良好な生活環境を再生することを狙っているのだ。

人口減少と超高齢時代には、鎌倉のような質の高い都市へ人口の移動と集中が起きることが目に見えている。今回の規制強化の意義は、やってくる平成の鎌倉攻めへの要塞づくりとみることができる。1970年代にあったいわゆる昭和の鎌倉攻め苦戦の教訓が生かされたといえようか。

(2)理想と現実の狭間の鎌倉都計審

1月の鎌倉都計審はこの高さ規制を可決したのだが、実は鎌倉市では、これまで行政指導で15メートル規制してきたのである。それの法定化だから、わたしは簡単に決まるかと思ったのだが、これが意外にも簡単でなかったのである。

規制案を市民に縦覧して意見を求めたところ、意外にも賛成より反対の意見書のほうが多かったのだ。もっとも、原案賛成者はわざわざ賛成意見書を出さないものだが、それにしてもこの反対意見にどう対応するか都計審は苦慮した。

その反対意見のほとんどが、規制をもっと強化して10メートル以下にせよ、一律ではなくきめ細かに高さに差をつけよというものである。その意見は特に北鎌倉地区に多く、反対というよりも理想的方向への修正提案であった。

都市計画についてよくある反対意見は、規制そのものに反対するものであって、このような規制が緩すぎるという反対は珍しい。しかもその意見に多くの土地所有権者がいるのが鎌倉らしいというべきか。

ところが、これまで15メートル規制してきたから、現実には10メートルを超える建物もあって、これをどうするか問題がある。きめ細かく規制を決めるには更に時間がかかる。

その一方では、高層マンション開発の圧力に対抗するためには、早期に決めたいという現場の要請も大きい。

この理想と現実の狭間に都計審の論議がはまりこんだ。3ヶ月先の次回へ継続審議か。

そこに冒頭の産業界代表の発言である。これが膠着した論議を打開した。まず基本条件として今これを決めよう、そして各地区からの市民提案制度によってきめ細かな内容に変更しよう、提案には迅速に対応しよう。

審議会は原案通りに15メートル高さ規制で可決したが、「今後さらに質の高いまち並みづくり、きめ細かなルールづくりのために行政と住民との継続的かつ真摯な検討を行うこと」という付帯決議をした。

面白い都計審であった。傍聴者が10名いたが、前回が2名であったのと比べると、市民の関心も高かった。

(3)各地の都計審を傍聴する

知事や市長が決める都市計画は、県や市の都計審がOKしないと決まらない。その都計審をウォッチする会を、まちづくり仲間たちと作って、あちこち傍聴している。

都市計画法によって、都市の大きな骨格から身近なまちづくりまで基本を決めているのは実はここなのだが、世に知られているとは思えない。

かなり重要な議事でも傍聴者が少ない。開催日を平日の昼間から休日か夜に変えてみてはどうか。まれに反対運動がある問題案件がかかると傍聴者が急増するが、その件の審議が終わると他の議案があってもお帰りになる。都市計画全般への関心ではないのが残念である。

都計審によって各地の都市計画行政の態度がかいま見える。傍聴者に会議資料を見せない(高崎、熊谷、中野区)、見せるけど回収(町田、鎌倉、浜松)、持ち帰り自由(世田谷、八王子、武蔵野、横浜、福岡)などの違い、ウェブサイトで議事資料も議事録も全面公開(東京都、横浜)もあれば、公開皆無もある。

委員は、大学教員・都市計画家・建築家・弁護士などの専門家、業界代表、議会議員、公募市民などである。

いくつか傍聴してきて、どうも大学の都市計画系委員の欠席が多い傾向があるのが気になる。法律や環境等の関連分野の目や素人感覚も重要だが、ここは都市計画プロがしっかりしてほしいのだ。

県や市議会の議員が委員となることが法で決まっていて、各会派から出ていることが多いが、都市計画決定は議会の決議はしないので、市民から選抜された審議会委員としてこれはよいことと思う。

ただし、議会で市長に質問するような発言をされると、都計審では主体的に調査審議してほしいと思うこともままある。

注:本稿は、「かまくら春秋」(2008年4月号 鎌倉春秋社)に掲載した。

3.川崎市と藤沢市の都市計画審議会を傍聴

(1)傍聴は邪魔か

横浜市の隣にある藤沢市(2009年11月11日)と川崎市(2009年11月25日)の両都市計画審議会を傍聴してきた。

11月9日に横浜市都計審があったばかりだが、これらの審議会に同じ生産緑地地区の議題が出ているので、 場所は違っても事情はかなり似ているはずだし、制度上の矛盾は同じなので、どう審議するのか比較したかったのである。

川崎も藤沢も先ず会場に入ったときに困ったのは、傍聴席は椅子だけで机が無いことである。傍聴記録を書くのに、机無しではメモをとるのに困るのである。仕方ないので隣のあいている椅子を前において机代わりにした。

会場の広さはそれなりに余裕があるし、藤沢では使っていない会議用の長いテーブルが少なくとも4基はあったので、そばの職員に目顔で使いたいと訴えたがNOであった。

藤沢の会議資料の中に、本日のその他案件として「藤沢市都市計画審議会会議傍聴要領(案)について」がはいっている。その資料を読むと、「傍聴席は机と椅子を用意することが望ましい云々」と書いてあるのに、これはなにごとぞ。

川崎では、報道記者用は5席ぐらい空いたままだし、工夫すれば4~5席分は机のある傍聴席があってもよさそうなスペースはあるのだが、壁際にずらりと椅子が並んでいるだけである。

ほかの都市の審議会の多くもそうだが、川崎も藤沢も傍聴者をお添え者か邪魔者扱いしている感がある。

横浜市では、傍聴にかよっていたわたしが、机をくれと毎度訴えていたのだが、私が委員になった審議会から机つき傍聴席になった。委員になった効果かもしれない。

藤沢では、入る前に渡された「会議の傍聴要領」(お代官様のお触れ書みたいな禁止事項が羅列してあるA4の紙1枚)には、「会議資料につきましては、会議終了後、退出時に回収させていただきます」と書いてあったのだが、実際にはもちかえりOKといってくれた。今回から変ったのだろうか、今後ともそうしてほしい。

川崎では資料をくれたが、委員と資料が違うのは、こちらはモノクロ印刷であったことである。藤沢は委員と同じカラーであった。

(2)生産緑地の説明態度と委員の認識

生産緑地地区の案件を都計審でどのように説明するのか、11月9日の横浜市都計審と比較しようと思って傍聴に行ったのだが、両市とも横浜市よりもはるかに丁寧であった。

横浜市では概要説明だけで、30ヶ所以上あってもそれらについてほとんど説明しないし、地区ごとの図面さえない。藤沢市ではひとつひとつ地区ごとに都市計画図 が資料にあるし、説明用の画面にも映して、理由も説明していた。

川崎は60箇所以上も出しているが、資料には全部の図面がつけてあったのでよく分かる。委員の質問もその図面によるものであった。ただし資料説明は横浜なみの雑駁さであった。

これらの3都市を比較すると、横浜市があまりに雑駁過ぎることがわかった。

新規指定分生産緑地地区についての説明はしても、廃止した地区がその後どうなったかは、何も説明が無い。

指定の時には防災緑地や街区公園並みだから指定すると言いながら、廃止したらその機能はどうなるのだとは何も言わない。

また、この制度に関する都市計画手続きの無能さについて、誰も何も発言が無かったのは、それでもよいのだろうか、分かっているのだろうか。

私は事前に現地を見てきて、これらについて横浜都計審で愚直に毎回毎回発言するのだ。

川崎でも藤沢でも委員は誰も現地を見てないので、都市計画審議会の無能さと生産緑地跡地利用の問題が分かっていないのが真相であろう。

(3)委員の決め方は

藤沢でも学識委員の欠席が多すぎる。委員は全部で20名、出席したのは15名、欠席は5名のうち4名は学識経験者委員である。出席した学識委員の一人 (大学教員)は、一言もしゃべることなく途中退席した。

川崎では欠席者4名中、学識委員が3名であった。

藤澤市と川崎市の都市計画審議会委員名簿を見て気がついたのだが、委員の属性による人数配分が川崎と藤沢はあまり違わないのだが、横浜市はすいぶん違うのである。

大きな違いは、横浜の市議会議員委員が多すぎることである。また、公募委員はその逆であることだ。これをどう考えるか。

市会議員が委員に入っていることは、都市計画が議会審議案件ではないので、その代替として都計審に議員が入ることはよいことと私は考えるが、入り方や人数が問題である。

藤沢市や川崎市ではどのようにして議員枠の委員を選んでいるのか知らないが、横浜市の場合は名簿を見ると議長、副議長、各委員長であるから、宛て職で機械的に選んでいるらしい。

川崎市の委員は名簿に所属政党が書いてあり、各政党から公平に出ているらしい。横浜市では、多数会派ばかりとなっているようだが、それでよいとは思えない。

横浜の議員の委員の中には、発言する時にどこか議会の委員会のように、市当局に質問し要望するような言い方をなさる方がいる。

都市計画審議会はそういうものではなかろうと、違和感を持って聞いている。なんだか市長が議案を出していて、それを与党議員が"異議なし要員"として可決する雰囲気もなくもないのである。

川崎と藤沢では議員が少ないからか、そんな雰囲気はなかった。

ただし、これはいつもなにか提案をしては否決されるこちらの僻目であることは、もちろん承知している。

横浜市のように議員の数が多いと、審議会の日程が議会の日程で決まってしまうことにならざるを得ない。

議員で半分近くを占めていれば、会長と議会の都合日程だけで審議会決めても、出席定足数は足りるということになる。

だから忙しい学識経験者委員は後回しになるので欠席が多くなる、という言い訳が通じることになる。

ましてや公募市民委員はどうでもよろしい、って、こともないのだろうが、どこかおかしいと感じるのである。

横浜市 藤澤市 川崎市

学識経験者 12 11 10

市議会議員 10 2 4

市民(公募) 2 5 3

その他 2 2 3

計 26名 20名 20名

4.シンポ「開発審査会・建築審査会のあり方を考える」

(1)シンポジウムのきっかけ

ここでは都市計画審議会のことを書いているのだが、都市計画や建築に関連しては開発審査会と建築審査会がある。

2010年1月11日午後、建築学会で「開発審査会・建築審査会のあり方を考える」というシンポジウムがあった。

集まったのは60人くらい、都市・建築系の学者が一番おおく、ほかは弁護士、コンサルタント、まちづくり運動家などである。

シンポジウムを開く所以は、都市計画家の稲垣道子さんが、2008年まで2年間、東京都の開発審査会の委員をしていたが、1期2年の任期で再任されなかったことに始まる。

通常は慣例で2期以上、4期までは委員を務める。これまでの例では、当人がやめると意思表示したときは1期だけだった人もある。稲垣さんの場合は、当人の都合でもないのに1期だけでクビとは、いったいどういうわけか。

稲垣さんは不再任の理由を、文書で都側に求めたのである。審査会の委員の任免の透明性は、都市計画の公正なる執行の基本にかかわることだからである。

都からの回答は、任免権者の勝手でしょ、みたいなことを担当課長が電話で言ってきたきり、文書回答は来ない。

そこで、稲垣さんを知る都市計画に携わる専門家らが、大勢の連名で不再任理由についての開示を求める文書を都知事宛に出した(わたしも加わった)。これもなしのつぶて。

(2)奇妙な不再任の理由

そこで、ある都議の紹介で、稲垣さんと文書に連名した世話人の大学教授と弁護士とで、猪瀬副知事を訪問して事情を訴え、聞いた。

猪瀬さんが事前に担当課長に不再任の理由を問うたところ、それは稲垣さんが審査会でいったん裁決したことを2回もくつがえしたからである、とのことだった。

稲垣さんに言わせると確かに1回はあったが、2回もあった記憶はない。その1回は、ある開発行為に関する不服申し立てについて審査会は棄却裁決してから裁決書の検討段階で、稲垣さんが適用するべき法の条項を誤っていることを発見した。その条件だと不服審査を認める必要があるので、再審査を求めたのであった。

その指摘はそのとおりなので、臨時審査会が開かれた。結論は、それはそのとおりであるとしながらも、不服審査請求は棄却となった。棄却反対は稲垣さん一人。

一昨年から去年にかけてのこの経緯をもって、都市計画関係者が集まって話をしようということになったらしい。

(3)委員の役割は

これがなぜ不再任の理由になるのか。法に基づいて適切に審査する委員を、どうして都は忌避するのか。都も他の委員も分からなかったことを指摘するのが、どうしていけないのか。わたしにはさっぱり分からない。稲垣さんはもちろん憤懣やるかたないだろう。

審査会とか審議会とかいうものは、原案を提示する市長や知事側事務局が意図する方向に納まるべきものと考えているらしい。その意図に反して、質問やら意見やら異議やら言う委員は邪魔なのである。

わたしがもうひとつわからないのは、その都の審査会の他の委員は、稲垣さんの不再任問題をどうとらえているのか、と言うことである。

既に稲垣さんの後釜委員は決まって動いているのであるが、そのあたりは何も知らないのか、知っていてもほお被りなのか。都市計画の世界は狭いから、知らないことはあるまい。

(4)専門家は無謬か

シンポジウムの基本的なテーマは、審査会のあり方、特に委員に関してどうあるべきかということにあったのだが、話は学者は制度論に、活動家は現場論にと、マクロとミクロが入り乱れた。問題はいろいろ分かったが、まとまるものにはならなかった。3時間半ほどでまとまるものでもない。

学会だから学者専門家が多。どうも学者専門家は誤謬の無い善なる者であるという前提があって話をしている様に聞こえた。一介の市民であるわたしのひがみ根性のせいだろうか。

例えば、審査や審議に市民参加をさせることが重要と言う発言があったが、どこか専門家はよく知っているのだから市民を導きたいと聞こえて、高みから見ているいい方が気になった。いわゆる専門馬鹿問題は根深いのだが…。

学者専門家は本当によく知っていて、役割をしっかり務めているのか、それなら都市計画コンサルタントである稲垣さんが指摘したような再議問題は起きないはずだ。

(5)すぐできることからやれ

今回の会議で、わたしの参考になったことは、発言者の中に、制度や基準に合いさえすればよい、という行政あるいは審査会や審議会の態度への疑問を提起されたことであった。

横浜市の都計審委員をやっていて、現行制度や基準に対する問題点をきちんと採り上げて、とりあえずでも解決策を探ることが必要であると、いつも思っている。

例えば、生産緑地制度のような、都市計画を馬鹿にしている法制度は、法がそうだから仕方ないとはいわないで、運用でナントカしたらどうだ。制度として必要なら、法改正を待たずに条例で決めればよいはずだ。

あるいは意見書の対する決定権者の見解書が木で鼻をくくるような書き方であるのを改めるとか、そのほか、疑問点のある事柄は、どんどん附帯決議としてつけて、審議会意見をアピールすることだってできるはずである。

行政が事なかれ主義というばかりか、審議会や審査会が事なかれ主義におちいっているかもしれないと思う。(100113)

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