第2編第2話都市を造り直す

まちもり叢書 街なかで暮す 第2編いらないバイパスの街 伊達美徳

第2話 都市を造り直す

1.人口減少時代の都市へ

(1)都市をなぜ造り直すか

①社会構造が大変化する21世紀日本

21世紀前半の日本は、人口減少、超高齢化、国際化、産業転換などの大きな社会変化に直面し、20世紀後半とは異なる時代に入る。

都市は人間社会の入れ物であり、都市計画とは、社会システムの反映を地域ごとの特質の合わせて形作るための地域構造システムである。したがって、社会の変化に機敏に対応してもっとも最適解となる計画を作る必要があり、その使命を帯びている。

特に20世紀日本が人口増加に対応して都市を拡張・増強してきたのに対して、21世紀には人口減少が進むとともに、世界でも有数の超高齢社会が急激な速さで出現する。

このようなときに、これまで人口増加の中で働き盛りの世代がつくりあげてきた日本の都市構造のままでは、社会が成り立たなくなるおそれがでてきている。

しかし、日本全体では人口減少が起きるが、各地が均質に減少するのではなく、地域ごとに格差が大きくなる。人間は社会的動物であるから、一定上の密度や規模の都市に集まる傾向があって都市を造る。これからの日本では、働きやすい暮らしよい都市に向かって、大きな人口移動が起きるであろう。現に大都市に向かう傾向が顕著になりつつある。そのときに備えた都市計画が求められる時代となっている。

一方で、20世紀末の日本の産業構造が重厚長大型から高度情報産業へと大きく転換してきていることや、国際化の進展による流通構造の大変化も、人々の働き方や産業の立地条件を変えており、都市計画による機敏な対応が求められている。

これらの社会を揺るがしつつある要因が、都市の造り直しとなって表われている。

更にまた、1995年は阪神淡路で、2004年は中越で大震災が発生し、現代の都市の地方も災害にはもろいことを露呈したのであった。災害に強い都市への作り直しも現今の都市計画の大きな課題である。

②日本の都市に何が起きているか

概括的に言えば20世紀日本は人口を倍増してきたが、21世紀日本はそれを半減して元に戻すことになる。

20世紀後半になって人口の都市地域への集中と産業の集中立地政策を行ったために、居住と産業市街地のスプロール的な拡大とともに、高密度化対策、田園地帯侵食防止が課題となったのであった。

この課題に対応するために、まずは太平洋戦争による戦災からの復興都市計画事業が行われたことが、もっとも都市計画らしい都市計画であったが、それは全体から見れば都市の一部に過ぎず、20世紀後半の戦後都市計画は問題あと追いの苦難時代となった。

既成市街地を改造して増加する人口を吸収する施策は遅れ、都市近郊の山林田畑を開発して計画的なニュータウンづくりを行う一方で、侵食的にスプロールする市街地対策は後手に回ってコントロールが効かず、その一方で中心市街地が空洞化するにいたった。

産業立地対策は、戦前から住宅と工場との混在がそのままに続いてきた市街地は公害問題がありながら解決は難しいままに、新たな大規模な工場立地は都市計画とはかならずしも適切に連動しないままに、臨海部や田園地帯に工業地帯や団地を形成していった。

これら拡大する市街地を通勤や物流のために相互に結ぶ交通システムが必要となるので、自動車の普及が進むとともに、道路・鉄道等の公共交通網は投資規模と効果の問題もあって後手に回り、交通渋滞と通勤地獄そして環境問題を生み出した。

21世紀となった今、それらの市街地では工場は海外に移転が進み、ニュータウンはオールドタウン化し、郊外スプロール市街地では世代交代、伝統的中心市街地は疲弊する等、20世紀に作り上げてきた地域は空洞化と希薄化の傾向が顕著となってきている。

この傾向を的確に社会の変化ととらえて、都市計画によって新たな社会基盤を作る必要があるが、それは20世紀のように新たに造るのではなく、地球環境の課題としてとらえ、これまでに造ってきた都市を改造し、保全し、使いこなしていくことが求められる。それが走り続けてきた20世紀日本から、成熟し停滞し下降する21世紀日本の都市計画である。

(2)人口減少時代の都市へ造り直す

①人口の減少と偏在

日本の総人口は2006年10月には1億2775万人であったが、2005年12月をピークとして、国立社会保障・人口問題研究所の人口推計によれば、日本の右肩上がりの人口増加の趨勢は終わって、ついに人口減少時代に突入したと見られている。2050年には9200万人~1億人程度と予測される。

人口減少傾向は、地域ごとに異なる様相を持っている。東京とその周辺、大阪周辺そして沖縄県ででは増加傾向となり、特に南関東では2030年には全国の28%以上を占めると推計されているが、そのほかの地域では減少が進む。自治体ごとの推計は近年に合併があったので正確にはできないが、合併以前の推計ではその9割で減少し、5000人以下が3分の1を越えるとされる。

つまり大きなゾーンで見れば、大都市とその周辺地域の都市への人口の移動と偏在が起こることになる。これに対応する都市計画はどうあるべきで、どのように都市を造りかえるべきであろうか。

これにはわたくしたちはどこで暮らし、どこで働くかという基本的な課題がある。暮らすところと働くところあるいは学ぶところが、一定の地域内にあって便利で快適な環境であることがその基本である。暮らすところが拡散して、遠くに通勤通学し、遠くに買い物に出かけなかれ場ならないような、現代の都市構造は果たして今後とも続くのであろうか。

②空洞化する市街地

住宅とは、本来は誰もが保持すべき基本的人権として社会政策であるべきを、戦後日本の人口増加に対する住宅政策を経済政策として進めたために、居住のための空間はいびつにならざるを得ない配置となった。

庶民はやむを得ず安い土地を郊外へもとめ、環境を後回しにした不便な小住宅と小住宅地群が郊外へ郊外へと造られていった。

逆に都心部では高い土地を細分化して安価な狭い住戸の共同住宅(中高層住宅と木造賃貸アパート)が供給されてきた。

そして人口減少時代となるとともに住宅の老朽化が進むと、共同住宅や住宅地に空き家が増え、空き店舗が増えて空洞化が進むと、コミュニティも生活も維持できなくなる。

自動車による移動が希薄な住宅地を支えているが、それも限度があるし、高齢化が進むと難しいことになる。世代交代すると、不便で狭いところに住むべき理由はなく、もっと便利で快適な住宅に移ることになる。

一方では中心市街地が空洞化しているが、ここには道路や学校、商店街などがそろっている。

③都市を再編成する

このふたつの社会的変化を結びつけて都市を再編する都市計画が必要となっている。それが都市を造り直すことのひとつであり、政策としてたとえば中心市街地活性化法(2006年制定)がある。

人口減少に備える都市計画の重要な課題は、20世紀に人口増加に対応して拡大してきた市街地を、人口減少に対応してコンパクトに縮小することである。移動は自動車があるから人口減少しても拡散のままで良いという説もあるが、拡散のままではコミュニティが保てないし、移動のためのエネルギー消費は環境や資源問題ともなっており、超高齢者が増えると自家用車による移動は困難となる。あるまとまりのある範囲での市街地の再編成がどうしても必要である。

(3)超高齢化時代の都市へ造り直す

①世界一の超高齢化

日本の人口のうち、65歳以上の比率(高齢化率)は2005年に20%を超えた(14歳以下は13.7%)。国際的な定義として、高齢化率が7%を越えた1970年から高齢化社会に入り、14%を越えた1994年から高齢社会となった。

今後の推移見込みは、高齢者人口は2020年まで急増し、その後はおおむね安定する。一方で、総人口が減少するので高齢化率は上昇を続け、2015年には26.0%、2050年には35.7%に達し、国民の約3人に1人が65歳以上の高齢者という、世界一の超高齢社会が到来する。

高齢者人口のうち、前期高齢者(75歳未満)人口は2016年をピークにその後は減少に転ずる一方、後期高齢者人口は増加を続け、2018年には前期高齢者人口を上回り、増加する高齢者数の中で後期高齢者の占める割合は一層大きくなる。大きな問題は、太平洋戦争直後のベビーブーマー(いわゆる団塊の世代)がいるために、この高齢化のスピードがあまりに速いことである。

現在でさえも諸政策が追いついていないのは、既に介護医療問題に見るとおりであり、今後問題は拡大する。都市計画も例外ではない。

このような高齢社会に関してどのように対応するかについて、高齢社会対策基本法第2条において、次のような社会の構築を基本理念としている。

・国民が生涯にわたって就業その他の多様な社会的活動に参加する機会が確保される公正で活力ある社会

・国民が生涯にわたって社会を構成する重要な一員として尊重され、地域社会が自立と連帯の精神に立脚して形成される社会

・国民が生涯にわたって健やかで充実した生活を営むことができる豊かな社会

これらの基本的な考え方に対する都市計画はどうあるべきで、どのように都市を造りかえるべきであろうか。

②生活コストの低廉な都市へ 日本全体に関して高齢化の状況を前に述べたが、実際には都市ごとに異なった構成となっている。たとえば、高齢化率は大都市では低く、地方都市では高いし、都市の郊外地では低く、中心地では高く、農村では特に高い傾向にある。 高齢者が増加すれば社会におけるその維持コストがかかるようになることであり、年金問題に見るように社会が支えきれなくなるおそれがある。都市計画の役割は、高齢者の生活コストの低廉な街に造り直すことである。 それは、現在のような拡散市街地ではなくして、高い住宅所有維持コストや交通移動コストがかからず、減少してゆく労働力として再び参加しやすい都市である。それはまさにバリアーフリー都市である。特に労働力率が低下せざるを得ない少子高齢社会において、高齢者の就業は経済の活力としても重要なこととなる。 たとえば、コンパクトな市街地かつ快適な環境として配置すれば、生活や移動コストは低下し、体力は減退しながらも熟練した能力の高い高齢者たちが社会参加できる。③都市をたたむ都市計画 人口減少の超高齢社会となれば、人々は便利な都心へ移り住むようになってくる。高度成長時代に開発したニュータウンがオールドタウンとなって、共同住宅の狭い住戸やエレベーターのない中層建築は空き家が続出している。 これらを建て直して環境改善する団地再生プロジェクトが行われてきているが、全ての郊外団地がそれに対応できるとは限らない。ところによっては、その街をたたんでしまうことも必要になるであろう。山村では既に起きてきていることが、団地だけではなく小集落や小都市の市街地でも廃村現象が起きる可能性は、日本の人口が半分になる時代だから十分にありうる。 都市計画はこれにどう対応するか。これまでは都市を開発改造することが都市計画であったが、次の時代には都市を縮小廃止することも都市計画となるであろう。ニュータウンならば、計画的に元の山野に戻すのである。これは単にその場所を転換するだけではなく、そこの機能を他に再配置することも必要となり、他の地域とリンクして成り立つ計画であり、急激な変化を避けて長期にわたる計画となる。

(4)都市の産業の場を造り直す

①分離型土地利用と産業土地利用転換

都市には人々の居住の場とともに、人々が生きる糧を求める働く場がなければならない。働く場とは、物品や情報の製作から流通にいたる多様な段階に対応する場があり、製作の場は工場であり、流通の場は商業や業務の場となる。

19世紀末から日本が近代化を推し進める時代の製造業は、繊維を中心として住工混合の家内工業に支えられていたが、近代工業化が進むと工場を居住地から分離する方向へと都市計画が進められるようになってきた。産業革命が世界で一番初めに起きたイギリスで、このような住工分離を行ったことが都市計画の端緒であった。

更に工場だけではなく、商業や業務地も住宅地から分離する、地域ごとに商業系、工業系、住居系の各用途に地域区分を行うゾーニング土地利用計画と、これらを結ぶ交通網計画が都市計画の中心となる。

1960年代後半からの高度成長期において、このゾーニング計画による産業系土地利用は、都心部で商業系として商店街やビジネス街を形成し工業系として臨海部や郊外地の工業団地などが形成された。近代化時代の町工場や繊維産業のように都市部市街地内に立地していたものの多くは、淘汰されながらも住工混在型で操業を続けていった。

20世紀末になって、国際化による高度流通と技術革新による高度情報化を受けて産業構造が大きく変ってきた。それまでの大規模工場団地や市街地内工場における産業機能の海外移転や業種業態転換が起きてきた。

典型的な例は市街地内の紡績や製糸のような繊維系大工場が廃業して、商業系施設となることが全国各地で起きた。あるいは工業団地の工場が海外移転して空き地の団地になり、跡地に郊外型ショッピングセンターが登場している。臨海部の倉庫や工場あるいは駅前の貨物ヤードが、流通構造の変化で機能を転換して住宅や商業となることがしばしば起きてきている。

21世紀になって、ますますその傾向は著しい。これらも都市の造り直しの都市計画の仕事である。

②産業転換と都市計画

ここで起きる課題は、これら工業系土地利用となっていた場所が、機能転換するときに都市計画としてどのように新たな土地利用に適切に誘導し、適切に事業化するかということである。

たとえばその周辺が住宅市街地であった場合に、転換する機能が同じく住宅ならば大きな問題はないが、巨大なショッピングセンターや娯楽施設となると、開発事業者と周辺地区住民との摩擦による環境問題が起きてくる。この転換計画を適切に規制し誘導することが都市計画の役割である。そのときに事業者と住民との意見を調整することも都市計画であり、強権を持って事業内容を規制することも都市計画である。

このときの都市計画の手法には、新たな土地利用を規制誘導する地域地区等の変更や指定とともに、新たな開発を的確に行う市街地開発事業の適用がある。

③住工混在型都市計画

もう一方の産業的課題は、住工混在型の家内工業として続いてきた伝統産業や生業としての町工場が衰退してきているが、その保全と振興策をどうするかである。あるいは生業として中心商店街も同じような状況にある。機能混在を否定する都市計画であったために、それらの成り立ちが難しくなってきているが、その一方では町工場での職人技術こそが21世世紀日本がアジア諸国とは異なるものづくり産業の生きる道とする行き方があり、中心商店街を生活コミュニティ中心として求める時代となっている。都市計画はこれにどう対応するか。

この場合は、一気に大きな土地利用転換するのではなく、建て直すとき徐々に市街地が適切な方向に造り直されていくための都市計画として、地域地区指定よりもきめ細かい地区計画、特別用途地区の指定あるいは建築協定の締結等の手法を適用する。その内容は、たとえば工場と住宅の並存を一定の範囲で許容する、あるいは店舗と住宅の併設を義務付けるなどを、都市計画決定や条例などの強制力を持つシステムをバックにして決め、都市機能の回復を図るのである。

④高齢社会における労働力立地型産業

日本の産業における21世紀の大きな課題は、少子高齢化による労働人口の減少である。特に団塊の世代といわれる約700万人に及ぶ戦後ベビーブーマーたちがリタイアする2007年ごろから労働力減少が著しくなり、産業は労働力立地の傾向を持つようになると見られる。

産業の立地は資源と労働力及び交通の条件に左右されるが、アジア諸地域に安い労働力を求める目的で出て行った産業は、今やその地域のテイクオフにより目的を失いつつあり、むしろ高い能力のある国内立地を求める傾向にある。

産業が求める労働力は高齢者と女性にシフトするであろうが、今後落とし生活者が増加すると見られるとき、産業も都市ない立地の傾向が出てくるであろう。新たなコンセプトによる住工混在あるいは住工近接の時代が始まろうとしている。ある工場や商業施設の跡地が、新たな機能の工場となる可能性がある。そのようなときに、産業立地を都市計画としていかに受け止めるかが課題であり、都市計画による適切な誘導と規制が必要となっている。(2007年2月)

2.コンパクトシティへ

(1)低密・外延化する地方都市

20世紀の都市計画は、人口増加と自動車の普及に対応して進む市街地の拡大圧力を、いかに適切にコントロールするかが命題であった。

市街地の拡大は、困った現象を地方都市にもたらしてきた。郊外部に立地した大規模店舗に街なかの商店街が負けて閉店してシャッター通りになった、市役所や病院などの公益施設が郊外に移って不便になった、郊外に大学が移って通学が不便になったなどなど。どこにも公共交通機関のアクセスは不十分なままで、自動車がないと暮らせない。

住宅も自動車があることを前提に、中心部から郊外に移っていくので、ますます中心部は空洞化する。郊外住宅地とはいえ、田園を虫食いにつぶして希薄に拡散しているからコミュニティ形成が難しい。

車を運転できない子どもは通学にも遊びにも誰かに車に乗せてもらうしかない。高齢者は病院に行くのさえ難しい。郊外に移った頃は若かった住民も高齢化して自身が買物にも医療にも困る。

雪国では、郊外まで広く除雪する費用が財政を圧迫する。地方都市は人口減少になって郊外にも街にも空き家が増えている。

今、人口減少と超高齢化時代に突入して、この自動車がなければ暮らせないような、密度薄く外延化した非効率な生活圏と就業圏のままで、都市を維持するコスト負担に耐えることができるのだろうかという問題に直面しつつある。

これまでの拡大を促進する都市計画のあり方を見直し、かつての賑わいある便利な中心市街地を再生してコンパクトな生活圏を取り戻すべきとの考えが20世紀末からでてきた。

(2)まちづくり三法の失敗

1998年に「大規模店舗立地法」によって大型店の設置にあたっては、立地環境に配慮するように規制し、「中心市街地活性化法」によって中心部の活力再生を図り、更に「都市計画法」に郊外部への立地規制策(準都市計画区域、特定用途制限地区、特別用途地区指定等)を盛り込む改正をした。

これらを合わせて通称「まちづくり三法」といわれ、中心市街地が再生する切り札と鳴り物入りだったが、実態はまったくといってよいほど、全国のどこの中心街も再生への効果が発揮さなかった。

その原因は、大店立地法は狭い範囲で立地規制しか効果を発揮しないので広域立地規制には役立たず、中心市街地活性化法はこれまで失敗を繰り返した商店街振興策と変りなく、都市計画法による立地規制策制度はほとんどの地方自治体で政治的に適用できなかったからである。

特に都市計画の施策がなされなかったことについては、その決定権者である市町村長の都市計画への関心の薄さとともに、都市の将来を見据えないままに市町村相互の調整ができずに大型店誘致競争にはまりこんだことにある。

郊外政策と中心政策とをなんら連動させないままに、郊外部の拡大策と中心街の活性化策を平行してやって来たことに、おおきな失敗の原因がある。

(3)コンパクトシティへ

この失敗したまちづくり三法の反省のもと、2006年に中心市街地活性化法を大改正して、商業政策中心から市街地での生活圏づくり政策へと方向転換した。

これまでに国に届け出るだけだった「中心市街地活性化基本計画」は、単なる事業の羅列で効果がなかったので、改めて各自治体が基本計画を作り直して、国で内容を審査してその実効性を認定したものについてのみ積極的な支援策を講じることとした。

同時に都市計画法も改正して、大型店のみではなく大規模な施設あるいは病院や福祉施設等の郊外立地規制を強化して、これまでの原則立地可としていた基本的あり方を変えて、原則として立地不可に転換した。

つまり、商業系の地域指定外の地区に大規模施設が立地するには、自治体は規制を解除する新たな指定をする必要がある。これは都市計画が規制をすることができる施策から、規制を解除する施策に転換をしたのである。

こうして中心部の活性化促進策と郊外部の開発規制策とがようやくセットなり、コンパクトシティ政策が登場した。

成功すれば21世紀型の便利な生活圏をもつ都市構造に再編成できるが、端緒についたばかりであり、自治体の長や住民がこの政策を採るかどうか、まだ見えないところがある。

たとえば、しかし、規制する大規模施設の床面積規模が1万平方メートル以下というのだから、大型店は3敷地3棟に分けて3万平方メートルの出店を図るに違いない。

あるいは原則立地規制を解除する制度も用意されているから、自治体の長によっては、財政難と雇用拡大を理由に市街地拡大型の当面の都合による政策をとることもあるので、先行きは不透明である。

●事例:浜松市中心市街地土地区画整理事業

静岡県の中核都市・浜松市ではJR浜松駅を中心とする中心市街地のほとんどの区域を土地区画整理事業によって整備をしている。戦災復興により既に終了地区もあれば東地区のように進行中の地区もある。東地区は古くから市街化が進み戦災にあったが、整備未着手で戦前の細街路構成のままで、都心部の発展が阻害されていた。地区の健全な発展と活性化を目的として1987年から土地区画整理事業にとりかかった。街路や公園整備とともに官公庁が立地する「シビックコア地区」、静岡文化芸術大学等の教育施設の立地する「教育文化ゾーン」を設けている。

●事例:飯田市橋南地区再開発事業

長野県飯田市は人口約10万7千人の地方中心都市。中心市街地は1947年大火後に都市基盤整備済みだが商業も居住も空洞化は進んだ。生活・交流・仕事の体化したまちづくりをめざし、居住人口の回復をテーマに地域初の分譲共同住宅による拠点再開発に取り組んでいる。

●事例:日田市豆田活性化事業

大分県日田市は人口6万2千人の小都市。JR 日田駅の南にある豆田町商店街は古くからの中心地であったが、1970年代から駅北の近代化した駅前商店街に押されて衰退の途をたどっていた。80年代後半から市民たちが中心となって、伝統的な街並みや地場産業を活かし、昔からの行事を復活し雛祭り等の新たなイベントも立ち上げた。地元主導まちづくりで商店街は再生し、今では年間約50万人の観光客が訪れる拠点的な観光地として再生した。 (080329)

小論は、『初めて学ぶ都市計画』(伊達ほか編著、2008年3月、市谷出版社)に掲載した原稿に、本サイト用に一部手を入れたものである。

第2編第3話 街に帰ろうへ

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