●耕して天にも谷底にも至る
カトマンヅからポカラまで西に続くプリティヴィ街道も、
そこから南にルンビニまでのシッダルタ街道もバスで走った。
ネパールでは、南部のタライ平原のほかはどこもかしこも山である。
日本とそれほど違わない気候帯だから緑豊かなはずだが、
どこかしこも山は禿げているし、貧弱な植生ばかり。
それは山々を等高線に沿って丹念に切り刻んで段々畑をつくるからだ。
山岳の中腹を走る街道の両側の谷と山には、
見上げれば耕して天に至り、見下ろしても耕して谷底に至る、
幾重にも幾重にも重なる段々畑がどこまでも続く。
その棚畑のなかにレンガあるいは割石積みの小さな家が散居している。
その段々畑を作ってきた人間の労力にあきれると共に、
なぜそこまでしないと生きられないのか不思議にさえ思う。
一戸当たり農産物の必要量と、段々畑の生産高が関係するのだろう。
それほどに単位面積あたり生産力が低いということか。
段々畑の山村
フォトエッセイ・異文化への旅
ネパール風土逍遥
消えゆく森林
写真と文 伊達美徳
天にいたる段々畑
(クリックすると4枚の画像が次々と登場します)
●広がる段々畑に消えゆく森林
段々畑にするには樹木は伐採するから急傾斜地のほかは森林は消滅に近い。
残る森林から落ち葉をかいてきて牛の糞と混ぜて堆肥にし、
立木の幹や枝葉を薪にして煮炊きや暖房の燃料に、
緑の枝葉を切って家畜の飼料にと、残る森林も人間による収奪が著しい。
山地の段々畑の作物は、トウモロコシ、ジャガイモ、ヒエなど。
棚畑にしづらい急斜面にようやく茂る森林っも燃料として伐採され、
伐採後は牛や山羊の放牧で乾季には草も生えない。
急斜面の草地には斜め網目状の規則的な模様がついているのは、
牛や山羊が急斜面を斜めに登りくだりする踏み跡なのであった。
そうやって草も幼樹も食い尽くすから、森林は育たない。
実はこれはヨーロッパルプスの草原高地と基本的には同じである。
緑の高原に見えるアルプスの山々もそばで見ると、
牛や羊の放牧で土地はでこぼこ、その糞だらけであった。
ヒマラヤ山地ではシャクナゲ群落の花が美しく観光資源である。
樹林を伐採した跡に生える草や木を牛や山羊が食うのだが、
シャクナゲは毒があって食わないからはびこった結果だという。
美しいシャクナゲの花は森林破壊のもたらす風景なのである。
ネパールの国土保全はこのままで大丈夫なのだろうか。
こちらはスイスアルプス高地 こちらはネパール高地の段々畑
牧草の生えた牛や羊の放牧地 等高線にそって丹念につくった段々畑
スイスの高原は遠くから見ると美しいが ネパールの段々畑にならない急傾斜地は
実は動物足跡でボコボコ、ウンコだらけ 山羊や牛が草を食いつくして足跡が網目のよう
●日本にも段々畑と棚田の時代があった
いまはほとんどが耕作放棄されて森に戻りつつあるが、
昔は日本でも幾重にも重なる段々畑や棚田の山村があったものだ。
ネパールでは規模が日本と比べ物にならないくらいに大きく高く広がる。
佐渡の千枚田は耕作棄されて、今は文化活動として保全中
越後の山古志の棚田は中越大震災から機械を使って復旧したので直線的風景
●道端のお休み所チョータラ
山の方では緑の森が消滅する方向だが、街に中には面白い緑の回復がある。
道の中や道ばたのところどころに1本か2本の独立する巨木が登場する。
常緑樹の先のとがった薄い葉のインドボダイジュや、
厚い長円形の葉で幹から気根を垂らしたベンガルボダイジュである。
その根元を石積みの基壇がぐるりとりまき、祠や共同水道があることもある。
これはチョータラといって道行く人々の共同の休憩所であるが、
結婚とか葬式とかの人生の節目になる時に個人が寄付してつくるそうだ。
その快い木陰にボンヤリと昼寝している老人たちもいれば、
共同水道には子どもや女たちが水汲みをしながら井戸端会議をしている。
喧騒な街のメインストリートでも田舎道でも、これはなかなか絵になる風景だ。
堂々たる菩提樹のチョータラ(ポカラにて)
チョータラの下で屋台をかこんで朝ごはん(ポカラにて)
公共の道路に個人が寄付して憩いの場をつくるなんて、これはすばらしい。
バクタプルにはパティという共同の休憩所が街角のそこかしこにある。
チョータラとパティよく似ていて、うるおいある風景をもたらしている。
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