あとがき

資料をゆるゆるとさがしながら、1年ほどかけてここまでまとめてみた。

父の戦争だけのつもりで始めたが、戦死した参三叔父のことをぜんぜん知らないことに途中で気がついて、その遺児である磯田道子さんに手紙で教えてもらった。

父も叔父と同じ運命になるはずを、紙一重くらいの時間差で命運を分けたと知っておどろいた。

わたしは大学卒業研究が建築史であったごとく歴史好きだが、専門領域のほかの歴史は大局の流れに興味があり、その教養的書物は持っていても個別の戦史とか戦記とか軍隊にはまったく興味がなかった。

父の手記を読んでいても、出てくる用語や地名がわからない。

そこでまず日中戦争史をあれこれとにわか勉強し、後半は太平洋戦争史の勉強も必要となり、父や叔父の動きの背景や位置もある程度はわかり、歴史認識も深まった。

戦争関係の資料は、あるところにはあるものだと、その数量と多様さに驚いたが、どんぴしゃりを探すことは大海で針を探す如くである。

専門領域ではないし、学術調査ではないし、ドキュメンタリー作家でもないから、資料あさりはせいぜい図書館どまりのつもりであったが、ちょっとがんばったのは防衛省防衛研究所戦史資料室に2回足を運び、「しょうけい館」なる傷痍軍人団体の会館にも行ったことだ。

それにしても、わたしのいくつかの人生の宿題に加えてこの新宿題を見つけて、初めての分野の資料探索をどうしようかと思った。

だが、インターネット時代はすごいもので、何も知らない情報のありかをどんどんと教えてくれる。反対に事によって容易に探せないことも分かる。

もうちょっとがんばれば、父の戦友の遺族の方に問合せする方法もあるし、更に父や叔父のいた場所に行ってみることもあるだろうが、そこまでやる気はおきていない。

ただ、松田町は近いから、遊びがてら行ってみた。

これをやっていて、この5年ほど中越震災復興支援活動の真似事でいっている長岡市法末集落の90歳になる長老が、インパール作戦の生き残りと聞いて、父とは違って本人の言葉で記録を残してみようと思いついた。

4回にわたって6時間ほどのインタビューをしたが、これは参三叔父のフィリピン戦線にも勝る凄惨な戦場であった。まとめて記録にしてあげたらたいそう喜ばれた。ちょっとよい副産物であった。

3人の戦場を調べて、庶民が兵士として戦争にどのように巻き込まれるか、それなりにわかった。

いくつかあるわたしの人生の宿題の中のひとつが、とりあえず一段落したことになる。

最後になったが、幼馴染の従妹・磯田道子さんにお礼を申上げます。 (2010.2.26)

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神主通信兵伊達真直の手記を読み解く

父の十五年戦争

附 田中参三叔父の戦場

初稿2010年3月10日

改訂2010年4月11日

原著 伊達 真直

編集・解説 伊達 美徳

連絡先

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電話090・5802・3384

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