B級横浜観光ガイドブック
(1)寿町界隈
横浜の戦後復興の残照を関外地区に見る
(2010年4月初版、2012年12月一部修正補足、2016/08/07一部訂正)
B級横浜観光ガイドブック
目 次
石川町駅ー寿町ー松蔭町ー扇町
長者町ー山田町ー永楽町ー真金町ー横浜橋商店街
曙町ー伊勢佐木モールー若葉町ー黄金町
日の出町ー福富町ー吉田町ー都橋商店街ー野毛
前口上
「横浜B級観光・関外の巻」に、ようこそ。
おみ足をおはこびいただき、ありがとうございます。
今日のコースは、みなさまよくご存知の、港とか山下公園とか中華街とか馬車道などがある関内、あちらには全然行きません。
あちらは横浜A級、今日はB級にご案内です。
そう、関外だけです。
関外ってのは、読んで字の如く関内の反対ですね。
関内とは昔々の開港当時に四周に掘割を巡らせた、 外国人居留地の地域です。出入りする時に通る橋に関所を設けたので、その関の内なんですね。
だったら関外は、その外の地域全部ってことになりますが、通常はJR根岸線あたりから西の平地の地区内を言います。
横浜観光というと、港のある関内のほうがいつもとりあげられて、それがA級観光です。
関内観光の基本テーマは「横浜の開港と近代化」って感じですよね。
そちらに対抗するために、 本日の関外ツアーの基本テーマは、「横浜戦後復興の残照」としましょう。
なんでB級なんだ、 どうして残照なんだと、お思いでしょうが、それはひと回りして見れば分かります。
あらかじめお断りしておきますが、わたくしは似非ガイドでございます。
このあたりに住みついて、日頃うろちょろしているわたしの散歩コースを、ちょっとひねってご案内するだけです。
B級の上に似非がつけば、これからの行く先のいい加減さに、あらかじめお覚悟なさっておいてくださいませ。
では参りましょう
●横浜B級観光本日の全行程地図 (石川町駅から桜木町駅まで赤い点線)
◆横浜B級観光本日歩く関外地区街の航空写真
寿町界隈
ドヤの街からヤドの街へ
石川町駅ー寿町ー松蔭町ー扇町
まずは
ここは根岸線石川町駅、ご存知の方には、あのオシャレな元町商店街への駅でしょうが、今日はそんなA級と関係のない、B級にふさわしい北口改札集合といたしました。では、横浜戦後の残照をもとめて、西に向けて参りましょうか。あ、そっちの高架下の大きな道じゃなくて、あっちのB級にふさわしい小トンネルをくぐりましょう。
●駅のそばにラブホテル街
このトンネルってB級SF世界への入り口みたいでしょ。さて、くぐりぬけて出たところ、ご覧の様なキンキラど派手建物群、そう、ラブホテル街でございます。
いつからこうなっているのか存じませんが、いやあ、すばらしい。どなたがこのようなデザインをなさるのでしょうかねえ、専門の建築家がいらっしゃるんでしょうねえ。
もちろんここは残照よりも、これから日が暮れてからのほうが景観がすばらしいですよ。あらためてお二人でおいでになってはいかがですか。
あ、またあとで別のラブホテル街にもお案内しますから、もう適当に行きましょう。
●寿町は日本三大ドヤ街のひとつ
あの大きな道を渡ったあたりから、寿町ドヤ街が始まります。
ほら、海運関係の看板が多いでしょ、つまりここは横浜港の荷役会社がたくさんあるところのようですよ。寿町に労務者が多くいて、その宿舎のドヤが一杯あるってことは、そういう横浜の港としての歴史があるんですね。
東京の山谷、大阪の釜が先と並ぶ3大人足寄場といわれましたね。
で、このあたりのビル群をご覧下さい。ワンルームマンションみたいでしょ、でもこんなに建てこんで、いかにも日当たりはわるそうです。
これらが現代のドヤ、つまり宿の隠語ですね。正しくは簡易宿泊所です。
中廊下の両側に5㎡、3畳間ひとつの部屋がズラーッと並んでいます。
●ホステルビレッジ
あ、どうです、今晩ここに泊まっていらっしゃっては、。
「横浜ホステルビレッジ」といって、このドヤ街にあるいくつかのドヤビルの空き部屋を改装して、1泊3000円でホテルとして提供している会社があるんです。
ほら、ここがその共同フロントですよ。わたしは一度だけですが泊まりましたよ。こちらの林会館というドヤビルの最上階でね、5平米の部屋にテレビとエアコンと布団だけで、シャワーと便所は共同でした。
実はわたしはここから300mほどのところに住んでましてね、なにを物好きなってことです。そう、物好き友人たちと体験しました。そのときも今日のようにB級似非ガイドをしました。 ときどき物好き仲間を集めて、B級横浜観光似非ガイドをやっております。
●普通の街へ
そのホステルビレッジってのは、もとはNPOの地域支援活動から出発したのでした。そのリーダーたちはこういっていました。
「多様な人が今の寿の町の良さを残しながら、何かを排除してのまちづくりではなく、懐の深い街として、現生態系を残しつつ、街の元気さを取り戻してゆきたい」
ちょっと言い回しが硬いけど、アメリカの大都市のようなジェントリフィケーション、つまり貧乏人を追い出して金持ちだけが住める街にするって、あれじゃないやり方で、町の再生をしようってことらしいです。
事実、その運動の若者たちの活躍で、この4年くらいで街は見た目は清潔になってきましたね。
歴史を知らない外国人バックパッカーは、平気で泊まり歩きまわるし、ときにはスポーツ少年団がとまったりすることもあるそうです。
そうするとあまりほかと違わない街になってきて、近所の人たちも、以前は駅に行くのに遠回りしていたのが、今では通り抜けるとか。
1泊1200円から2500円、この一帯にはそれが8000室もあるんだそうです。そのうちの6000室ぐらいに常時宿泊者がいるとか。 誰が泊まっているのかっていうとですね、
昔は港で船の荷物の上げ下ろしの荷役、その後の景気よかった頃は建設現場の仕事で日雇い暮らしをしてきた男たちだそうです。 横浜は港町として発展してきたので、港で働く人たちが大勢必要だったし、特に戦争直後はこれが大きな雇用の場だったのですね。 戦後復興の港は、日本の復興となった朝鮮戦争の兵站基地でもありました。 まさにある時期には、この労働者たちが横浜を支えたのでした。
そのひとたちが、ここで空間も時間も肉体も平行移動して、いまじゃあ高齢独身者の群れになっているのです。そのうちの8割くらいが、生活保護費を受給しているんだそうですよ。
消えようとしてる残照ですね。先々どうなるんでしょうかねえ。この町は。不況になるとよそから新たな住人がやってくるし、ほかを追い出された障害を持つ人が来たりして、なかなか難しいことになってもいるようです。
こちらの「さなぎ食堂」は、NPOが経営しています。なんでもどこかのコンビニエンスストアと契約していて、そこでの期限切れちょっと前の売れ残り食品を入れてもらい、再調理して出すのだそうです。だから定食350円と450円です。
さて、こちらの大きな建物の上は市営住宅、下は福祉センターなどの公共施設です。ここの広場はきれいになっていますが、つい数年前までドヤにも泊る金の無いホームレスの人たちが焚き火をして暮らしていました。
今は、あそこの屋根の下にドヤにさえ泊まれない人がダンボールで暮らしています。あ、じろじろと見に上がっちゃいけません。
●場外ギャンブル
あ、そっちの暗い路地には入らないほうがよいですよ、私設場外馬券売り場らしいですよ、その筋の経営の「ノミ屋」さんね。
わたしは地元の方に連れられて通りましたが、なんだかコワイような。
このあたりで派手な格好で歩く女性の方は、その筋のご関係者のアネゴと思われるかもしれないとか。 あちらに大きな白いビルがあるでしょ、 あれは 「ボートピア」といって公認のばくち場、場外舟券売り場です。 2009年にできましたが、これでここの何軒かのノミ屋さんがなくなるのかと思ったけど、いまだ健在ですね。よくわからないけど、仕組みが違うんでしょうね。 あ、こっちの大ビルディングの工事は、ドヤの新築らしいですね、まだ需要あるんですねえ、不景気が続いている証拠ですね。 さあもう、次に行きましょう。
◆寿町のことは次を参考のこと
・さなぎ食堂」http://blog.goo.ne.jp/sanagikitchen/
・横浜ホステルビレッジhttp://yokohama.hostelvillage.com/ja/index.php
・B級横浜観光で見たことhttp://homepage2.nifty.com/datey/kotobuki.htm
つぎは
長者町ー山田町ー永楽町ー真金町ー横浜橋商店街