長津江水電株式會社 長津江第一發電所

~事業紹介~

―長津江水利利用―

赴戦江水力の開発並びにこれを利用する大工場の建設は当社の経営、事業を一躍世界的水準に達せしめたが、更に長津江の大水力開発及びこれを利用する多くの大化学工場の建設は既設備の全能力運転を可能ならしめたるのみならず、当社の将来に無限の発展を約束するものである。極めて低兼にして且つ、豊富なるこれ等の電力は如何なる工業をも成立せしめ、如何なる競争にも堪え得しめ、若しこれに加えるに優秀なる技術と時宜に適したる事業の経営を以てすれば、必ずや抜群の成績を示すことは言を俟たざるところである。

赴戦江の水源は内地の各発電所に比較すれば、甚だ豊富ではあるが、早期多年に渡る時は未だしの観なき能はざるものがあった。興南大工場百年の繁栄を期するために当社は竿頭更に一歩を進めて長津江の水利開発の大工事に着手したのである。

然しながら、長津江の出力を以てすれば既設の興南工場の需要はその半数にして余裕なところがある。即ちこれが利用のためにも当社は一層化学工業他、凡ゆる工業部門に向かって勇往万進しなけらばならない。長津江の水利は赴戦江のそれに比較して緩やかに大きく極めて有利なものであるが、大なる資本と優れた技術と特に発生せる電力の有効な使途を有するものに非ざればこれを開発利用し得ない。当社は多年三菱に属していたこの水利権を獲得し、昭和8年6月、長津江水電株式會社を創立して工事に着手した。

―長津江水電株式會社―

長津江水電株式會社は完成後、約30数万kWと予定せられる長津江の水利を開発する使命を以て当社の全投資により昭和8年4月創立せられた。その電力の使途は約半数は当社の関係の事業に使用せられ、残りは一般に供給せられるものである。

各発電所の竣工後出力は以下の如くである。

~第一發電所~

第一期 108000kW

第二期 144000kW

第三期 180000kW(終戦により将軍様によって着工)

~第二發電所~

第二期 106000kW

第三期 140000kW

~第三發電所~

第三期 47000kW

完成後 53000kW(計画によるもの)

~第四發電所~

第三期 28000kW

完成後 40000kW(計画によるもの)

又、送電線は以下の如くである。

~送電線~

平壌送電線 200km

本宮送電線 45km

清津送電線 83km

元北送電線 300km

成山送電線 90km

―長津江に於ける地形-

長津江の地形はその根本の態様に於いて赴戦江と略略同一の形を成している、即ち海抜1200mの黄草嶺に源を発する長津江は北流10里にして渓谷に入り、更に高原を貫流し赴戦江を合して鴨緑江に注ぐのである。この渓谷地帯に大堰堤を設け、約100方里の流域を有する本流を堰き止めて大湖水を造り、これを隧道に導いて分水嶺の山腹を貫き日本海岸に落として30万kWの電力を得るのである。

赴戦江と共に東洋第一を誇るこの大難工事も赴戦江に於いて最も適切な経験を自ら直接体得した当社は直ちにそれを長津江に応用し、且つ既設の赴戦江發電所の電力を思うままに馳駆して第一期工事は非常なる短日月で記録的成功を収めて竣工し、目下第二期工事を鋭意遂行中である。

―建設軌道―

長津江堰堤、隧道その他諸種の工事に用いられる膨大な工事材料は殆どインクラインによって海抜1060mの工事場に運び上げられる。後に新興鐡道株式會社により並走して長津線として長津湖の観光用として整備するものである。

―工事に関して―

工事費は第一期2900万円、第二期完成までには更に3500万円、合計6千数百万円の巨額に達するが、当社は第一期工事は全部朝鮮窒素肥料株式會社の償却金を以てこれを賄い、第二期工事も同様にこれを賄い得る予定である。30数万kWの大發電所を新たなる投資によることなく、自らの利得金で建設し得ることは技術の成功と共に当社事業の将来を磐石の安きに置くものと言えよう。

この大堰堤工事を短日月に完成するために設備されたる機関は次の如く、赴戦江工事と同様の大仕掛けなものである。

工事の準備設備の大様を示せば次の如くである。

~運輸設備~

蒸気鉄道 延長 77km

鋼索鉄道 延長 7km

その他

主要付替え道路 延長80km

移転家屋数 400戸

~工事用動力設備~

電力 容量6000kW

工事用送電線 60km

工事用電話線 亘長 200km

~砂利採集用機関~

運搬用鐡道 50フィート

12トン蒸気機関車 2輌

ガソリン機関車 7輌

砂利用ダンプカー 140輌

スチームショベル 3基

~コンクリート混合用機関~

大型混合機 7基

ガソリン機関車 4輌

コンクリート運搬車 20輌

その他巻上げ機クレーン等

―長津湖―

長津湖も赴戦湖と同じく自然の河流が堰き止められて成った人工の大湖水である。周囲約40里、面積約100方里の流域の水は長津湖に集まって谷を充たし低地を埋めて湖水と化している。

長津江の全流を堰き止めて大湖水を出現せしめている大堰堤は赴戦江堰堤にしても長津堰堤にしてもその高さと長さがあまりに大なるため、一枚の写真によってその雄大さを示すことは非常に困難である。(でかすぎると言うこと)全景を写真に収めるためには遥か遠き山頂よりこれを写さねばならず、従って周囲との対象上肝心の堰堤が小さく見えてしまう。その壮観は現地に来て親しくこれを見るより他あるまい。

完成後の堰堤は次の如く赴戦湖と共に東洋一の名を冠せらるるものである。

周廻約40里、面積3方里半に及ぶ長津湖は赴戦湖と共に人口の湖水として我国第一であるのみならず、浜名湖より大きく、淡水湖としては琵琶湖に次ぐ雄大なるものである。長津江の本流に沿って高原を走る新興鐡道の終点「泗水駅」付近より湖岸に達し、モーター船に乗って新湖水を縦断して大堰堤のある葛田里に至るには約一時間を要する。堰き止められた河水が自然の低地に従って湛水したものであるから、水深浅き箇所には大木の樹硝が水面に露出しているが、大風一度吹けば波浪を生じて40里にも及ぶ大湖水であるので汽船の航行も困難となりとてもこれが人工の貯水池とは思われない姿をなしている。

―長津江堰堤 嵩上げ工事(第二期工事)―

長津江堰堤を第二期工事として嵩上げ工事を行い、高さを50m余りに有効貯水量を6200立方mを増すとする。

―長津江發電所―

長津江發電所の規模、能力は総合計30数万kWの大出力をする。その中第一發電所は既に運転を開始し、第二發電所は目下建設中であるが、更に第三、第四發電所と建設される予定である。長津江水電株式會社のこの膨大なる電力の半数16万kWは当社の赴戦江發電所のものと共に興南工場に送電され、諸化学工業にその大部分が消費される。残余の一部は当社の送電線によって成南、成北一帯に供給せられ半数の役16万kWは朝鮮電氣事業統制の方策に基いて鮮内有力電氣會社と当社との共同設立に係る朝鮮送電株式會社に供給せられ、遠く平壌、京城等の大都市に送電せられる。既に平壌への送電は開始せられているが、今まで工業に恵まれなかった朝鮮におけるこの安価大量の電力は新資源の一と言うことができるであろう。

長津江第一發電所は画期的の大事事業たる長津江発電工事には全て国産の機械器具を採用した所は、例えば長津江第一發電所に於いては水車一基53000馬力のものが5基、40000kVAの発電機が5基を備えて正に東洋第一、世界屈指の偉容を誇っているのである。第一期工事を了った現在では既に3基の発電機が轟然たる鳴り立てて108000kWの電氣を発電しつつあるのである。

長津江水電株式會社の第一發電所は成州郡下岐川堡庄にあり、長津江水電の建設本部は程近い東庄にあって赴戦江第一發電所の松與里の如く、従業員のために種々なる施設がある。社宅、小学校、病院、郵便局、倶楽部等のいずれも暖房、水道等の設備は皆備はりこの大発電事業の根拠地として永く繁栄するものと思われる。

長津江第一發電所

長津湖 航空写真より望む

※2018年現在

長津江堰堤 航空写真より望む

※2018年現在

長津江取水塔 航空写真より望む

※2018年現在

長津江第一發電所 全景を望む

※写真左上道路の直角部分から駅マークのところまで

長津江第一發電所 サージタンクとその下のバルブ室を望む

長津江第一發電所 建屋を望む

※建屋目の前は堡庄駅(新興鐡道)

長津湖 山頂より全景を望む

長津湖 泗水駅付近の船着き場より取水塔を望む

※船は巡視用

長津湖を望む

第一期工事中の長津江堰堤を望む

※インクラインが両岸に見える

第一期工事中の長津江堰堤を視察する久保田豊

※右から2番目の人である。

第一期 竣工間近の長津江堰堤を望む

第一期長津江堰堤 越水により水しぶきが大規模に発生を望む

第二期工事 嵩上げ工事中の長津江堰堤を望む

長津江インクライン

※左側のが建設軌道 右側が新興鐡道の長津線

長津江第一發電所 取水塔を望む

長津江第一發電所 取水塔を望む

長津江第一發電所 ?谷暗渠及び隧道を望む

長津江第一發電所 工事中の隧道を望む

※出水により排水作業中

長津江第一發電所 竣工した鉄管路を望む

※右が久保田豊?

長津江第一發電所 工事中のサージタンクを望む

長津江第一發電所 バルブ室、敷設中の鉄管を望む

長津江第一發電所 バルブ室と引出鉄管を望む

長津江第一發電所 鉄管敷設風景を望む

※急勾配且つ、長距離

長津江第一發電所 付替え道路よりバルブ室、据付中の鉄管を望む

※我国最大の鉄管路は2.8kmに及び、4条である

長津江第一發電所 7割鉄管据付工事完了 対岸より望む

長津江第一發電所 建屋及び据付中の鉄管を望む

※建屋手前が堡庄駅(新興鐡道)

長津江第一發電所 全景を望む

長津江第一發電所 工事中の発電室を望む

長津江第一發電所 竣工後の発電室を望む

電業社より納入されたペルトン水車 我国最大

長津江第一發電所 制御室を望む

長津江第一發電所 下岐川變電所及び、全景を望む

下岐川變電所を望む

※右方向が平壌送電線、左方向が興南送電線

岐谷開閉所を望む

赴戦江送電線、長津江送電線を集結後に興南變電所へ送電する

長津江水力事業 全断面図

赴戦江水力及び長津江水力 全体図

長津江水電 常務取締役 久保田豊

※以前は赴戦江發電所建設に従事

長津江水電 常務取締役 久保田豊

※以前は赴戦江發電所建設に従事

長津江水電 常務取締役 久保田豊

※日本に帰国後に日本窒素と共同にて現在「日本工営株式会社」を設立

~感想~

長津江第一發電所の建設は興南工場の需要に応じて・・・と言うよりは将来的な施設増大による電力需要増加に対応するためにと、予備發電所として建設されたのがよくわかります。この頃すでに余剰電力になっていたのではないかと思うところが多々あり、石炭が大量に産出されていることから、火力発電所の運用もかなり多かく、その低負荷運転時には赴戦江の第一、第二揚水場に電力を供給していたので、興南工場を省くと需要は少ないものだったようです。説明文中にも興南工場以外には化学工場が少なく・・・と記載もあったので、まだ開発が思うように進んでいなかったのも背景としてあるようです。

長津江發電所からは長津江水電株式會社として別会社を設立していることから、責任分担点をここで日本窒素、朝鮮窒素から分離させていますが資本金は全て朝鮮窒素から出資されているので日本窒素には変わりはないです。後に常務になった久保田豊さんも長津江發電所のことを話していますが、赴戦江發電所建設に関してはネット社会と言う現在でも一切記載等はないので、日本工Xもかなり伏せているのではないかと思います。

現在、長津江第一發電所の様子を見るとかなり荒廃しているのであまり重要發電所として利用されていないのかもしれません。ただ、下流の發電所は当時は第二發電所建設で日本で記録されたデータにも停止していますが、現状確認のところ、第五發電所まで建設されているので、かなり将軍様によって建設が続行されたのだと思います。ただ、起案、建設計画が戦後に破棄されているのに対し、何故建設が続行できたのか、少し疑問点がありますね。

誰が関与しているとは言いませんが、何かしら日本の企業が内密に建設しているのは確かな様です。

平成30年4月8日 執筆