朝鮮石炭工業株式會社 灰岩工場 ~水素添加法人造石油製造~

~事業紹介~

朝鮮石炭工業株式會社

朝鮮石炭工業株式會社は昭和6年以来、朝鮮窒素肥料株式會社に属している永安工場の事業を継承すべく昭和10年に創立されたものであるが、昭和11年頃より灰岩工場の建設に着手するや、永安工場はこの分離として朝鮮窒素に復帰させ、専ら灰岩工場の事業に全力を挙げることとなったのである。

創立 昭和10年3月18日

旧本社所在 朝鮮 咸鏡 北道明川郡 西面三郷洞

現本社 朝鮮 咸鏡 北道慶興郡 上下面灰岩洞

資本金 1000万円 全額振込

所有工場 灰岩工場

鉱業所 阿吾地鉱業所

低温乾留事業(石炭直接液化事業)

低温乾留事業の大工業かについては当社は先駆者として幾多の努力と犠牲とを担って今日に来たものであるが此処に百尺竿頭更に一歩を進める時機が到来したのである。即ち我海軍に於ける石炭直接液化法による重油、揮発油の成功である。当社の灰岩工場に於ける事業は安永工場における多年の苦心と経験とを基礎として現代化学工業界の最高峰石炭直接液化事業を征服せんとするのである。

吾人の知るところではこの事業の大工業化に成功したものは世界にドイツのイーゲー染料工業株式會社とイギリスの帝国化学工業株式會社の二社に過ぎない。しかしこれ等の研究設計は各国の有能なる科学者の参興を求めて頗る大袈裟な仕組みで数千万円の研究費を投じて初めて達せられたと聞いている。イギリスのビリンガム工場のスタートにはマクドナルド樞相が態々祝賀の演説をなしたとの記事も目にした。この事業に国家的重大関心が拂われている一例と言えよう。

当社の灰岩工場の事業は帝国海軍の研究になる我国独特の発明方法によりこれに要する諸装置機械も全て国産品を用いて操業を開始するものである。日本の化学工業がその旗織を高く掲げて世界の最新工業界に雄々しく見参する姿こそ吾人が乱目して待っているものである。

朝鮮石炭工業灰岩工場の製造能力は頗る大であって

第一期 揮発油 年間5万トン/竣工後 年間43万トン

第一期 處理石炭 年間20万トン/竣工後 130万トン

に達するのである。

これが成功によって我国液体燃料問題解決の曙光が示されるならば当社の御奉公の一端は盡されるのである。石炭直接液化の事業は当社の計画が発表されて以来、他の諸大会社でもそれぞれ種々計画されていると伝えられているが、真に邦家のため慶賀すべきことである。

石炭液化原料と阿吾地

石炭直液化原料炭は工場付近の阿吾地炭鉱及び承良炭鉱より採掘されている。阿吾地炭田は埋蔵量2億トンと言われ、大炭田の中心灰岩洞の地に一大石炭液化工場を有している。現在所有鉱区は14鉱区、年産出額XX万トンのこれをXXX万トンに拡張すべく目下工事中である。承良炭鉱は更に出炭高を増すため開発されたもので年産XX万トンを目標に拡張中である。これなど出炭の一部は朝鮮窒素の興南工場、永安工場へも送られている。

灰岩工場

朝鮮石炭工業株式會社灰岩工場の事業は日本窒素が内外に誇示するに足りる画期的な新事業の一つである。阿吾地と言えば昭和13年9月の張鼓峰事件により一躍有名になるまでは恐らく一般人の脳裏に存在しなかった地名であろう。日本窒素は埋蔵量2億トンと称せられるこの阿吾地の大炭田の中心灰岩洞の地に一大石炭液化工場を有している。

灰岩工場の建設は朝鮮石炭工業株式會社の事業として昭和11年より始められ、帝国海軍独特の方法による水素直接添加石炭液化工場で単位生産能力は外国に行われている他の方法に比しはるかに大きく、しかもこれ等の装置は全て国産品を使用している点に特色を有するのである。

灰岩工場 娯楽設備

灰岩工場は朝鮮の北端荒野の地に建設されたのであるから、遠く文化の中心を離れ、建設自体も困難もさることながらこれに従事する従業員一同の苦労もあった。しかし會社としてはこの光栄ある戦士のためには万全の設備を怠らず、以て彼らをして一億専心この国家的大規模建設事業に万進することを期した。従業員の社宅及び合宿は堂々たる防寒建築にして且つ、スチーム、水道、電熱、水洗便所。浴場などの設備を完備しており、又、大広間、グリル、卓球場、ビリヤード、図書室などを備えた倶楽部、年80万円の売り上げをなす供給所、内科、外科、その他各科を網羅する病院、野球グラウンド、テニスコート、水泳プールその他運動設備、2つの小学校など、凡そ必要なる設備を網羅して従業員の苦労を犒い、その福祉の増進に寄与するとしているのである。

帝国海軍省人造石油と灰岩工場(石炭直接液化事業)

灰岩工場の建設工事は純然たる国産技術と資材を以て帝国海軍省の特別なるご配慮の下に夜を日についで進行され、昭和12年中には略工事を完了し、昭和13年2月より灰岩工場の試運転に移ったが、結果優良なる油の生産を見て、此処にドイツのロイナ、イギリスのビリンガムに次いで世界に於ける人工油田の第三次の噴油を実現したのでった。当時、海軍当局に於いては特に副官談を発表して本邦に於ける石炭液化工業の成功を慶賀され、且つ率先して斯業の実現に乗り出しその工業的成功に貢献する実業家の功績に対し、敬意を表されたことは世人の記憶に新たなる所であろう。両来専ら全工場の調整に力を注いだ結果遂に本格的創業の域に達し、その製品も各方面に試用販売されるように至った。しかもこの成功により事業の見通しがつくと共に直ちにその拡張工事に着手し、目下着々と進行中である。

灰岩工場 帝国海軍省より拡張命令

灰岩工場は敷地XX万坪石炭液化工程は第一工場より第七工場に至るXX棟(増設後はXX棟)の工場に於いて行われ、従業員はXXXX人を算し、その投資金額は現在の所3000万円に及んでいる。その設備は勿論頗る膨大なもので、特に単位設備としては世界に冠絶し、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXその堂々たる偉容は実に観るものをして大なる信頼の念を抱かしめるものである。

灰岩工場 阿吾地火力發電所

阿吾地火力發電所は出力5000kWの朝鮮石炭工業株式會社の阿吾地炭田にある。現在は主として雄基電氣を通じて北鮮各都市の電力供給用として用いられていたが、ここに灰岩工場が建設されるに至って更にその重要性を加えて来たのである。

發電所はツェリータービン2000kWを2基備え、周波数60Hzにて2500kVAの発電機2基をシャフトを接続して運転されるのである。発電電圧3.3kVを800kVA,900kVAの変圧器によって66kVに昇圧の後、北鮮各都市へ送電されていたが、昭和12年5月より灰岩工場建設に伴いこの發電所を当社へ譲受させ、4000kWの電力は灰岩工場の管轄となったのである。

~沿革~

灰岩工場 建設風景(羅津要塞司令部認可により撮影)

灰岩工場 建設風景を望む

灰岩工場 建設風景を望む

灰岩工場 建設風景を望む

灰岩工場 石炭低温乾留炉を望む

灰岩工場 重油分解蒸留装置を望む

灰岩工場 建設風景を望む

灰岩工場 揮発油蒸留棟?を望む

灰岩工場 建設用超大型クレーン

灰岩工場 昭和13年以降運転風景

朝鮮石炭工業株式會社 事業紹介の一部

灰岩工場 重油分解蒸留装置、石炭低温乾留炉を望む

灰岩工場 石炭低温乾留炉を望む

灰岩工場 ?製造棟を望む

灰岩工場 揮発油蒸留器を望む

石炭低温乾留事業 製造工程表

灰岩工場 阿吾地火力發電所(旧雄基電氣所有)

灰岩工場 福祉施設

灰岩工場 社宅を望む

灰岩工場 合宿所を望む

※一時労働者及び朝鮮人向け

灰岩工場 倶楽部、附属病院、供給所、小学校(社員一族向け)

~感想~

今回は帝国海軍省の極秘建設且つ、現在の日本が長い間隠蔽してきた朝鮮問題の一部なのでコメントは控えさせていただきます。

平成30年12月22日 執筆