新興鐡道株式會社 松興線

建設軌道から

赴戦江の水力工事にあっても長津江の工事に於いても、これを実行するには多大の準備工事が必要であった。例えば、水圧鉄管のみでもその総重量13000トンを越えて、これを3000尺以上の山岳に引き揚げて急峻絶壁に近い峰々に数kmに渡って敷設せねばならない。その外1基数十トンの水車、發電機の運搬、数百袋のセメント、数千トンの鉄筋類、職員、人夫の往来、膨大な食料品の運搬などのためには、先ず本格的鐡道を敷設して全工事の運輸設備を完全にすることが必須条件であった。

この目的のために建設されたもので即ち現在の新興鐡道線であった。

新興鐡道株式會社は赴戦江工事用鐡道で工事完成後も尚貨客の交通は頗る多きにより、このため当社からも分離独立させたもので、長津江の工事に際しては咸興線、長津線は最初よりも営業線としての認可を得て敷設したものである。現在では当社事業地の交通の外に、近来増加した赴戦江高原観光客にも大いに利用されている。更に近時は長津線を延長して満州国境に達すると公論を時々耳にするが、これは本鉄道の北朝の交通機関としての重要性を認めると言うべきであろう。

高原案内

赴戦高原は赴戦、長津湖を中心都市、その流域数百万里に及ぶ大高原である。3500尺の高度を有する茫漠たるこの高原は35度の急勾配を以て、一挙に3000尺を引き上げるインクラインによって初めて達せられる。

この神秘境は夏に花畑の高原植物が咲き乱れ、秋は満山の紅葉になり、冬には堅氷に閉ざされて一大氷宮殿と化すのである。この自然の別天地は此処に施された大なる人工の発電事業と共に秀を含み栄を敷き、強く近代人の心を惹くものがある。

先ず、長津線に取れば、オリーブ色のガソリンカーに投じ、興南を発し西咸興駅で朝鮮鐡道と乗り換え、上通駅にて再び新興鐡道の車に乗って、途中透明な大気の中に変化極まりなき河岸に沿って下岐川に達する。これよりこの鉄道の呼び物であるインクラインにより一挙にして3500尺の分水嶺の頂上である黄草嶺駅に達する。此処よりは高原の平地鐡道となり、百方里の流域を長津江の流れに沿って走れば漸くにして長津湖岸の泗水駅に至る。長津湖はモーターボートの便を利用し、湖は鉄壁の通り大堰堤に至るのである。

長津湖堰堤の麓より赴戦江に至るにはドライブウェイが新たに開通している。これよりバスに乗って原始林の下を分けて走れば赴戦江第三及び第二貯水池を過ぎて赴戦湖に達する。再びモーター船よりこの湖を縦航する。

湖岸駅に達すれば、船を捨てて汽車に乗り赴戦江の流れに沿って赴戦嶺駅に向かうのであるが、この間に実に数時間を要し、高山の爽気満身風景一時に新なるを覚えるのである。長津湖より赴戦湖畔に至れば、山容水態更に峻険の度を増すことが感じられる。赴戦嶺駅より大インクラインに身を任せてそり達絶壁を一気に赴戦江第一發電所の所在地である松與里に降下するのである。これより西新興まで当社の鐡道により途中朝鮮鐡道に乗り換えて泗興興南に帰着するのである。

湖畔のキャンピングに山のホテルに又は高山昆虫植物の採取に一夏の数日をこの高原に過ごした人々は全く落ち着いて心身ともに爽快を覚え、少なくともその一切は神経衰弱症を免れるであろう。

インクライン区間を望む

※現役のご様子

天狗岩駅

紅葉谷駅

※写真上矢印

東洋一のインクライン区間

紅葉谷駅ー白岩山駅

※複線離合区間あり

赴戦江水力事業 全断面図

並行して松興線 路線図あり

赴戦江水力及び長津江水力 全体図

並行して松興線 路線図あり

新興鐡道 松興線 赴戦高原を行く

※落葉松の林立せる間を走る中央の軌道はインクラインの軌条でこれに連絡する鐡道はこれより数里離れた赴戦江貯水池まで高原を貫通して敷設されている。

尾根に沿う鉄管、建設用軌道を望む

竣工直後の鉄管を望む

※右奥に見えるのが東洋一のインクライン

東洋一のインクライン

赴戦江第一發電所 周辺全景を望む

※写真左の鐡道は東洋一のインクライン(松興線) 中央部の建屋は社宅、合宿倶楽部

新興鐡道 松興線 鉄管運搬風景

※運搬軌道として発足

~感想~

平成30年4月3日 執筆