1. 唾液腺癌の分化誘導遺伝子の解析
唾液癌細胞を種々の分化誘導剤で処理すると,多様な表現形質を示す細胞に分化することを示し,唾液腺癌細胞の分化をコントロールする遺伝子ヒトTSC-22 cDNAをクローニングした.その発現抑制が唾液腺癌の発生に関与しており,過剰発現が唾液腺癌の放射線感受性,抗癌剤感受性を著しく増強することも証明した.ヒトTSC-22 genomic DNAも同定し,構造解析,プロモーター解析も行った.さらに,TSC-22トランスジェニックマウスを作製し,個体発生におけるTSC-22の影響を検索した.我々は,TSC-22の種々の発現ベクター,レポータープラスミド,特異抗体を保有しており,国内外の研究者からの依頼で,それらの試料供与し,共同研究を行っている.今後,さらにTSC-22の分子レベルでの作用機構を解析することにより,癌治療のみならず,種々の疾患の診断・治療にも応用できる研究を進めている.
2. 癌浸潤・癌転移
細胞外基質分解酵素の活性上昇が癌細胞の遠隔臓器での脈管外浸出と浸潤性増殖を促進することを示した.また,癌転移と末梢血液中での癌細胞の存在とは何ら相関が無いことを示し,組織学的あるいは細胞レベルでの検討で,転移を決定している大きな要素は,癌細胞の遠隔臓器での脈管外浸出,低酸素・低栄養状態でのアポトーシス回避,血管新生と浸潤性増殖であることを明らかにした.
3. p53情報伝達経路の遺伝子検索による癌個別化診断
頭頸部癌でp53とその関連遺伝子の異常が多いことは良く知られており,それら異常と抗癌剤感受性・放射線感受性との関連も多く報告されている.しかしながら,従来の検索方法では,生検時の静的(static)な状態を評価しているにすぎない.我々は,癌細胞におけるp53情報伝達経路全体の機能異常を動的(kinetic)に診断するシステムを構築した.頭頸部癌のほとんどはp53自身の異常か,その調節因子の発現抑制でp53情報伝達経路に異常があり,ある種の癌細胞に存在するp53遺伝子の変異は,単純に癌抑制遺伝子としての機能を失っているだけではなく,抗癌剤や放射線治療から癌細胞を守るような変異(癌原性変異)である.
4. 口腔癌発生母細胞の同定
白血病で兄弟より末梢血幹細胞移植を受けた患者で,慢性GVHDをベースに発生した歯肉癌を解析した結果,兄弟由来の細胞が扁平上皮癌を形成していることを明らかにした.さらに,この患者の口腔粘膜上皮の約20%は兄弟の幹細胞由来であった.このことは骨髄由来細胞が上皮を修復する可能性があり,そこから癌が発生することを示している.また,最近口腔扁平上皮癌が口腔重層扁平上皮からだけではなく唾液腺から発生しうることをマイクロアレイ検索で発見し,簡便にそれらを見分ける遺伝子群を同定した.
5. 研究の統合
体細胞性幹細胞研究の発展により,口腔粘膜上皮の修復過程において,(1)口腔粘膜上皮になることを運命付けられた上皮幹細胞,(2)口腔組織になることは運命付けられているが上皮細胞にも間質系細胞にも分化可能な幹細胞,(3)血液中に存在する骨髄幹細胞,が関与すると考えられる.繰り返し起こる上皮の損傷の場合は,(2)あるいは(3)が動員されると考えられる.より未分化な幹細胞で修復された上皮は化生を起こし,増殖能が高く,遺伝子は不安定で変異を受けやすく容易に癌化する.幹細胞の本来の特性は,癌化した場合は宿主にとってきわめて不都合であり,浸潤能,転移能は高くなり,抗癌剤,放射線にも耐性になる.今後は,癌の見かけ上の組織像や遺伝子変異・発現に左右されない,発生母細胞を考慮した本質的な癌診断法の開発を進めたい.
6. 治療への応用
癌細胞が遠隔臓器で脈管から出て生き残り、増殖する前に細胞死を誘導するような治療(適切な時期での抗癌剤の使用,分子標的治療薬の使用,非特異的免疫療法,樹状細胞を用いた癌ワクチン療法)が転移抑制につながるのではないかと考えている.さらに,それら癌細胞を分化誘導させ,増殖能を低下させ,癌細胞は存在するが,増殖していない状態を維持するような治療(癌休眠治療)の開発研究を行い世界に発信していきたい.