2004.11.25 月刊NIRA政策研究
「新しい公共」のプラットフォーム
2004.11.25 NIRA政策研究 新しい公共 特集解説 抜粋 山脇論文 犬飼論文
NIRA 政策研究 2005(H17) 年 12 月号 犬飼論文 グローバル化するわが国企業とマーケットガバナンスの課題
特集 「新しい公共」のプラットフォーム 公的世界のプレイヤー、この10年そしてこれから
今までもっぱら政府(行政)に委ねられてきた「公共」を再構築し、政府、市民社会組織、市場経済を担う企業など、多様なプレイヤーが協働し形作る空間とする---。
「新しい公共」という言葉が表現する社会の在り方は、縮小時代を迎える21世紀において持続可能な社会を確立・維持するために必要不可欠なものと言えるでしょう。
それぞれのプレイヤーが、官民の統治・非統治関係、公私二元論を克服し、自らの存立意義を問い、使命と役割を見直し、協働の関係を作り上げること。高度消費社会が成熟しグローバリゼーションが進んだこの十余年、こうした試みがそれぞれのプレイヤーによって進められました。一方、それが故にまた「新しい公共」という言葉、社会のありように関するビジョンについてそれぞれのプレイヤーが抱く期待やイメージ、活動のありょうの差が明らかになった十余年でもあります。
そんな今だからこそ、“新しい"公共とは何か、なぜ求められるのか、それを形作るプレイヤーとは誰で、互いのパートナーシッフがどのような分野で確立できるか、協働の基盤として何が必要かについて、今一度原点に返って広く論議される必要があると考えます。
1980年代、ポストモダンの潮流がさまざまな分野で巻き起こる中、「公共性の再構築」というテーマが注目され始めました。その後、バブル経済とその崩壊を経て、公的世界のプレイヤーたちによる現実の取り組みが進むにつれ、「新しい公共」という言葉が広く世間に認知されるようになりました。この十余年、政府・市民社会・市場が求めてきた公共空間とは、そして課題は--- 。
政府・行政の10年
「新しい公共Jという言葉は、政府・行政の中長期的な政策において最も高い頻度で使われているように見えます。そのため、本来的には自立的・内発的に「公共」を構成すべき「民」のありさまが「公」により喧伝(けんでん)されることの不自然さが議論を呼ぶこともあります。
1980年代初頭から英国のサッチャ一政権、米国のレーガン政権に代表される新保守主義の政策として、経済停滞、財政悪化への対策として小さな政府と市場メカニズムの活用が重視されました。民営化、実施部門の工ージェンシー化、強制競争入札の実施、民間資金活用による社会資本整備(PFI)、規制緩和、補助金削減等の行政改革が進められ、民間企業における経営理念や手法の導入による効率化による行政改革手法・NPMは、日本でも90年代以降導入が進んでいます。
このような行・財政改革のニーズが「官から民へ」「官民協働」などの言葉を経て、「新しい公共」に収数(しゅうれん)してきたといえます。
市場メカニズムと市民社会組織が担うボランタリ一経済に対して、行政事務・事業の効率化や市民ニーズに応えてきめ細かなサービスを供給できない分野において補完的、下請的な役割を期待する、というのが政府・行政の動機的な出発点であることは明らかです。
これを乗り越え、真に公共のありようや協働の枠組みについてどのように論議され形成されるべきか、今こそ再考される必要があるのではないでしょうか。
市民社会組織の10年
1990年代初め以降、情報技術(IT)革命の急速な展開が進み、情報流通が距離や時間を超えて進みました。情報開示の質・量の充実、アクセシビリティーの飛躍的向上が低コストで実現された結果、情報力格差が解消されつつあります。
これを一つの契機に市民活動のグローパル化が進み、平和・環境・人権の分野で非政府組織(NGO)の世界的な活動が開始されました。
また国内では、高齢化社会の到来、福祉政策の見直しや産業の停滞等とも相まって、地域に根ざした非営利組織(NPO)などの新しい市民社会組織(コミュニティー/地縁組織・アソシエーション/NPO)が医療・福祉、教育、環境、まちづくり等の具体的課題において、市民の多様なニーズに応えるべく取り組んでいます。しかし、マネジメント人材の不足、事業計画の甘さ、また、事業資金調達の仕組みの未整備などにより、行政の補助や委託事業に対する依存状況は改善されておらず、広がりと力強さを持つ活動はまだ多くないといえるでしょう。
単なる公共サービスの受益者から、主権者であり社会を形作る主体としての自立的市民の地位を自発的に再び獲得する取り組みとして、公共とは何かの議論を深めつつ具体的な方法論を構築する必要があります。
市場経済・企業の10年
市場(マーケットセクター)においては規制緩和とグローパリゼーションの結果、奔放な自由競争状況が拡散しました。ハイパーコンペティションにさらされ、短期的キャッシュマネジメントを追求する企業経営は、ステークホルダーや消費者・市民に対して、経済倫理を脅かす背信行為を生みました。
こうした中、企業の社会的責任を追求し、また、市場の公共性を確立するための制度・基盤整備の取り組みが始まっています。世界の市民、消費者に受け入れられ、企業業績を維持・向上するために企業の社会的責任の追求が必須(ひっす)となり、また、グローパルな企業活動の展開のために、国内・地域市場における新たな市場原理・制度を整備し、市場のインテグリティ・私的経済の公共を確立する必要に迫られています。「公共」とは何か、今こそ求められる論議
このように、1990年代の取り組みを通じて、政府・市民社会・市場それぞれを構成するプレイヤーたちの公共に対する姿勢が明らかになってきました。「新しい公共」を語るとき、それぞれの動機と達成すべき成果は異なります。
しかし、その相違を認識した上で、それぞれが対等なプレイヤーとして存在し、協働するためのプラットフォームとしての「新しい公共」を構築する必要があります。
原点に立ち返り、“新しい”公共とは何かを広く論議し、また、新しい公共を形作るプレイヤーとは誰か、それぞれの使命・役割とは何か、互いのパートナーシップ・協働関係はいかに構築されるかを探る。『NIRA政策研究』の取り組みの第一弾となる特集です。
2004.11.25 NIRA政策研究 新しい公共 特集解説 抜粋 山脇論文 犬飼論文
山脇論文への導入: 現代の公共哲学は、従来の公私二元論に代わって、「政府の公」「民の公共」「私的領域」の三元論的なパラダイムの導入を主張する。その際「民の公共」の担い手は、NPO/NGOなどの組織である場合もあるが、それ以上に市民一人ひとりであることが自覚されなければならない。この理念は、かつての「滅私奉公」に代わる「活私開公」という人間像や、多元的な「自己ー他者ー公共世界」理解という世界観によって基礎付けられよう。公共哲学は、これら三つのアクターの相互作用を「ある」「べき」「できる」の三重の観点から考察し、効率のみならず「福祉」や「公正」をも重視するような「理想主義的現実主義」ないし「現実主義的理想主義」の方法論を採ることによって、「より良い社会」の実現を目指す。
犬飼論文への導入: 国際的な企業グループはもはやプライベー卜な存在ではない。マルチ・ステークホルダーと地域に大きな影響を与え得るのみならず、主体的市場参加者として関係するすべての市場のインテグリティ確保に一定の責任を有する。公共圏のプレイヤーたる自覚と企業の社会的責任への対応は絶対必要条件であり、企業のコストではなく投資である。さらに、公共圏には制度的基盤としての広義の社会的市場経済規制が必要で、そこでは公私二元論を超えた「民の公共」の役割が重要だ。
NIRA 政策研究 2005(H17) 年 12 月号 犬飼論文 グローバル化するわが国企業とマーケットガバナンスの課題