2003.5.27
「信頼と自立の社会」への提言

Proposals for a “Society of Trust and Independence”

(CMAA設立の背景となる参考情報)

経済同友会・次代を造る会 & 総合研究開発機構(NIRA)緊急提言

「信頼と自立の社会」への提言

21世紀の未来を担う子供達のために


2003.02.28 中間報告


2003.05.27 日本経済社会再生プロジェクト 公開研究会(報告提言発表会)

概要説明(公開プレゼンテーション)

最終報告書 上

最終報告書 下

抜粋・サマリー

報告書リーフレット外面

報告書リーフレット内面

「信頼と自立の社会」と「安心保障型の社会」の対比


書籍出版:2003.10.03

経済同友会・次代を造る会 + 総合研究開発機構著

小林陽太郎監修

(単行本)

イノベーションできない人は去りなさい!

‐ 新しい日本を造る哲学‐

単行本表紙

単行本書評 (2003.12.15 故太田信一郎氏)


2003.05.27 概要説明(公開プレゼンテーション)

単行本書評 (2003.12.15 故太田信一郎氏)

下記参照


2003.5.27 NIRA 公開研究会プレゼンテーション


NIRAの主任研究員の犬飼です。これから30分程度、報告提言の概要の説明をさせていただきます。

これから申し上げるご説明は、174ページあります報告書本編の流れに大筋沿いながら進めさせていただきますが、お手元の3つの資料(報告書本編、リーフレット、抜粋とサマリー)とは完全にリンクしているものではありませんので、プレゼンテーションのスクリーンにご注目いただきながらお聞きいただければと思います。

今回の報告提言は、単に政府や企業経営者に対し、個別のアイテムについて、ああすべき、こうすべきという提言を行うものではありません。

今回プロジェクトチームに参加したメンバーは、20代の研究員も若干名含まれておりますが、40代から50代の、中年が太宗を占めています。

そこで、我々の子供に対して、今よりもっと良い、21世紀の日本を残すために、まず、我々が自らを省みて、どんなに大変であっても、日本を良い方向に変えていく覚悟を持とうと、そういう、自分自身に対するメッセージとして、報告提言をまとめました。

これまで、日本経済社会再生のための数多くのアクションプログラムが提示され、実行に移されたものもないわけではありませんが、それなのに、依然として社会に活気が戻らない。

それは、個々の努力とアクションがバラバラにしか貢献することができず、日本を根本から変革に導くための太い流れを容易には作ることができなかったからではないかと考えます。

それは、なぜかと言えば、我々一人一人の心の中、頭の中で、新しい時代に生きるためのベースとなる本質的な概念についての整理ができていなかったこと。そして、それに合わせて、すばやく行動を起こし、連携を広げていくための反射神経が十分に養われていなかったことにあるのではないかと思います。

いま、世の中の議論を聞いていますと、官僚が悪い、金融機関が悪い、社長が悪い、あるいはヴィジョンを示せない政治家が悪いなどと「指さし」て、人のせいにして嘆いたり、責任の転嫁をしたりしているものが多い様に感じられます。

それだけでは何も生まれません。 そういう主張と議論は生産的ではありません。


今の日本は、言わば、システムで言うところの、OS(オペレーティングシステム)が古くなって、陳腐化し、将来の役に立たなくなっている状態にあるのではないかと考えます。

そこで、我々合同チームは、一年間議論した結果を、日本の経済社会のための基本OSの新しい設計概念として描き出すこと、これを目標にしました。

つまり、この報告提案は、新しい社会の基本OSの考え方を、第一段階として提案するものです。

そして、それを、ここに示すことができているとすれば、合同チーム一同、望外の幸せです。

したがって、その上に載る個別アプリケーションについての提案は含まれておりません。

それは、今後、この報告提言をベースに、皆様との情報の相互交流をさせていただきながら考え、次の段階で行っていきたいと思います。

それでは、具体的に説明を始めます。

いま、日本では、「寄らば大樹の陰」的な、集団の枠組みによって守られてきた、従来からの閉ざされた「安心保障型の社会」の仕組みと枠組みが、大きく揺らいでいます。

私達は、初めての「社会構造の大変革期」に遭遇しています。

そして、バブル崩壊と、従来の社会の枠組みの「陳腐化」によって起こった長期のデフレ不況に直面して、まさに自信喪失状態にあります。

グローバリゼーションとIT情報革命による情報化の進展は、個々人が一つの組織ではなく、複数のネットワークに属することを可能としました。

また情報の共有の仕方が変化すると、従来の技術、組織も液体化・液状化します。

国も企業も個人もその形と行動の仕方を変化させないわけには行きません。

近年、日本は、政府公的部門、民間部門共に、「変化の適応力」の「弱さと遅さ」が繰り返し指摘されてきました。

かつては「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われた日本は今どうなってしまったのか・・・・

国と地方の借金である長期債務残高は合計約700兆円。約500兆円ある日本のGDPの140%に近づき、なお毎年増加しています。

失業率も同じく増加しており、中高年、若者共に就職難です。

そして、4年連続、毎年3万人以上が自殺に追い込まれているという、暗く息苦しい世の中です。これらは、第2次世界大戦後、初めての経験です。

バブルの崩壊からすでに10年以上が過ぎたのに、構造改革が叫ばれ続けるほどそれが空しく響き、「何ともいえない閉塞感」と「漠然とした不安」、そして「元気を出そうにも出せない虚脱感」が今の日本社会に充満しています。

 現在は、従来からの「技術や組織の体系、仕事の進め方、コンセンサス重視と事前調整型の経営意思決定手法」など、従来うまくいっていたすべてのプロセス(過程)が陳腐化してしまう、そういう『歴史の峠』に私達は立ちすくんでいます。 

私達には、今こそ「昨日の続きの今日、今日の続きの明日はもう来ない」という、「歴史の峠」の認識と覚悟が必要です。

その認識と覚悟なくして、これから始まるダイナミックな変動と変革の社会で、私達は生きぬいていくことはできません。

なお、歴史の峠とは、峠のこちら側と向こう側とでは、まったく違う世界があるかもしれないけれど、辛く厳しい峠の坂道を登り切って峠を越えてみないと、実際に峠の向こうにどのような世界が広がっているか分からないという、そういう認識が必要ということです。

この10年、日本は、民間も政府公共部門も、「変化への適応力の弱さと遅さ」が問題とされ続けています。

いま、企業も国も、経営と政策の執行プロセスの「陳腐化」とリーダーシップの不足が問題となっています 。

日本が生産性と競争力を増すためには、社会全体で「全体最適」を実現する必要がありますが、今の日本ではそれと反対の状況が起きています。

従来の日本では、各省庁や局などによって、縦割りの個別の政策が立案され実行されてきましたが、それらの個別最適を目指した政策の総和が、自然のうちに全体最適に近いものとなっていました。


しかし、ここ10年余り、「歴史の峠」に遭遇し、個別最適を目指した政策のプロセス自体が陳腐化すると同時に、それらの総和が全体最適になるどころか、却って逆に日本を蝕むようになってしまいました。

企業の再生も国の構造改革も、

縦割りの弊害を乗り越えた「統合された見方、目的意識」をもつこと、

組織を変化に適応させるため、「計画・立案、実行、点検・評価、見直し」からなる「Plan-Do-Study & Act の PDSA(デミング)サイクル」の導入、

そして、スローガンではない「マニフェスト」の実践、

が基本になります。

日本が活力を生むには、シュンペーターが指摘したように、「(需要に対する)供給(サプライ)サイドの投入要素」の条件のうち、「政策と経営の、執行のプロセスに係わるインフラ」と「情報のインフラ」の、質と専門性の革新、つまりイノベーションが必要になります。

ここで、今の日本全体の供給サイドの投入要件をザックリ大掴みに整理してみますと、

・人的資源(選手・プレーヤー)⇒教育水準は高く、忠誠心も高い

・資金⇒国内貯蓄など潤沢

・物理的インフラ(設備)⇒産業の蓄積がある

政策と経営の執行と、情報のインフラ⇒国家も企業も整備が遅れている

・科学技術インフラ⇒全体としてはまだ技術力の高い現場をもつ

・その他の資源⇒安全で、社会資本も整備されている

ということで、「政策と経営の執行と、情報に係るインフラ」以外の要素はいまのところ揃っています。

問題の核心は明らかです。

次に、変革の基礎、日本再生の基礎となる概念を具体的に見ていきたいと思います。

日本はこれまで、ハコモノの社会資本の充実に努めて来ましたが、変革の基礎として、今後は、「目に見える社会資本」から「目に見えない社会関係資本ソーシャル・キャピタル)」の充実へと、公共部門も企業も個人も、軸足を移して行くことが必要です 。

なお、社会関係資本に関して、1993年に、ハーバード大学のパットナム教授が、20年以上にわたる研究の成果として、社会関係資本の概念を用いて、南北イタリアにおける地方政府の制度パフォーマンスの違いを説明しました。

北イタリア諸州における信頼性のある政治・行政の源泉は、社会関係資本の蓄積にあること、そしてその厚みを「市民社会度」(civicness)という尺度で説明したのです。

日本も基本は同じです。

つまり、信頼と協力の絆、人間の絆、あるいはソフトインフラとも呼ばれ、開かれた社会で人々の自発的協力行動を促し、社会と市場経済のネットワークをつなぐ糊の役割を果たす社会関係資本を、私達は21世紀の日本社会に横溢させなければなりません。

社会関係資本は、人々の間の関係を取り結び、また売りと買い、供給と需要の間にあって、糊の役割をするものであり、具体的には、以下の2つに大別されます。

第一は「認知的社会関係資本」であり、この信頼と協力の絆人間の絆とも呼ばれる社会関係資本を、市民的価値として、新しい社会の理念と規範」にまで昇華させることが重要です。

第二は「制度的社会関係資本」であり、新たな時代にフィットするソフトインフラの構築が重要です。

我々は、従来の大樹の蔭的な「安心保障型の社会」に替わって私達が積極的に構築しようとする新たな社会、つまり「社会関係資本」の横溢した「開かれた信頼と協力と自立の社会」を「信頼と自立の社会」と名付けることを提案します。

そして、この「信頼と自立の社会」の概念を、私達一人一人が目指す市民的価値を表す理念・規範」として、広く日本の社会に定着させてゆくことを、あわせて提案したいと思います。

いま、日本で起っている多くの問題の根本には、必ず、信頼と信用の欠如、社会関係資本の枯渇があります。

社会関係資本が蓄積された社会では「人々の自発的な協力行動」が起こりやすくなります。このことは、学問的にも実証されています。

また、個人間、企業間の取引にかかわる不確実性やリスクが低くなります。また、市民や住民やサービスの受益者のネットワークなどによる、自発的で前向きな「公共サービス、民間のサービスへの積極的な監視、関与」も起こります。

社会関係資本は、その社会の効率を高める糊の働きをします。

報告書本編で、詳しくいくつかの例を挙げて説明していますが、自発的コミュニティの多様な活動は、開かれた「信頼と自立の社会」の重要な基礎となる、価値ある社会関係資本であるということができます。

次に、開かれた社会の経済取引のあり方を考えてみたいと思います。

実際、開かれた社会では、経済社会のかなりの部分が、開かれた「市場」との関係のなかで動くことになります。

例えば、経済取引の行われる場としての市場の機能と活動は、プロスポーツの団体競技種目の試合、特に、サッカーの試合に非常に良く似ていると言って良いと思います。

過去10年、日本経済の停滞とは裏腹に、日本のサッカーは大変盛んになり、ちょうど一年前には日韓ワールドカップも開催されました。

10年で日本のサッカーは良くここまで来たものだと、つくづく思うわけですが、サッカーは、360度どこから球が飛んでくるか分からない。総力戦でありながら、個人の技とスピードと体力、チームの戦略と戦術、高度なチームプレー、監督のリーダーシップが非常に重要なスポーツです。また、ルールとレフェリーが非常に重要な役割をします。

つまり、新しい開かれた市場型の経済社会というのは、サッカー型のゲームを戦う社会になると考えられます。

したがって、私達が目指すべきは、「サッカー型ゲームに強い日本」、つまり「変化への対応力の高い日本社会」を造ることと言っていいと思います。

ここで、どうしても申し上げなければならないことがあります。

それは、日本では、本来の市場についての理解が決定的に不足していると言うことです。

コンビニでパンを買うこと、銀行にお金を預けること、株のインターネット取引をすること、就職活動をすることなどもそうですが、あらゆるモノやサービスの取引が行われている場で、売りと買い、需要と供給を繋ぐのが市場の機能であり、これは経済社会の根幹の機能です。

といっても、なかなかこのことが世の中一般に理解されないということが、私自身も最近ようやく分かってきました。

日本では、市場と言うと、株の取引は危ないとか、ハゲタカの餌食になるとか、非常に短絡的なイメージが先行してしまい、市場そのものの機能まで軽視されてしまう嫌いがありました。

最近、いろいろな方面の方々と話したり、メディアの報道を見たり聞いたりするにつけ、それを痛感します。

これは個人の中にもバブルで痛い目に会った人が多いと言うことと関係があるのかもしれませんし、銀行など金融機関の問題がいつまでも解決されないので、金融市場に対する不信感が人々の間に蓄積されてしまったことと関係があるかもしれません。そのためもあってか、本来の市場の機能の重要性を多くの人達が残念ながら理解していないという状況が日本の中に幅広く存在し、そのために本来の市場の発達が阻害される結果を招いていると言う点が懸念されます。

そのためもあって、報告書本編では、市場に関する啓蒙的なご説明に多くの頁を費やしています。

例えば、87、89、96、97、103、111、115、118ページに掲載したコラムはすべて市場関係のものです。是非お読みいただければと思います。

さて、そういうことで、これからの日本では、「本来の市場」に根付いた社会の構築が必須です。

新しい市場型の経済社会は、サッカー型のゲームを戦う社会になるのではないかということを申し上げたわけですが、その市場には、当然ながら市場本来の機能の発揮が欠かせません。

そして、そのために必要とされるのが、先ほどご説明した、経済社会の基礎としての2つの社会関係資本(糊)なのです。

これらが基礎の部分にないと、需要サイドも、供給サイドも、そして市場自体も、そしてあらゆる社会活動も、円滑に回って行くことができませんし、発展もしません。

さて、日本経済社会の問題の所在について、いま少し詳しく見てみたいと思います。

先ほども申し上げましたように、市場取引のあり方によく似ている「サッカーの試合の(供給サイドの)6要素」に照らし合わせて検討してみますと、それらの問題点と解決のための処方箋が、よりはっきりと見えてきます。

日本が市場経済、つまり、サッカー型のゲームに強くなるための要素となる条件としては、ここに示す6つがあります。

(一枚紙のリーフレットの内側も合わせてご覧ください)

先ほど、政策と経営の執行の過程と、情報に係るインフラが、国家も企業も、整備が遅れているということを申し上げました。

この点を念頭に置きながら、ここに示す、サッカーで言う1~4までの項目、つまりルールと、レフェリーと、監督と、競技場などのインフラ、に相当する日本の経済社会の供給サイドの諸要素について、比較対照してみます。

すると、日本では、正に新しい時代の市場型経済社会にフィットするためのソフトインフラの整備が遅れ、イノベーションの発揮が阻害されているということが、感覚的に理解いただけるのではないかと思います。

日本の経済社会で問題のある部分は、右側に赤丸で示した通りです。もちろん担当する官庁によって、相当、程度に差がありますが、また、おのおのの業界・市場によって、状況は少しづつ違いますが、全体的に申し上げますと、

1.共通のルールに相当するのが、 ●行政指導、業界慣行。

2.フェアなA級レフェリーに当たるのが ●官庁・業界団体組織。

3.リーダーたる監督は ●業界団体のボスと各社の社長。

4.設備の完備した競技場と関連のインフラに相当するのが ●官庁縦割りの閉じた取引、取引慣行と取引所など。

5.プロの選手などのチームメンバーに当たるのが ●業界団体、業者など業界関係者。

6.応援団と観客に相当するのが ●(安心保障型枠組みの)顧客。

という具合です。

また、新しい「開かれた社会」は、市場経済以外の領域でも、勤労者とその家族達のライフスタイルの変革を促し、個々人の興味と価値観をベースにした協力互恵の社会関係資本構築に繋がる自発的活動が可能となります。

また、「開かれた社会」では、会社も個人も、社会関係資本の蓄積に努めることで、「私的利益の追求」と「公共的価値の追求」が対立的でなく、二兎を得ることを可能とする、相互関係の好循環の状況が生まれます。

ここで、新しい日本のヴィジョンについて、確認しておきたいと思います。

それは、日本の社会全体に「変化への適応能力」を高め、開かれた多元的社会を積極的に認めて創造的革新を起こすしかない・・・と私達が今心の中で感じ始めていることが、新しい時代のヴィジョンとなるということです。

そのヴィジョンは、従来、政治家や官僚機構が与えてくれた、上から下へのヴィジョンではありません。

ここからが提言の部分です。

本来的な意味で市場型となる経済社会を、私達が、そして私達の子供達が積極的に生き抜いてゆくためにも、以下の考え方を共有し、二つの社会関係資本の構築を戦略目標として定め、持続的な運動を起こしていきたいと考えます。

そのために、私達自身に向けて、新しい「開かれた社会」の「ヴィジョン」と、2つの社会関係資本である「理念と規範」・「ソフトインフラ」の、以上3点について提案します。

ヴィジョン

(自ら発信し、私達全員で共感共有する新しい社会のヴィジョンとして申し上げたいと思いますが、)

日本が「変化への適応能力」を高め、社会全体にイノベーションを行き渡らせるには、政府公共部門メンバーとも「全体最適形成への統合された見方と強い目的意識」を共有し、抜本的な組織と政策の革新を実行する以外にないということです。

理念と規範

(これは、人と人を繋ぐ糊としての認知的社会関係資本についてですが、)

私達自身が構築しようとする社会を、開かれた「信頼と自立の社会」と名付け、この「理念と規範」を、新しい「市民的価値」として構築・定着させようということです。

これは、市場型の経済社会を強くするばかりではありません。市場経済領域以外も含めて、社会全体をより良いものにしてゆくために必要です。

ソフトインフラ


このようなヴィジョンに沿い、日本が実力を発揮できるように、各市場で最も優れた「統合型の市場インフラ、制度インフラ、組織のITインフラ」を最も効率的なプロセス(過程)で導入できるよう、政府公共部門に働きかけ、協働するということです。

ここで、明治の郵便制度の父として知られる前島密がどのような活動をてんかいしたのか、少しご説明します。

報告書本編の52-53ページを参照いただきたいのですが、前島密は、明治2年(1869年)、駅逓頭(えきていのかみ)に任ぜられ、翌年、郵便制度調査のため渡英。帰国した密は、郵便制度の創設に力を尽くしました。 

その一方で、鉄道・海運・電信電話・教育など幅広い分野で活躍し、明治の制度インフラ構築に大きな足跡を残しました。

明治政府は、明治元年(1868年)から西南戦争までの10年間で、鉄道・通信・郵便制度の骨格をすべて造っています。

驚くべきスピードと思いますが、ソフトインフラ構築で、平成の前島密の役割を、我々は実行しなければなりません!

次に、政府の役割について、サッカーゲーム型の市場経済社会に強い日本を造るため、 3つの願いを掲げました。

① 政府行政部門は、レフェリー役と、新しいソフトインフラの構築に徹し、新しい行政の基本政策と、抜本的な組織改革を。

② 政策の形成と執行に、実効性ある、政策の「立案と執行と評価と見直しのプロセス(過程)(Plan-Do-Study & Actの持続的PDSAサイクル)」の導入を。

③ 日本政府の最高責任者である首相は、21世紀初頭のJapan Teamのリーダーとしてのリーダーシップを。

政府への3つの願いを具体的に表したものとして、政府への3つの提言を掲げました。

1. 政府は、省庁ごとの産業育成という考え方から抜け出し、各省庁の都合(縦割りの部分最適追求)ではなく市場との対話を基礎とした「全体最適」実現のため、以下のように、組織と政策過程の変革を実現してください。
①裁量行政から、統合された市場のルール整備への転換。
②業界の取りまとめ、コントロール役から、市場のA級レフェリーへの転換。
③縦割りの産業政策と業界育成から、(勝つために)各市場に不可欠の横断的ソフトインフラ整備への転換。

2. 従来の古い制度やシステムがストップし、あるいは自壊するような時は、ヴィジョン無き破壊としないため、新しい制度とインフラの枠組みの代替案を具体的に示す必要があるということです。また、新しいインフラとして不可欠となる(金銭給付型にとどまらない)各種トランポリン型セーフティ・ネットの重層的な仕組みの開発を、政府は同時に行う必要があります。

3. 中央と地方の行政関連組織等への「IT情報システム」の導入に際しては、政府公共部門の従来からの組織と業務を抜本的に見直し、「効率化と標準化」による「単位当たりのコスト削減」を実現する必要があります。(そして、それによって省庁再編や市町村合併時にも大きなメリットが生まれます)

なお、市場経済の主体者である勤労者が、リストラ、失業を余儀なくされるなど、戦線離脱した場合に、「自ら跳ね返る力」をつけるための「トランポリン型のセーフティーネット」の構築が、ソフトインフラとして重要・・・・ということは、実は、もちろん分野によりますが、小さな政府も、大きな政府も、政府の本来の機能として同時に重要であり、必要である、ということです。

日本が市場型の経済社会で善戦し、打ち勝っていくには、従来型の業界コントロールや規制を止めるなど、戦いの前線を効率的にすることだけを考えるのではなく、後方の支援部隊や病院やリハビリセンター、あるいは市場取引を監視する新しいレフェリー団などのソフトインフラも同時に効果的に構築し、全体としてマネージする必要があることは、至極常識的に理解できることであると思われます。

前線と後方の情報とアクションの連携が不可欠なのです。

そういう点から考えても、失業へのセーフティーネット対策といえば金銭給付的失業対策などの対症療法的対策しかない現状は、施策として不十分です。

また、いつも金額の大小だけの議論に矮小化されがちな景気対策論議も生産的とは言えません。

「大きな政府」対「小さな政府」、あるいは「社会民主主義的な福祉国家主義」対「市場主義ないし競争原理至上主義」と言うような、生産的ではない表面的な2項対立的議論も、この辺で終止符を打つことを期待したいと思います。

企業経営者トップに対しても、(詳細のご説明は省略させていただきますが)開かれた「信頼と自立の社会」の、責任ある「企業市民のリーダー」であってほしいとの観点から、7つの提言をしております。

1.  新しい時代に相応しい経営哲学とヴィジョンを示す「企業市民」のリーダーとなること

2.  企業団体の公共的価値を明示すること

3. 経営意思決定方法などの経営プロセスを、イノベーションを生み出しやすくするよう抜本的に見直すこと

    迅速に決定して行動できる、よりフラットな組織とすること

    マニフェストの活用

4. バランスシート(オンバランスとオフバランスのすべての資産と負債)の徹底した再評価と整理を行うこと

5. 伝統的金融機関との従来のリレーションを、会社のイノベーション発揮のために有効かという視点で根本的に見直すこと 

    市場との対話を重視するためにも資本市場を積極的に活用すること

6. 業務と組織のイノベーションのために、新しい「IT情報システム」を積極的に活用すること

7. 技術者や管理者の蘇生と再起のために、(自ら跳ね返る力としての)トランポリン的支援策を強化すること

以上です。ご清聴ありがとうございました。

(犬飼注)故小宮隆太郎教授も、上記提言と同様の、サプライサイドが重要とのご指摘をしておられました

尚、20年後の現政権が目指す「新しい資本主義」とは、2003年の提言によって示されている、新しい時代の哲学とビジョン、言い換えれば、「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」が横溢した「信頼と自立の社会」に他ならないと感じます