論文23 ヤコブ級とサタン王の関係
2023/04/16/初版
2024/01/12更新
㉓-1.今後、ハルマゲドン前の一時期、神の王国は、サタンの王国と一時的に融和します。その一環として、聖書の物語の中で、ヤコブが義父ラバンから二人の娘をめとったように、ヤコブ級(夫役)もまた、サタン王の部下である二人の女神(日本の天照大御神、アメリカ民主党の自由の女神(妻役))、そして、女神らが率いる人間の組織と提携・協力して、このサタンの世に「平和と安全」という「子(結果)」を生み出します。ヤコブ級とこの二人の女神の関係については、論文19で詳しく説明しました。
今回は、ヤコブ級と、悪霊たちの王であるサタンとの関係性について、そして、その関係が、今後、どう展開していくかについて論じます。
神の王国とサタンの王国は
一時的に融和する
ヤコブ級とサタン王
の関係について調べる
-------
㉓-2.まず、ヤコブ級とサタン王の関係を表わす聖書物語は、ヤコブとラバン、ダビデとサウル王、赤子のモーセとファラオ・・・などがありますが、これは上述した二人の女神の「父親(後見人・上司)」という形で、サタンのことが表現されていることが分かるでしょう。
今回は、これに加えて、「ヤコブとエサウ」の物語をベースにして考えていきます。この物語は、第一義的には、ヤコブ級とエサウ級のことを表わしていますが、例によって、大抵、聖書預言というのは複数の成就があるものです。今回は、ヤコブ=ヤコブ級、エサウ=サタン王と当てはめます。
ヤコブ=ヤコブ級
エサウ=サタン王
-------
㉓-3.まず、この物語とは別の他の物語と比較検討してみます。
例えば、ラバンはヤコブと出会った時、「あなたはまさしくわたしの骨肉です」と言いました。(創世記29:14)。また、一時期、サウル王は神の悪い霊が臨んで苦しんでいた時、若者ダビデが奏でる曲で癒しを得ていました。「そして、サウルは彼(ダビデ)を非常に愛するようになり、彼はその武具持ちとなった」のでした。(サムエル第一16:21-23)。これらは、ヤコブ級とサタン王が急接近して非常に親密な関係に入ることを示唆してます。
とはいえ、そもそも、サタン王は、神の王国の先兵と考えられるヤコブ級に対して否定的でした。それは、ファラオがヘブライ人の男の子を皆殺しにするように命じたのと同じです。しかし、恐らくは、ファラオの娘の懇願で、迫害者であったにもかかわらず、ファラオは、赤子のモーセを例外的に扱うことを許可し、その結果、モーセは、何とファラオの宮廷のただ中で育ったのです。(出エジプト記1:15-16, 2:10)。これと同じように、今後、JW組織から遺棄されている状態にあるヤコブ級は、女神たち(ファラオの娘)に拾われ、サタン王のひざ元で育つことになるのです。
ヤコブ級
=ヤコブ、ダビデ、赤子のモーセ
サタン
=ラバン、サウル王、ファラオ
-------
㉓-4.話を元に戻して、今、私たちは、「ヤコブ級とサタン王」=「ヤコブとエサウ」という点について考察しています。ヤコブとエサウは双子の兄弟でした。彼らの出産前のことについて、創世記25:22では、「彼女(母親)の体内の子らは互いにもがき合うようになった」と言われています。この点について、ホセア12:3では、「腹の中で、彼は自分の兄弟のかかとをとらえ、また、その活動力をもって神と闘った。そして、彼はみ使いと闘いつづけてそれに打ち勝つようになった」とあります。同じように、ヤコブ級は「自分の兄弟」また「み使い」と争い、また戦い、そして、それを制します。これは、霊者(み使い)であるサタンと格闘して、ついに優勢になることを示唆しているのです。
それにしても、なぜ、霊者であるサタンが、人間であるヤコブ級の「双子の兄弟」なのか?と不思議に思う人もいるかもしれません。ところで、人類社会の中で少なからず力を持つ人間の集団や組織の背後には、それを導き、治める(悪霊の)神々が存在しています。(ダニエル10:13「ペルシアの王国の天使長」:新共同訳)。また、有力者(人間)の背後にも特定の神(悪霊の一人)が憑いています。この点で、サタンは現在、ヤコブ級に憑いているというのが、現時点(2022年7月)での私の観測です。
実は、このような状態はかなり以前からあったのですが、特に「ヤコブ級の誕生」(2018年6月7日)以降は、ヤコブ級の「心の割礼を施す期間」(これは7年続くと見られる)(これは、新しい理解です)の最初の5年半ほどの間に誘惑や葛藤などがあり、本当に「格闘」ものでした、しかし、ここ最近になって、ようやくブレイクスルーすることができ、「ついに優勢に」なることができました。この点は、主イエスが、四十日四十夜、悪魔から試みられたのと同じです。(マタイ4:1-2)。
このように、現在、サタンは、ヤコブ級に憑いていて接触しており、ゆえに、この二人は、二人三脚のような共同生活をしています。これは、先に述べた、ヤコブとエサウが同じ胎内で育まれていたことに対応しています。
現在、サタンがヤコブ級に
接触している状態にある
-------
㉓-5.ところで、「人間」と「その憑き神(通常、悪霊の神)」とは相似した状態にあるのが普通です。人はその憑き神の性格を色濃く反映することが多く、また、その当時の世界における憑き神の地位や勢いなどが、「憑かれ人(悪霊の神に憑かれている側の人間)」の、人間の社会における地位・勢いなどに反映されます。逆を言えば、憑かれ人の性格やその行動・地位などを分析すれば、その背後にいる憑き神の動向も見えてくるのです。
それで、今、サタンは、第二次世界大戦で敗れて以降、国も組織もすべて失い、大多数の悪霊の神々から締め出されており、流浪の身となっています。同じように、ヤコブ級も現在、同じ状態にあり、家を出たまま、流浪の旅を続けています。これは、イエスが出会った二人の男と同じです。「悪霊に取りつかれた二人の男が記念の墓の中から出て来て彼に合ったが、この二人はことのほか凶暴であったので・・・」「その時までだれも鎖をもってしてさえも彼を縛りつけることができないでいた。・・・だれも彼を従わせるだけの力がなかった」。(マタイ8:28、マルコ5:3、ルカ8:27)。確かに、サタンは失脚してはいますが、ケルブなので、他の悪霊たちよりも力も知恵もあります。ゆえに、「サタンに従わない、(集団で)無視する」というのがせいぜいで、彼らがサタンを従わせることは無理であるようです。
例えば、私の見立てでは、2001年に起きたニューヨークのテロ攻撃はサタンが主導したものだと考えています。失脚の身で、本来、王であるはずの自分をないがしろにしているという不満、それに景気よく繁栄しているアメリカに対する妬みなどの気持ちがあったのでしょう。それに対して、大掛かりな武器もなく、何と、ジェット旅客機で、しかも、アメリカの大都市の真ん真ん中でぬけぬけと、アメリカ経済の繁栄たるシンボル的な巨大建造物を完膚なきまでに粉砕するという・・・、何という悪意、何という悪知恵・・・。これでもまだ、彼にとっては、「いやがらせ」程度のものでしかありません。一応、サタンは、悪霊たちの中では「平和主義者」の部類です。もしこれが、アッシリアやバビロンなどの好戦的な性格であったなら、このテロ攻撃はこんなものでは終わらなかったでしょう。
このように、主イエスと出会った悪霊に憑かれた男と同様、悪霊の神々全体が総がかりになっても、サタン王を従えることはできないのです。
ヤコブ級とサタンは、
現在、流浪の身
「霊の枯渇」と「汚れた霊」の問題
㉓-6.ところで、それ以降の話となりますが、サタンは気慰めとなるあるモノを見つけました。そう、それがヤコブ級です。これは前述したように、サウル王がダビデの曲で安らぎを得ていたことに対応しています。現在、悪霊たちの世界では、「霊の枯渇」が進んでいます。霊とはつまり、生命力であり、エホバ神がその源となっているのですが、悪霊たちは、エホバ神との断絶により、あたかもコンセントを引き抜かれた扇風機のような状態にあります。一方、ヤコブ級は、依然罪人ではありますが、主イエス・キリストの贖いにより、神とのリンクを再確立しつつ(未だ完全ではない)あります。
それは、次のイスラエルの王に指名された、まだ若き日のダビデと同じです。「こうしてサムエルは油の角を取り、その兄弟たちの中で彼に油をそそいだ。そして、エホバの霊はその日以降、ダビデの上に働きはじめた」とサムエル第一6:13にある通りです。ヤコブ級は、14万4000人の油注がれたクリスチャンのように天には行きませんが、「地上における」次の世代の神の民の(目に見える)地上の代表者として、主イエスにより指名されており、そのような意味において「油注がれて」います。
主イエス(=サムエル)は、JW組織の兄弟たちを年長の者から順に(非公式に)検分されていき、ついに、組織の末端に属していた者(=末の子、ダビデ)の中に、神の心にかなった者を見出し、「ヤコブ級に関する理解」という、聖書預言を解明するのに絶対不可欠な新しい「鍵」を授けました。確かに、霊は見えませんが、このようにして、ヤコブ級が確かに神の霊を受け、次の指導者として指名されたことが、目に見える形で示されているのです。また、私の観測では、夜寝ているときに限るのですが、確かに、霊が働いている様子を感じるようにもなりました。
それで、サタンは霊の枯渇、ヤコブ級は霊が注がれているという状況です。霊を火に例えれば、サタンの持つ火は燃料切れ寸前で、火力も弱っており、寒々としている様子。一方、ヤコブ級の周りは燃料が豊富で火が燃え立っており、ポカポカと発熱しているようなものです。サタンは、いつの頃からか、そのような「暖かい火」を見つけて寄るようになり、とうとう居着いてしまいました。そのようなヤコブ級に働く霊の「暖かさ」は、霊の枯渇で寒々としているサタンにとって気慰めを与えるものとなっているようです。
サタンは、霊の枯渇に苦しんでいる
ヤコブ級には、霊が活発に働いている
これが、サタンが、
ヤコブ級に取り憑いている理由
-------
㉓-7.ところで、私の観測では、体の内で働いている霊は、一定の期間で入れ替わっているらしく、時折、霊が体の外に放出されることがあります。これは、男性の射精にも少し似ていますが、しかし、性的な絶頂感のような感覚が伴うというようなことは特にありません。ただ、少し放出感があり、霊が体の外に出ていったのが分かります。(ルカ8:44「力が出て行ったのを感じた」)。ところで、神からの霊の供給が断たれた悪霊たちは、通常、事故・病気・自殺・戦争などで早死にした人間のまだ残っている生命力(=霊)を、それがまだ神の元に帰る前に横取りして、霊の飢えを凌いでいるようです。そういう彼らにとって、時々、霊を放出するヤコブ級はまるで「打ち出の小槌」のように思えることでしょう。
私個人としては、彼ら悪霊たちに常々こう言っています。「ヤコブ級から出て体の外に落ちた霊については、自由に持って行ってもよい。しかし、まだ、ヤコブ級の内になる霊については、それに手を出してはいけない」と。これもまた、聖句に基づいています。イスラエル人ではない外国の女は、主イエスに、「そうです、主よ、けれども、小犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べるのでございます」と言い、主イエスはこれを良しとして、お認めになりました。(マタイ15:27)。ですから、悪霊たちも、この女のように謙虚な態度で臨む限り、神の王国の食卓から落ちるパンくず(霊のかけら)にあずかることが許されています。特に、ヤコブ級から放出されて、体の外に離れ落ちた霊を拾うことは許されています。
というのも、その一方で、ヤコブ級もまた、サタンの王国の食卓から落ちた物を食べて生きているからです。それは、こじきのラザロが富んだ人の食卓から落ちるものを拾っていたのと同じです。(ルカ16:20-22)。しかし、もし、ラザロが、富んだ人の食卓の上にまだ並べられている品から取って食べるとすれば、どうなったでしょうか。きっと厳しく罰せられたに違いありません。同様に、ヤコブ級のまだ内にある(つまり、まだ食卓の上に載っている)霊に手を出すことは、一切許されておらず、そうするなら、厳罰に処されることになるのです。
悪霊たちも、ヤコブ級から放出される
(こぼれ落ちた)霊を拾って食べる
ことが許されている
しかし、盗んだり、奪ったり
するなら、処罰される
-------
㉓-8.ところが、サタンは、これに手を出してきました。彼は常々、ヤコブ級に接触して、その内にある霊を勝手に掠め取ってきたのです。私としては、痛いという感覚があります。もちろん、抵抗もしますが、いろんな手口で何とか霊を取ろうとしてきます。体を触られて、まるでセクハラされているかのような気分になることもあります。
この状況は、創世記9:18-27が示しています。ハムの子であるカナンは、祖父ノアが酔って裸のまま寝ているのを見て不敬を示したため、呪われました。一方、セムとヤペテはそのようなことをせず、敬意を示したので、祝福されました。つまり、ノア=主イエスを地上で代表するヤコブ級、ハムの子カナン=サタン(ハム=アフリカ・黒色人種の祖ーーエジプト)、セム=バビロン(の悪霊)(セム=アジア・黄色人種の祖ーー中国)、ヤペテ=アッシリア(の悪霊)(ヤペテ=ヨーロッパ・白色人種の祖ーーロシア)・・・ということです。
サタンは、神が遣わしたヤコブ級に対して無礼を働き、エホバ神に対する恐れを示してきませんでした。一方、アッシリアとバビロンはヤコブ級に一目置いており(彼らは軍人系なので階級を重んじる)、神の霊が働くヤコブ級が(彼らよりもうんと年少であるにもかかわらず)、自分たちよりも位が高いと認識して、一定の敬意を示しています。ゆえに、ハルマゲドン後の次の時代において、バビロンとアッシリアはより有利なポジションで統治し、一方、不敬を働いてきたサタンは、彼らよりも数段劣った地位に甘んじることになるでしょう。サタンは、ルベンと同じく悪霊たちの長子で、「威厳の卓越し、力の卓越した者」ですが、しかし、「大水のような奔放のゆえに・・・卓越していない」と父ヤコブが臨終の際に預言した通りになります。(創世記49:3-4)。
とはいえ、サタンも全く神を恐れていないというわけではありません。これから近い将来、主イエスがヤコブ級の元に面会に来られる日が来ます。その時、サタンもまた、その面前で、それまでにしてきた事柄の言い開きを求められることになるでしょう。これを示しているのが、サムエル第二19:15-23です。アブサロムによるクーデターのため、ダビデ王は王宮を離れ、避難しましたが、その出て行く時に、ベニヤミン人のゲラの子シムイは、大声で、ダビデ王の上に災いを呼び求め、大変敵対的な態度を示しました。(サムエル第二16:5-8)。しかし、一転、クーデターが失敗に終わり、ダビデ王が帰還する途中、まだヨルダン川を渡る前に、当のシムイは、民のだれよりも真っ先に駆け付け、ひれ伏し、大いに恐れを示しました。つまり、ダビデ王=主イエス、シムイ=サタンということです。また、その時、有力な軍人であるアビシャイ(=アッシリア)は、シムイ(=サタン)は不敬罪で処刑されるべきだと断じましたが、しかし、ダビデ王(=主イエス)は、シムイがダビデ王を迎えに出て来て恐れを示したゆえに「あなたは死ぬことはない」と言って、さらに誓いました。このように、サタンは、主イエスが直接面会に来られた際に、その大いなる圧倒的な威光の前に大いに恐れを示し、平伏するでしょう。ゆえに、彼は、次の時代で劣った地位に甘んじるという処罰を受けるとはいえ、この時点では何とか逃れることになるでしょう。
サタンは、ヤコブ級に
不敬を示したゆえに、処罰される
-------
㉓-9.さて、今回、私たちは、ヤコブ級とサタン王の関係について、特に、「ヤコブとエサウ」という双子の兄弟が示唆する点を考察しています。上述したように、現在、サタンはヤコブ級に憑いているゆえに、同じ胎にいるかのような状態なのです。ただ、確かに、サタンは、ヤコブ級の憑き神になっているとはいえ、そもそも、ヤコブ級は、主イエスの所有物であり、サタンの所有物として渡されたということではありません。それは、神の霊が働いていることからも明らかでしょう。この点で言えば、主イエスは、息子であるヤコブ級を、敵方の大将であるサタン王の元に送って、融和する意向を示しているということです。歴史上では、普通、弱い家から強い家に、自分の子を人質として差し出し、逆らう意向のないことを確証するものですが、ここでは逆に、主イエスは、神の王国の方が強大であるにもかかわらず(事実、天の戦争で大勝した)、へりくだり、サタンの王国に配慮を示しているのです。
いわば、ヤコブ級は、サタン王にレンタルされているようなものです。ですから、サタン王は、ヤコブ級の「肉」の憑き神であり、同時に、主イエスは「霊」の憑き神であるとも言えます。それは、赤子のモーセを拾って、ファラオの娘が「肉」の親となったものの、一方で、乳(=霊)はヘブライ人(神の民)の実母から授かっていたのと同じです。(出エジプト記2:9-10)。そのような理由で、ヤコブ級は、現在のサタン王の身分を反映させていますが、一方で、彼が行なう神の業において、主イエスの意向をも反映させています。つまり、二重の反映です。それで、近い将来、ヤコブ級が公に活動し始めると、「悪霊どもの支配者ベエルゼブブ(=サタン)による」と勘違いする人も出てくることでしょう。
ヤコブ級に対して、
主イエスは、「霊」的な業
における憑き神
サタン王は、「肉」の様
における憑き神
憑き神=「守護天使」と考えても可
サタンの王国が相続する相続地
㉓-10.さて、本題の「ヤコブとエサウ」についてですが、この双子についてこう預言されました。「二つの国民があなた(母親)の腹にあり、二つの国たみがあなたの内から分かれ出る。一方の国たみは他方の国たみより強く、年上の者が年下の者に仕えるであろう」。(創世記25:23)。つまり、年下の者(弟)ヤコブ=ヤコブ級、年上の者(兄)エサウ=サタンということです。そして、彼らは各々、2つのグループのリーダーの役割を担います。つまり、ヤコブ級は、ハルマゲドン後、地球を相続し、生き残った大群衆と共に「新しい地」の人間社会を形作っていきます。一方、サタン王は、劣ったポジションに就くとはいえ、依然、「名誉最高責任者」とみなされ、サタンの王国を代表し、神に申し開きをする者(そして、サタンの王国の行なってきた業の結果責任を負う者)となるのです。
では、ヤコブ級が地球(約束の地)を相続するのであれば、サタンとその王国はどこを相続するというのでしょうか。物語の中で、兄エサウの受けるべき領地は、父ヤコブの預言によると、「見よ、地の肥沃な土地(=地球)から離れたところにあなたの住まいは見い出される。上なる天の露からは離れたところに」と言われました。(創世記27:39)。そして、実際、エサウはヤコブから離れて、セイルの山地に移住しました。(創世記36:6-8)。エサウの子孫からなる国エドムは「赤い」を意味しています。(創世記25:30)。地球から離れた「赤い」地とは、つまり、火星のことに他なりません。ハルマゲドン後、サタンの王国、つまり、サタンとその部下である悪霊たちは全員、地球のヤコブ級と人間社会からは別離されて、火星に移住し、そこで新しく生活を始めることになるでしょう。
太陽系の惑星の関係も、上の考えを支持しています。太陽=エホバ神の王座、水星=天の天使たちのクラス、金星=主イエスと14万4000人のクラス(天使たちのクラスよりも低い位置にあるが、天界と人間社会との懸け橋なのでこの位置)、地球=ヤコブ級と人類社会のクラス、そして、火星=サタン王と悪霊たちのクラス・・・ということです。
火星は、中心の太陽から見て、地球の下、つまり、「地の下」です。例えば、この表現は、フィリピ2:10で、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名によってかがみ・・・」と出てきますが、それは、地下でも、地獄でもなく、サタンの王国が移住することになる「火星」のことを指していたのです。(聖句によっては、文字通りの「地下」を指す場合もある)。
-------
㉓-11.しかし、地球(=エデン、約束の地)から離されて、彼らは不毛の地である火星でどのように生活していくのでしょうか。まず、火星に植物を植えて、酸素を生成します。その後、地球から運んだ動物を繁殖させつつ、それらの生命力(=霊)を適宜刈り取ることで、霊の補給とします。これは、人間が大洪水以降、動物の肉を食べるようになったのと同じです。(創世記9:3)。ただし、これは、霊者である悪霊たちについてのことであって、ヤコブ級率いる人類は、大洪水後の契約時に発せられた神の布告通り、引き続き、動物の命、また、それを表わす血を食するべきではありません。(創世記9:4)。
主イエスが悪霊に憑かれた男から悪霊を追い出した時、悪霊たちは、豚の中に入ることができるように嘆願しましたが、主はそれをお許しになりました。(マタイ5:11-13)。同様に、悪霊たちは、地球から追い出され、それまではエサにしていた人間を失うため、その代わりとして、動物(の霊・生命力)をエサとすることになります。二千年前と同様に、主イエス・キリストはそれを許可されるでしょう。
もう一つ。悪霊たちには「霊の枯渇」の問題だけでなく、「汚れた霊」の問題も抱えています。もし、天使たちのように、清い思考のうちに生きているなら、霊が汚れるということはありません。しかし、悪霊たちはそうではないので、霊が汚れます。また、人間などよりもはるかに長く生きているので、その汚れもどんどん溜まっていく一方です。それでどうするのかというと、結局、人間と同じで、排泄するしかありません。しかし、その汚れた霊は感染性があり、彼らは、その霊を少なからず自分の手駒である人間の中に入れ、そのために、その人間もその悪霊と同じ霊の色に染まって、同様の精神的傾向を示すようになります。
ところで、実は、ヤコブ級はしばらく前から、悪霊たちのそういう「汚れた霊」の問題を解消するために、ボランティアで汚れた霊を回収しています。ヤコブ級に働く霊の豊富さのゆえに、汚れた霊も薄まるのかもしれません。そこのところの詳しいメカニズムは分からないのですが、そのように汚れた霊を回収しても、ヤコブ級には特段支障はないようです。これは、血の流出を患っていた女が癒された話に対応しています。その女が主イエスに触れると、その汚れた状態は解消されました。(マタイ5:25-29)。しかし、悪霊たちが地球から離れた後、そこにはヤコブ級はいません。ですから、火星に行ったなら、別の方法で、汚れた霊の解消を図らなければなりません。多分、先程示したように、火星で繁殖させる動物の中に汚れた霊を少量ずつ入れて、自然浄化させるのだろうと想像しています。
このように、「霊の枯渇」と「汚れた霊」の問題、つまり、「ごはん」と「トイレ」の問題があるわけですが、それらはきちんと解決されることでしょう。ただし、そのためには、火星を地球のような環境に整え、動植物をしっかり管理しなければなりません。それが、彼らの「仕事」となります。尚、その他の政治・経済云々については、引き続き、自治が許されることになっています。彼らがその時、最善と思える方法で(神の王国とは異なる方法であるとしても)、治めることになるでしょう。言うまでもなく、その結果責任は、彼ら自身が負うことになります。
悪霊たちにも、
火星での「仕事」が与えられ、
「ごはん」と「トイレ」
の問題も解決される
-------
㉓-12.このように、悪霊たちにも、将来の明るいビジョンが提示されています。永遠の滅び、地獄で延々と苦しむとか、そういうことにはなりません。(論文21「被造物すべては永遠の命を受け継ぐ!」も参考に)。ただし、ここが重要な点なのですが、悪霊たちの中でも、神の真理の教えに従う者と、そうでない者とでは、明らかに異なった結果が生じることになるでしょう。それは、人類社会の中でも、神に従う人と、そうでない人とでは、異なる結果になるのと同じです。特に、今、この時期、ヤコブ級に対してどのような態度を示すか、ということが、今後の彼らが受ける報いを左右することになります。ヤコブ級に不敬を働く者には呪いが、逆に、敬意をもって接する者には祝福が臨むのです。
悪霊たちの中には、今後、ヤコブ級の元に馳せ参じる者たちがいることでしょう。それは、逃亡中のダビデの元に、ヨアブとかアビシャイといった軍人たちが集まってきたのと同じです。(サムエル第一22:1-2)。また、エリコのラハブも、ギベオン人も、本来、滅びに定められたカナン人であったのに、信仰とエホバ神への恐れ、また、神の僕たちに対する敬意を示したゆえに、滅びを免れました。(ヨシュア6:17, 11:19-20)。ですから、心あるサタン王の部下である神々は、是非とも、エホバ神と主イエスが遣わしたヤコブ級に敬意を示すことで、神に対する恐れを示すことを勧めます。(詩編2:12「子に口づけせよ」)。
このように、現在、地球には、罪人である人間社会のクラスと、サタン王配下の悪霊たちのグループとが混在していますが、この状況は、ハルマゲドン後、地球(ヤコブ級)と火星(サタン王)とに「分家」することで一変します。その「クラス分け」の後、エホバ神は、それぞれのクラスに応じてふさわしい教育を施されるのです。しかし、その分家する前、ハルマゲドン前のわずかな期間の間にですが、ヤコブ級がサタン王家に養子にされ、また、二人の女神をめとる(政略結婚、論文19で説明)ことで、神の王国とサタンの王国は融和状態に入り、その際に、サタンの王国と神の王国の「パイプ役」、「連結部分」として機能するヤコブ級との関係により、将来、サタンの王国の国民(悪霊たち)が、神の家族に復帰するための布石が打たれます。これは、2000年前に、主イエスが、天から下って来られて人間家族の一員となり、神と人との間の仲介者、懸け橋的存在となって、罪人が神の子、神の家族の一員となれるための布石を打ったのと同じです。
まさに、今、それが行なわれています。ヤコブ級とサタン王の関係に注目し、神のご計画が今後どのように進展するかを思い量ることのできる人が一体どれほどいるでしょうか。
ヤコブ級は、神の王国とサタンの王国を
つなぐ連結部分として機能する