㉒-2.上記の表は、2009年1月1日から始まって、現在にまで至っていることが分かるでしょう。これらはすべて、聖書物語が示唆する日数に基づき、現状で起きている出来事と照らし合わせつつ、積み上げてきたものです。
①聖書物語が示唆する日数と
②現状で起きている出来事
とを照らし合わせて、今がエホバ神の
予定表のどこに当たるのかを確かめる。
それが分かれば、
今、特に何をすべきなのかも分かる。
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㉒-3.これから説明に入りますが、まず、この日程表を理解する上で欠かせないのは、列王第一18章のエリヤと偽預言者たちがカルメル山で対決した物語です。実際、上の表は、その物語にそって展開しています。是非、聖書その部分をざっと読んでみてください。
この物語の登場人物とその実体とはこうです。預言者エリヤ=ヤコブ級、バアルの預言者たち=エサウ級、アハブ王=居眠りしている統治体、どっちつかずの民=現行のJW各自。
まずは、列王第一18章を読んでみましょう。
預言者エリヤ=ヤコブ級
バアルの預言者たち=エサウ級
アハブ王=居眠りしている統治体
どっちつかずの民=エホバの証人の信者各自
上記の表にある出来事は、
この物語にそって展開している。
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①エサウ級の統治について=2009年1月~
㉒-4.最初に、エリヤは、バアルの預言者たちに向かって、「自分たちで一頭の若い雄牛を選び、最初にそれを整えなさい。あなた方は多数だからです」と言いました。ですから、前半は、バアルの預言者たち、つまり、エサウ級のターンです。エサウ級とは、つまり、現行のエホバの証人の組織を統括している有力な兄弟たちのことですが、しかし、彼らの思惑はエホバ神の御心とは完全に一致していません。(列王第一18:25)。
では、そのようなエサウ級がエホバの証人の組織を牛耳っていることはこれまでの出来事の中でどのように示されましたか? それは、2009年1月から実施されている「集会縮小」の取り決めにより、顕著に示されました。その取り決めが、ヘブライ10:24-25に反していることは明白です。その聖句は、「ますますそうしよう(集まり合って励まし合おう)」と言っているからです。このように、霊的な食卓にあずかる機会、また互いに励まし合う機会が減らされたことにより、エホバの証人の会衆全体が大きな霊的影響を受けたものと思われます。
つまり、これは、エリヤの日に起きた3年6ヶ月の干ばつに相当します。集会の取り決めから「命の水」を得る機会が減らされたため、民が霊的に枯渇してしまったからです。この「3年6ヶ月の干ばつ」は、列王第一17章に出てきます。イエスと弟子ヤコブはその期間を「3年6ヶ月」としています。(ルカ4:25、ヤコブ5:17)。
(列王第一18:25-26に基づく)
エサウ級が組織を統治することで、
命の水の供給が滞り、霊的な干ばつが生じた。
=3年6ヵ月
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②WT協会は嘲られるについて=2012年7月1日~
㉒-5.上記の「①エサウ級の統治」の始まった2009年1月1日から「3年6ヶ月」を数えると、2012年6月30日までとなります。依然として、エサウ級のターンが続いている期間ですが、その辺りを境に、様子が変わってきました。(列王第一18:26-29)。
実際、2012年6月には、ものみの塔協会はキャンディス・コンティとの裁判で敗訴しました。それ以来、協会は、周囲の人々から大いに嘲られてきました。エリヤと対決したバアルの預言者たちが嘲られたのと同様です。
これは、エゼキエル4章で示された例えの成就でした。エゼキエルは、エルサレムの攻囲のために、まず、390日を数えるよう指示されました。この協会が嘲られている状態は、エルサレムが敵に包囲されて籠城している状態を示しています。
(列王第一18:27-29に基づく)
WT協会は敗訴する。
以降、協会は人々から嘲られ、
攻囲された状態に陥る。
=390日
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③ヤコブ級へのバプテスマについて=2013年11月18日~
㉒-6.上述したエゼキエル4章の続きには、390日の後に、体の向きを変えて、40日を数えるように指示されています。エゼキエル4:8には、「そして、見よ、わたしはあなたに綱を掛け、あなたが攻囲の日数を完了してしまうまで、自分の向きを一方の側から他方の側に変えることのないようにする」と言われています。つまり、この体の向きが変わるということは、エサウ級のターンからヤコブ級のターンに移行することを意味しています。
上記①②は、エサウ級の統治期間、エサウ級のターンでした。実際、エリヤの物語の続きの列王第一18:30-35以降は、エリヤが犠牲を捧げる番となっています。ですから、次はヤコブ級のターンです。その際、エリヤは、「四つの大きなかめに水を満たし、それを焼燔の捧げ物と薪の上に注ぎなさい」と指示しました。
次は、ヤコブ級のターン。
㉒-7.この「四つの大きなかめ」とは40日のことを表わしているものと思われます。聖書の中で「四十日四十夜」は何ヶ所か出てきます。大洪水の時(創世記7:12)、モーセがシナイ山で律法を受けた時(出エジプト記24:18、34:28、申命記9章)、エリヤがホレブ山まで行った時(列王第一19:8)、イエスが悪魔から誘惑を受けた時(マタイ4:2)がそうでした。また、「四十日」であれば、十二人の斥候が約束の地を探った時(民数記13:25、14:34)、巨人ゴリアデが嘲弄した時(サムエル第一17:16)、ヨナが宣べ伝えた期間(ヨナ3:4)、復活後のイエスの現われ(使徒1:3)です。
ですから、この期間は、エリヤ(=ヤコブ級)が公の舞台に立つにふさわしい者となるために清められ、精錬されるための期間です。サタンからの攻撃を受け、大洪水のような苦難を経験して練り清められなければなりませんでした。大洪水は、ペテロ第一3:20-21でバプテスマになぞらえられています。それは、エリヤが祭壇の犠牲に大量の水を注いだ(浸かった)ことによっても示されています。また、一方で、ヤコブ級は、今後のエホバの地上の業に関して、啓発を受ける必要もありました。
後述しますが、この③のバプテスマは、⑦の霊的な割礼とは少し異なります。③のバプテスマは、苦難・試練を忍耐するという趣が強い一方、⑦の霊的な割礼は、自分の内面の罪深さ・不完全さを克服するという趣旨のようです。
㉒-8.さて、これは、私が実際に経験した事ですが、2013年11月18日に突如、冬にもかかわらず、九州を出発し、徒歩で1200km歩いて、図らずもちょうど40日目の同年12月27日夜に、東京の皇居、桜田門にたどり着きました。★これが1回目の40日40夜でした。
さらに、それから、約4ヶ月東京で生活し、これも図らずに起きたことですが、2014年4月23日にちょうど東京にオバマ大統領が来た折に、東京は厳戒態勢となり、それを機に私は東京から海老名に行くことにしました。そして、海老名では1度ベテル内の王国会館での集会にも出席しました。
その後、これも図らずに2014年4月27日に海老名を出発し、九州へと帰りました。行きは山陽道を通りましたが、帰りは山梨・長野を通り抜けて日本海に出て、山陰道を通り、さらに鳥取から中国山脈を越えて自宅のある山口に着くのに、2014年6月5日まで、ちょうど40日かかりました。★これが2回目の40日40夜でした。
この2回の40日40夜は、2013年11月18日〜2014年6月5日までのちょうど200日の間に生じました。これが、エリヤが「水を満たし・・・注ぎなさい(1回目の40日、行き)。・・・もう一度そうしなさい(2回目の40日、帰り)」の期間です。つまり、200日で1ターンだということです。
ところが、エリヤはさらに、「それを三度しなさい」と命じました。現状から察するに、これは、「(1ターン=200日が終わった上で)、(さらに)それを(もう)三度しなさい」と解釈すべきであるようです。(この理解に達するのに紆余曲折ありました)。
つまり、「200日1ターン」 + 「さらにもう三度(600日)」 = 800日であるということです。もしそうなら、この「③ヤコブ級に対するバプテスマ」は、2016年1月26日までということになります。
2013年11月18日~12月27日=40日(行き)
2014年4月27日~6月5日=40日(帰り)
合計で200日。
200日を1ターンとして、それを1+3回繰り返す。
すなわち、800日。
とはいえ、「③ヤコブ級に対するバプテスマ」、つまり、ヤコブ級が苦難を忍耐する期間というのは、それ以降も継続しています。それは、「①エサウ級の統治」や「②WT協会は嘲られる」についても同じです。そのような状況は、3年6ヵ月や430日で終了したのではなく、今も尚、継続しています。
①②③は今も尚、継続中。
㉒-9.上記では、ヤコブ級個人に対するバプテスマについて述べましたが、しかし、バプテスマ・試練を受けるのは、ヤコブ級だけではありません。組織に留まりつつも苦難を忍んでいる忠実な大群衆の兄弟姉妹たちもまた、そのバプテスマを受けていると言うことができます。例えば、今、考慮している列王第一18章の前半では、アハブの家をつかさどっていたオバデヤという人物が出てきます。彼は、女王イゼベルから殺害されそうになっていたエホバの預言者たちをかくまっていました。それは命懸けの行動であったに違いありません。そのように、現行のJW組織の中で、エサウ級の下で苦しみながらも依然として忠実に仕える兄弟姉妹たちがいます。
そのような兄弟姉妹について、使徒パウロは、ローマ11:4で、「わたしは自分のために男子七千人を残した。バアルにひざをかがめなかった者たちである」と列王第一19:18を引用して預言的に言及しています。彼らのことを「七千人級」と呼んでおきましょう。
組織の中で忠実を保っている兄弟姉妹たち
=七千人級
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④しるしが付けられるについて=2016年1月27日〜
㉒-10.エゼキエル9:4には、こうあります。
「都の中、エルサレムの中を通れ。その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し、うめいている者たちの額に、あなたは印を付けなければならない」。
この「都の中」とは、神の都エルサレム、エホバ神の神殿の所在地でした。その中で、つまり、現代のJW組織の中で「行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し、うめいている者たち」とは、まさに先程挙げた「七千人級」のことです。また、エゼキエル34章にあるように、牧者から組織外に不当に追い散らされ、かつ今尚忠実を保っている人たちもそうです。その代表例がヤコブ級です。
嘆息し、うめいている者たち
=七千人級、ヤコブ級
先述した通り、「①エサウ級の統治」の下、「③ヤコブ級へのバプテスマ」の期間を通して、忍耐してきた彼ら忠実な者たちに対して、エホバ神はエゼキエルに見せた幻と同じく、額にしるしを付けることを行なわれたようです。この「しるしが付けられ」、かつ「天使からの災いが容赦される」というのは、出エジプト記12:7と同じです。そこでは、過ぎ越しの際に、戸柱に犠牲の血を付けることで天使からの処罰を過ぎ越すことができました。
額にしるしを付ける
=戸柱に犠牲の血を付ける
これは、サムエル第二24章に出てくる「人口調査」の話とも合致します。ダビデ王の命令に基づき、軍の長ヨアブは、全イスラエルを歩き回って一人一人の数を調べました。そして、その調査の後に、天使から処罰が続いており、その点が共通しています。つまり、これは、天使たちが、JWの組織内を行きめぐって、エホバの証人各人を一人一人調べたことを意味しています。そして、しるしが付けられるべき者にはしるしが付けられました。その期間は、サムエル第二24:8によれば、「九か月と二十日」となっています。これが、「④しるしが付けられる」の期間でした。
ヨアブたちが全イスラエルを歩き回る
=天使たちがJW組織内で一人一人を調べて回る
その期間は、9ヶ月と20日。
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㉒-11.ここまでをまとめてみると、エサウ級は、「①エサウ級の統治」の期間中、彼らが彼ら自身の方法でJW組織を統治することが許され、その結果、「②WT協会は嘲られる」という苦い実を刈り取ることになりましたが、一方、ヤコブ級と七千人級は、「③ヤコブ級へのバプテスマ」の期間中、苦難を耐え忍び、その結果、「④しるしを付けられる」という良い実を得ることができました。
つまり、①②はエサウ級のターンで、③④はヤコブ級のターンでした。しかし、先程も説明した通り、これらの期間はすでに終わったのではなく、現在(2019年3月現在)も継続されていると思われます。依然として、エサウ級はJW組織を統治していますし、その下で、ヤコブ級も七千人級も忍耐しているからです。ただ、このようにして聖書物語に基づいて日数が数えられるようになっており、かつ、その状況にはどんな意義があるのかを知ることができるようにされているのです。
①②は、エサウ級のターン。
→嘲りという苦い実を刈り取る。
③④は、ヤコブ級のターン。
→額にしるしが付けられる。
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⑤3週間遅れで、統治体に啓示について=2016年12月7日
㉒-12.ところで、このような預言的な日付を数える作業というのは、かなり紆余曲折があるもので、今までに説明してきた期間というのは、初めから一発で言い当てたというわけでは全くありません。何度も何度も「この日では???」と期待して待ったものの、結局は何も生じなかった・・・ということは本当に何十回もありました。
それで、この⑤については、結果論になってしまうのですが、前後の日付の関係性から、現在のところ、2016年12月7日と定めています。つまり、「④しるしが付けられる」の日数、つまり、「9ヶ月と20日」が満了した2016年11月15日の翌日の、11月16日から数えて「3週間」過ぎた翌日の2016年12月7日に、統治体に対して天使からの啓示があったものと思われます。これについては、私の方では確認することができませんが、信仰のうちにそのように考えています。
これは、ダニエル10章で、預言者ダニエルに天使が現れる場面に基づいています。ペルシャの悪霊の抵抗に遭い、天使は「3週間」遅れてダニエルの元にたどり着きました。
恐らく、3週間遅れの
2016年12月7日に、
統治体に啓示があった。
㉒-13.それで、統治体はどのような啓示を受けましたか? それは、ルカ2章の祭司ゼカリヤの話から理解できます。彼は祭司であり、その時、彼の番が来たために、神殿の聖なるところに入って行きましたが、そこで天使を目撃しました。その際、天使は、ゼカリヤの妻エリサベツに男の子が生まれるということを知らせました。
この場合、ゼカリヤとエリサベツは夫婦で油注がれたクリスチャンを指しています。(ここで言う「油注がれたクリスチャン」というは、統治体だけでなく、すでに復活している油注がれたクリスチャンをも含むのかもしれません。しかし、第一義的には、統治体と見てよいでしょう)。同様に、創世記27章で、イサクがエサウではなくヤコブを祝福した物語も、イサクとリベカは夫婦で油注がれたクリスチャンを指しています。イサクは目が見えなくなっていましたが、それは、マタイ25章の十人の処女のたとえ話と同じく、統治体の成員は霊的な居眠りに陥っているからです。
祭司ゼカリヤ+エリサベツ
=イサク+リベカ
=愚かな処女+思慮深い処女
=マノア+その妻
=アブラハム+サラ
=油注がれたクリスチャン(統治体含む)
㉒-14.話を元に戻すと、天使からの啓示という点は、裁き人13章も同じです。裁き人サムソンが生まれる前のこと、その両親は、やはり、天使に出会い、男の子が生まれるという知らせを受けます。このマノアとその妻も夫婦で油注がれたクリスチャンを指しています。また、この点は、創世記18章も同様です。そこでは、訪問してきた天使が、アブラハムに対して、「来年この時期にわたしは必ずあなたのところに帰って来る。そして,見よ,あなたの妻サラに男の子ができる」と告げられたのです。
天使から「男の子が生まれる」と知らされる。
それに対して、統治体としては、物語上でサラが笑ったり、祭司ゼカリヤが信じることができなかったのと同じで、「本当にそんなことが起きるのだろうか?」といった不信仰な反応だったと思われます。彼らは霊的に居眠りに陥っているので、新しい指導者の登場を理解できません。
祭司ゼカリヤが信じなかった
=サラが笑った
=統治体は信じることができない
上記の創世記18:10,14で「来年この時期に」ありますので、その男の子が生まれるのは、1年後ということになります。
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⑥ヤコブ級への啓示について=2017年6月7日~
㉒-15.エリサベツが妊娠してから六月目に、天使ガブリエルは今度は処女マリアのところに行って、メシアとなる子が生まれることを知らせました。ここでのマリアはヤコブ級自身のことです。しかし、ヤコブ級は男子ではないのですか?
例えば、マリアの他にも、娼婦ラハブ、ヘベルの妻ヤエル、エフタの娘などの女性たちも、やはり、ヤコブ級を預言的に指しています。つまり、それは、ヤコブ級の霊者的な側面のことです。彼は人間の間では指導者であり、男子ですが、霊者の間では最も末席の地位にあり、従属的であるという意味で「女」のような立場にあります。
ヤコブ級は、霊者としては従属的な立場。
物語中の女性によって示されていることがある。
㉒-16.ところで、私はこのように日付を数えてきたのですが、「⑤統治体への啓示」からちょうど「六月目」、つまり、満6ヶ月が終了した翌日の2017年6月7日に、これからどうなるのだろうか?と思いをめぐらせていたところ、思いがけぬ交通事故に遭ってしまい、それをきっかけに、自宅のある山口県に帰ることになりました。交通手段は自転車です。そして、自宅に着いた後、その足で東京に3回目となる遠征を行なうことを思い立ちました。
⑤からちょうど6ヵ月経過して、
思わぬ交通事故に。
偶然とも思えない日付で物事が動いていると感じ、私は、主イエスに、直接的に現われて啓示を受けるものと思って、そのことを必死に尋ね求めました。しかし、主の答えは、そのような直接的な超自然な幻によってではなく、「導きによって思考させ、一定の結論(教訓)を引き出させる」方法をもって今後も教えていく・・・というものでした。しかし、確かに、私は、その東京への旅の過程で、主イエスからの教えをたくさんいただいたと感じています。
旅の途中で、
主イエスからの教えをたくさん受けた。
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⑦エリヤが生まれるについて=2017年12月7日
㉒-17.「⑤3週間遅れで、統治体に啓示」からちょうど1年が、この日付となります。私は、2006年以降、本当にもう何十通も統治体に手紙を送っているのですが、その当時2017年頃は、直近2年ほど何の手紙も送っていませんでした。しかし、思い立ち、統治体に一連の手紙を書き送りました。その中には、新しい男子が生まれたという点を指摘するものも含まれていました。恐らく、これをもって、統治体の、その中の恐らく一部の忠実な成員は、新しい男子の誕生を認識したものと思われます。
⑥の6ヵ月後、
すなわち、⑤の1年後。
一連の手紙によって、
統治体は、新しい男子の誕生を認識した。
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⑧ヤコブ級が生まれるについて=2018年6月7日
㉒-18.これも、「⑥ヤコブ級への啓示」からちょうど1年後の日付です。この時期、私はちょうど東京に向けて4回目の遠征をしているところでした。途中から気付いたのですが、これまでは、単に苦難や不自由な状況を忍耐する(バプテスマ)という問題でしたが、今回は、自分の内面に隠されている罪深さとの闘い(心の割礼)になっていました。
ヤコブ級は、霊的な意味で生まれましたが、まだまだ赤子に過ぎません。これからきちんと心の割礼が施された後に、公の登場を果たすことになるでしょう。
⑦の6ヵ月後、
すなわち、⑥の1年後。
4回目の東京遠征にて、内面の罪深さとの格闘。
心の割礼が施されることで、公の登場にふさわしい状態になる。
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㉒-19.以上が、現段階(2019年3月現在)までに数えてきた日付です。
これまでの経緯の詳細について知りたい場合は、下記リンク先のページにある「日付に関する研究、ヤコブ級の業」の項の資料にあります。しかし、それらをすべて読むことは困難だと思いますし、その都度その都度理解を調整してきたので、現時点で読んでも意味はないだろうと思います。ただ、それだけの量の資料から、実際、いろいろと紆余曲折しながら、今回まとめたような結論がようやく導き出されたのだということが実感できることでしょう。
https://sites.google.com/site/jwbibleprophesy/mokuzi
(リンクが切れています)。
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㉒-20.この日付を数えるという作業は、飽くまで、ヤコブ級の公の登場がいつかを見定めるためのものです。ヤコブ級の公の登場とは、すなわち、主イエスの再来が極めて近いということを意味しています。では、私たちすべては、聖書預言の日付に関心を払って目覚めた状態を保ち、その日がいつ来てもよいように準備を整えておきましょう。
ヤコブ級の公の登場は間もなく。
主イエスの再来は近い!