「エホバの証人は退廃しているので

神の組織ではない」と考えていませんか。


2013/05/29


2012年6月に、ものみの塔協会は虐待事件に関して法廷で敗訴しました。多くの人がエホバの証人の組織に失望してきたかもしれません。あなたはどう感じていますか。そして、それに関する神のご意志とは何でしょうか。

実は、聖書はそのような事態について預言していました。本当ですか? 例えば、イエスの時代のエルサレムについて考えてみてください。大祭司とサンへドリンは神の地上の(本物の!)代表者でしたが、彼らは腐敗していました。それで、イエスはこう言われました。

「書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。それゆえ,彼らがあなた方に告げることはみな行ない、また守りなさい。しかし、その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが、実行しないからです。重い荷をくくって人の肩に載せますが、自分ではそれを指で動かそうともしません。すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです。」(マタイ23:2-5)。

多くの人は神の組織はいつも清廉潔白だと考えているかもしれませんが、聖書の記録によると事実はそうではありません。しかも、神の組織(本物の!)の腐敗には意味があるのです。どのような意味でしょうか?

神の組織には繰り返されるパターンがあります。「精錬」→「増加(祝福)」→「腐敗」→「精錬」・・・といった具合です。特に分かりやすい事例としては、裁き人の書にはそのような繰り返しが記録されています。

言い換えると、神の組織の腐敗は裁き(精錬)の前兆であると言うことができます。事実、まもなく、イエス・キリストは神の民を裁くために来られるでしょう。つまり、神の民の腐敗は預言されていたのです。その意味について、あなたはどう思いますか?

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そのような腐敗の下で忠実なクリスチャンが忍耐していることでしょう。しかし、彼らについて聖書はこう言っています。

「都の中、エルサレムの中を通れ。その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し、うめいている者たちの額に、あなたは印を付けなければならない」。(エゼキエル9:4)。

「エルサレムの中」とは神の組織の中のことです。つまり、聖書は神の組織が腐敗することをやはり預言していたのです。

 

その順番は次のとおりです。

1.神の組織が腐敗する。

2.忠実な者が「嘆息し、うめく」。

3.エリヤが遣わされ、悔い改めを宣べ伝える。

4.主イエスが、エリヤの後に来られる。

 

これは1世紀と全く同じ状況です。同じことが現代にも繰り返されるでしょう。現段階において、すでに1.と2.が生じています。それにしても、3.の「エリヤ」とは何ですか。1世紀の場合、エリヤとはバプテストのヨハネのことでした。しかし、マラキ4:5はこう預言しています。

「見よ、エホバの大いなる、畏怖の念を抱かせる日の来る前に、わたしはあなた方に預言者エリヤを遣わす」。(マラキ4:5)。

「エホバの大いなる・・日の来る前」とはまさに今のことではありませんか。そして、エリヤは「あなた方」つまり、神の民に対して遣わされ、「悔い改めよ!」と宣べ伝えるのです。確かに今、神の民であるエホバの証人は悔い改めなければならない状況にあります。

 

ですから、次のことを理解すべきではないでしょうか。

1.聖書は神の組織が腐敗することを預言していた。

2.それゆえに、イエスは彼らを裁くために来られる。

 

イエスが羊飼いであったことを思い出してください。そして、イエスは羊の群れを導いてゆかれます。「羊の群れ」とは、つまり組織のことではありませんか? ですから、イエスは確かにご自分の組織を持っておられます。(つまり、主イエスは、個人個人をバラバラにではなく、真の組織(群れ)を率いられるということ)。

とはいえ、それでも組織の腐敗は正当化できません。ただ、ものみの塔協会のゆえにつまずくようなことがあってはなりません。1世紀の忠実な人々について黙想してみてください。当時、彼らは腐敗した組織(本物の神の民!)の中でキリストの到来を待ち望んでいました。今、「嘆息し、うめいている者」の額に神がしるしを付けてくださいますように。

あなたはこの考えについてどう思いましたか?

 

 

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どのようにして、組織は裁かれるのでしょうか?

論文05 エリヤの音信に注意を払いキリストを迎え入れる用意をする