論文18 ヤコブ級の活動を
預言的に示すパウロに関する記述
「行きなさい。私にとってこの者は、わたしの名を諸国民に、
また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器だからです」。
使徒9:15。
2012/11/21
⑱-1.論文14の6節以降で、ヤコブ級の任命はサウルがイスラエルの指導者として任命された物語の成就であると論じました。さらに、別の論文08の4節以降では、ヤコブ級はヨハネ9章でイエスにいやされた盲目のこじきとも対応しているとも論じました。この二つの物語から連想できるのは、サウロが改宗した事例です。では、その事例からヤコブ級に与えられた任務について考察してみましょう。
サウロの改宗=ヤコブ級の活動と関係
⑱-2.このベニヤミンの部族のサウロは、ベニヤミンのサウル王と実質同じ名前です。そして、彼もまた盲目のこじきと同じようにイエスの命令により目が開けられました。確かに、彼はイエスが地上で宣教を行なっていた時の直弟子ではありませんでした。しかし、彼は自分のことをこう言っています。「…しかし、すべての者の最後として、あたかも月足らずで生まれた者に対するかのように、わたしにも現われてくださいました。」(コリント第一15:8)。ちなみにこの一つ前の聖句では、「彼はヤコブに、次いですべての使徒たちに現われました」と述べています。これは、エヒウであるイエスがエホナダブであるヤコブ級にまず会い、それから使徒たちつまり、統治体の所に来ることと対応していると思われます。
・サウル王と、使徒パウロ(同じ部族、同じ名前)
・盲目のこじきだった人と、パウロ(目が開けられた)
・(主イエスの実の弟の)ヤコブ
これらは、いずれも、ヤコブ級を予表している
また、
すべての使徒たち=統治体
⑱-3.このサウロがイエスによって目が開けられた事例は使徒9章にあります。もともと彼はクリスチャン会衆を迫害する者でした。以前の論文08の6節以降で、ヤコブ級は会衆から不当に追放されるということを説明しました。ですから、排斥された彼はエホバの組織に反対する背教者と同じ部類の者とみなされることでしょう。しかし、イエスは疑問を抱くアナニアを諭し、サウロの目を開けさせます。これは、ヤコブ級が統治体によって会衆に復帰させられ、新しい地の後継者として任命されることを意味しています。
サウロは会衆から
疑いの目で見られていた。
同様に、排斥者である
ヤコブ級もそのようにみなされる。
⑱-4.また、このサウロ、つまりパウロは自分の伝えた良いたよりについてこう言っています。「…兄弟たち、あなた方に知らせておきますが、わたしが良いたよりとして宣明した良いたよりは人間的なものではないのです。わたしはそれを人間から受けたのでも、また、イエス・キリストの啓示による以外には、教えられたのでもないからです」。さらに、彼はこう言っています。「…そうです、それら主立った人々はわたしに何も新しいことを授けはしませんでした。それどころか、ペテロが割礼を受けた人たちに対する良いたよりを託されたのと同じように、わたしが無割礼の人たちに対する良いたよりを託されているのを知った時― 割礼を受けた人たちに対する使徒職に必要な力をペテロに与えた方は、わたしにも諸国民の者たちに対する力を与えてくださったのです。」(ガラ 1:11‐12、2:6‐8)。
ヤコブ級が示す新しい教えは、
主イエスから直接受けたものであり、
統治体から与えられたものではない。
⑱-5.ここで、ペテロが割礼を受けた人たちに対して力が与えられたということは、統治体が霊的な割礼を受けた油そそがれたクリスチャンを集める業に用いられることを表わしています。そして、パウロが諸国民への使徒とされたことは、ヤコブ級が霊的な非イスラエル人であるほかの羊の大群衆を最終的に集め、新しい地に導き入れることを意味しています。ところで、彼がイエスの啓示によって良いたよりを授けられたということは、ヤコブ級がイエスによる幻とか夢を見たということではありません。なぜなら、そのような事柄はその人が確かにイエスからの啓示を受けたという証明にはならないからです。確かに、その人がイエスからの啓示を受けたと言い得るのは、聖書預言に関する新しい理解がその人を通して与えられることによります。ペテロもこう言っています。「…なぜなら、あなた方はまずこのことを知っているからです。つまり、聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく、人が聖霊に導かれつつ、神によって語ったものだからです。」(ペテロ第二1:20‐21)。
油注がれた統治体は、
天的級を集めるための権威を授かっており、
一方、ヤコブ級は、
地的級を集めるための権威を授かる。
⑱-6.さらに、パウロは、このガラテア人への手紙の中で、ケファによる虚偽の振る舞いに抵抗したと述べています。(ガラテア2:11‐14)。このケファとは使徒ペテロのことで、彼は割礼組への恐れのために諸国民の兄弟たちとの食事の場から身を引きました。しかし、エホバとイエスはユダヤ人と異邦人との壁を取り除いておらたのです。それで、彼の行為はこのお二方のご意志に逆らう割礼組の考えを会衆の中で容認する明らかに不公平ものでした。(エフェソス2:14、使徒10:34、35)。さらに、この虚偽にはバルナバや他の大勢の兄弟たちが引かれて加わりました。これは、今日、エホバの組織の中で統治体がある不忠実な行為を大目に見た結果、組織全体がイエスの懲らしめを受けなければならないほどに不忠実になることを意味しています。これは、論文05の14節以降でも論じたように、祭司になる前のアロンの容認による金の子牛崇拝と、大祭司エリの容認によるシロでの不忠実な行為と同じです。(統治体はその時のアロンと同じく、天での祭司級になる前の状態にあり、またエリのように、偉大な大祭司イエスを地上で代表しています。とはいえ、パウロがペテロとではなくケファとあえて別名で呼んだのは、そのような虚偽の振る舞いが統治体の本来の特質ではないことを暗示しています。むしろ、統治体の忠実な成員は大祭司ヨシュアと同じく清められ、イエスと共に天へ行くことになるでしょう)。しかし、ヤコブ級はそのような不忠実な状況に「抵抗」します。そして、イエスが彼と共に世界本部に来る時、つまりモーセがヨシュアと共に山から下ってくる時にしたのと同じように、エホバの組織を清めることになるでしょう。
統治体が「虚偽の振る舞い」をするために、
大勢の兄弟たちがそれに盲従する。
ヤコブ級が主イエスと共に世界本部に来る時、
そのような状態は正される。
⑱-7.また、パウロがローマへ旅した事例は、ヤコブ級による今後の活動を預言的に表わしています。つまり、彼は今後、ニューヨークの世界本部に現われます。その後、アメリカのエホバの民と共にアメリカから脱出します。そして、南の王アメリカが滅びた後、飢きんの七年の間、北の王中国に対して警告の業を展開します。これは、パウロがまず神殿のあるエルサレムにいる使徒や年長者たちのところへ行き、その後、当時の北の王の首都ローマに行ったことに対応しています。以前の論文13の2節以降で述べたとおり、これと同じく、エリシャもエリヤと共にヨルダンを渡り、そしてエリヤが天へ上った後、一人でヨルダンを渡って帰ってきました。ですから、ヤコブ級もイエスと共にアメリカの世界本部へ渡って来て、その後、イエスと共に統治体の忠実な成員が天へ行った後、エリシャが再びヨルダンを渡ったようにアメリカを脱出することになるでしょう。