論文06 イエスと共に来る者とはだれですか
「見よ、あなたの王があなたのもとに来る。義にかなった者、救われた者である。
謙遜であり、ろばに、しかも成熟した雌ろばの子に乗っている」。
ゼカリヤ9:9
2012/03/15
⑥‐1.マタイは上記のゼカリヤの預言が、西暦33年ニサン9日にイエスがエルサレムに入城された時に成就したと説明しています。(マタイ21:4、5)
そして、イエスは当時の神の民を検分されました。しかし、肉のイスラエルは約束のメシアであるイエスを退けることによってエホバ神から退けられました。
今日、再びイエスが神の民を検分するために来られます。その点は先回の論文05で論じた通りです。
ところで、現在イエスは復活した霊者として天で活動しています。1世紀の検分の時とは違い、イエスは私たちの目には見えません。
では、私たちはどのようにして現代のイエスによる検分を識別できるのでしょうか。また、その時の特徴からある重要な情報を得ることができます。
イエスは神の民(JW)を
検分するために来られる。
では、どのようにして?
⑥‐2.今まで論じてきた論文の中にも、そのイエスの検分を預言的に示している物語がいくつかありました。
例えば、アロンが容認した子牛崇拝に関する問題で、山から下ってきたモーセはイエス・キリストであることを説明しました。(出エジプト記32章、論文05の16節をご覧ください。)
また、アメリカの共和党とキリスト教会を示しているアハブの家とイゼベルを裁くために突進してきたエヒウ王もイエスでした。そして、このエヒウ王は同時に神の民であったイスラエルのバアル崇拝者を処罰しました。(列王第二10章、論文03の13節をご覧ください。)
ですから、この二つの物語は同じ将来の出来事、つまり現代のイエスによる検分を預言的に示していることが分かります。
さて、ここで興味深い共通点は、神の民を裁くために来たモーセとエヒウは一人で来たのではないということです。モーセはヨシュアを伴い、またエヒウはエホナダブを伴っていました。
この現代の検分の時に目に見えないイエスと共に来るヨシュア、またエホナダブとは一体だれのことですか。
モーセは、ヨシュアを
エヒウは、エホナダブを伴って来た。
モーセ、エヒウ=イエス であれば、
ヨシュア、エホナダブとは誰か?
⑥‐3.ヨシュアは約束の地に神の民を導き入れた人でした。ですから、現代で言えばハルマゲドンを通過して新しい地に入るほかの羊の大群衆の一人であることが分かります。
また、その点はエホナダブについても言えます。彼はイスラエル人ではありませんでした。ですから、彼の実体は現代の霊的イスラエルの者ではありません。したがって、彼もまた大群衆の一人を預言的に示していると結論できます。
しかし、本当に油注がれた残りの者ではなく、ほかの羊の大群衆の一人と共にイエスは来られるのでしょうか。
その点について、イエスの登場に先だって遣わされた1世紀のエリヤであるバプテストのヨハネが油注がれた者ではなかった、つまりほかの羊の地的な希望を抱く人だったことに注目できます。しかし、彼について、イエスはこう言われました。
「…あなた方に真実に言いますが、女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません。しかし、天の王国において小さいほうの者も彼よりは偉大です」。(マタイ11:11)
新しい地に入ったヨシュア、
非イスラエル人のエホナダブの
実体は、霊的イスラエル(天的級)
ではない大群衆の一人であるはず。
1世紀のエリヤ=バプテストのヨハネ
も、天的級ではなかった。
⑥‐4.さらに、イエスと共に来る者の役割について、イエスが勝利の入城をされた時の状況が的確に示しています。
その特徴は何でしたか。イエスはどのように来ると言われていましたか。そうです。雌ろばの子に乗ってくると言われていたのです。
この雌ろばの子は駄獣の子と言われており、決して見栄えのよい動物ではないかもしれません。ですが、この動物がイエスと共に来る者を的確に示しています。
その雌ろばの子とイエスの関係については、ヤコブの臨終の預言から洞察が得られます。王なるイエスを預言的に示していたユダについてこう言われています。
「笏はユダから離れず、司令者の杖もその足の間から離れることなく、シロが来るときにまで及ぶ。そして、もろもろの民の従順は彼のものとなる。彼は自分の成熟したろばをぶどうの木に、雌ろばの子をえり抜きのぶどうの木につなぎ、自分の衣服をぶどう酒で、その衣をぶどうの血で必ず洗う」。(創世記49:10‐11)
上記の「その衣をぶどうの血で必ず洗う」という表現を読むと、啓示7:14の「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」という聖句を思い出さずにはいられません。それは、大患難から出てくる大群衆のことについて述べられた聖句でした。
ですから、この成熟した雌ろばとは大群衆全体のことを示しており、雌ろばの子とはその大群衆から出る者を示しています。
ですから、この大群衆の一人を伴って現われるというのが、目に見えないイエスが現代の神の民を裁くために来られる際のしるしとなるのです。それにしても、イエスがこの者を伴って現われるのはなぜですか。
イエスは子ろばに乗って入城した。
ヤコブの臨終の預言は、
その子ろばが大群衆の一人である
ことを示している。
つまり、イエスは、
大群衆の一人を伴って
神の民を検分するために来られる。
新しい地の後継者が任命される
⑥‐5.私たちは皆いずれ油注がれた残りの者がすべて天に行くことを知っています。では、彼らが天に召された後、彼らが行なっていた地上の業をだれが引き継ぐのでしょうか。もちろん、それはほかの羊の大群衆です。
ですから、大群衆の中からヨシュアによって表わされている新しい地の後継者が選ばれることが分かります。その者は地上におけるイエス・キリストの目に見える代表者となり、キリストの指導のもとに民を監督することになるでしょう。
このヨシュアはモーセの後継者としてモーセの生きている間に指名され任命されました。
「…その後エホバはモーセにこう言われた。『見よ、あなたの死ぬ日が近づいた。ヨシュアを呼び、あなた方は会見の天幕の中に立ちなさい。わたしが彼を任命するためである』。それでモーセとヨシュアは行って、会見の天幕の中に立った…」。(申命記31:14)
ここでのモーセは現在イエスを地上で代表している油注がれた統治体と言うことができます。ですから、まだ油注がれた統治体が地上にいる間に、新しい地を受け継ぐ大群衆の中からヨシュアのような後継者が選ばれ任命されるでしょう。
この前任者が生きている間に後継者を任命するという別の聖書中の物語がいくつかあります。それらを調べれば、この大群衆から出る新しい地の後継者についての理解がさらに得られます。
なぜ、大群衆の一人なのか?
彼はヨシュアと同じく
神の民を新しい地に導く
新しい指導者となる。
まだ、統治体が地上にいる間に、
彼は任命される。
モーセ=統治体
ヨシュア=大群衆の新しい指導者
⑥‐6.例えば、エリシャがエリヤの後継者となった時はどうでしょうか。その時の状況がこう記されています。
「…そして、ふたりが歩いて行き、歩きながら話していたところ、何と、見よ、火の戦車と火の馬が現われ、それは彼ら二人の間を分け隔てたのである。そして、エリヤは風あらしに乗って天に上って行った」。(列王第二2:11)
実際には、エリヤは天のエホバのもとに行ったわけではありませんでしたが、しかし彼は天に召される油注がれた残りの者を預言的に示しています。
そして、エリヤが天に上った後、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」ということが預言者の子らの目に明らかになりました。(列王第二2:15)
ですから、この物語からも油注がれた統治体が現在行なっている地上の任務を大群衆から出る新しい地の後継者が引き継ぐということが分かります。
さらに、エリシャはエリヤよりも多くの奇跡を行ないました。それと同じく、現在の教える業は終わりの日に生きている一つの世代に対するものですが、新しい地における教える業は復活してくるすべての世代に対して行なわれます。さらに、その教育は千年間続きます。
エリヤ=統治体
エリシャ=大群衆の新しい指導者
⑥‐7.それと同じように、ソロモンもダビデが生きている間に新しい王に任命されました。(列王第一1章)
しかし、大群衆から出る後継者が王になるのではありません。飽くまで王はイエス・キリストです。ですから、ここでの王ダビデは終わりの日における戦人なる王イエスを表わしており、王ソロモンは千年統治における平和の君なるイエスを的確に表現しています。
ただ、イエスの目に見える地上の代表者が油注がれた統治体から大群衆の後継者に代わることによって、この預言的な物語は成就していることが明らかになるのです。ソロモン王は雌らばに乗って王となりました。
ダビデ=統治体(王イエスの地上の代表者として)
ソロモン=大群衆の新しい指導者(王イエスの地上の代表者として)
⑥‐8.ところで、この新しい後継者の任命は何の障害もなく行なわれたわけではありませんでした。
当初はアドニヤが王になることを画策していて、軍の長ヨアブや祭司アビヤタルや他の有力者たちも彼に助力していました。ですから、人間的な観点からすれば、次の王はアドニヤになると思えたことでしょう。
しかし、預言者ナタンと王妃バテ・シバがダビデ王の所に行きこの問題を話したところ、ダビデは行動を起こし、ソロモンを新しい王に任命しました。
ですから、この新しい後継者の任命は人間的な任命ではないのです。それは、エホバ神によって任命された王イエス・キリストの導きによるのです。
それで、どんなに人間の有力者が助力していようとも、王イエスのこの決定を妨げることはできません。むしろ、アドニヤのように人間的な観点で後継者になろうとしている者はその立場を覆されることになるのです。
それと同じことは、ヤコブが約束を受け継いだ時にも起きました。当初、長子エサウが祝福を受け継ぐことになっており、その準備が進められていました。しかし、リベカは行動を起こしヤコブに説き勧めて父イサクから祝福を受け継ぐようにさせました。(創世記27章)
これはエホバから出たことであり、人間の決定や予想が覆されることを教えています。新しい地の後継者が大群衆の中から選ばれる際にもこれと同じことが起きるでしょう。それは決して人間的な任命ではないのです。
父イサク=統治体
ヤコブ=大群衆の新しい指導者
現代における「選びに関する神の意図」を見分ける
⑥‐9.では、エホバ神はほかの羊の中のだれをその後継者として選ばれるのでしょうか。パウロはそのような「神の選び」について、こう解説しています。
「・・・選びに関する神の意図が、業にではなく、召される方に引き続き依存するため、彼女(母リベカ)に、『年上の者が年下の者の奴隷となる』と言われたのです。『わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ』と書かれているとおりです」。(ローマ9:11‐13)
つまり、エホバ神のご意志は兄ではなく弟が祝福を受け継ぐことなのです。
エホバ神の意図は、
兄ではなく、
弟が祝福を受け継ぐこと。
⑥‐10.例えば、上で述べたソロモンやヤコブの時だけでなく、ダビデが油注がれた時も、同じようにエホバ神は兄ではなく弟を選ばれました。
しかし、サムエルは最初、長子のエリアブを見かけた時、「確かにその油注がれた者がエホバの前にいる」と性急に言ってしまいました。それでも、エホバ神は「わたしは彼を退けた」と明言されたのです。
むしろ、エホバは一番年下のダビデを選ばれました。彼はその重要な場に居合わせるにも値しないと家族からみなされたとるに足りない者でした。(サムエル第一16:6‐7)
ですから、私たちもその人の立場や外見だけで、「選びに関する神の意図」を見分けることはできないということに心を留めていなければなりません。
×兄アドニヤ、 ○弟ソロモン
×兄エサウ、 ○弟ヤコブ
×エリアブら、 ○末の弟ダビデ
神の選びを
外見で判断してはならない。
⑥‐11.それは、ヤコブがエフライムを祝福した時もそうでした。ヨセフは長子のマナセの方がより祝福されるべきだと思ってこう言いました。
「そうではありません、父上。こちらが長子なのです。右手はこちらの頭に置いてください」。しかし、ヤコブはこう言いました。「分かっている、我が子よ、わたしは分かっているのだ。・・・それでも、弟は彼(兄)よりも偉大な者とな(る)」。(創世記48:18‐19)
そうです、ヤコブはエホバの選ばれた者を識別していたのです。彼は「選びに関する神の意図」を理解していました。
しかし、人間的な見方をすると、長子または兄の方が祝福を受けるにふさわしいのではないかと思えるかもしれません。実際、これら二つの事例からも明らかなように、サムエルやヨセフのような義人たちでさえも一時判断を誤ってしまったのです。
これは、私たちに対する警告であり、人間的な見方に基づいてアドニヤ(不忠実な兄)を支援したヨアブやアビヤタルのようになって、私たちがエホバ神とイエス・キリストから不忠実な者とみなされることのないためなのです。
×兄マナセ、 ○弟エフライム
サムエルやヨセフのような
義人たちでさえも、
神の選びを誤解した。
これは、私たちに対する警告である。
⑥‐12.では、エホバ神が兄ではなく弟を選ばれることにはどんな意味があるのでしょうか。
まず、エホバは不忠実な者(兄)に権限をお与えになります。そして、その不忠実な者の権限下で忠実な者(弟)は忍耐しなければなりません。その間に、弟は精錬され、後に祝福を受けるにふさわしい者とされます。
やがて、不忠実な者が退けられる日が来て、忠実な者である弟に権限が与えられ、こうして祝福を受け継ぐ者となるのです。
例えば、エホバ神はまずサタンと悪霊たちに世の支配権を与えられました。彼らの支配下の世でイエスは忍耐し、忠誠を全うし、再び天へ戻られました。
そして、天と地におけるすべての権威が与えられ、1914年に神の王国の王となられました。その時、諸国民の定められた時は終了し、サタンと悪霊たちは天から地に投げ落とされました。
×サタン(先に支配した=兄)
○イエス(後から支配する=弟)
※下の図はアブラハムの胤に関する系譜です。やはり「兄」ではなく「弟」が選ばれてきました。
アブラハム
┣━━━━━━━━┓
イサク イシュマエル
┣━━━━━━━━┓
ヤコブ エサウ
(イスラエル人) (エドム人)
┣━━━━━━━━┓
イエスと ユダヤ教
クリスチャン会衆
┣━━━━━━━━┓
聖書研究者 背教した
エホバの証人 キリスト教世界
┣━━━━━━━━┓
ヤコブ級 エサウ級
弟(後発の組織) 兄(先発の組織)
⑥‐13.同じように、地でも兄ではなく、弟が祝福を受け継ぐというのが「選びに関する神の意図」なのです。そして、エホバの現代の組織の中からも兄(エサウ級)と弟(ヤコブ級)が生じるでしょう。(上記12節の系図の一番下の部分に注目)
その正統な後継者である「ヤコブ級」は間もなく神の民を裁くために来られるイエス・キリストと共に来ることになっています。その時、エサウ級とその支持者たちは覆されるでしょう。
ですから、私たちは、現代の「選びに関する神の意図」を見分け、祝福を受ける忠実な者たちの側に立場を定めなければならないのです。
エホバの祝福は代々、
弟が受け継いできたという
現実に目を留めるべき。
では、今日、だれが祝福を
受け継ぐのか?
同じ家族、同じ組織から
兄と弟は生じる。
エホバの証人の組織からも、
兄=エサウ級と
弟=ヤコブ級とが生じる。
あなたはどちらを支持しますか?