⑦‐3.これらの比較により、間違いなくここで出てくる律法の熟練した写字生であった祭司エズラは終わりの日における祭司級、特に本格的に民を組織的に教育し始めた3代目会長のノア兄弟以降の油そそがれたクリスチャンを表わしていることが分かるでしょう。
そして、この祭司エズラと連帯してエホバの崇拝を推し進めたのが総督ネヘミヤでした。彼は王ではなく、王から遣わされた総督でした。そして、彼はエルサレムの城壁を立て直しました。
今日、この城壁とはエホバの清い民と、滅びに定められている諸国民との間を隔てる境界です。ですから、現代の総督ネヘミヤ、すなわち「ヤコブ級」もまた霊的な城壁を立て直すことになるでしょう。
それは、いつ立て直されますか。ネヘミヤ8:2によると、祭司エズラが民を教えていますが、それは城壁が立て直された後の出来事でした。
ですから、油そそがれた残りの者がまだ地上で民を教えている間に城壁は立て直されると言えるでしょう。
⑦‐4.さて、イエスがヤコブ級を伴って世界本部を検分するのは、他でもない、エホバの崇拝を清めるためです。
エズラとネヘミヤの時代にも神の民はその主立った者たちもが異国の妻をめとるようになり、それは糾弾されました。(エズラ10章、ネヘミヤ13:23‐28)
同様に、イエスはサタンの世との交友やその慣わしをまねることを一切容認されません。
エルサレムの城壁が立て直されることにより、神の民とサタンの世の諸国民との間は明確に隔てられ、神の民の清さを保つことができます。
しかし、逆に言えば、城壁に破れがある間は神の民の中に世の汚れた要素が入り込むことを防ぐことができません。
ですから、この王により遣わされ城壁を建て直すためにはるばるシュシャン城から来た総督ネヘミヤは、神の民を清めるためにイエスと共に来るヤコブ級と同じ者であることが分かります。
それは、祭司エズラつまり油そそがれた残りの者がまだ地上にいる間に行なわれるのです。
そして、ネヘミヤと同じように、ヤコブ級もイエスの導きのもとに、たとえ反対に遭ったとしても、城壁を建て直す業を首尾よく果たすことになるでしょう。
祭司エズラ=ノア会長以降の油注がれたクリスチャン
総督ネヘミヤ=ヤコブ級
油注がれた残りの者がまだ地上にいる間に、
ヤコブ級は「城壁を立て直す」
大祭司ヨシュアと総督ゼルバベル
⑦‐5.私たちは、今、油そそがれた残りの者とヤコブ級の連帯関係について考えています。
今取り上げたのは、エズラとネヘミヤという「祭司級」と「総督級」という連帯関係でした。この「祭司」と「総督」という組み合わせは聖書の他の箇所にも見られます。それは、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルです。
このゼルバベルに関して、ハガイ2章23節はこう述べています。
「『その日に』と、万軍のエホバはお告げになる、『わたしはあなたを召す、わたしの僕、シャルテルの子ゼルバベルよ』と、エホバはお告げになる。『わたしは必ずあなたを印章指輪として据える。あなたはわたしが選んだ者だからである』と、万軍のエホバはお告げになる」。
さて、この総督が召される「その日とはどういう日ですか。それはこの聖句の前の節を読むと分かります。
⑦‐6.「また、その月の二十四日、エホバの言葉は二度目にハガイに臨んで、こう言った。『ユダの総督ゼルバベルにこう言うように。「わたしは天と地を激動させようとしている。また、わたしは必ずもろもろの王国の王座を覆し、諸国民の王国の力を滅ぼし尽くす。わたしは兵車とその乗り手とを覆す。馬とその乗り手とは、各々その兄弟の剣によって倒れることになる」』」。(ハガイ2:20‐22)
あなたはどう読みましたか。そうです、この総督が召される「その日」とは、エホバが天と地を激動させようとしておられる時、つまり大患難とハルマゲドンによって古い事物の体制の天と地を激動させる直前のまさに今日のことなのです。
ですから、総督であるヤコブ級は大患難の始まろうとしている今、エホバによって召されることになっています。
総督ゼルバベル=ヤコブ級
総督であるヤコブ級は、
大患難の始まる前のまさに今、召される
⑦‐7.また、この総督に関連して、ゼカリヤ3章8、9節はこう述べています。
「『大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前に座するあなたの友たちも、どうか聞くように。これらは、異兆となる人々だからである。今わたしは、自分の僕である新芽を携え入れるのである。見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石がある! その一つの石に七つの目がある。今わたしは、それの彫り込みを行なう』と、万軍のエホバはお告げになる。『そして、その地のとがをわたしは一日のうちに取り去る』」。
この七つの目のある石はイエス・キリストのことです。(啓示5:6) そして、総督ゼルバベルに相当するヤコブ級を伴って現われることにより、地上の人々は目に見えないイエスが来られたことを識別することができるのです。(ゼカリヤ4:10)
ところで、これは大祭司ヨシュアとその友たちに勧められた言葉でした。そして、「その地のとがを一日のうちに取り去る」とも言われています。この聖句の文脈を調べるとこの預言の成就がどういう状況で生じるかを知ることができます。ゼカリヤ3章をお読みください。
⑦‐8.その時、大祭司ヨシュアに対してサタンが抵抗して立っています。そして、ヨシュアは汚れた衣をまとってみ使いの前に立っていたのです。
結局、サタンはみ使いによって叱責され、一方ヨシュアには礼服が着せられ、清いターバンも着けられました。
この大祭司ヨシュアは今日の祭司級である油そそがれたクリスチャン、特に偉大な大祭司イエスを地上で代表している統治体です。
確かに、イエスが検分に来られるのは神の民を裁くためであり、そうする必要があるほどに民が不忠節になっていることが明らかになるからです。
その不忠節の原因は祭司級が民の悪行を放置しているからです。それは祭司エリが二人の息子を放置していた事例と、祭司になる前のアロンが民の子牛崇拝を容認した事例が預言的に示しています。(サムエル第一2‐4章、出エジプト記32章) ※この点は、論文05で説明しました。
そのような意味において、今日の祭司級はエホバのみ使いの前で汚れた衣を着けているような状態にあるのです。
それは、実のところサタンの働きによります。外部からの攻撃が功を奏さないのを悟ると、必ず内部からの腐敗を試みるのが彼の常套手段であり、それは確かにある程度の成功を収めることがあるからです。
大祭司ヨシュア=今日の統治体
彼らは、サタンの抵抗により、
現在、汚れた状態にある
⑦‐9.また、その点に関して、サムソンの頭にあった七つの編み髪が縦糸で織り合わされたという事例もそれと関連があります。(裁き人16:13 ‐14)
この七つの編み髪は大いなるサムソンである会衆の頭イエスに堅く付き従う油そそがれた統治体です。
後に彼らは剃り落とされる、つまり逮捕されます(後述します)が、サムソンが敵の神殿を破壊したように彼らも必ず復しゅうを成し遂げます。
しかし、その前に、まだ頭に付いている時にその七つの編み髪は縦糸で織り合わされるのです。
つまり、逮捕される前、まだ神の組織にいる間に統治体は動きがとれない状態に陥ってしまいます。祭司エリと同じく彼らは発言力を失い、たとえ民の間違いを叱責したとしてもその声は通りません。
しかし、エホバとイエスはその窮状をご存知なのであり、「嘆息し、うめいている者たち」のために額にしるしを付けてくださいます。そして、聖なるところからその裁きが始まる時、その者は処罰を容赦されるでしょう。(エゼキエル9:4)
むしろ、神の民の清めがなされる時、忠実な祭司級は大祭司ヨシュアと同じくサタンによる束縛から解放され、清い状態に戻されるのです。
サムソンの七つの編み髪=統治体
統治体は組織内で霊的に拘束されるが、
後に、清められる
ファラオに遣わされた時のアロンとモーセ
⑦‐10.さらにもう一つ、「祭司級」と「総督級」の事例を考察してみましょう。それは、ファラオのもとに遣わされたアロンとモーセです。
この祭司になる前のアロンは、天に召される前の油そそがれた残りの者です。そして、モーセは王ではなく、エホバに遣わされた者で、かつアロンの弟でした。
ですから、このモーセがヤコブ級を預言的に示していることが分かります。
(今、考察しているのはファラオに遣わされた時のモーセです。聖書の他の箇所でのモーセの預言的実体はイエスや油そそがれたクリスチャンであることもあります。それらを混同しないよう注意してください)
ファラオに遣わされた時の・・・
アロン=油注がれた残りの者
モーセ=ヤコブ級
⑦‐11.ところで、もうすぐ神の民はアメリカから逃れるべきことを以前の論文03で説明しました。それはアメリカの民主党から出る女性大統領がキリスト教に禁令を課すからです。
彼女は女王アタリヤのように王国の子孫をことごとく滅ぼすことによって王位をさん奪するのであり、またそれがイエスの言われた「荒廃をもたらす嫌悪すべき者が聖なる所に立つ」という状態を意味しています。
考えてみてください、アメリカだけでもエホバの証人は100万人以上もいるのです。そして、この脱出はアメリカ全土で前もって大々的に宣明されるでしょう。
それに対して、この女性大統領は黙っているはずがありません。彼女は神の民がアメリカ国外に脱出するのを禁止するでしょう。
それは、まさにモーセとアロンがファラオと対決した出エジプト記と同じ状況です。しかし、「強い手をもってするのでなければ」、この女性大統領が神の民をアメリカから脱出させることを許さないことは明らかです。(出エジプト記3:19)
米女性大統領は
神の民のアメリカ脱出を阻む
まさに、現代版のエクソダス(出エジプト)!
⑦‐12.先程、油そそがれた統治体がサムソンの七つの編み髪であると説明しました。そして、それは剃り落とされます。つまり、統治体はアメリカ政府により逮捕されるでしょう。
それについて、啓示11章3節は「わたしは、わたしの二人の証人に、粗布を着て千二百六十日のあいだ預言させる」と言われています。
それで、この聖句の文脈を見てください。ヨハネは一本の杖のような葦が与えられます。そして、「立って、神の神殿の聖なるところと祭壇とそこで崇拝する者たちを測りなさい」と言われました。(啓示11:1)
つまり、外の中庭は測らず、奥の中庭つまり祭司級が活動する領域を検分するということです。それは、これから世界本部に検分に来られるイエスによってなされます。
さらに、その前の文脈である啓示10章もお読みください。強いみ使いは「もはや猶予はない。第七のみ使いが吹き鳴らす日、…神が預言者なるご自分の奴隷たちに宣明された良いたよりに基づく神の神聖な奥義は、確かに終わりに至る」と誓いました。(啓示10:6‐7)
それは、まさに今なのです。それで、これらをまとめると、まもなくイエスが検分のために世界本部に来られて、奥の中庭が測られ、神の民の清めがなされた後、二人の証人で表わされている油注がれた残りの者たちがアメリカ政府から逮捕され、粗布を着て千二百六十日のあいだ預言するということが分かります。
油注がれた残りの者は
主イエスによる検分により清められる
その後、アメリカ政府に逮捕され、
粗布を着て預言する
⑦‐13.それで、例の女性大統領は強い手をもってするのでなければ民を解放しません。それで、エホバ神の選ばれた王イエス・キリストは確かに強い手をアメリカに対して示されるでしょう。
その点について、サムエル第一4‐6章の記述が示しています。
イスラエルがフィリスティアから大敗北させられ、契約の箱が奪われた時のことを考えてみてください。そもそも、神の民が敵に大敗北させられたのは民が不忠実になってエホバに不敬な振る舞いをしていたからでした。
それは先程指摘したように、祭司エリによる悪行の容認が原因でした。それは、今日の神の組織と対応しています。そして、この契約の箱が敵に奪い取られたことは統治体が逮捕されることを意味しています。
それで、エホバはフィリスティア人をどう扱われましたか。ダゴンは契約の箱の前で平伏させられ、フィリスティア人の間では死と混乱が生じました。その結果、フィリスティアは神の民の敵であったにも関わらず、エホバに栄光を帰し、契約の箱を返還しました。
ですから、アメリカ政府は統治体を逮捕するとはいえ、強い手が示された結果、エホバ神に栄光を帰さざるを得なくなるでしょう。
その点は、啓示11章13節で災いの結果、人々が「恐れ驚いて天の神に栄光を帰した」というのと同じです。
アメリカ政府は
統治体を逮捕するものの、
大混乱が生じ、結果的に、
神に栄光を帰さざるを得なくなる
⑦‐14.それは、サムソンに関する記述でも同様です。確かにサムソンは捕らえられましたが、その結果ダゴンの神殿を破壊し、フィリスティア人の多くの者に災いを被らせたのです。
このように、神の民をとどめたファラオと同じように、例の女性大統領に対しても強い手が示され、その結果、彼女は神の民がアメリカから脱出することを認めざるを得なくなるのです。
しかし、その千二百六十日のあいだつまり三年半忍耐しなければなりません。その後、啓示11章11‐13節に示されているように、殺された二人の証人は復活させられ、天に上ります。
つまり、油そそがれた残りの者たちは三年半忍耐した後、天に召されることになるでしょう。これは、エリヤがエリシャの目の前で天に上った記述により預言されています。(列王第二2:1‐15)
ですから、ヤコブ級は油そそがれた者たちが天に召されるまでの詳細を見ることになり、エリヤの任務をエリシャが引き継いだように、油そそがれた残りの者の任務を引き継ぐことになるでしょう。
米女性大統領は、
神の民のアメリカ脱出(エクソダス)を
認めざるを得なくなる
イエスはヤコブ級と共に来て、
復活した油そそがれた者たちと共に再び来る
⑦‐15.それにしても、油そそがれたクリスチャンにとっては、その後の地上での業のことが気がかりかもしれません。
ペテロもイエスから自分の死によってどのように神の栄光を表わすことになるかを示された時、彼よりも若いヨハネについて尋ねました。しかし、イエスはこう言われました。
「わたしが来るまで彼のとどまることがわたしの意志であるとしても、それがあなたにどんな関係があるでしょうか。あなたは引き続きわたしのあとに従いなさい」。(ヨハネ21:20‐22)
確かに油そそがれた残りの者は引き続きイエスのあとに従い、その忠誠を全うするでしょう!
それにしても、イエスがここで預言的な意味で言っておられる「わたしが来る」というのは、検分のために世界本部に間もなく来られることを指して言われたのではありません。
それは、ハルマゲドンにおいて諸国民を滅ぼすために、復活した十四万四千人の油そそがれたクリスチャンと共に再び来る時のことです。
したがって、ここでの使徒ヨハネは大群衆から出るヤコブ級を預言的に示しています。彼は確かにイエスが諸国民を滅ぼすために再び来る時まで「とどまり」、生きて大患難を通過して楽園で永遠の命を得、実際に「死ぬことがない」でしょう。(ヨハネ21:23)
ヨハネ21章の・・・
使徒ペテロ=油注がれた残りの者
使徒ヨハネ=ヤコブ級
主イエスは、
神の民を検分するために来られ、
諸国民を滅ぼすために再び来られる
⑦‐16.上の節で考慮したことを踏まえて、イエスの変貌の幻について考えてみましょう。
イエスと共に現われたのはモーセとエリヤでした。その後の弟子たちとの討議の中で、イエスは来たるべきエリヤはバプテストのヨハネであったことを示されました。
以前の論文05でも述べたように、このメシアの前駆者であるエリヤの業は今日も行なわれます。それは、このヤコブ級によってなされます。
そして、今回示したように、彼はファラオに遣わされた時のモーセによっても示されていました。ですから、ヤコブ級はモーセとエリヤの業を行なうと言えます。
それで、栄光を受けたイエスと共にヤコブ級が世界本部に来る時、ペテロ、ヤコブ、ヨハネで表わされている油そそがれた残りの者たちはこれと同じ経験をし、目を覚まされることになるでしょう。
この時話されている「出立」とは神の民が間もなくアメリカから脱出することです。(ルカ9:31)
⑦‐17.しかし、大祭司ヨシュアと同じように、油そそがれた残りの者である統治体は清められ、その後、彼らと共にイエスはおられ、死に至るまで忠実であることを実証するでしょう。
それで、今度は逆に、大群衆から出るヤコブ級の方が油そそがれた残りの者たちと共にイエスがおられるのを目の当たりにし、驚嘆させられるでしょう。
それは先程述べたエリヤが天に上った時、エリシャがそれを目撃したことと関係があります。確かに、統治体はヨシュアの前任者のモーセとエリシャの前任者のエリヤを表わしています。
そして、この変貌の時に話されている「出立」とは、間もなく油そそがれた残りの者が天に行くことです。(ルカ9:31)
その後、復活した油そそがれたクリスチャンはイエスと共に諸国民を滅ぼすために再び地に来ることになるでしょう。
主イエスの変貌の幻は二度成就する
ヤコブ級が主イエスと共に世界本部に来る時:
モーセとエリヤ=ヤコブ級
ペテロ・ヨハネ・ヤコブ=統治体
統治体の忠実な成員が主イエスと共に天に上る時:
モーセとエリヤ=統治体
ペテロ・ヨハネ・ヤコブ=ヤコブ級
⑦‐18.これまで考察した「祭司級」と「総督級」の連帯関係、つまり祭司エズラと総督ネヘミヤ、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベル、ファラオに遣わされた時のアロンとモーセに関する記述を読み直して、聖霊の導きを祈り求めつつ、エホバ神に理解を願い求めることをお勧めいたします。
聖書預言はエホバの霊が働かない限りだれも理解することはできないからです。
加えて、裁き人16章、サムエル第一2‐6章、啓示10、11章もここでの論議と関係がありました。
是非、今後エホバ神がイエス・キリストを用いてどのようにご自分の民を導かれるのかに関心を払いましょう。そして、その理解を祈り求めましょう。そうする人は霊的に目覚めている状態を保つことができます。
しかしそういう目覚めている人であればあるほど、義に飢え渇き、「嘆息し、うめいている者」ともなるでしょう。(エゼキエル9:4)
その人はエホバに心のすべてを注ぎ出し、そのようにして心を癒していただくことによって慰めを受けつつ、喜んで忍耐し続けるための力を求めてください。
そして、エホバの義を第一に慕い求める人は、額にしるしを付けられることになるでしょう。
では、完全な忠誠によってすでに世を征服し、また諸国民のすべての王国に対する征服を完遂されつつあるイエスと、忠実を死に至るまでも示すことになる油そそがれた残りの者に見倣って、私たちもエホバ神に依り頼みつつ忍耐を示していきましょう。
そうです、私たちすべてがエホバに依り頼みつつ、忍耐するための力とそして聖書預言に対する理解を得ることができますように。