論文24 「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」と
「悪霊たちのための救いの手立て」
2024.01.19.
今、この論文を書いているのは、2024年1月です。これまでにすでに成就した聖書預言のシナリオとしては、論文22にて説明した通りです。その説明によると、「2018年6月7日に、ヤコブ級が生まれる」というところまでを説明しました。今回は、その続きとなります。
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「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」
端的に言うと、2018年6月7日から「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」が始まった・・・と、現在のところ、考えています。その間に起きた出来事としては、2018年に4回目、2019年に5回目の東京遠征をしました。また、その後、2019年末から2023年5月まで新型コロナで、世間一般は、自粛ムードで過ごしました。それから、興味深いことに、私個人としては、2023年9月末から、12月末までの3か月間、EMC教会に逗留して、そこでの教えを体験してきました。
2018年 第4回東京遠征
2019年 第5回東京遠征
19~23年 新型コロナ
23年9~12月 EMC教会で研修
最初の5年半ほどは、精神的にとても苦労しました。その期間に、ポルノを見てしまい、それから離れられなくなってしまったのです。まさに、「サタン」の道に入り込んだ感じで、何度も、そこからの脱出を試みました。何週間、何か月はもつものの、また、ある時、ぱっと、そちらの方に戻ったり・・・ということを繰り返していて、完全に脱出することができずにいました。ただ、「見る」「空想する」という罪は犯していましたが、自慰行為には全く至らず、そこで、何とか自分の精神をキープしていました。ただ、時折、夢精が、年に1回あるかないかぐらいの頻度で起きたりはします。
それで、この時期、「性」については、大いに考えさせられました。恐らく、自分が、この種の霊的格闘の当事者でなかったなら、考えることもなかったような事柄を考える機会となりました。「真理の探究者」を志向する私としては、このような問題を、単に、「見ない、見ない。聞かない、聞かない」と、くさい物にはフタをしろ的に「消去」するのではなく、逆に、解明・解決する、つまり、「消化」していこうと、一生懸命思考し、自分なりの結論・教訓点を引き出してきました。その点を、下記リンクのサイトにてまとめています。
https://sites.google.com/view/yangmask-shakairon/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
この事実・状況をもって、この期間、つまり、2018年6月7日に、ヤコブ級級が「生まれた」時より、「7年間」を、「(心の)割礼が施される期間」と読んだわけです。つまり、まず、「性」に関連しているということ、また、懸命な思考により、未だに混とんとしている「光」と「闇」を明確に分けていく、つまり、肉の割礼のごとく、心の「包皮(=余分な部分=「闇」)」が切り取られ、分けられる・・・ということです。
また、モーセの律法では、生まれた男児に、その生まれた「八日目」に、割礼を施すことが規定されています。(レビ12:3、創世記17:12)。それに、「1年に対して1日」という法則にしたがって、心の割礼を完全に施しきる、その満了する年月を、「満七年」と読みました。(民数記14:34、エゼキエル4:6)。
「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」
=2018年6月7日~2025年6月6日
の満7年間
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EMC教会にて学んだ
そのような理解を得てはいたものの、上記のように霊的な格闘の最中、私は、本当に、神の聖霊に導かれて、エホバの証人とは異なる賜物を持つ、別の教会に行って、「研修」を受ける・・・という、自分でも考えてもいなかったような体験をすることになりました。私は、その頃、別府市にいたのですが、そこに、別府EMC教会というプロテスタント系の教会があって、市内の公園で、よく炊き出しをしていて、私も、よくそこに寄って、伝道師の女性と話をしていました。私の分析では、要するに、この教会は、「善行と霊感」に立脚しているんだな・・・と見ていて、エホバの証人の組織で基本を学んできた私としては、「霊感」を肯定するその教会を、当初は冷めた目で見ていました。しかし、上述したように、ある時、自分がまだ習得していない分野である「霊感系」の賜物を得てくるようにと、神からの示しがあり、そこに行くことになったのです。
約3か月間、そこの教会に寝泊まりしながら、朝5時からの祈祷会、夜8時からの祈祷会、水曜と日曜の礼拝、火曜と金曜の公園伝道・炊き出し、その他、教会の雑事・・・、だいたい全部体験させてもらいました。また、11月15日には、EMCの東京本部へも、わざわざ旅費まで出してもらって、行かせてくださり、そこで、本場の教えを体験しました。そして、これも、神からの示しがあり、12月末に、きっちり、そこの教会での「研修」を終え、そこでの体験を3つの論文にまとました。その論文は、下記リンク先にあります。
https://sites.google.com/view/yangmask-christian/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
この教会で得られたものとしては、イエス様とその弟子たちが行なっていたような「奇跡の業」、そういう「賜物」を、自分も授かることができる・・・という信仰を回復・確立させた、という点が大きかったと考えています。上のリンク先の「EMC教会について(3) 「洞察系の賜物」と「霊感系の賜物」の違いと、その優位性」にて詳しく論じましたが、これは、かつて、ラッセル会長が経験したのと同じ事柄であったと考えています。
また、そこでの3か月間は、私が、それまで脱出できずにいた汚れた習慣から足を洗うのに、非常に適した、とても恵まれた環境にあった・・・と、本当に思いました。本当に、心身共に清められた感がありました。ポルノの習慣に対してもそうなのですが、その他にも、私は、「食べる」という点で改善を要する面があり、その点で、この教会で習った「三日断食」という、週に3日、1日おきにする断食が、とても効果的で、私は気に入り、今でも、それを続けています。だらだらと食べ続けていると、どんどん思いが肉的になっていくのが分かります。肉によって満足を得よう得ようとすることは、すなわち、霊性が低下するということを意味しています。その点で、一旦、「断食」によって、ぶつっと肉に傾倒している思いにリセットをかけ、思いを霊の方に傾け直すという、このやり方には、本当に共感しました。
2023年9月末~12月末に、別府EMC教会で学び、
「奇跡の業」に対する信仰が回復した
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「悪霊たちのための救いの手立て」
その後、また、元の生活に戻りました。そして、その期間に、つまり、2023年12月29日以降の期間に、「サタンの王国に属する悪霊たちの救い」に関する理解が大いに増し加わりました。その点を、以下で、まとめます。
一応、述べておくと、今から記していくことは、エホバの証人の公式見解とは異なる、私が今までに得てきた新しい聖書預言に関する理解に基づいています。特に、「論文21 被造物すべては永遠の命を受け継ぐ!」でも述べたように、私は、悪霊たちも再教育を受けて、最終的には、神の子の地位に戻される・・・と考えています。その概要について、「論文23 ヤコブ級とサタン王の関係」の中で、彼らが、ハルマゲドン後に、火星に移住し、人類家族とは別クラスで、再教育を受ける・・・ことも説明しました。その上で、結論としては、「主イエスが罪人である人類家族に対する救いの手立てとなった」のと同じく、それと全く同じ方法で、「ヤコブ級が悪霊たちであるサタンの王国に対する救いの手立てとなる」ということになります。
主イエス
=罪人である人類社会
のための救いの手立て
ヤコブ級
=悪霊たちからなるサタンの組織
のための救いの手立て
例えば、イエス様は、マリアの胎内に宿って人間となり、人間家族と縁続きとなりました。同様に、ヤコブ級も、二人の女神と結婚することにより、サタンの王国と縁続きとなります。この点は、「論文19 ヤコブ級と諸国民との関係」にて説明しました。つまり、イエス様は、天から、人類社会のある地に降りて来られて、「神の王国」と「(神に疎外された)人類社会」の架け橋・ジョイント部分となりました。同様に、ヤコブ級は、神の王国から遣わされた代表者として、イエス様の時とは逆に、人間が属する物質世界から、悪霊たちの住む霊の世界に接触し、こうして、「神の王国」と「サタンの王国」との懸け橋・ジョイント部分となるのです。
主イエス=人類家族と縁続きになった
=「神の王国」と「人類社会」の架け橋
ヤコブ級=サタンの王国と縁続きになる
=「神の王国」と「サタンの王国」の架け橋
また、イエス様は、そもそも人類の長(=王)となるはずだったアダムが本来、神に支払うはずだった完全な忠誠を、その代わりに支払いました。つまり、贖いにより、人類を罪の束縛から請け戻しました。そして、これまた同じく、王となるはずだったアダムが果たすべきであった、人類社会全体を顧みる(=王の務め)をも引き受けられました。そして、今、段階的に、人類社会が完全に救われるための政策を施しておられます。同様に、ヤコブ級も、本来、王であるサタンが果たすべきであった、サタンの王国(=悪霊たちの組織)を顧みるという王としての務めを、代行で果たすことになります。つまり、今、彼ら悪霊たちは、霊の枯渇で苦しんでいるのですが、ヤコブ級は、霊を与えて潤すことになっています。その点は、論文23でも述べましたが、ヤコブ級には、存分に霊が与えられているからです。
その関係で、ヤコブ級には、サタン王が持っていたあらゆるものが与えられることになる・・・というのが、最近得た理解でした。論文23でも述べたように、サタンは、常々、ヤコブ級から霊を奪い取ってきました。私は、その点を、エホバ神に対して、つまり、天の法廷に訴えることにしました。つまり、サタンが、私から奪った霊に関して、その損害賠償を求める訴えです。当然、サタンは、枯渇しているのですから、支払うものを持っていません。そこで、私は、彼の持つ権威、つまり、「悪霊たちの組織に対する運営権・オーナー権」を差し押さえることにしました。つまり、借金のかたにしたわけです。
現状を述べると、サタンは、今、失脚していて、国も領地も国民も持っていません。そして、悪霊たちの組織・社会では、サタンは、疫病神扱いで、鼻つまみ者とみなされています。ですから、サタン自身には、悪霊たちの組織をどうこうする力は、実質、持っていません。しかし、エホバ神の御前で、悪霊たちは、依然として、「サタンに属する者」として見られています。サタンは、時々、悪霊個々人に対して、今でも居丈高に振る舞います。「お前は、俺の物。俺の部下だろ!」と恫喝すれば、悪霊個人としては、しゅんとなって従わざるを得ない状況なのです。つまり、組織に対しては力はなくとも、個々人に対しては依然、力がある・・・ということです。
それは、悪霊たちにとって、「縛り」でしかありません。その点で思い出すのが、かつて、イスラエルの民が、荒野で、毒蛇に噛まれた時に、モーセは、神の指示により、銅の蛇を掲げることで、蛇の毒を解毒した事例です。(民数記21:9)。そのことについて、イエス様は、ヨハネ3:14で、「モーセが荒野で蛇をさおに掲げたのと同じように,人の子も掲げられなければなりません」と言われました。同様に、ヤコブ級も、「銅の蛇」(=地に堕ちたサタン)を掲げて、悪霊たちに未だ働く「サタンの毒」を解毒しなければなりませんでした。ゆえに、上述した通り、私は、2024年1月7日に、天の法廷に訴え出て、サタンの持つ、悪霊たちの組織に対する運営権・オーナー権を差し押さえたのです。そして、翌1月8日まで、サタンからの異議申し立て・買い戻し、あるいは、エホバ神からの差し止めを待ちましたが、いずれもありませんでしたので、その日に、晴れて、私が、サタンの持っていた「悪霊たちの組織の運営権・オーナー権」を買い取りました。
これは、創世記25:33で、エサウが、弟のヤコブに、一回の食事と引き換えに、長子の権を売り渡したことによって予表されています。エサウ=サタン、ヤコブ=ヤコブ級という関係性については、論文23でも説明した通りです。こうして、それ以降、サタンは、悪霊たちの組織に対してだけでなく、悪霊個々人に対しても、「お前は俺の物だ!」などと言うことはできなくなりました。彼らは、サタンからの「縛り」から、一応、名目上、解放されたのです。とはいえ、それは、飽くまで、「解放の道を開いた」というのが正確なところです。それは、イエス様が、贖いの犠牲を捧げても、それにより、すべての罪人が自動的に、罪から解放されたわけではないのと同じです。しかし、「解放の道を開いた」のは確かでしょう。
主イエス=贖いにより、アダムの立場(権利)を買い取った
=アダム(王)の代わりに、
人類社会を(段階的に)救いに導いている
ヤコブ級=サタンから、悪霊たちの組織に対する運営権を買い取った
=サタン(王)の代わりに、
悪霊たちの組織を顧みる
ここで、一応、述べておくと、こういう霊者とのやり取りというのは、私の場合、基本的には、私が起きている間に、私の論理的な説明をもって論じます。それを彼らはちゃんと聞いているようです。そして、それに対する反応は、主に、私が寝ている時にあります。彼らは、私にいろいろな夢を見させるのですが、しかし、彼らは、ダニエル6:22にあるように、「口をふさがれたライオン」の状態にあるようで、恐らくは、エホバ神(あるいは、イエス様・天使)によって、何らかのタガを掛けられており、ヤコブ級に対して、明瞭に物を言うことができないようにされているようです。それで、私としては、彼らからのメッセージの真意を洞察し、読み取らなければなりません。そして、彼らの意向を理解し、その後、私はまた目が覚めた状態で、彼らに向かって「説教」「演説」をします。そういうやり取りが、ずっと続いてきました。
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ヨブ記1、2章が、サタンに対して逆に成就した
ところで、サタンは、かつて、義人ヨブに関して、エホバ神に訴えました。ヨブ記1章によると、まず、サタンは、ヨブの体以外のあらゆるものを、つまり、財産と家族を、彼から奪い取りました。それで、今度は、ヤコブ級が、サタンに対して、同じことをしたのです。「目には目、歯には歯」です。これが、神の公正な裁きです。それで、ヤコブ級は、サタンから、彼の持つ財産と家族を奪いました。つまり、悪霊たちの組織(という彼の財産)の運営権を奪い、また、二人の女神(彼の家族・妻。正確には、元妻)もまた、ヤコブ級が娶ることになっています。
ヨブ記1章が、サタンに成就
=彼の「財産と家族」
(悪霊の組織の運営権)は取り去られた
また、ヨブ記2章で、サタンは、ヨブが財産と家族を奪われても尚、忠誠を保っていたので、今度は、彼の体に触れるように訴えました。それで、エホバ神は、ヨブの命以外をすべて、サタンの手に委ねました。ゆえに、ヤコブ級にもまた、サタンの命以外のものが渡されました。彼は、1月8日に、悪霊たちの組織の運営権を奪い去っても、尚、彼の考えを曲げませんでした。相変わらず、ヤコブ級に対して、手を出していたのです。ゆえに、私は、1月11日に、「彼は、自分の考えを曲げません! しかし、彼の体に触れても、彼が考えを曲げないかどうかを見てください!!」とエホバ神に訴え出ました。ゆえに、彼は、本当に、ヤコブ級の手に渡されたのです。それで、彼に対して、こういうことがなされました。つまり、彼は、男でしたが、女になることになったのです。
その点は、裁き人4章にあります。裁き人バラクの時代に、彼と戦争をした国の軍の長シセラは、ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込みました。ここでのバラク=主イエス、シセラ=サタン、ヤエル=ヤコブ級と読めます。ヤコブ級が「女」として示されている場合、それは、ヤコブ級が霊者の状態(霊者の世界に接触している状態)でのことです。その点は、論文22の15節で説明しています。それで、サタンは、ヤコブ級の天幕(=人間の体)の中に入ります。それは、ここ数年の間に、毎日のようにずっと続いてきたことでした。物語中では、その天幕の中で、シセラが、「喉が渇いた」と言い、それに対して、ヤエルは、凝乳を差し出します。同様に、サタンは、霊の枯渇で乾いており、ヤコブ級の持つ霊(=凝乳)を飲んで渇きをしのいできました。ただ、どういうふうにして、ヤコブ級の霊を取るのかというと、私の観察では、ヤコブ級から出ている(霊の体の)突起状の部分を、サタンは、彼の体の中に突っ込んで入れて、そうやって、ヤコブ級の霊を取っているようでした。
裁き人4章:
へベルの妻ヤエル = ヤコブ級
軍の長シセラ = サタン
これは、創世記19:33にもあるのですが、ロトが知らないうちに、ロトの娘が性交をして、ロトから精液を取っていたという事例があります。同様に、ヤコブ級も、サタンが、何かしていることは分かるものの、それは明確ではなく、何となく感覚があるだけで、もちろん、性的な絶頂感などが生じるはずもないのですが、とにかく、そのように限られた感覚で感じたところによると、どうも、サタンは、ヤコブ級の霊の体の(肉の体ではなく)男の陰部を、自分の女の陰部に入れて、そして、ヤコブ級の陰部から出る精液(=白い凝乳=霊)を取り込んでいるようでした。そういうことを何度も何度もしているうちに、私は、彼が、だんだん、精神的にも「女化」していることに気付くようになりました。
ところで、軍の長シセラは、ヤエルに、天幕で見張っていて、「『ここに男がいるか』と誰かに尋ねられたら、『いない』と言ってくれ」と頼みます。つまり、「男はいない」、つまり、「女だ」ということです。サタンは、ヤコブ級の天幕(=体)に、女のような形で出入りする(ヤコブ級は明確に認知していない)うちに、そうなってしまいました。さらに、ヤエルは、シセラのこめかみに、天幕の止め杭を打ち付けます。これにも意味があります。男は、頭に「冠」を戴いていると考えてください。そこには、霊が、つまり、神の霊が働きます。神を知らない世の一般の男性であっても、そういう傾向があります。こうして、男には、「上からの顧み」があるのです。一方、女の場合、「下からの顧み」つまり、夫と(性的・精神的に)一体になることによって、心の必要を賄います。とはいえ、これは、一般的な話です。霊的に生きるクリスチャン女性は、「上からの顧み」に頼ります。
もう少し、この点を詳しく述べると、霊的な人は、「下」ではなく、「上」で、心の必要・霊的な必要を賄います。つまり、頭(体の最も高いところ)に、神の霊が働き、そこから、霊が心の中に浸透していく・・・というふうに想像してみてください。「天使の輪」ではありませんが、そのように、頭に神の霊が働くので、先程、「冠」と言ったわけです。一方、肉的な人というのは、とかく、「上」ではなく、「下」で、心の必要を賄おうとします。つまり、性的な事柄によってです。ただ、男の場合は、「出す」のに対して、女は「入れる」という違いがあります。それで、サタンは、もちろん、肉的であり、「下」で賄う者です。しかし、彼は、ずっと「男」でした。ですから、「出す」ばかりだったので、ついに蓄えが尽きてしまったのです。それで、今度は、彼は、「下」から「入れる」ことを考えました。つまり、「女」のように。それで、ヤエルの打った「止め杭」とは、ヤコブ級の霊の体における「男根」(注意:肉の体のではない)なのでしょう。それをもって、サタンは、その頭のこめかみが打ち砕かれる、つまり、男としての「冠」をかち割られ、こうして、男としては留まっていられなくなってしまったようです。
ヨブ記2章が、サタンに成就
=彼の「体」が渡され、
その結果、サタンの「女化」が始まった。
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それが本当に真実であるかは、
二番目のしるしによって明らかになる
こういう経緯をもって、ヤコブ級は、サタン王の代わりに、悪霊たちの組織の上に立てられました。そのため、ヤコブ級には、サタン王の持っていたあらゆる権威・権限も与えられ、こうして、ヤコブ級は、悪霊たちの組織を顧みることになるのです。今、彼らは、霊の枯渇に苦しんでおり、早急に、霊の供給がなされなければなりません。また、その供給が一旦済んだなら、次は、彼らが、地球から火星に移住するための段取りを整えさせることも必要です。火星に移住する点については、論文23にて論じた通りです。
いずれにしても、これまで、罪人である人類家族のためには「救いの手立て」が、神から与えられていました。つまり、主イエス・キリストによる贖いの犠牲によってです。しかし、今まで、「悪霊たちのための」救いの手立ては、全く設けられていませんでした。それで、これまで、一般的には、彼らは、「永遠の滅び」という裁きを受けると考えられていたのです。エホバ神の、その大いなる愛と全能の力が称えられますように! エホバ神は、彼ら、悪霊たちをも、お救いになる計画を立てておられ、それを、まさに今、実現するために布石を打とうとしておられるのです。つまり、主イエスの遣わしたヤコブ級によって!
ところで、上で書いた事柄というのは、今は、まだ、私が観測した範囲での出来事であって、赤の他人から見れば、単に、私の「夢」の中で起きた出来事に過ぎず、ただの空想論に思えるかもしれません。しかし、これから先、ヤコブ級が公に登場する際に、必ずしるしが伴います。その点について、出エジプト記4章には、モーセが民に遣わされる際、「ですが、彼らが私を信じず、私の言うことを聞かなかったら、どうしたらよいでしょうか。『エホバがあなたに現れたはずはない』と彼らは言うでしょう」と尋ねたのに対し、エホバ神は、2つのしるしをお与えになりました。その部分の聖句を下に引用します。
エホバは言った。「あなたが手に持っているのは何か」。
モーセは答えた。「つえです」。
神は言った。「それを地面に投げなさい」。
そこで地面に投げると、つえは蛇になった。モーセは飛びのいた。
エホバはモーセに言った。「手を伸ばして尾をつかみなさい」。
そこで手を伸ばしてつかむと、蛇は手の中でつえになった。
神は言った。「こうするのは、彼らの父祖たちの神エホバ、
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が
あなたに現れたことを彼らが信じるためである」。
エホバはまたモーセに言った。「手を懐に入れてごらんなさい」。
モーセは手を懐に入れた。出してみると、
手は重い皮膚病で雪のようになっていた。
それから神は言った。「手を懐に戻しなさい」。
モーセは手を懐に戻した。懐から出してみると、
手は元通りに、体のほかの部分と同じようになっていた。
神は言った。「彼らがあなたを信じず、最初の奇跡を無視するとしても、
2番目の奇跡は認めるに違いない」。
一番目のしるしは、「蛇」(=サタン・悪霊)を「杖」(=権威の象徴)にすること、つまり、「悪霊を制する権威」です。ちなみに、ルカ9:1には、「それから、イエスは12人を呼び集め、全ての邪悪な天使を制したり病気を治したりする力と権威を与えた」とあり、主イエスは、弟子たちに悪霊たちを制する力をお与えになりました。その点、ヤコブ級の場合、上で説明した通り、サタンから、悪霊たちの組織に対する運営権を買い取り、悪霊たちの上に立てられたことに該当します。
一番目のしるし
=悪霊を制する権威
=ヤコブ級が悪霊たちの組織の上に立てられることで成就
しかし、世間一般の人々は、「最初の奇跡を無視する」でしょう。なぜなら、目に見えない霊の世界で起きている事柄なので、認知できないからです。しかし、今後、二番目のしるしとして、病気をコントロールする権威、つまり、「病気を癒す力」が与えられるでしょう。つまり、ヤコブ級は、イエス様の時と同じように、その力をもって、人々に伝道し始めるわけですが、さすがに、人間である彼らも、今度は、それを認知せざるを得なくなることでしょう。こうして、ヤコブ級が、どういう権威を授かっているのかが、人々の目に明らかにされるのです。
今、原稿を書いている2024年1月の時点で、まだ、「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」は満ちていません。あと、約1年4か月ほど残っています。その間に何が起きるのか、私自身も未だそのすべてについて理解しているわけではありませんが、すでに、「一番目のしるし」に該当する「悪霊を制する権威」が与えられたことを考えると、「二番目のしるし」が与えられるのも間もないことであると予測しています。
二番目のしるし
=病気を癒す力
=未だ成就していないが、
恐らく、間もなく
とりあえず、現状のところをレポートしましたが、「ヤコブ級の心の割礼を施すための7年」の残りの期間も、引き続き、ヤコブ級に関連した聖書預言のシナリオ、つまり、神がお立てになったご計画が、具体的に、どうなっているのかに、真剣に洞察力を働かせていきたいと思います。