第 49 回 よしあし('21/6/17)

 最近、思い出すことがある。幼少の頃の些細な出来事、なのだが。

 夕食時、台所に行くと、祖母が米のとぎ汁を洗面器に用意していて、「ゆう子ちゃん、ちょっとこっちに足入れて。」と、私の足を米のとぎ汁で洗い出す。

「そうすると色が白くなるから。色白は七難隠すって言ってね、」と言われた。毎日続かず、自然とされなくなったが、それで白くはならなかったように思う。


 私は小さい頃は色黒で、兄は色白。母からもこんな話を聞いた。「自転車の荷台に憲雄を乗せて、祐子をペダルに立たせて、自転車を引っ張っていたら、人が、「あら、下の子だけ海に行ってきたのね。」と言われて、「ええ、まあ。」と返事に困って、その場を去った。」と。


 私は当時、自分が色黒なのをちっとも困っていなかったし、むしろ学校では、日焼けの黒さをを競っていたほどだった。でも、そう言われたことは、今でもはっきりと残っている。色黒の私はダメだと。だからと言って、白くなりたいとは思わなかった。


 最近、末娘と容姿について話したとき、「色白美人っていうでしょ。色白は七難隠すって言われるくらいだから。」というと、「え、初めて聞いた。色が白いだけで?」「そうだよ。色が白いと、この難が消える。」「そうなんだ。」とやけに感心していた。


 そういえば、美白を歌う化粧品は多いけど、一時はガングロというメイクもあったし、小麦色の肌は夏に似合う時期もあった。今は紫外線にシミ、皺の原因になるし、紫外線アレルギーでかゆくなるので、なるべく日に当たらないようにしている。日陰の女になっている。

もし、祖母と母が、色白美人という「よしあし」を知らなかったら、私は私を肯定できただろうか。

また、私も、わたしという親のものさしで、子ども達を切り刻んでいないだろうか。

 そう考えさせてくれる祖母と母は、現代でいう反面教師なのだろう。

第 48 回 続々続 まりは15歳 ('21/6/16)

 まりはまだ生きている。

今6月半ばを過ぎ、7月になれば誕生日を迎える。一日のうち寝ている時間がどんどん増えて、散歩の距離も短くなって、同じところを行ったり来たり、マーキングも同じところに2回3回とする。

まりとは、もう長い付き合いになる。こちらの住職が、子供たちを連れてペットショップに行き、黒柴と赤毛の子犬が同じゲージで売られていて、やんちゃそうな赤毛を買って連れてきたのが16年前の8月。中越地震の翌年、映画「マリと子犬の物語」が上映される前だ。

 「まりと学校行く。」と子供が言うので、毎朝の登校班に付いて行った。

次女は保育園だったのだが学校まで一緒に歩いて、帰りはおんぶしてくることもあった。まりが一緒に歩いてくれるだけで、和んだ。触りたがる子もいたが、まりは触られるのが好きではなかった。その代わりおやつをあげてもらった。

 帰ってくるとまりは玄関にリードで繋がれた。リードの届く範囲で過ごした。外か玄関の中にいるだけだった。「まり、可愛い。かわいそうだ。まりの本当のお父さんとお母さんは、まりはいい子にしているかな。まりは可愛がってもらっているかなって、思っているよ。まりはいい子だよ。まりはここに来てよかったかな。」と話しかけた。好き好んでここに来た訳でないのに、親子離れ離れにされて、売られてきて、かわいそうだ。

 きっと、たぶん、もう、まりの両親は生きていないだろう。どうか、まりも「なむあみだぶつ」と言えないけれど、なむあみだぶつの浄土に生まれさせてください。

 まりにしてあげられることは、何もないけど、まりにしてもらったことはたくさんある。だから、「まり、かわいいよ。」「まりはいい子」「まり、えらいね。」「まり、生きてるだけでかわいい。」と言い続ける。そして、まりが死んだら、泣く。「まり、お家に来てくれて、ありがとう。」

 もうしばらく生きている。