ワッシ―祐子の徒然草

25回~第35

(増刊号あり)

35 回 「ニューフェイス」('10/6/16

 我が家のカタツムリは、ヒダリマキマイマイが3匹、ミギマキマイマイが2匹いた。

ヒダリマキマイマイが大きくて、直径4cmくらいの殻を持つ。ミギマキマイマイは、2cm弱くらいの殻を持っている。

ヒダリマキちゃんには、サキちゃん、デンちゃん、ツムちゃんと名前がつけられている。ミギマキちゃんは、2匹ともチビちゃんだ。

個別する特徴があまり無いからだと思う。

 今月3日にカタツムリを入れておいた虫かごの土の部分に、白いいくらのような卵(いくらより小さい)を発見した。

全部で、113個。卵から孵って赤ちゃんカタツムリが出て来てくれると嬉しい。今まで、卵を産んでも、ふ化したことが無いようなのだ。

卵の割れたものが見つかるだけだった。しかし、今年は期待したい。20~30日で生まれるらしい。

キッチンペーパーを濡らした上に置いて様子を見ている。

 さて、今朝は、珍しく早起きのわかことまりの散歩に出かけた。

昨夜からの雨で、我が家のヒダリマキマイマイを見つけた塀に、もしかしたら、またカタツムリが居るかもしれないと思い、そこを通ってみた。

すると、直径2cmくらいの縞模様のはっきりしたヒダリマキマイマイを発見。かわいい。連れて帰ってきてしまった。

ほかに居ないかと、歩いていると、違う場所の塀に殻の無いカタツムリ?「わかちゃん、ほら、殻の無いカタツムリだよ。」と言うと、「どこどこ。」と、わかこ。

「ほら、そこに3匹。」と、わたし。「あ、ほんとだ。殻の無いカタツムリは、どうすると殻ができるの。」と、おかしいなと思いながらも、

お母さんが嘘を言うはず無いと思いながら聞いてきた。「できないよ。ナメクジだよ。」と、かついでしまった。

「そうだよね、ナメクジとカタツムリって違うの?ナメクジはカタツムリにならないの?」解っていると思って言ったのだけど、解っていなかったのかな。

「ナメクジとカタツムリは別だよ。」と自信満々に答えた。

 しかし、調べてみると、カタツムリもナメクジも分類は、軟体動物門、腹足鋼、柄眼目だ。

しかし、カタツムリはアワビなどの巻貝の仲間で、ナメクジは殻の退化したカタツムリと「ナメクジ化」と呼ばれる変異したものからなるのだそうだ。

似て非なるものか、親戚ととらえるか。

 たとえば、「日本」の読み方は、「にっぽん」か「にほん」か。学校で先生が「にっぽん」が正しいと言えば、子供は、素直にそうだと覚えてしまう。

本当にそうですか?辞書で調べましたか?

 私は、知ってるつもり、解ったつもりで、解らないことだらけだと知らされた。

第 34 回 「デンちゃんはなむあみだぶつ」('10/6/11

 柴犬のまりは、7月3日で5歳。まだ若い。と言われる。犬は、大体12、3年は、生きると言われている。15年は、たいしたもの、になる。最近、ポメラニアンの四郎君が、15歳だったかな、5月に亡くなった。食べ物も食べなくなり、獣医に行って、何とかという注射を打ってもらったのだそうだ。

ある日の夜、いつものように、まりが玄関で横たわっているので、「かわいい。」とくっついてなでていると、下のわかこがきて、「まりってかわいいよね。」「まりのお父さんとお母さんは、どうしているのかな。」「寂しくないのかな。」「まりが死んだら、また柴犬を飼うの。」といううので、

「でもさ、他の柴犬を飼っても、まりとは、ちがうよね。」といったら、

「そうだよね。ちがうよね。」「まりと同じ柴犬はいないよね。」と、うなずき合っていた。以前、飼っていたヒダリマキマイマイのデンちゃんは、大きくて、黒くて、広告紙の上に置くとシャリシャリと食べて、広告色のうんちをして、とても可愛かった。

しかし、たかがカタツムリ、また同じようなカタツムリに会えると思って高をくくっていた。下の子が生まれて、逃がしてしまった。

その後、また、カタツムリを拾ってきて、飼い始めた。ところが、なかなか、広告をシャリシャリ食べるカタツムリは居なかった。

無くしてから、その存在の大切さに気づくことがある。二つと無いいのち。

同じなのに同じでない。不可思議。だからこそ、今を大事にして生きたい。

カタツムリのデンちゃん、なむあみだぶつでした。南無阿彌陀仏。

第 33 回 「チョコレート」('08/2/14)

車のラジオから「私義理チョコはあげない主義なんです。本命のみ、あげます。」と、流れる。

するとななこが、「ぎりチョコって何?」と質問。

「えーっと、義理であげるチョコ。」

そのまんまだ。「義理って何?」

「好きであげるんじゃなくて、お世話になっているからとか、同じ会社のメンバーだから、とかであげるチョコのことだよ。」

「ふーん。そういうことか。チョコの名前じゃないんだ。」

「え!ミルクチョコ、アーモンドチョコ、ギリチョコ?」

はははは(笑)ということ?

ななこちゃんはというと、友チョコを女友達と交換、ときどき男子に。でした。

たくさんのチョコをもらっていましたよ。

第 32 回 わかこの疑問'08/1/30)

 ピアノの教室に向かう車の中で、わかこが「おかあさん、聞きたいことことがあるんだけど。」と言うので、運転しながら「なーに?」と答えた。すると、「どうして人は、ケッコンして、こどもうんで、またケッコンして、こどもうんで、また、ケッコンして、こどもうんで、またケッコンしてこどもうむの?ずっとずーっとつづけるの?」と尋ねてきたのです。「うーん、なんでだろうねえ。」と返事しながら、(相手は5才の子どもである。下手に答えられない。そして、どうしてそんな疑問を持ったのか?)と不思議に思った。

 そこで聞き返してみることにした。「わかちゃんはどうしてだと思う?」すると、しばらく沈黙の後、「わかんない。」というこたえが返ってきた。ホッとした。そうだよね。わかんないよね。もう少し大きい子の質問には、案外、自分なりのこたえを持って、聞いてきたりするのだが。このくらい小さい子だと、本当に思いつきか、ひらめきなのだろう。

 それにしても恐ろしい。こんなこと聞きかれて、こうですと答えられる人はいるのだろうか。また、「こうだ。」とひとに言われて、そうだと納得できるだろうか。

 ところで、たまたま、この日の夜、兄のりょうが「どうして生きていなくちゃいけないのかなあ。」とつぶやいた。

 え!そんな疑問を持たれても、すぐにこたえられない。しかも、「死んじゃいたい。」の同意語かと、焦ってしまう。

 そこで、今日、わかこちゃんに質問されたことを話してみた。すると「あははは。」と笑うので、どうして笑うのかと思ったら、「そんなに何度も再婚してそのたびに子ども産むのかい。」と言うのです。

 あらら、解釈が違いました。「そうでなくて結婚して子どもができて、その子がまた結婚して子ども産んでということだと思うよ。」と伝えたら、「ああ、そういうことか。」と、納得。

 笑い話で茶を濁しましたが、5才の子どもでも11才の子どもでも「生きる」ということ、「生まれる」ということに問いを持つのですね。持って当然なのかも知れません。持たないわけが無いはずなのですが、実のところ、私もその問いの答えははっきり言えません。

 ただ、はっきり言えることは、りょう、ななこ、わかこ、が私を「おかあさん」と呼んでくれることが「生きる喜び」だということです。

第 31 回 「かわいがって育てて」'07/9/30)

 まだ、わかこが生まれる前のこと。

義父が生きているとき、義母陽子のショートステイは3日間だったが、その間一日も休まずに義母陽子に会いに通っていた。

あんまり毎日通うので施設から利用を控えるように言われないかと不安になるほどだった。

 義父が亡くなり、義母陽子がショートステイで施設に10日泊まり家に4泊するという生活になった。そして、毎日、顔を見に行く人がいなくなった。が、時折、2歳と5歳の子供二人を連れて訪ねた。

行くと幼い子は珍しいのだろう、そこの利用者も職員も目を細めた。そこには、レクリェーションで使ったゴム風船やお手玉、ゴムボールがあり、義母陽子は孫にそれを貸してくれた。二人はそれで遊んだ。

夕食が近づくと、利用者は食堂に集まってくつろいでいた。ソファーに座ってテレビを見たり、新聞を読んだりする方、車椅子の方。そろそろ帰ろうかと、その方達の間を抜けて帰ろうとしたとき、ひとりの婦人が私に「かわいがって育てて下さいね。」と言われた。「はい、そうします。」と答えながら、違和感を覚えた。全くの見ず知らずの人に、まるで自分の子か孫を私に預けるように感じたからだ。

 折しも、世の中では、自らの子を捨てたり、虐待したり、死に至らしめる出来事があったときだった。今は、なおさらだろう。

その中で、施設に入っているその方は、何を思ったのだろう。「かわいがって育てて。」とは、仏様の言葉に違いない。子供時代を終え、親としての子育ても終え、孫の世話も終わったであろう、その人は、自分と直接関係のない、私の子供達を、「かわいがって育てて下さい。」と私に託したのだ。

きっと、自分の子のようにかわいかったのだろう。そう託された私は、時に、鬼のように自分の都合で子供達を切り刻んでいる。

だが、ここそこに、阿弥陀様がいらっしゃるので、どうにか今日に至っていると思う。

ありがたいことだ。

第 30 回 冬休みの宿題'07/2/24)

 冬休みの宿題に書初めがある。1,2年生は硬筆の書初めです。

2年生の課題は「友達と大きな雪だるまを作ります。」だった。練習用の紙をコピーして、妹の和夏子もお姉ちゃんに習って書いていた。菜々子ちゃんは練習して書いているところは決して見せてくれない。恥ずかしいと言うより、何か言われる、注意される事を警戒しているのだ。何か言われると、やる気がなくなるのだ。

そして、5枚書いたものを持ってきて、「お母さん、どれが一番いいか、選んで。」と少し得意気に言うのだった。自分なりによくできたと思ったのだろう。

ところが、私は、「んー、そうだね、これかな?やっぱり、こっちがいいかな。よく書けてるね。すごくいいよ。でも、ね、ななこちゃん、ちょっと来て。この字さ、もう少しこう書いたほうがいいよ。これは、すっごくいいけど、ここ、まがったからね。ほら、中心がずれてるよ。」と、赤鉛筆を持ってきて、一番よくできた練習の紙を赤く直していった。

私は、褒めているつもりだった。しかし、ななこちゃんはプイと隣の部屋に行ってしまった。こちらは、直しているのに、本人が居なくなったので、呼びながら探してみた。すると、そのまた隣の部屋の布団の中にもぐって、泣いていた。

ようやく、わたしは、自分の過ちに気がついた。

ななこちゃんは、「どれがいいか、えらんで。」と言っただけで、「どこが悪いかなおして。」「もっとよくするにはどうしたらいいか。」とは、言わなかった。それでも、まだ、「だって、もっと上手になりたいでしょ。」と言いかけてしまう。

自分の過ちを正当化しようとしている。

その言葉を飲み込んで、「ななこちゃん、ごめんね。お母さんが悪かったね。ななこちゃんは、どれがいいか選んでと言っただけで、直してとは言わなかったもんね。ごめんね。」と、「ごめんね。」を繰り返し、泣き止むまで一緒に居た。つい、子供の為と思って余計な事をしてしまう。「がんばったね。」「ひとりで、書いたの?すごいね。」「この字が好きだな。」「ななこちゃんらしい字だね。」「1年の時と違うね。」と言えないのか。

私は、子供のころ、祖母に褒められるとゾッとした。言い過ぎだろうか、嬉しくなかった。それは、今は良くても、つぎは落ちるという不安に駆られるからだった。その頃の通知表は、5段階評価だったから、だれかが、必ず1、2、3、をもらう。

今、4でいい子なら、3ではダメなのか。と考えてしまうから。祖母も、もうちょっとだね、と悪気なく言っただろう。

そのままの自分を受け入れてもらえば、そこから、いつでもどこでも、はじめられるだろう。

29 回 新品の顔!?

わかこは、年少さんになり、新しいお友達ができました。

年長、年中さんにもかわいいと人気のN子(仮名)ちゃんです。保育園で遊ぶのにあきたらず、お家に遊びに行ったり来たりするようになりました。

そんなある日、迎えに行った車の中で、「いいなあ、N子ちゃんのおかあさん。」と、ため息混じりに羨ましそうに言いました。どこが、どういいのだろう?と思いを巡らしました。すると、「顔が新品なんだもん。」ですって。「え!?」聞き返しました。すると、真剣に「N子ちゃんのおかあさんの顔、新しくていいな。」ときました。「プッ。」と吹き出してしまいました。「新しい顔」「新品の顔」。N子ちゃんもかわいいですが、お母さんも若くてきれいなのです。

これには勝てません。惨敗です。(ごめんね、中古品で!?)

第 28 回 秋遠足

10/13、晴れ、保育園の秋遠足。与板のたちばな公園(通称きょうりゅう公園)までバスに乗って行く。春の遠足は親子遠足だが、秋は園児と保育士さんと、保育参加するお母さんが数人一緒に行く。

私は、お弁当を作って持たせればよい。少しでも手作りをと思う。が、実はお弁当のおかずを買う暇がなかったので、冷凍庫のひき肉で煮込みハンバーグと、ごぼうの肉まき、さつまいも、自家製ミニトマト、きゅうりの漬け物、おにぎり。それをキティちゃんのお弁当箱につめ、はしは、去年のクリスマスプレゼントのプリキュア(キャラクター)を選び、いとこから貰った動物柄のナプキンに包んだ。

水筒はキティちゃんのストローポッパー。お姉ちゃんからのお下がりのキティちゃんのリュックにつめた。「これでいい?」と聞くと、「うん。」という返事もトーンが高く、宙に浮いているようにウキウキとしていた。足取り軽く保育園に着くと、「バイバイ。」と吸い込まれるように園に入っていった。楽しい遠足になるだろうと思っていた。

ところが、夕方、いつものようにお迎えに行き、自宅に戻ると、朝と違って元気がない。表情が曇っている。何があったのだろう。

「遠足、楽しかった?」と聞いてみる。

「たのしくなかった。」と返ってきた。

この日、2年生の姉も校外学習でお弁当を持っていった。その持ち帰ったお弁当を包んでいたナプキンを見て、「いいなあ、おねえちゃんキティちゃんで。」とつぶやく。

「え!ナプキンのこと?」と聞くが、肯定も否定もしない。また、「いいなあ、おねえちゃんばっかり。」と、「ばっかり」に、力が入る。曇り顔の訳は、お弁当を包んだナプキンだったようだ。

「これ、おばあちゃんがお姉ちゃんにくれた物なんだよ。」

「・・・・・。」

「わかちゃん、プリキュアのはし持っていったじゃん。」

「おねえちゃんばっかり。」

プリキュアのはしじゃ、ダメだったんだな。

「わかちゃん、これでいいって(動物柄のナプキン)いったじゃない。だって、キティちゃんのはおねえちゃんのなんだもん。」

「・・・・・。」

「わかちゃんも、キティちゃんのがよかったんだね。」

「うん。」

「ほかの子は、かわいいキャラクターのナプキンだったの?」

「うん。」

もう、涙が溢れている。想像できる。お弁当をだして、ひとりの子が「わたし、○○のだよ。」と、ナプキンを見せると、「わたしは、△△。」「わたしは、○○○。」と、言いだし、その輪の中に入れないでいるわかこの姿。

「あ、思い出した。わかちゃん、ラブ&ベリーのナプキン、ハンカチと間違えて買ったのがあった。ごめん、ごめん。お母さん思い出せなかった。あれ、持っていけばよかったよね。お母さん悪かったよね。ごめん、ごめん。」と、声を出して泣いているわかちゃんを抱きながら、謝った。

わたしが一緒だったら、また違っていただろう。恐るべし、キャラクターナプキンの威力。4歳の子供たちに悪気など無いだろうし、仲間はずれにする気など全く無い。些細なことが楽しかっただろう遠足を「楽しくなかった。」と言わせてしまった。落ち着きを取り戻したわかこは、「○○ちゃんは、ウサハナで、○○ちゃんは、シナモンで、」と教えてくれていた。仲間はずれの悲しい気持ちを我慢して家まで持って帰ってきて、わたしに伝えてくれた。ありがとう。涙と一緒に悲しい気持ちも流れて行ったことでしょう。

月曜日には、いつものように保育園に行きましたよ。

第 27 回 熊出没

 10月7日、雨の中買い物帰りの車の中、カーラジオからニュースが流れていた。「え、どうして殺すの?」と娘が叫んだ。「え?なに?」夜、雨の運転でニュースを聞いていなかった私は、聞き返した。「どうして、熊を殺すの?」と言う。ああ、夕刊に出ていた記事を思い出して、娘に説明する。

「あのね、熊は10-11月に冬眠のために食べだめするのだけど、今年はブナの花の少ないのを6月ころに花の量を見てか、わかって、人里に餌を求めてきて、危ないんだよ。」

「殺さなくてもいいじゃないか。」と娘。

その通りだと思う。子供は動物にはとてもやさしい。「食べ物をあげればいいじゃないか。」と娘。

「そうだね。でも、誰が餌をあげるの?熊は、木の実や魚や、いっぱいたべるよ。お金がかかるよ。」

「私たちが、魚を釣ってあげる。」と娘。

「そんな時間あるの?」「無理か。」と娘は一言。

 夜雨の中、自宅に車を走らせた。娘の心に生まれた哀れみの心。歎異抄第4章に、『慈悲に聖道・浄土かわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。

浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおしふびん不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきにと 云々』とある。どんなに、熊がかわいそうだと思ってみても、思うようにたすけられない。

行政が熊に餌をやればいいのか。念仏したら、熊は、殺されずに済むのか。ということではない。熊をかわいそうだと思っている私も、実は、哀れまれている熊と同じようなものだ。その私を哀れんで救おうとしてくれている。どうにもならないと苦しんでいる私を哀れんでいる。心配してくれている。ありがとう。浄土の慈悲は、私をも包んでいた。なんだかよくわからないことをこじつけているようだ。

南無阿弥陀仏は、何もしないことではない。

だから、娘よ、思うように生きなさい。

第 26 回 ヘルメット

 むすこが10才の誕生日に自転車を買ってもらった。26インチの黒いママチャリ。今は、普通の自転車が流行っているらしい。小学入学の時に買ってもらった24インチの変速つきのマウンテンバイクはもう小さくなってしまった。それだけ体格がよく、成長した事を喜ぶべきだろう。

 その誕生日以前の5月の連休頃、この学区内で小学生と中学生の乗る自転車と自動車の接触事故が3件ほど続いた。幸い大事に至らなかったが、小路から飛び出す自転車にはどうにもならい。

 そこで、私はヘルメットを買おうと思った。まず、自分がかぶって、子供にもかぶらせて、と思ったのです。

 ところが、それに反対する人が居ました。「自転車屋さんが儲かる。」「ヘルメットはいらない。周りにかぶっている人は誰もいない。」と言うのです。

 がっかりだよ!(スケバン恐子風)

 ヘルメットはカッコ悪いでしょうか。ヘルメットは高いでしょうか。カッコ悪くてもいいじゃないか。

 私が、京都の大谷専修学院で寮生活をしているとき、和子(わこ)ちゃんと同室になった。和子ちゃんは、「カッコ悪いから。」と言って、秋の長雨で肌寒い時、ジージャンを羽織っただけで、傘もささずに、濡ながら銭湯に歩いたのです。「あのね、カッコ悪くても、着てなさい。」と、私の格好悪いパーカーを着せました。和子ちゃんは再生不良性貧血という病気で、風邪は命取り、怪我もしてはいけない身体だったのです。カッコ悪くてもいいから、生きていてほしかった。

 現在、我が家にヘルメットはありません。 

増刊号 七夕'06/11/19)

今年は、七夕かざりをする気にならなかった。しかし、保育園での飾りを作らなければならない。折り紙で飾りを作った。それから、願い事を短冊に書かなければならない。

7月7日、朝ご飯の時に、末娘わかこに尋ねた。「何をお願いする?」「なににしよう。」と考えているので、「字が上手になりますようにとか。」と話していた。

丁度その時、テレビで北朝鮮のミサイル発射のニュースが流れた。それを見ていたななこが、「戦争が起きませんように。」と言った。私は、「いいよ。せんそうがおきませんように、ね。」すると、今度はわかこが、「じしんがおきませんように。」といった。「はいはい、じしんがおきませんように、わかこ、ね。」えんぴつ書きしたその字を、わかこがペンでたどった。

保育園に持って行き、竹の笹に飾った。笹は、保育園のみんなの飾りでにぎわっていた。見ると、「うさぎになりたい。」と書かれた短冊があった。

つい先日まで、わかこに「何になりたい?」と尋ねると、「うさぎになりたい。」と答えていたのを思い出し、クスリと笑った。おんなじ事を考える子がいるものだなあ。「わかちゃんがうさぎになったら、お母さんどうしよう。困っちゃうなあ。お母さんもうさぎになって、ピョンピョン追いかけなくちゃいけないなあ。」と少し困って言うと、「いいよ。」と無邪気に答えていた。

あのね、うさぎになってほしくないんだけどなあ。どうすると、「うさぎになりたい。」と思うのかなあ。それを思うと、「じしんがおきませんように。」とは、非常に現実的で、自己中心的でない願い事だと思えた。「家でも七夕飾りをしようか。」と言うと、うれしそうに「うん、わかちゃん、家でもかざりたい。」と言った。

家に帰って、七夕飾りを作った。翌日、家の七夕に飾った短冊には、「かじがおきませんように。」と「おかあさんがしにませんように。」と書いてあった。

もう、うさぎにはならないで下さいね。

第 25 回 風船取りレース

 6月の第一日曜日、小学校の運動会が行われた。曇り空で始まった運動会はお昼に はカンカン照りになっていた。午後の競技に幼児レースがある。未就学児による風船 取りレースだ。赤、白、黄、桃、だいだい、青、水色、緑、むらさき、の、色あざやかな、丸くふくらんだ風船めがけて走る。勝負は速さでは無く、何色の風船を手に入れるかだ。物のない時代ではない。風船なんてめずらしくない。しかし、運動会のこの風船はどうしても取らねばならぬ賞品だ。白くひかれた線の後ろに、母親に手を引 かれた子供たちが並ぶ。

10数人ずつで走る。「ヨーイ、ドン。」の合図で、子供だけが走り出す。わが子も走り出した。まっすぐに走らず、カーブをきった。そして、目的の桃色の風船を手にして私を探す。その顔は、満足そうだった。レース後、残った風船をもう一つもらった。やはり、桃色だった。兄、姉の運動会そっちのけで土いじりして遊ぶときも棒のついた風船を離さない。一緒に遊ぶ子も風船を離さない。そ の風船を持っていることが満足なのだ。

しかし、毎年、必ず、遊んでいるとき、ある いはお弁当を食べているとき、あるいは、帰りの自転車に乗っているとき、パンと大 きな音を立てて割れてしまう。必ずだ。だから、もう一つもらっておくのだ。今年も、うさぎを見ていたら、大きな音がして割れた。情けない顔をしたわが子がゴムの残がいと棒を持って私のところへ来た。「割れちゃったんだね。」「うん。」「もひとつあるよ。」と渡す。そして、それを持ってまた遊びだす。割れてしまった風船はもう元にもどらない。その悲しみと悔しさをのりこえる力をどうやって身につけていくのだろうか。しかし、必ず身につける。泣いて乗りきるのか。歯をくいしばるのか。何ともない振りをするのか。色とりどりの丸くふくらんだ風船。

たかだか、風船。しかし、それはとても魅力的だった。