『アス』感想

『アス』は格差社会を描いてると思うんだけど、上手いのは格差を指摘された際に、格差なんか気にもしていない側の示す反応が、テザードたちに対峙する主人公一家の行動という形で赤裸々に描かれていてるところ。
アディは格差社会の中で裕福側へと一抜けした元貧困層だが、自分が同胞を裏切って築いた立場を守るため、相手を潰す側に回る。
ゲイブはテザードに「何が欲しい?」と尋ねる。つまり、相手は「目先の何か」が欲しいだけだと決めつけて、黙らせるためにそれを探ろうとする。
娘と息子は最初こそ逃げ隠れするが、自分たちの親が相手を力ずくで黙らせる姿を見て「学んで」、何の疑問も持たず躊躇もせずに、自分も力ずくで相手を黙らせるようになる。しかもかなり残酷で徹底的に。

結局これ、あらゆる差別とか不合理な伝統固執とか経済格差とかなんでも、社会で誰かが声を上げた時に「自分の(誰かを踏みつけにした上で成り立っている)安穏とした生活を脅かされた」とか「自分が攻撃された」としか考えられない人間の姿だ……。
ただそのマインドなだけでもすすんでそういう理不尽に加担しているも同じ、とはよく言われていることだけど。
現実では殺して黙らせたりすることは少ないとしても(でもヘイトクライムとかはある)、言葉や態度で相手を黙らせて自己保身する人は多いものね。
そして子どもたちはそれを見て学んでしまう……。
テザードたちが言葉を持たないってところなんか、あからさまに「語ることができないサバルタン」て感じ。
声なき人たちがやっとのことで声をあげた、しかし権威を持つ人々に潰されるという話だと考えると、また最初から観たくなってしまったのだ。

一つだけ残念だったのは、テザードの正体とか国の計画とかをセリフで説明しちゃったところかな。
あそこまで作り込んだんだから、それとなく何かが映るみたいな示唆にとどめた方が良かったのでは……(シャマラン好きなので)

(2019年9月14日)