『モンタナの目撃者』感想

『モンタナの目撃者』についての母の「母性神話が排除されてる」という指摘なるほどと思ったのでネタバレで詳細+私の感想を書いてみる。
劇中、保安官の妻のアリソンは妊娠6ヶ月、夫婦で産まれるのを楽しみにしている。そしてアリソンは夫の留守中に殺し屋2人組に押し入られ、サバイバル術でなんとか反撃し、屋外へ逃れて身を隠す。という序盤の流れ。
うちの母は、ここでアリソンの出番はこれでほとんど終わるのかな、と思ったと言う。なぜなら、アリソンは身重の設定だから。
しかしそれが最高な形で裏切られた。

従来、アクション映画やバイオレンス映画において、主役ではない"妊婦"っていうと、ヒーローな夫の弱みになるか(『新感染』とか)、「冷蔵庫の女」にされるか(『ウィズアウト・リモース』とか)。
「赤ちゃんだけは助けてお願い」「お腹に子どもがいるの」だなんて命乞いしたりして。
そしてお腹の子のために最善を尽くす、大いなるリスクを抱えた人物として描かれる。
(『ファーゴ』は頑張る妊婦だけど、あれは主演だから別の話)

なのに、『モンタナの目撃者』のアリソンは銃を手に夫を助けに行く。
大きなお腹を抱えてプロの殺し屋を追うのである。
もちろん腕に自信があったんであろうことは映画を観ていればわかってくるけど、ちょっと今までの妊婦像とは違う気がしませんか。

母は、アリソンの行動はすごく自然な選択に見えると言う。以下は母の弁。
「私だったとしても、まだ生まれて来てもない顔も知らない赤ちゃんより、今生きて一緒に暮らしてる夫の方が大事。もちろん、そう思わない人もいるんだろうけど。
私は子どもが生まれてその姿が見えてから、やっと愛情が湧いてきた。だから、まだ見ぬ赤ん坊のために愛する人の命を諦めるとかは違和感ある。
私ならこの映画のアリソンと同じことする。胎児がどうかなってしまう可能性の前に、自分や夫の命を救える可能性を考えると思う。
でも大体の映画とかドラマじゃ、妊婦は胎児第一って感じでちょっとね。」

具体的な作品は思い出せないそうだけど、今までにそういう「妊婦は妊娠中の子だけ顧みる」という母性神話を色んな映画やドラマで見かけてきて、違和感を感じてたんだそう。
私も具体的な作品名はパッと思いつかないけど(すみません)、言われてみれば確かにそんなパターン多いなと思った。
というか、それ以外のパターンの作品をあまり思いつかない。

これはある種の倫理規範てことでは?
結局、中絶禁止法案なんかが生まれる下地がそれなのだろう。
胎児第一、そして妊婦もそう思うべき、みたいな規範がある。家父長制の都合なのは明らか。
それがあるから、『MAD MAX 怒りのデス・ロード』で、妊娠中のワイヴスが「人質」として使うシーンがある(同じく胎児第一ではない妊婦の描写。ただしこっちはレイプの背景があるので、アリソンの文脈とはやや異なる)。

女が自分の判断で自分の身体を使って、やりたいと思ったことをする。
妊娠中だからってそこはバグらないこともあろう。

そもそもアリソンは別に妊娠中の設定にする必要はなかった。
そこに意味がある、と考えるならば、話の筋として意図をもって設定したんだろうと思う(原作と映画で違うかどうかはわからない)。
女といえばいつか母親になるもの、母親になれない間はそれに憧れているもの、子どもがそこに居るだけで母性が芽生えるもの、そういう安易な母性神話を拒否して、リアルな女性像を作るために。

主役のハンナの方の話をしよう。
これはうちの母も指摘していたけど、ハンナは成り行きで知り合った子どもを大人として守るけど、過度な保護はしない。プロとして、大人の一市民として守っているからだ。
ラストでも、先行きを不安がるコナーに保護者みたいな顔はしないし、保護者になってやろうなんてことも言わない。
言ったのは「一緒に考えましょう(We’re gonna figure it out together)」だった。
監督も母親っぽさを出さないようにアンジェリーナ・ジョリーに指導していたという。

同じく子どもを守って戦う女の『グロリア』は、子ども嫌いの女でも子どもと一緒にいると母性が芽生えてくるという話だけど、この映画はあくまでもそれに抵抗している。
女は別に母性を感じていなくても人を守れる。
プロとして。大人として。コミュニティの一員として。ヒューマニストとして。
そんな物語を『モンタナの目撃者』で見せてもらえてフェミニストとして嬉しかったし、彼女たちのカッコ良さに興奮した。

この映画は別にフェミニズムを標榜した映画ではないかもしれないけど、充分にフェミニズム批評ができるだろう。
だって、ハンナとアリソンの、あくまでも自然な行動や選択(※うちの母の言)一つ一つが、よくある「子を守る女/妊娠中の女」像を裏切っていて、まるで「母性なんてものは結局は作られた規範にすぎないじゃないか」と訴えているかのようだもの。

(2021年9月15日)