『NOPE/ノープ』感想

映画『Nope』、この物語のメインの軸は見られる/見る、消費される/消費する、という資本主義社会における人間の商品化という問題だけど、もう1つマイノリティが求められる「行儀良さ」に対する批判もあると思う。
見る/見られる、消費される/消費する、の話はパンフにも書いてあるし監督やキャストのインタビューでも公式に触れられているので省略。

冒頭で起きるドラマ撮影現場での凄惨な事件。
チンパンジーのゴーディは、ドラマの中では白人家庭で家族の一員として暮らしている。
白人と同じ服を着せられ、意味を解さないからと侮蔑的な言葉を投げつけられてもいる。
同じドラマに登場する子どもの頃のジュープ(スティーヴン・ユァン)も実は同様で、白人家庭にいるアジア系=異分子として同じく見世物化されている。
なので彼だけはゴーディに襲われることはなく、むしろゴーディが凶行のあとにグータッチしに行く対象だ。

アメリカでアジア系移民といえば「モデル(模範的)マイノリティ」とされている。
勤勉で教育熱心で大人しい、移民のお手本。
しかしこれはほかのマイノリティとの連帯を阻み、ほかのマノリティを抑圧する手段としてある種策略的に言われているんであって、社会の中でアジア系が白人同等に扱われるわけではない。
ちまたではアジア系は普通に差別されるし、軽んじられている(加えて、コロナ禍以降はアジア系を標的としたヘイトクライムの増加も問題になっている)。

ジョーダン・ピール監督は『ゲット・アウト』で黒人差別をテーマにしているが、黒人には過剰に行儀良さが求められるのは有名な話。
「ちょっとしたやんちゃ」は白人であれば笑い話になって許されるが、黒人であればそれを理由に「やっぱり黒人だから……」と言われてしまう。
学生が軽犯罪で捕まったといった場合であっても、その学生が白人か黒人(や他のマイノリティ)かで、罪状の扱われ方に大きな差が出る。
(参考:アリス・ゴフマン「私たちがどのように子供たちを大学―または刑務所に送り込んでいるか」https://www.ted.com/talks/alice_goffman_how_we_re_priming_some_kids_for_college_and_others_for_prison?language=ja
元大統領オバマ氏は人柄で称賛されることが多いが、初の黒人大統領の例として、そうでなければならない立場にあったからだ。

白人にとっての異分子=アメリカにおけるマイノリティは、自明のこととして支配階層たる白人に服従し、彼らを楽しませ、安心させる存在であらねばならない。
ジュープはそれを内面化してしまった人物でもある。そうでなければ? ゴーディの最期のようになるのだ。

ちなみに、劇中ジュープがゴーディの事件によく似たSNL(サタデー・ナイト・ライブ)のコントに言及するシーンがあるが、これは実際にSNLにたびたび登場したキャラクターMr.Peepersの話。
公式チャンネルで映像が見られる→https://youtu.be/QV2kaJ5_8PU
「Mr.Peepers SNL」でググったらほかにも出てくる。すべて大暴れする人間猿とそれを制御できない人間を笑うスケッチである。
若い頃のロック様もMr.Peepersの父親役で出ていたりする。

さて一方、主人公OJは馬の調教師で、馬を飼い馴らし映画に出演させることで生計を立てている。
スタジオにいる連中はゴーディの頃から何一つ変わることなく、動物は小道具扱いしているし、スタッフとしてのOJも軽んじている。
ここで、スタジオが求めるキャラクターを演じないOJの姿と、いわゆる「人気者の黒人」を演じて業界に食い込もうとするエメラルドの姿が対照的に描かれるのは、自然体でいられるマジョリティの特権性に対する批判と読める。

当然ながら、OJも他者=馬に行儀の良さを身につけさせて、利用している立場にある。
ただしゴーディの場合や、スタジオの連中とは違って、OJと馬の関係は対等な協力関係として描かれるのがポイントだ。
OJは馬の一頭一頭の性格と習性を把握し、ただ利用するだけではなく友人のような愛を抱いて接している(馬のラッキーを助けに行ったせいで危ない目にも遭っている)。
馬の行動には理由があるのだ、と理解もしている。
だから馬には行儀良さを、思い通りに行動することを要求しない。
他者を飼い馴らし服従させるのではなく、対等な他者として理解しようというOJのキャラクターは、対エイリアンの場合にも発揮される。
エイリアンは縄張り意識が強いこと、直視すると襲われやすくなること、ガーランド(旗)を食べるのは嫌がることなど、すべてOJが最初に気づいているのだ。
そんなOJが主人公である、そこには意味がしっかり込められていると思う。 

2022年8月27日