『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダー・バース』感想
※重度のネタバレが含まれます。
ずっとスポットのことを考えてる。
スポットは劇中で小悪党から宇宙の脅威に変身するキャラクターなのだが、彼は初登場時にどんなことをしていたか思い出してみよう。
彼は特殊能力を使って、商店の中にあるATMから札束を抜き取ろうとする。そしてこんな台詞を言うのだ。
「この姿じゃ仕事にもつけない、犯罪に走るしかない」(うろ覚えなので間違ってたらごめん)
この台詞が、その後のマイルスとグウェンの壮大な冒険で展開していく物語の中でも、頭の中から離れなかった。
実は、彼は小悪党ですらなかったのではないか。
事故によって犯罪に手を染めざるを得ない状況に追い詰められてしまった人ではないのか。
私の住んでいる国には、困窮のあまりコンビニやスーパーで食べものを盗み、逮捕される人がいる。
彼らとスポットと何が違うのだろうか。
そして、スパイダー・ピープルとスポットは何が違ったのだろうか。
それは第一に見た目だ。
スパイダー・ピープルは、スーツさえ脱げば一般人の中に溶けこめるが、スポットはそうはいかない。
スパイダー・ピープルには、特殊能力を「隠す/隠さない」の選択が可能だ。
今作は特殊能力を親に隠しているという状況が共通していることをスタート地点に、マイルスとグウェンの物語が展開する。グウェンは冒頭で父親に打ち明け、拒絶めいた反応を受けて傷つき、スパイダー・ソサエティに加入する。
一方マイルスは、特殊能力を隠すために親に何重もの嘘をつき、信頼も損ない、がんじがらめになってしまう。
ついに母親に打ち明けるも、それは別アースの母親であり……と、若い二人にとってはまさにスパイダーマンのカノンとも言うべき、隠したアイデンティティの問題に振り回される。
隠せば苦労や悲しみを生むにせよ、「隠す選択できる」のはスポットからすれば特権だといえる。
スポットにとって特殊能力は才能である一方で、肉体的には事故による障害を負ったに等しい。
通りを歩けば、通行人たちは一見して彼を「自分たちとは違う」人間だと見るだろう。
スパイダー・ピープルにはある選択肢が、特権が彼にはなかった。
スポットはもともと科学者だった人物だ。不幸な事故に遭い、特殊能力とひきかえに恐ろしげな見た目を得てしまい、なすすべもなく全てを失った。
正直言って、至って同情すべき身の上である。
スポットは生活のために犯罪者となった、本来は救済されるべき人物だったにもかかわらず、周囲は犯罪を起こすまでは彼の境遇を気にも留めず、犯罪を起こせば犯罪の事実にしか目を留めない。挙げ句、自身の特権を持ったスパイダーマンから侮蔑的な言葉をかけられる。
スポットが大暴走するのは、失うものがないからなのだ。そして彼をそんな状態にしたのは、社会だ。
スパイダーマンは彼をただ捕まえるのではなく、「その能力を善行に使わないか?」とスポットに提案すべきだったのかもしれない。
ただ、たった15歳の子どもマイルスにそこまでの思慮を期待するのは酷だろう。
(もしかしたら、スポットのほうもスパイダーマンの正体が子どもだと知ってさえいれば、結果は多少違ったかもしれない)
続編では、スポットのことをもっと掘り下げてくれるのではないかと思う。
というか、掘り下げる余地があることは明らかなので、この物語がスポットを最後までただの暴走マンとして扱わないことを祈る。
そして、社会の中のスポットのようにスパイダー・ソサエティの中の「異分子」と断定されてしまったマイルスに、スポットへの理解とそれを経た成長が描かれますように。
(2023/06/17)