Welcome to
my homepage
随想 技術の散歩道 ― 第6編 ― (No.26~No.30)
技術の散歩道 No.26
マルチメディア論
世の中には、曖昧なままで使われている言葉も数多い。マルチメディアもその一つではなかろうか。きちんとした定義があるのかどうか不明だが、なくても何となく理解されて使われているようである。ときにはテレビ、ラジオ、新聞、出版、電話、ファクシミリ、インタネットという類いの「情報伝達手段」としての社会学的なマルチメディア論もあるし、文字、音声、記号、図形、画像、データといった「情報表現手段」としての工学的なマルチメディア論もある。
この工学的なマルチメディア論では、人間と人間、人間と機械、機械と機械の間での情報通信をいかに効率化するかという観点での議論が極めて重要なものとなっている。たとえば情報をどういうメディアで表現したら、量的にも、速度的にも、また理解度の点でも都合がよいか、といったような議論である。とくにインタネットを初めとする各種の通信網では、通信路容量上の制限を克服し、画像を含むマルチメディア情報をいかに効率よく伝送するか、が一つの重要な課題である。
とくに情報の最終の受け取り手が機械の場合には、そのメディアをいかにして機械に理解させるかという「認識・理解問題」が主要な技術課題となる。したがってマルチメディア論は、一般の知的機械に必要とされる「センサーフュージョン」の問題とほぼ等価になってくる。幾つかのセンサー情報を融合して外界状況を機械に正しく理解させるのと同じように、幾つかのメディア情報を融合して、より高い理解度を達成しようとするものである。
中でもとくにビデオ映像のような動画像は、情報量も多く、最も重要なメディアの一つである。この動画像を、機械に実時間で認識させようとする困難な技術への挑戦が始まっている。まず手始めに、時間的に連続した一連のビデオ画面の中から、その画面間の急激な変化を検出する自動シーン分割技術が実現した。さらにこの技術の応用として、サブリミナル映像の自動検出装置も開発された。これは、一頃騒がれた宗教問題に端を発しており、今では、放送局に持ち込まれるビデオ映像を、この装置で放送前にチェック出来るようになっている。
この自動シーン分割技術のもう一つの応用例として、どの会社のどういうコマーシャル映像が、どの時間に放映されたかを自動的に監視するコマーシャル映像監視装置が開発された。映像の時間的変化を、カラー情報をもとにコード化し、あらかじめ記憶されたコマーシャル映像のコード情報と実時間で比較する方法である。映像の特徴だけでなく、音声・音響も含めたマルチメディアとしての特徴を比較することで、より強固な認識性能が得られることになる。
一方、受け取り手が人間の場合にはメディアの「再生問題」となり、マルチメディア論は「バーチャルリアリティ」の問題と等価になってくる。例えば、その情報の発生現場にあたかもいるかのような、臨場感ある情報として再現し、そこへの没入感を通して情報の理解度を高めようとする。
人間が受け手の典型例として、テレビ放送がある。これはもともとマルチメディアとしての特徴をもっている。動画像、音声・音響、文字といったメディアが混在して利用され、表情や動作、ときには手話といったような特殊な情報表現形態も内部情報として含まれているからである。受け手の人間に没入感を抱かせるための努力も従来から行われてきた。音声・音響のステレオ化、映像の大画面化・高精細化・立体化などもその典型例であろう。
この没入感は、放送内容によっても、また受け手の教養レベルや心理状況によっても左右されることがありうる。とくに心霊現象、オカルトの類いの内容だと、その影響は意外と大きい。実際には見てもいないことを、あたかも見たかのように錯覚させる。創られた映像を通しての経験に過ぎないのに、実体験として錯覚し、挙げ句の果て、その存在を信じてしまう人もいるようだ。だから映像は恐い。創る側の責任もまた大きい。
ところで、一般に良質の映像を作成するには、それなりに時間とコストが掛かるようである。そのため、これらを低減する手段として計算機の利用が進み、最近のテレビ映像や映画では、かなりコンピュータグラフィックスが活用されるようになった。しかし、それでもまだ、情景の3次元モデル化に時間が掛かるなど、問題は多い。
ところが最近、その解決に向けた幾つかの面白い技術が開発され、放送の現場でもかなり注目されるようになってきた。その一例はTIP(Tour into the picture)という技術で、一枚の絵だけから立体モデルを創り出し、その絵の中に入り込もうとするものである。この技術によれば、昔の銀座の写真が一枚あれば、時代の壁を超えて、その街を散歩しているかのようなビデオ映像を創ることができる。
もう一つの例はサイバー文楽と称する技術である。従来、絵コンテを一枚ずつ描いたり内挿したりして創っていたアニメーションが、この技術では、計算機中に人間の立体モデルをいったん創りさえすれば、あとはそれを文楽人形の操作に合わせて動かし、実時間で映像を創れるようになったのである。
これらの技術の進展には、音声や画像メディアの計算機による取扱いがかなり高速かつ容易に出来るようになり、さらに、これらのメディアを記憶するための半導体メモリ、磁気メモリ、光メモリなどといった「情報記憶手段」としてのメディアも、それぞれに大容量かつ多様化されてきたという背景がある。マルチメディア技術は、機械と人間が存在する限り、両者の接点での技術として今後益々重要となってくる。
(平成11年9月)
技術の散歩道 No.27
日本人の独立心
米国の初等教育の現場で見た興味深い行事の一つに、ウォーク・アラウンドというのがあった。日本での運動会に相当するが、様子は全く異なっていた。休日に学校のグラウンドを一日中、ただひたすら歩くのである。もちろん走っても一向に構わないし、何時に学校に来ようが、途中で家に帰って一休みしようが、全く自由な一日なのである。
ただ児童たちは、この日のために、あらかじめ近所や親戚、知人宅を回り、ある約束を取り付けているのである。学校からの所定の用紙にサインを集め、1マイル当り20セントとか30セントといった具合の寄付の約束である。テープの張られたグラウンドを一周するごとに、ボランティアの母親たちの手で、児童の首に掛けられた切符にハサミが入れられる。児童は平均的に50周程度、一日掛けて10マイル近くの距離を歩くようである。
行事が終了すると、歩いた距離の証明書が学校から各児童に手渡され、それを持って再度近所や親戚を回り、約束された金額が児童自身の手で集められる。これが学校に寄付されて文房具や遊具の購入、グラウンドの整備などに当てられるのである。児童にとっては、自分たちの「労働」の成果がすぐ目に見える形で実現されていくのでそこに大きな感動があるし、また、協力して目的を達成する喜びを分かちあうことができる。当時、児童のまったくいない家庭の場合でも、近所の児童たちを通してこの行事を支援し、学校に毎年少なくとも100ドルくらいは寄付をしていたようである。
この行事を通じて児童たちは、地域ぐるみで協力してくれた近隣の人々への感謝の気持ちも持つようになる。そして近隣の人々の期待に応えるための「サービス」と「レスポンシビリティ」の精神が、先生の口から繰り返し徹底されるのである。日本だと多分、子供たちを競馬の馬のように扱うのはけしからんといった非難や、小さいときから金集めのお先棒を担がせるのは問題だ、といった議論が巻き起こりそうな感じがする。
米国では、児童たちへの月々の小遣いは、日本に比べると極端に少ないのが普通である。我が家でも当時、小遣いを与え過ぎないようにとの学校からの注意を守り、周りの児童と同額の月額5ドル程度であったように記憶している。したがって、ときには足りないこともありうる。そんなときには、児童たちは自らの労働で小遣いを稼ごうとする。当時中学生だった我が家の娘も、あるとき車を洗わせて欲しい、と言い出した。買いたい物があるのだがお金が足りないとのことで、2ドル50セントでいいから車を磨かせて欲しいというのである。多少かわいそうな気はしたが米国流にやらせたところ、2時間ほど掛けてきれいに磨き上げた。早速その報酬を支払い、娘も大喜びだったことを懐かしく思い出す。何もしないのにお年玉を何万円も渡す日本とでは、教育の基本的なところが随分と違うようである。
ところで私の住んでいた地域では、毎週水曜日が連絡日ということで、3人の子供たちがそれぞれの学校から一斉に書類を持ち帰ってきた。そのすべての書類に目を通さなければならないため、水曜日は仕事を定時で切り上げ、早く帰宅したものである。これらの書類は学校と親とのコミュニケーションのためのもので、なかにはサインをして提出する書類も多く含まれていた。たとえば、週末にバスで課外授業に行くがバスに乗せていいかという承諾や、事故にあったら最寄りの病院に連れて行っていいかとか、輸血していいか、というような承諾のサインである。これらは多民族による宗教や習慣の違いを考慮してのものであった。このように、子供たちの行動の一つ一つが親のサインの有無で決まるので、家庭の中での会話がおのずと弾み、また親の権威が子供たちに印象深く植え付けられるという効果もあるようである。
そのような日々を送っていたある日、娘と何かで意見が衝突し、叱り付けたことがあった。娘は泣きだして自室にこもり、そのままその日は泣き寝入りとなった。一晩眠ればわだかまりも解けたようで、翌朝起きてきて「夢を見た」という。「父さんに叱られて家出をする夢で、紙に『家出をします』と書いて父さんにサインを貰いにいった」とのことであった。
夢にまでサインのことが出てくるほど、子供たちの行動が親のサインで規制されているとも言えるわけで、これが逆に、子供たちに早く独立したいという心を植え付ける効果をもたらしているのかも知れない。高校生くらいになると、自分の学費は自分で稼ぐという考え方が少しずつ芽生えて来るようで、大学生ともなるとほとんどの人が、学費を奨学金や自分のアルバイトで稼ぎ出す。それよりさらに昔のこと、私がシカゴに留学していたころ、私のもとで研究をしていた大学院学生の妹は、大学を2年で一旦休学し、大学病院の看護婦として1年間勤務して学費を稼ぎ、そのあとまた3年生として勉強するのだと張り切っていた。余談だが、その看護婦の好意で、普通なら見られない心臓外科手術を目の当たりに見ることができ、当時、生体工学を勉強していた私にとっては貴重な体験となった。
このように人間はどうやら、多少は窮屈な方が独立心が湧く。何不自由ないと甘えが出ていつまでも独立しない。世の中が混沌としていた戦後の一時期よりも、現在の世の中の方がホームレスが多くなったように感じるし、ホームレスよりもさらに悪いマインドレスと言った感じのフリーターと称する若者も増えたようである。まさにホープレスといった感じの世の中である。勉強しようという目的を持ってパートタイムジョブに精を出す若者には好感が持てるが、昨今の無気力で無目的の若者には幻滅する。親のすねかじりで携帯電話を持ち歩く中・高校生などを見ると、月数万円もの電話代を負担する親の方が間違っていると思えてくる。一般に親馬鹿という程度ならまだ微笑ましいものだが、これを通り越した馬鹿親という人種が、日本には実に多くなったように思えてならないのである。
(平成11年10月)
技術の散歩道 No.28
小さな疑問・小さな不思議
世の中には不思議なことが存在する。とはいっても未確認飛行物体のことではないし、ましてや心霊現象、オカルトのことでもない。もっと身近で単純な、日常生活上での疑問である。私のような熟年研究者の悪い習性なのかも知れないが、些細なことであれ何か不思議なことを見聞したりすると、まずは状況を分析し、科学的・工学的にその理由を説明しようと試みる。そして大抵の場合、失敗する。以下の例は、そのような類いの話である。
先日、愛用の腕時計が動かなくなった。どうやら電池が切れたようである。時計なしではやはり不便なので、電池を取り替えようと最寄りのデパートの時計売り場に足を運んだ。修理専用の窓口があったので取り替えを依頼したところ、「中を開けてみて、もし国産の機械が使用されていれば1300円、外国の機械なら1900円」だという。国産と輸入物では電池が違うのですかという私の問いに、「いや、入れる電池は同じです」というのである。同じ電池なのに値段が違うのはおかしい、という私に、「店の規則ですので」という答えが返ってきた。
この差額600円が技術料の差だとすると、開けてみてから国産か輸入物かを判定するので、「裏蓋を開ける」という初期行為はどちらにも共通である。したがって開ける技術料がこの差を生んでいるわけではない。同様に「判定する」という行為も、どちらが入っているにせよ共通に必要な行為だから、これまたこの差には関係ない。それなら古い電池を取り外し、新しいのをはめ込んで、最後に裏蓋を閉じるというところに有意な差が出るのだろうか。しかし「裏蓋を開ける」行為が原因でない以上は、最後の「裏蓋を閉じる」行為もこの差の原因ではない筈である。残るのは「電池を取り外す」「電池をはめ込む」という作業しかない。しかし輸入物だけがそんなに難しい作業とも思えないし、国産品に比べて極端に難しいような下手な設計をしているとも思えないのである。
いざお金を払う段になって、輸入物と信じていた私の腕時計は、「中を開けたら国産品の機械が使われていたので、1300円となります」とのことであった。喜ぶべきか、悲しむべきか、なんとも複雑な思いがした。それとも、うるさい客だから安いほうにしておけば無難、という判断があったのかも知れない。この価格の設定はひょっとして国産品優先、輸入品撃退の見えない障壁の一種なのか。何とも不思議な話である。
一方、これまた永年愛用の眼鏡の表面に、最近、ちょっとした不注意でかなりの傷を付けてしまった。多少の老化もあってか、最近、眼鏡が合わなくなっているという印象も持っていたので、この際新品に取り替えることにし、ある著名な眼鏡チェイン店へと赴いた。まずは視力を調べるということで、住所・氏名のカードへの記入を皮切りに、細かな「尋問」が始まった。「ご職業は?」とでも聞いてくれれば「会社員だ」くらいで済んだのかも知れないとあとで気がついたが、このときは「お仕事は?」というので思わず「研究だ」と答えてしまった。そうしたら「何のご研究ですか」と来た。まるで不審尋問を受けているような気がしたし、眼鏡を作るのと何の関係があるのかと少し腹が立ったこともあり、「極秘だ。何の研究かをあなたに言う必要はない」と言ってしまったのである。
その後暫く続いた尋問を総合的かつ善意に解釈すると、どの程度目を酷使する仕事をしているかを知りたいらしい、という感じがした。そのため、毎日かなり長時間、計算機に向き合っていることも説明した。しかしこれも良く考えてみると、眼科の治療ならいざ知らず、目の酷使状況で眼鏡のレンズを勝手に決められては困るのである。そして結局は、医者の「問診」でのカルテ記入を真似した「権威付け」のつもりらしい、どうやら顧客データを作成したいだけらしい、と気が付いた。それなら何も口述筆記というやり方でなく、こちらに全部書かせてくれた方が手っ取り早い。その後あれこれと視力を調べ、レンズを付けたり外したりして、最終決定までに小一時間も掛かってしまった。どうやら、時間を掛けることが顧客へのサービス、と考えている節も感じられた。次の予定で時計を気にしながら、このスピード時代に何とも効率の悪いビジネス、と不思議に思ったものである。黙って座ればピタリと当たる、というのは昔の八卦見のキャッチフレーズだが、眼鏡の度合わせもそうあって欲しいものである。
五人家族の我が家で永年使っていた食卓と椅子を、子供たちが独立して夫婦二人だけの生活となったのを機に、もう少しこぢんまりしたものへと買い替えることにした。まだ十分使えるし、結構大事に使っていたものなので、誰か使ってくれる人はいないかと妻があちこちに電話を掛け、ようやく市役所に話が通じてリサイクル用に引きとってもらえることになった。ところがこういう大物の回収は、月一回、一家で3点までと決まっているとのことで、食卓1個と椅子5脚では規定に反するというのである。これを3個にまとめて、「粗大ごみ」という張り紙をして玄関先に出しておくように、というわけである。張り紙に「リサイクル品」と書きたいところだがそうはさせてくれない。
どうしても3点になりそうにないのでまた連絡すると、椅子は2個ずつ紐で縛れという。それでも3点にならないというと、食卓+椅子2脚+椅子2脚+椅子1脚の4点でいい、これを3点とみなすことにする、というのである。「見事な数学」と感じ入り、有り難い話とお礼を言いながらも、紐で結んだときの運び難さや、またそれを解く手間を考えたら、初めから6点を3点とみなして運んでくれてもいいように思ったりした。ここ数年、粗大ごみを出したことのない我が家の実績も、まったく考慮されない。何ともお役所の規則というのは不思議なものである。
(平成11年11月)
技術の散歩道 No.29
映像創りの裏側
映像は、もっとも迫力のあるメディアの一種である。人に訴える力が大きいため、私のような研究開発に従事する技術者も、自分の研究成果を映像化して研究発表の場などでよく利用する。百聞は一見にしかずという諺通り、人に理解してもらうには、耳よりも目に訴えた方が手っ取り早いからである。そのために、実際の物理現象や計算機でのシミュレーションをVTRなどに撮影・記録したり、その映像を解析・編集して電子プレゼンテーション用の画面にはめ込んだりする機会も増えている。
一方、企業としての宣伝や企業活動の記録のために、映像を創ることもよくある。ときには技術者自らが出演しなければならないこともあり、私も過去に何度かそういう経験をした。とくに斬新な技術が開発できたときなどには、テレビ番組に出演を依頼されることもある。
その昔、まだ若かった頃、NHKの科学番組で、ある大学教授と対談したことがあった。妻が何人かの知人に事前に知らせたらしく、放送終了後、電話が掛ってきた。大抵が「あなたのご主人、どこの人?」という電話だったというのである。私は東京に住んでもう何年にもなっていたし、自分でも見事な標準語を喋る、と確信していたのに、どうやら微妙に違うらしい。映像も音声も、実に正直で、恐いもの、とそのとき初めて実感した。
あるとき、来客に見てもらうための研究所紹介ビデオの撮影で、研究所の廊下を歩いているシーンを撮ることになった。カメラマンを乗せたリヤカーを二人がかりで引っ張り、その後ろを私が神妙な顔をして、付かず離れずに歩いて行くのである。時々部屋を覗くような感じで左右に顔を動かして欲しいとのことであった。何とも滑稽な撮影風景ではあったが、出来上がった映像を見ると、一応威厳のありそうな年輩の研究者が、研究室の研究状況を視察して歩くシーンになっている。以来、このビデオを見るたびに、撮影の際のリヤカーのことが思い出されて、つい吹き出してしまうのである。
また別のあるとき、私の関連する技術分野の紹介ビデオの撮影が計画され、私がビデオの冒頭の部分で、技術概要を2分間ほど説明することになった。どうせ撮影するなら、秋色深い研究所の庭園がよかろうということになって、ある日曜日に映像プロダクションの人たち7~8名がやってきた。紅葉の池を背景に朝10時ころから撮影がスタートしたが、この2分間のシーンを撮るのに昼食抜きで午後2時まで掛かってしまったのである。
ことの起こりは、まず第1に映像プロダクションの人たちのプロ根性にあった。せっかく撮った映像に少しでも不備な点があると撮り直しなのである。私にはどうでもいいことのように思えるちょっとした光線での明暗が、プロの目には大変気になることのようであった。自分らの作品の質に固執する何とも凄い連中である。
ことの起こりの第2は、私の喋りがなかなかうまく行かないことにあった。研究発表や技術講演のときとは様子がかなり違うのである。自ら書いたたった2分間のセリフを覚えるのにも一苦労し、せっかく覚えても円滑には口から出ず、どこかで詰まってしまうのである。今度はいいぞ、しめしめ、と思いながら喋っていると、最後のもうちょっとのところでカラスが「カァー」と鳴いてやり直しになる。今度こそと思ってまた喋り出すと、今度は近くの線路を電車が「ガタンゴトン……」と通過して、やり直しなのである。
もう何が起こるかわからないので、2分間のセリフを分断して少しずつ撮ることを提案し、ようやくOKが出たかに見えた。ところが、つなぎ合わせて一つにしてみて、やはり駄目とのお達しである。プロの目からみると、このつなぎ合わせた映像では、太陽の位置が微妙に違うというのである。やはり一気に撮りたいということで、この2分間の映像にようやくOKが出たのが始めてから4時間後という次第であった。何とも素人の演技は大変で、映像プロダクションの方たちも骨が折れたことだろうと思う。
その後あるテレビ会社から、若者の製造業離れの防止につながるようなシナリオで、企業の研究所を舞台に、企業の研究者を主人公とするテレビ映画を撮りたい、との話が持ち込まれた。主人公のやっている仕事はロボットの研究ということにしたい、との話であった。そのシナリオライターはロボットについてはあまり知らないというので、一通り技術の概況を説明し、私のアイディアも多少取り入れてもらってシナリオが完成した。
撮影当日、何人かの著名な男優さん・女優さんが来所され、研究室での撮影が始まった。シナリオの流れに沿うのではなく、場所を優先して、その場所でのシーンがまとめて次々と手際良く撮影されていくのには感心した。俳優さん達も、次の出番に備えて、廊下を行ったり来たりしながら必死にセリフを覚えている。その様子を見ると、やはりプロだなあと、以前の自分の不甲斐なさと比較してしまう。幸いこのテレビ映画は好評だったようで、私にとっても一つの思い出となった。ただしその後も、若者の製造業離れは相変わらずのようである。
このような経験をして以来、テレビでドラマを見るたびに、その裏側のことが目に浮かぶようになった。俳優さん達の長いセリフの場面をみると、その見事さに感嘆するのであるが、一方で、恋人同士が切実な話をしながら道を歩いているシーンともなると、その前を行くリヤカーまがいのカメラ移動台や、それを押したり引っ張ったりするスタッフの存在が目に浮かんでしまって興が冷めるのである。よせばよいのに、このリヤカーまがいの移動台の存在のことをまた口に出して言うものだから、一緒にテレビを見ていて画面に没入している妻に、余計なことをいうなと嫌われたりしているのである。
(平成11年12月)
技術の散歩道 No.30
国際化と国際人
メガコンペティションの時代を迎え、新たな国際化の方策が求められている。市場がグローバル化し、一国の経済政策が他国に大きく影響を与える時代となり、世界は確実に小さくなった。企業間の国際競争はますます熾烈になったが、その一方で、技術が高度化して一社の研究開発では経済的に見合わなくなり、投資とリスクとを分散するために何社かで共同して国際規模で研究開発を遂行することも当たり前の時代となった。また、得意技術を持ち寄って、新たな製品を共同開発する例も、以前よりははるかに多くなった。その結果、企業間では、右手で握手をしつつ、左手で殴りあうという事態も発生している。ある分野では共同開発で協調しつつ、別の分野では特許の訴訟合戦をやるような場合などである。まさに競争と協調が併存する社会となったのである。
この新しい「国際競争と協調の時代」においては、企業活動の基本として「グローバル社会への貢献」という視点がより重要となる。とくに企業進出では、その国の「よき市民」としての行動が不可欠であり、地域に密着した喜ばれる製品・サービスの開発提供だけではなく、地域の文化・経済・教育活動などへの市民としての参画や支援が重要な意味を持つ。すでにそのような高邁な奉仕精神のもと、地域に溶け込んでいる企業も数多い。要は、基本と正道を守る愛される企業であることが必須である。
このような国際化は、日本の経済成長に伴い、ここ30年で急速に進展したものであり、私の学生時代には想像すら出来なかった。学生寮のコンパでよく歌ったデカンショ節(兵庫県民謡)に、たしか「丹波篠山、山家の猿が、花のお江戸で芝居する」というのがあったが、当時、この文句に刺激されて花の東京へと出てきた人は、私を含め、かなり多かったに違いない。しかしこれからは、花の海外に出て研究開発やビジネスをやる時代であり、歌詞も変更しなければなるまい。もっとも、この歌が今でも学生の間で好んで歌われているとは思えないが。
企業に就職後、海外留学のために横浜から船でアメリカへと初めて渡航したのは1967年のことであった。当時はまだ1ドル360円の固定為替レートのときで、日本としての外貨準備高は極めて少なく、渡航に割り当てられる外貨も窮屈を極めていた。1年間の海外滞在で持ち出せる外貨はあっという間に無くなるので、家族送金という非常手段を使って送金してもらう以外に手がなかった。留守家族に生活の困窮ぶりを切々としたためた手紙を送り、その手紙を添付した申請書で初めて送金が認可されたのである。このように異国での初めての生活は、お金は乏しかったが夢と希望は多かった。今、懐かしく思い出されるのである。
同様に企業からの海外出張も、1970年代前半まではまだ珍しく、どこの企業でも誰かが海外出張となると掲示板に名前が張り出されるほどの大事件であった。職場から見送りにいくことが習慣化されていたようで、当時の羽田では、海外出張者をバンザイで見送る光景もよく見られたものである。
1980年代に入ると日本の輸出ビジネスが一層活発化し、それに対応して国際人の育成が急務となった。この国際人というのは、単に外国の言葉ができるというだけでは不十分で、願わくは「違いのわかる人」であるのが望ましい。すなわち自国の文化と同様に他国の文化にも深い興味を持ち、人々の生活様式や思考方式、さらには価値判断の仕方などで、彼我の差がわかる人である。さらにその違いの知識を、日常生活や技術開発やビジネスに有効に活用できる人が真に国際人と呼べるように思うのである。
この場合、他国の文化を単に知っているというだけでなく、それに対する深い尊敬の心もまた重要であろう。世界のどこの文化をとっても、その文化が生まれ育った背景にはそれなりの必然性があるわけであり、どこの文化の方が上だとか、優れているとか、進んでいるといった比較はおかしいわけで、そのような比較の目で見ると尊敬の念というのはおぼつかない。従って国際人の資格は失せてしまうように思う。
ところでこのような国際人の特徴は、以下のようなものであろうと思われる。第一に、広い視野で多様な発想ができるので、新しい概念を提案し、革新的に仕事を遂行できる可能性が高い。第二に、自分の知らない仕事へ挑戦する際に抵抗が少ないので、物事をシステム的に組み合わせて新たなものを創造するというような「統合型」の仕事ができる可能性が高い。第三に、時間の重要性を自覚し、情報収集能力や情報発信能力が高いので、効率よくかつ円滑に仕事を遂行できる可能性が高い。
1990年代にはこのような国際人に対する期待がますます大きくなり、そのため各企業では国際人養成に多くの施策を講じるようになった。その中でもやはり一番効果的なのは外国への派遣であり、研修、留学、実務、研究発表などの機会をとらえ多くの従業員を海外に派遣している。誰がいつどこへ行ってきたかは、本人が口にしない限りわからないほど出張者が多くなった。昔、東京~大阪間を出張したのと同じような感覚で海を渡るのである。とくに研究開発の分野では、留学というような一方向的な形態よりも、共同研究のような双方向の技術交流を伴う形態の占める割合が大きくなり、若い技術者にとって国際的な活躍の場が大きく広がっている。
近年経済が減速しているとはいえ、国際経済上重要な地位にある日本としては、学術・技術を含むそれぞれの分野で国際的にもっと指導力を発揮することが期待されている。そのためには「人間到る処青山有り」という心境が重要で、これが真に国際化を目指す場合の、人の持つべき基本的な精神のような気がするのだがいかがだろうか。
(平成12年1月)