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随想 技術の散歩道 ― 第2編 ― (No.6~No.10)
技術の散歩道 No.6
技術の潮流
時代の進展とともに新しい技術が提唱され、研究が始まり、その幾つかは実用化へと進み、幾つかは実用されないまま消えていく。消えたものはまた後世に再度復活し、新たな視点での研究が繰り返される。社会的に受け入れられなかった技術も、いずれ必要とされるものでさえあれば、研究者の辛抱強い情熱が消えない限り、また再び登場することもありうる。
研究にも流行がある。70年代以降だけを見ても幾つかの大きな流行があり、研究ブームが発生した。研究ブームとは、研究者が自分の研究テーマをシフトし、我も我もとそのテーマに参入することである。これらには過去に人工知能、ニューラルネット、高温超電導の例や、現在のインタネット、マルチメディア、電子マネーなどの例がある。いずれも時代を先導するものであるのは確かだが、すべてが成功するとは限らない。しかしそこで得た知見が、その後の社会の構成や発展に大きな影響を与えていくのは確実である。
インタネットにしてもマルチメディアにしても、これらの技術用語は、最初はほとんど例外なく研究者の議論の中で造られ、次第にその概念が形成されていくものである。しかしいったん言葉が出来ると、今度はジャーナリズムが取上げ、評論家が解説し、事業家が夢を描く。そしてブームが始まり、研究に火がつき、今度は研究者自身が慌てる事態も発生する。もっとじっくり研究したいと思っていた研究者らも、言葉だけが先行する時代の荒波に揉まれ、見学者の対応に追われて沈着さを失ったりすることもあり得る。高温超電導ブームのときが、私の記憶では最も激しいもののようであった。
一般に、技術が新たに産み出される背景には、第一に研究者の知的な好奇心がある。知的好奇心が知的興奮へと昇華したとき大きな発明が生まれる可能性が高い。しかしこれだけでは、まだ有用な技術へとはつながらない。真の技術として有効になるには、更に、社会や人間生活をより高度な方向へと改革したいという、研究者の限りない欲求もまた重要なのである。
さて、現在のこのような技術開発の状況を横並びに見ると、そこには幾つかの潮流が読み取れる。一つは「超」の付く技術への挑戦である。今までとは違う構造、材料、機構、性能、機能を持った機械への挑戦である。超高温、超精密、超高真空、超高解像度、超高速など、技術としての本流の改良研究である。これらは産業の基盤技術に関連するものであり、他の技術への波及効果も大きく、とくに製造業全体の技術力の底上げに大きく貢献するものとなる。
二つ目は、複合化の潮流である。二つ以上の技術分野をうまく融合することで、境界領域での新たな技術を産み出そうとするものである。メカトロニクスはその代表である。これは基本的にはメカニクス(機械技術)とエレクトロニクス(電子技術)の融合であるが、その融合のための接着剤が制御技術である。もともと異質なものの融合には、このような接着剤が必要とされるのである。このメカトロニクスの範疇に入る製品例としては、磁気ディスク装置、光ディスク(CD-ROM、DVDなど)装置、ロボット、プリンタ、自動現金取引装置、自動発券機、自動改札機などがある。最近ではバイオ関連や環境関連などで新たな技術の複合化の動きが感じられるし、同じ半導体産業の中でも、別々に展開されてきた論理回路プロセスとメモリ回路プロセスとを融合して様々なシステムLSIへとつなげていこうとする動きがある。
三つ目は小型化への潮流である。計算機システムがダウンサイジングの波で分散型へと移行してきたし、デスクトップからラップトップ、さらにはパームトップへと進んで各種の携帯端末機器が出現してきた。その背景には、使われる電子部品そのものの小型化・高性能化・省電力化が大きく寄与しているのも事実である。一方、この電子産業での成功を利用して機械部品などの小型化も研究が始まり、マイクロマシンという新たな研究分野を産み出した。問題は山積だが、新たな革新が期待される分野である。
四つ目は、環境との整合に向けた潮流である。あらゆる製品が環境との調和なしには成り立たない時代を迎えつつある。環境に重くのしかかる製品では、いずれ生産者責任として問題視されることになる。そのため各企業では、環境に優しい技術の開発が急がれている。例えば分解し易い設計、再利用し易い部品や材料の採用、などである。とくに最近の冷蔵庫では、オゾン層破壊の元凶であるCFC12やHCFC22というフロンが完全にHFC134aに置き変わった。とは言え、この新しい冷媒材料もまだ地球の温暖化への影響が残るので、近い将来、さらに新しい材料へと変更すべく、研究開発が世界規模で進展しているのである。
五つ目は、知的な機械の実現に向けた潮流である。どんな製品も最終的なユーザーは人間であるので、人間にとって使いやすいものである必要がある。使いやすいということは迷わなくてよいということであり、機械と人間とのインタフェースをきちんとしようということである。人間が扱う情報形態としては視覚情報がとくに優れているので、画像を中心としたマルチメディア情報が、機械としてもきちんと取り扱えることが必須となる。また操作ボタンも少なくし、たとえば洗濯機のように「これっきりボタン」一個で、あとの判断はすべてファジー論理やニューロ演算などで機械側がやってくれるようなものが望ましいことになる。
これら五つの潮流は、今後の技術開発の大きな潮流として当分継続しそうな感じがする。その結果として、低コスト、高機能、高性能で、かつ有意義な製品が次々と産み出されることが期待される。
(平成10年1月)
技術の散歩道 No.7
若い技術者諸君へ
技術者の人生は、常に新しいことへの挑戦であり、辺境への孤独な旅に似ている。自分のアイディアを温める段階はもちろん、何人かが協力して技術開発を進める場合も、またどんなに大勢の技術者を指揮する立場になっても、孤独な旅であることに大きな変わりはない。この孤独な長い旅の途中で、ときには道端で一休みして、自らの旅を振り返ってみることがある。とくに若い頃の未熟な旅の様子が思い出され、冷や汗をかいたりする。そういう自分自身の反省も踏まえて、若い技術者(とくに企業の)に向けて一言書いてみようと思う。
旅をしていると、同じような旅人が遠くに見え隠れする。多くの場合、自分よりも歩き易いところをすいすいと歩んでいるように見える。自分の悪戦苦闘に比べて羨ましく思うのも、人間である以上当然ではある。しかし他人を羨んではならない。とくに入社初期の若い技術者には迷いが多い。自分の仕事は、弱点欠点を含めてすべてが良く分かるようになるので、仕事の先行きが不安になったり、本当は重要な仕事であっても何かつまらない仕事のように思えてくる。一方、他人の仕事はいいところしか見えないので、すべてがうまく行っているようにも錯覚する。隣の芝生は青い。遠くに見え隠れする旅人は頭しか見えないが、ひょっとしたら沼地を四苦八苦して進んでいるのかも知れない。
入社後の最初の仕事は、どこの企業でもまずは上長が指定するのが普通であろう。企業では一般に重要でない仕事はやっていないし、貴重な人材に無駄な仕事をやらせるほどの余裕はない。指定された仕事は極めて重要な筈である。ところがこの仕事は、必ずしも自分の専門と一致するとは限らないので、この段階で不平不満を言う者が出てきても不思議ではない。
しかしながら、学生時代に勉強したことに捕らわれ過ぎて、初めから自分の専門を固定して考えるのは良くない。たかが数年勉強したからといって、それが自分の一生の専門と考えるのは早計である。こだわっている自分の専門は、ひょっとして、企業の目から見るとまったく将来性のないものであるかも知れない。自分が他のもっと面白くて重要な分野を知らないだけかも知れない。むしろ企業に入ってからの何十年とやるであろう仕事の方こそ専門であって、知らない分野に果敢に挑戦してこそ、技術者としての価値が生まれる。
しかも学問の半減期は数年である。今の知識の半分は数年後には役立たない。常に自分を磨き、専門を深耕したり多様化したりしないと、技術者としての迫力を維持するのは難しい。ライフワークという言葉があって、生涯これ一筋という技術に賭ける人もいるようだが、伝統技術の職人や芸術家は別として、一般の企業技術者としては決して好ましいことではない。技術は必ず陳腐化し、時代に取り残される。つねに自分自身も革新的であるべきである。
企業の技術者は、その企業に対して、新規事業の創出、基幹製品の発展、基盤技術の練磨拡充などを計る責務を持つ。企業が開発を必要とする製品やサービスに対して、ときには早急な技術開発が要せられることもあるし、一方では先見性を持って、長期的な視野で技術開発に当たることもある。技術者には、このように短期的な決戦と長期的な行軍とに対応できる資質が必要とされる。「いったん緩急あらば、たとえ火の中、水の中」という闘志と、たとえ三年飛ばず鳴かずでも、「飛ばばまさに人を驚かさんとす」といった気力の両立が重要である。少しでも苦難が予見されるとさっさと他の仕事に替わったり、時代に即応しているつもりであれやこれやと唾付けだけはやるが一つもものにならないというのでも困る。苦難が予見されるから研究をやるのであり、乗り超えたときの喜びが大きいから頑張るのである。
苦難を乗り越えたときの喜びは、次の仕事への意欲につながっていく。したがって早い機会に、どんな些細なことであれ、勝ち戦を味わうことが望ましい。入社後の最初の仕事は、この意味で、その人の技術人生にとって極めて重要である。野球で言えば、最初の打席で、監督の言に従い、バントでも四球でもいい、とにかく塁に出ることである。先輩である次打者の援護もあって本塁まで駆け抜けられれば、感動はさらに大きく、次の打席での意欲もまた高まろうというものである。逆に言えば、入社後の最初についた監督すなわち上長の采配の善し悪しで、その人の一生が決まる可能性がある。新入社員は通常、自らの意志では上司を選択出来ないから、指導者たるものの責任は極めて重い、と心得るべきであろう。
与えられた仕事を無難にこなし、ある程度の成果を得たとしても、それだけで技術者の価値が決まるわけではない。ある分野の一連の仕事が段落したとき、次に何をやり出すかで技術者の真の価値が決まる。野球で言えば、勝ち戦を幾つかやったあと、次の大きな試合に臨むときにどうするかである。その時には自分が監督を兼務することになろうし、今までの試合とは一味違う相手とやることになる。すなわち、より魅力のある大きな仕事を自ら提案し、自ら開拓していってこそ技術者としての価値が出てくる。上長から与えてもらった技術分野を、上長の掌の中だけで後生大事に継続するのではなく、より価値の高い仕事を自分で生み出すのである。
このように技術者は歴史の創造者であるべきである。自ら言い出し、有言実行してこそ迫力ある技術者であり、プロの技術者である。「あれはあの人が初めてやりだしたものだ」とか、「あの人があのときこの仕事を仕掛けてくれたので、今我々は助かっている」と後世の技術者に言わしめるようにでもなれば、まさに旅の達人であり、技術者冥利に尽きることになる。
(平成10年2月)
技術の散歩道 No.8
技術者諸君の迫力
人間が社会の一員として活動し、その活動が社会にとって有意義であり、その人の努力が並み外れたものであって、かつ、自分には出来そうもないと外部から判断されたとき、その人は尊敬されるもののようだ。その人の活動がどのような種類のものであれ、正しくかつ立派だと客観的に思われる道を歩む限りは、努力をする甲斐があるというものであろう。人から尊敬されることが人生の目的ではないが、尊敬されないような人生でもまたつまらないのではないかと思う。
ところで技術者の活動は、未知の世界を切り開いたり、世の中にない新技術や新製品を編み出すことであるので、社会に貢献出来る可能性も高く、一般論としては世の中からもっと尊敬されてもいい職種のように思う。しかしそのためには、個々の技術者の風格もまた重要な要素となる。風格は迫力が昇華して生まれるものであり、隠そうとしても隠しきれずに自然と漂い出る品格のことであろうと思う。したがって、迫力ある人生を送ることは何につけても重要のようである。
では技術者の場合、どのようなことに迫力が感じられるのだろうか。管理者の迫力と対比し、私の過去の経験をもとにいくつか「偏見」を述べることにしよう。
まず第一に、技術者の迫力は、定性より定量にある。担当分野の現況なり、動向なり、問題点なりを定量的に把握し、それがつねに更新されているらしいということを他人が実感したとき、迫力が感じられるのである。自分の守備範囲、攻撃範囲をわきまえてはいても、総花的な対処でどれも進捗が遅いというのでは迫力はなく、全体をわきまえつつ今重要な幾つかに焦点を当て、重点的かつ果敢に攻めている姿勢に迫力、魅力を感じるのである。状況把握がたとえ定量的ではあっても、それが十年一日のごとき状況であれば迫力は失せる。アナログ人間よりもディジタル人間、というわけである。
一方、管理者の迫力は、逆に定量より定性である。細かな数値はどうであれ、方向として間違いない状況把握が出来ていて、しっかりとした未来論が展開出来るような管理者に迫力を感じるのである。たとえば研究所の管理者は、自分のところでやっている研究の一部始終を数値的にまでは知らなくてもいいのである。上位管理者からの問い合わせに対して、いい加減な数値を即答するよりも、分からないから技術者に聞いてから返答する、という答えを返す方が余程迫力を感じるのである。部下を信頼して仕事をまかせている証拠でもある。ディジタル人間よりも、確かな嗅覚を持ったアナログ人間、というわけである。
第二に、技術者の迫力は、上向きより前向きである。自分の上長に気に入られるようにと、つねに上向きで仕事をしているヒラメ人間にはまったく迫力を感じない。むしろ、困難に直面し、課題を正視し、自ら前向きに立ち向かい、これを乗り越えようと努力している姿に神々しさを感じるのである。
一方、管理者の迫力は、上向きより下向きである。自分の部署の仕事の低調さを覆い隠して、気に入られるようなことだけを上に報告するようでは駄目で、むしろ部下に厚く、部下のためを思い、部下の視点で物事を判断し、ときには上位上長にくってかかるくらいの管理者に迫力を感じるのである。かといって常に部下に甘いのもまた問題であるし、上の方針を理解せずに、勝手な判断で対処するのでも困るのである。
第三に、技術者の迫力は、口より目にある。滔々たる弁舌を武器に口で仕事をしているような輩も世の中にいないわけではないが、もっと状況を見る目を養い、目がぎんぎんと輝き、常に現在と未来を見つめているような技術者なら、たとえ訥々とした弁舌にも爽やかさと迫力を感じるのである。
一方、管理者の迫力は、耳より足である。自分の部屋に若い技術者を呼び付けて技術の現況を説明させるような管理者よりも、技術者の仕事の現場に足を運んで、そこで説明を聴き、一緒に議論するような人に迫力を感じるのである。耳学問でなく、足を運んで技術の現場を知ろうとする管理者は、技術者からも好感を持って迎え入れられる筈である。
第四に、技術者の迫力は、音楽より絵画である。音楽は技術者にとっても大きな潤いであり、美を感じる最高の瞬間ではある。でもその瞬間が長過ぎる。音楽は一次元情報であるから、聴いて楽しむにもある程度の時間が必要なのである。楽器の演奏でも上達するのに長い年月が必要である。ところが絵画は、二次元情報だからざっと見回すだけで瞬間に美を感じられるのである。創作にも、一日に少しずつ積み上げが出来る。下手であっても他人に迷惑は掛からない。音楽ほどの誘惑がないのでマニアにならなくてすむ。だからかどうか、海外に出かけたときなど、私はオペラよりも美術館に足が向くのである。入退場時間が自由なのがまたいい。
一方、管理者の迫力はゴルフよりテニスである。誰もがゴルフへとなびく世の中の趨勢に逆らって、よりハードなテニスを趣味とする人に迫力を感じるのである。多分こういう人は、時間の使い方がうまいに違いない。かつて私がアメリカの大学に滞在していたとき、ゴルフの話はタブーだった。時間が財産の彼らから見れば、暇人と思われるのである。それ以来ゴルフの話はしなくなったし、うまくなろうとも思わなくなった。したがって年数だけは多いが通算日数は少なく、未だに初心者なのである。ときどき楽しめればそれでいいのである。うまくなり過ぎると、その実力を維持するのにきっと苦しい筈である。ときには練習にも行って、貴重な時間をつぶす度合いが多くなる筈である。下手な者のやっかみかも知れない。
(平成10年3月)
技術の散歩道 No.9
国際会議に思う
技術開発で成果が得られたり、世の中にはない新規な装置やシステムの開発が完成すると、その研究者には学会発表という機会が待っている。自分の技術を公表し、聴衆から討論を受けるのである。自分の仕事を世の中に認めてもらういい機会であり、また、他人の発表から世の中の動向を知り、以後の自分の仕事にも反映できる。
とくに海外での発表は、聴衆からの反応も大きく、その後ロビーで何人かに取り囲まれて深い議論が始まることも多い。そこでは、普段は得られない貴重な情報が飛び交うのである。また、レセプションや晩餐会での会話や食事も国際会議の大きな楽しみである。
英語による最初の発表は誰でも緊張するものである。私の最初の発表はロンドンで始まった。一部始終を書いたメモを見ながらの講演であったが、それ以来、幾度となく場数を踏んだ結果、英語にも次第に慣れてきた。そうなると招待講演・基調講演を依頼されたり、パネル討論にも呼ばれるようになり、外国人研究者と伍して意見を述べることになる。日本人からの情報発信の機会は相対的に少ないから、ときには質問が殺到し、マイクロホンの後に質問者が列をなすこともあった。また、講演を聴いて、もう一度確認したいとわざわざ日本までやってきた人もいた。このように国際会議は人と人とを結び付け、以後の仕事に大きな刺激となるのである。
学会に参加すると「胸章」が配られ、それを着けて会議に出ることになる。帰国後その胸章を机の引出しに入れていたら、いつの間にか一杯となった。優に100枚は越えているようで、これが今までに私の参加した国際会議の数である。この胸章を見ていると、それぞれの会議の様子が思い起こされて懐かしいが、数が多過ぎて中にはどうしても思い出せないものもある。
とくに思い出深い胸章は、一際目立つ赤色のものである。通常は白地が多いが、これだけが赤いのである。台湾の国内の会議に外国人として一人だけ招待されたときのもので、めでたいとされる赤い台紙が特別に使われ、そこに「貴賓」と書かれている。当時の会場の様子や、晩餐の様子が懐かしく思い起こされるのである。
かつてメキシコでの学会に招待されたときには、晩餐会のアトラクションは民族衣装を身にまとった若い女性たちのファッションショウであった。美女たちに囲まれて新聞社の写真に収まったりしたものである。帰国後、開催都市のグアダラハラの市長から大きな封書が家に届き、中に賞状らしきものが入っていた。不得意なスペイン語を辞書片手に読んで見ると、私を市の名誉ビジターに認定するとあって市長のサインがあった。もう一度訪問したくなるような、心憎いばかりの配慮であった。
スウェーデンでの情報処理関係の国際会議のときは、オーケストラの演奏のもと、国王により開会が宣言された。市庁舎でのストックホルム市長主催の晩餐会では貴腐ワインが振る舞われ、初めてのトナカイのステーキに舌鼓を打った。確実に若き日の感動の一つとなった。
アメリカのモンテレーで開かれた会議では、レセプションが市の水族館を借り切って開催された。何名かの職員とともに市がこの会議のために提供したもので、夜の魚類の生態を、グラス片手に楽しんだりした。
オランダのハーグでの会議では、レセプションは市の博物館で開催され、民族遺産の数多い展示物を眺めながら、知己との旧交を温めることが出来た。また、オーストリアのウィーンでは、ウィーンフィルハーモニーの本拠地の荘厳なホールで開会式があり、市庁舎の大広間で晩餐会が盛大に開催された。
イスラエルのエルサレムでの会議では、晩餐会はベドウィンという遊牧民の大きなテントの中で車座になって開催され、中東特有の羊肉のシシカバブを堪能した。また、フェアウエルパーティは、夕刻からイスラエル博物館の中で開催され、有名な世界最古の聖書「死海写本」を拝見した。これはベドウィンの子供が、死海のほとりの洞窟から偶然発見したというもので、温度制御の特別室に飾られていた。
国際会議とはいえ、ときには期待はずれもあった。フランスのパリでは、会議主催者の大きな勘違いで、予定されたレセプション会場には何の用意もなかった。暫く待たされたあげく情報が伝わっていないことが判明し、空腹のまま街に繰り出すこととなった。のちに主催者から詫び状が送られてきたりした。
このように見てみると、諸外国ではどうやら、歴史的に研究者・技術者の社会的地位が高いらしく、公共の施設を国際会議のために快く提供してくれるようである。しかもそのために、夜でも休日でも、係の人が出勤してくれるのである。これに対して日本では、まだ国立博物館や上野の美術館が技術者の集まりにレセプション会場を提供したという話は聴いたことがない。また、国の要人が開会式に来賓として出席してくれる例も少ない。ましてや都や県がその豪華な庁舎を晩餐会場に提供したという話もないし、知事や市長が外国人参加者に名誉ビジターの証明書を出したという話も聞いたことがない。私も何度か日本で国際会議を主催したが、いつも会議場の選択には悩まされ、晩餐会の場所に苦労するのである。一般にはここぞとばかりに高い費用がとられ、アメリカのホテルのように、宿泊者さえ集まれば会議場はただで貸してくれるようなところは皆無なのである。
国際化が叫ばれ、技術立国を標榜する日本で、一番熱心に国際化を果たし、国の発展に大きな寄与をしてきたのは技術者集団であるように思う。にもかかわらず技術者の社会的立場は、いま一つ低いようである。どうやら日本は遅れているのかも知れない。あるいは、まだ私たちの努力が足りないのかも知れない。
(平成10年4月)
技術の散歩道 No.10
洗濯機の隠れ技
その昔、三種の神器という言葉があった。本来の鏡・剣・勾玉のことではなく、生活に必要で誰もが欲しいとは思うが、買うには少し値の張る製品のことである。昭和30年頃は、たしか洗濯機と冷蔵庫と白黒テレビであった。その後社会が進展して、昭和40年頃は3Cと称してカー(自動車)とクーラーとカラーテレビになったように記憶している。しかしこのクーラーも今は死語となり、エアコンと名前を変えている。現在の三種の神器は多分、コンピュータと、携帯電話を含む携帯端末装置と、CD・MD・DVDなどの光ディスク関連装置というところだろうか。いずれにせよ、これらは、その時代を代表するハイテク製品であったわけで、昔は家庭の電化がらみの製品群が主であった。それが最近では個人の情報化がらみの製品群へと変化しつつあるように思う。
一般に家庭用や個人用の製品では、その普及率が70%を越えると、確実にその産業は定常状態に入り、進歩が停滞するのが普通である。とくに電化製品はもうとっくの昔にそういう時代を迎え、いまや斜陽製品と言えなくもない。ところが最近異変が起きている。洗濯機、冷蔵庫、エアコン、掃除機などの開発を担当している技術者が元気なのである。有難いことに、それに呼応して消費者もまた頑張って買ってくれているのである。
ここでは全自動式洗濯機の最近の進歩を見てみよう。まず洗濯槽がここ数年で、プラスチックから再生可能なステンレスへと完全に替わったのである。しかも、最近の消費者の清潔志向を反映し、ステンレスには抗菌のための特殊な成分が加わっている。
このようにステンレス槽にすると薄くても丈夫な構造となるので、従来、毎分800回転程度だった脱水時の回転数を毎分1000回転以上に上げることができ、結果として脱水の時間が短くなり、残留水分も少なくなった。ただ、これだけの大きな槽を高速に廻すこと自体は、機械工学的にも極めて難しい技術であり、回転バランスを良くするために布の片寄りを低減することが重要な課題であった。また計算機による設計解析技術を駆使して機構部の軽量高剛性化と防振装置の改良がはかられた。高速回転が可能となったのは、このような振動の抑制技術によるところもまた大きいのである。これにより騒音レベルも低く抑えられ、電気代の安い夜の間に洗濯することも可能となった。
一方、ステンレスにすることで洗濯槽の内部も広がった。「汚れたから洗う」時代から「着たから洗う」時代へと世の中が変化し、洗濯漕を大きくして一度に洗える容量を大きくすることは時代の風潮にもマッチした。機構部の工夫と併せ、外見は同じサイズでも内部を大きくとり、従来の3~4kgの容量から6~9kgへと、約2倍の大容量化が実現したのである。
一方、洗濯時の水流は、槽の下部に設けた回転翼で与えられるが、計算機を駆使した設計でその翼形状と動きが改善され、効率が高くなった。柔らか洗いもごしごし洗いも水流の選択で容易となった。布の絡まりも、1/f揺らぎという技術の採用で少なくなった。これは水流に少しの不規則性を与える技術である。これにより、布の動きが時間の経過につれ微妙に異なるようになり、絡みを抑止するのである。
さらに節水も最近の大きな動向であり、最終すすぎを除き風呂の残湯を利用するポンプ内蔵の機種が好評である。これからの貴重な水資源のことを考えると、この機能は当たり前となっていくし、今後もなお一層の節水機能を持った新機種が開発されていく筈である。
洗濯機の運転制御では、まずステンレス槽を少しだけ廻して見て、その時のモータに掛かる負荷を逆起電力から判断し、これにより洗濯物の量を判定する。ついで水を少し注いだあと同じように廻して見て、そのときの負荷から布質を判定する。さらに槽の下部に設けた電導度センサーからの信号で汚れの度合いを判定し、これらの情報からファジー論理とニューロ演算で最適な水量と水流パターンを選んでいるのである。しかもこれらが、ただ1個の起動ボタンを押すだけですむのである。まさに「これっきりボタン」である。当然ながら、起動から水の注入、洗濯、排水、すすぎ、脱水を経て停止するまで、完全に自動なのである。
以上のように最近の洗濯機は、数少ないセンサーを巧みに利用し、そこからの情報を複合して見事な判断をしているのである。しかもその構造や機構は、価格と信頼性を充分に考え、機械工学の粋を集めて設計されている。まさに知的な機械なのである。さらに、最近の関心事である環境への配慮から、分解容易型設計がなされており、機種によっては、ねじを1~2ヶ所はずせば前面の板が簡単に取れるようになっている。いずれお役放免となったとき、廃棄物として分解処理するのが容易なように、設計段階から配慮されているのである。
ところが、これらの事実を正確に分かってくれている人は世の中にあまりいないようである。家庭の主婦は言うに及ばず、技術者や学者ですら知らない人が多い。あまりに身近にあり過ぎるためか、単に水の中で羽根車さえ廻せばよいという具合に、誰でも設計できる簡単な機械と思っているのである。最近の学生も、電化製品となると何かローテクの代表のような印象を持つらしく、その設計開発に積極的に従事しようとする新入社員は極めて少ないようである。学界からのこの種の技術に対する評価もまだ不当に低い。もう少し学界での関心が深まり、評価が高まれば、最近の製造業離れの世の中に爽やかな風を送り込むことができると思われる。そうなると世の中の趨勢が少し変わり、学生からも注目を集め、物作りの大切さの風潮が根付きそうな気がするのである。
(平成10年5月)