本日は、滝川出身の津留崎直紀さんを指揮者にお迎えし、津留崎さん自身の編曲によるムソルグスキー作曲「展覧会の絵」ほかを演奏します。津留崎さんは本来チェリストなので、チェロの演奏がないのが非常にもったいなくはあるのですが、弦楽器奏者としての津留崎さんが思いを込めて編曲した「展覧会の絵」を味わっていただければと思います。津留崎さんのこの曲への思いについては、寄稿していただいた曲目解説を読んでいたければと思いますが、津留崎さんによると「原曲のピアノ版を聞く限り私にはどうしてもあれほど絢爛豪華で色彩的な音楽というよりは、もっとくすんだ不透明で時にはセピア色の音楽をイメージしたくなる。そういう音色は弦楽アンサンブルには向いているのではないかと思うからだ。」(津留崎直紀 Violoncellisite より)との思いで編曲されたそうです。この弦楽合奏版は原曲のピアノ版のイメージに近い音楽になるのではないかと思っています。どのような響き・音楽になるのか、どうぞご期待下さい。
本日は、メインである展覧会の絵の他は、前半に2名の北欧の作曲家の作品をとりあげます。1曲目のグリーグはノルウェーの作曲家ですが、この「2つのメロディ」は彼の他の名曲同様、素朴で美しいメロディと独特で印象的な和声が特徴です。本日は、指揮者なしで我々団員だけで演奏します。2曲目の作曲家ノルドグレンは、現代フィンランドの作曲家ですが、前衛音楽というわけではなく調性感のある音楽です。また、日本に留学し、日本文化の影響も受けたとされています。本日の「交響曲」の第1楽章冒頭のチェロの重音ピチカートは、まるで琵琶をかき鳴らしているかのようです。以前、この作曲家の「弦楽のための協奏曲」を演奏しましたが、リズムやタイミングを合わせるのが非常に難しい曲でした。この「交響曲」も同様に合わせるのが難しく、津留崎さんに指揮をお願いしました。
ロシア5人組の一人として知られるムソルグスキー(1839−1881)は、R.シュトラウスやマーラーなどより前の世代でありながら、その音楽は時にこれらの後出の作曲家より斬新で前衛的に聞こえる。
まずは和声法の斬新さである。古典的な機能和声を覆すような音の使い方をするところは、後のドビュッシーやラヴェルを先取りしたようなところがある。転調の仕方も同様である。しかし私がそこに一つ加えたい理由の一つに、ある意味とても奇妙な「節回し」が挙げられる。彼の書く旋律はシンプルで誰もが口ずさめるようなものが多い。ところがこの旋律がひとまわり出た後、いわゆる「展開」する時に、モチーフの中断や順序の入れ替えが散見される。こういった手法は他にはあまり例がなく、19世紀中頃のアカデミックな音楽とは一線を画す。こういった斬新さはストラヴィンスキーに引き継がれていったような気がする。
彼の音楽世界は誰も真似のできない独特の創造性と個性にあふれている。それゆえ日曜作曲家というレッテルを貼られることにもなったが、20世紀になってこの不遇な作曲家の真価を見出す風潮が広まり、それまでほとんど原曲通り演奏されなかったピアノ版「展覧会の絵」が演奏されるようになってきた。
組曲「展覧会の絵」は作曲者の友人で画家のハルトマンの絵を題材にした描写音楽で、絵を見ながら画廊を回るイメージの「プロムナード」と、それに続く絵の描写という構成になっている。
今日演奏される全音楽譜出版から出ている私の弦楽合奏版は、有名なラヴェルの管弦楽版の縮小版や代替ではなく、弦楽合奏の持つ魅力と可能性を最大限に引き出すために編曲した。どうかラヴェルの華麗な管弦楽の響きを今日だけは忘れて、弦楽器の表現力の幅広さをお聴きいただきたい。
<プロムナード1>質素で古風なロシアの聖歌の雰囲気を持つ。ストラヴィンスキーの「火の鳥」のフィナーレのコラールに共通するところがある音楽。
第1曲「小人」または「グノムス」 低音の不気味な音楽から始まる。ストラヴィンスキーやドビュッシーを予告するようなモダニズムがある。現代のホラー映画音楽に多大な影響を与えたと思われる。
<プロムナード2>司祭が聖歌を読誦して歌い、衆徒がそれに和すさまが思い浮かぶような音楽づくりになっている。
第2曲「古い城」 村の古老が、昔を回顧するストーリーテイラーとして古風な
舞踏曲風旋律をさそいだす。山の上の朽ち果てた城で、かつて栄華を誇った領主
が華麗な舞踏会を開いた様を訥々と語る、そんなイメージの曲。
<プロムナード3>プロムナード1をわずか8小節に凝縮した簡潔な音楽。
第3曲「チュイルリー」 パリの公園。副題に「遊びの後の子供の喧嘩」とあ
る。いじわる声で罵り合う感じが「バーカ、バーカ」と聞こえて面白い。
第4曲「牛車」 いかにも重い荷車を牛が引いているような超低音の伴奏に乗って、もの悲しくも力強い旋律があらわれる。
<プロムナード4>超低音から高音域の音楽が天に昇っていくような清冽な音楽から始まり、低音域の暗い雰囲気に移る。終わりの方で、次の「ひよこ」が間違って顔を出してしまったようなおどけた音楽が出てくる。
第5曲「殻をつけたひよこのバレー」 彼の音楽には珍しく4小節のフレーズが定期的に繰り返される。ひよこの踊りが目に浮かぶような描写性の高い曲。
第6曲「ザムエル・ゴルデンベルグとシュミュル」 「金の山」という意味の金持ちで傲慢不遜なゴルデンベルグと卑屈で貧乏なシュミュル。2人のユダヤ人の絵は、この時代ヨーロッパ諸国が背負っていた移民問題を語っているのだろう。
<プロムナード5>冒頭のプロムナードとほぼ同じだがわずかに違いがある。ラヴェルの編曲ではこのプロムナードは削除されている。
第7曲「リモージュ、市場(大ニュース)」 リモージュはフランスの高級磁器の街。奥方たちのにぎやかなおしゃべりが聞こえてくるようだ。途中から売り物のニワトリが騒がしく叫んだりする鳴き声が不規則に乱入してくる。そのにぎやかさが絶頂に達し大騒ぎになったその時、突如カタコンベが出現する。
第8曲「カタコンベ」 地下に埋葬された骸骨が不気味に並ぶローマ時代の墓。この曲の凄さは和声感覚の斬新さと前衛さである。ドビュッシーやラヴェルを予感させるような先駆的和音の進行が頻出する。印象的に執拗に繰り返されるファ♯音が次の「プロムナード」へと引き継がれて行くところがまた天才的である。
<「死んだ言語による死者の言葉」(プロムナード6)>前曲から続けて演奏される。「死んだ言語」とはラテン語のこと。ファ♯が引き継がれ、全曲にわたって鳴り続ける。カタコンベの不気味な音楽がプロムナードの変奏で静かに流れ、やがて洞窟の片隅からわずかに地上の光が希望のようにあらわれてくる。
第9曲「ババヤガ」 妖怪ババヤガの登場である。継続されていたファ♯が鋭い全奏の「ソ」で中断されるや、とてつもないエネルギーを蓄えた妖怪が跋扈する。中間部で現れる不気味な音楽は、カタコンベから出てきた別のお化けかもしれない。音楽は目も眩むようなトレモロの混沌の中に陥って突如途絶える。
第10曲「キーウの大門」 ウクライナの首都にある「凱旋門」を描写した厳かな行進曲風音楽。2度現れるコラール風の音楽は彼の信仰の告白なのか? 堂々たるマーチが様々に変奏されたあと、プロムナードの音楽が「凱旋行進曲」のように遠くから近づいてきて、壮大なクライマックスとなり全曲が閉じられる。
ノルドグレンは盟友ユハ・カンガス率いるオストロボスニア室内管弦楽団の為に終生曲を書き続けた。この曲もそのひとつであり、1978年に作曲された。
第1楽章 冒頭Vn.Iによって奏される増2度と半音からなる3音が全曲を支配する動機となる(動機A)。Vn.soloによって提示される第2主題は(伴奏に使われるE音も加えて)十二音技法で作られている。
第2楽章 この楽章で注目すべきはcol legnoによる雨垂れのような楽想である。全部で6つのリズムパターンから成り、ミニマルミュージックに於けるアルゴリズム作曲法のごとくそれらが規則正しく組み合わされている。
第3楽章 増2度を含むこの楽章の主要主題はVa.によって提示される。この主題が様々に音価を変え、重ね合わせされることでリゲティのミクロポリフォニーと同等の効果を生んでいる。
第4楽章 夢の不可解な論理で進行する、音階のみから成る音楽。音階には増2度とそれに隣接する半音が含まれている。
第5楽章 中心となる息の長い主題は動機Aを含んでいる。動機Aは追想の明確な思いをもって、最後にVn.Iによって奏される。
以上見てきたように、ノルドグレンは現代音楽の先人達が残した様々な技法のパレットを用いることに躊躇しなかった。それら技法は自己目的化することなく、彼の豊穣な内面世界にかしずいているのである。 (Vc.吉田)
グリーグはノルウェーを代表する国民楽派の作曲家。本曲はグリーグの歌曲を弦楽合奏版にしたもので、どちらもノルウェーの自然を表した曲である。
第1曲 ノルウェーの旋律 原曲の歌詞は登山を人生になぞらえ、“急な斜面、波打つ海、流れる川、滝、すべてを通り抜け、目標に向かって進まなければならない”と歌う。ノルウェーの壮大な大自然が表現されている。
第2曲 初めての出会い “出会いの甘美さ、それは森の中の歌声、太陽の最後の赤く染まる空、霧の中の角笛……”。ノルウェーの穏やかな自然の心地よさを表現した歌詞で、主題旋律を2回繰り返す。 (Va.小松)