本日は、コロナ第7波の渦中にも関わらず、演奏会にお越しいただき誠にありがとうございます。楽器を演奏すること、殊に仲間と一緒に合奏をすることは何事にも代えがたい楽しみがあると我々は感じています。そして、この間、内輪だけでの録音会とか、インターネット中継での演奏なども経験しましたが、ライブの演奏会とはモチベーションも緊張感も楽しさも全く異なります。やはり、対面でのお客様あっての演奏会がどれほど素晴らしくありがたいものか、というのをつくづく感じています。
本日の曲目は、前半がバッハ、後半が札幌の作曲家川越守とチェコの作曲家スークの楽曲という組み合わせです。バッハのカンタータでは、2018年の第45回演奏会でもバッハのカンタータ第35番で客演いただいた村中朋見さんに再びソロを歌っていただきます。また、今回は電子楽器を使用しますが、近江宏さんには、ブランデンブルグ協奏曲ではチェンバロ、カンタータではオルガン音色で演奏していただきます。バッハの教会カンタータ(キリスト教の礼拝用に作曲されたもの)は通常オルガンで通奏低音を演奏することが多いため、今回このように使い分けます。スークの弦楽セレナーデは、全体的に幸福感に満ちあふれているような良曲ですが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに美しいソロがあり、そこも大変な聞き所になっています。お楽しみいただけると幸いです。
本日は、本来の定員の50%で1席ずつあけてお座りいただいています(ただし、来場者数が想定以上になった場合は、あけていた席に座っていただく可能性もあります)。感染防止のため、マスク着用はもちろん、開演前や休憩中の会話は極力お控えください。
1721年、ケーテン侯国(ドイツ)の楽長だったバッハが「さまざまな楽器のための六つの協奏曲」をブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルードヴィヒに献呈した。これが後に「ブランデンブルク協奏曲」と呼ばれる曲集だ。この時代の音楽家にフリーという立場はなく、宮廷や教会に職を得て、相応しい音楽を作曲、演奏していた。当時のバッハもなんとかして辺境伯の庇護の下に次の職を得ようとしたようだ(結果的にはうまくいかずライプツィヒに職を得る)。そのような思惑があったにせよ、これらの素晴らしい協奏曲は合奏の愉しみを与えてくれる。
今宵演奏する第3番の編成はヴァイオリン1〜3、ヴィオラ1〜3、チェロ1〜3の独奏群とコントラバスとチェンバロの通奏低音で、各パートがそれぞれに見せ場を与えられる合奏協奏曲だ。ソロが次々と受け渡される様子と、10のパートが生み出すポリフォニーはいかにもバッハらしい。
第1楽章 きびきびしたリズミカルな主題が流れ続ける。
第2楽章 二つの和音が書かれているだけで、一般にチェンバロまたは第1ヴァイオリンがカデンツァを弾くが、今日はアルスらしく工夫を凝らしているのでお楽しみに。
第3楽章 ジグ形式のアレグロ。主題の16分音符のリズムが最初から最後までめまぐるしく繰り広げられる。 (Vn.吉野)
200曲あまりを数えるバッハのカンタータの中でもとりわけ異色の曲。4曲しかないアルト独唱のカンタータの一つで、通常ある合唱を欠く。ヴィオラが二つのパートに分かれている。そして何と言っても冒頭の不協和音! 罪や毒を表現するための仕掛けだが、これを礼拝で聴いた会衆は驚いたに違いない。作曲年代は比較的若く、ヴァイマル時代の1714年もしくは15年(バッハ30歳のころ)の意欲作とされる。
三つの楽章で構成され、アルトと弦楽オーケストラが緊密なアンサンブルを折り重ねる両端楽章にレチタティーヴォ(通奏低音を伴う語りのような独唱)が挟まれる。原曲は変ホ長調で、男声のカウンターテナーが想定されていたと考えられるが、女声のアルトには音域が低すぎるため、本日のように全音上げて演奏されることが多い。 (Vn.仮屋)
1964年夏、作曲者は岡不二太郎(当時北大交響楽団顧問)から一節切(ひとよぎり)という尺八をもらった。「とにかく、この楽器がきっかけになって尺八的な気分の音楽を作ることになった」(北海道交響楽団第55回演奏会プログラム、2006年9月16日)
実際に完成した曲は尺八の手遊び程度のものでは決してなく、厳しく、悲壮極まるものである。例えば切腹前夜の武士は、千々に乱れる思いとどう向き合ったのだろう。想像するだに恐ろしいことであるが、この曲はそのような境地を描いたものだと筆者は感じている。
同様の印象を受けるのが、伊福部昭の二十絃筝とオーケストラのための「交響的エグログ」である。共に北海道を拠り所とした作曲家達であるが、お互いのことをどう思っていたのだろう。伊福部の弟子である星義雄は、札幌で作曲活動をしたいとかつて師に打ち明けた際、「川越守さんから管弦楽法を学ぶとよい」と言われたという。更に「ただ、あんなに次々と休む間もなく作品を作るのは、だんだん曲が弱くなってしまうと思う。作家は時に化石になりきるくらい発表を忍耐することが必要ですよ」とも(筆者への私信)。
確かに晩年の彼の作品は粗製濫造の感がなくもない。しかし60、70年代の作品群は彼の傑作の森である。「弦楽の為のエレジー」は間違いなくその代表作のひとつと言えるだろう。 (Vc.吉田)
チェコの作曲家ヨセフ・スークはプラハ音楽院でドヴォルザークに学びました。音楽院を卒業した1892年の夏、スークは師の別荘に招かれます。師は、短調の暗い曲ばかり書いていたスークにもっと明るい曲を書いてみてはどうかと助言し、同時に自分の娘オティリエを引き合わせます。故郷に帰ったスークは、恩師の教えと一目惚れしたオティリエのことを思いながら本作を作曲しました。2人は6年後に結婚します。
この作品は18歳の作とは思えない完成度で、彼の出世作となりました。師の影響を強く受けていますが、若者ならではの瑞々しさにあふれていて、その独特の響きは、後年作曲する現代的な作品を予感させます。ちなみに、同姓同名の有名ヴァイオリニストは彼の孫です。
第1楽章 冒頭、内声部の伴奏に乗って、序奏なく主題が提示され、早速スークの世界に引き込まれる。中間部に現れるヴァイオリンソロが美しい。
第2楽章 優雅な雰囲気のワルツ。中間部の変ト長調(♭が六つ!)の旋律は和やかな雰囲気。次第に元のワルツに戻り、かわいらしく曲が終わる。
第3楽章 内省的な夜想曲。冒頭のチェロ独奏が秀逸で心を打たれます。幻想的な雰囲気の中、ピチカートの3連符が印象的。小鳥のさえずりのようなヴァイオリンのデュオで締めくくられる。
第4楽章 前の楽章から一転してロンド風の躍動的な楽章。中盤、重厚なコラール。その後のヴィオラの伴奏は機関車を思わせる。最後に冒頭の主題が登場するがすぐにかき消され、にぎやかに終わる。 (Va.金澤)