当合奏団の演奏会にお越しいただきありがとうございます。本日は、弦楽合奏曲の超定番曲であるドヴォルザークの弦楽セレナーデ(当団では3回目の演奏)、初めて演奏する作曲家メシアンの神々しい宗教的作品、そして札幌の新進気鋭のオルガニスト吉村怜子さんをお迎えしてバッハの「珍しい」オルガン協奏曲を演奏します。
このオルガン協奏曲は、通常はチェンバロ協奏曲第1番としてよく知られているものですが、今回オルガン協奏曲として演奏する理由を少々ご説明いたします。バッハは作曲した曲を二度三度と別な形に編曲して「使い回す」ことをよくやっていました。このチェンバロ協奏曲も、元はヴァイオリン協奏曲(楽譜は紛失)から編曲されたと考えられています。バッハはさらに、この曲の三つの楽章を二つのカンタータの中の曲に編曲し直しており、第1楽章と第2楽章は、カンタータ第146番「われらは多くの患難を経て」の第1曲シンフォニアと第2曲合唱に、第3楽章はカンタータ第188番「われはわが依り頼みを」の第1曲シンフォニアとなっています。この時、独奏楽器がオルガンに変更され、弦楽のみだった合奏にオーボエ2本が追加されました。
カンタータは、どの曲にも独唱や合唱などの歌が入りますが、これら2曲のカンタータのそれぞれの第1曲シンフォニアは純粋に器楽だけの編成であり、実質的にオルガンソロの協奏曲的楽章となっています。一方、カンタータ第146番の第2曲合唱は、オルガンの独奏はあるものの、新たに合唱のパートが追加され、あくまでも主役は合唱となっています。
このように、バッハ自身がオルガンソロ独特の響きや雰囲気を存分に生かして編曲をしていることから、これらの曲をまとめて「オルガン協奏曲」として演奏する(第2楽章は合唱抜き)ことがよくあり、ピーター・ハーフォードによるCD録音なども出ています。本日の演奏は、オルガニストであるBiebricherが校訂・編曲した楽譜にほぼ基づいていますが、この楽譜には第3楽章にやや問題があります。というのも、カンタータ第188番第1曲の楽譜は、最後の1ページ以外は紛失して現存しておらず、バッハがオーボエのパートをどのように追加して作曲したか分からないのです。Biebricherの復元編曲はあくまでも推測であるということです。また、第3楽章の最後にオルガン独奏のカデンツァがありますが、Biebricher版では上述の現存するページに含まれるカデンツァ(カデンツァ部分が全て残っているわけではない)ではなく、チェンバロ協奏曲版の方を採用しています。本日は、そのチェンバロ版ではなく、前者の「現存ページからの復元版」で演奏するので、かなり耳慣れないパッセージが聞こえてくることになると思います。
以上、経緯は複雑ですが、オルガン協奏曲としてのこの曲の魅力を味わっていただければ幸いです。
今日はようこそお越しくださいました。この度は、このように熱意あふれるオーケストラの皆さんと共演できる機会をいただけること、心より感謝しております。
オルガンと弦楽オーケストラという編成で演奏するという話を聞いたとき、まず私たちが考えなくてはならなかったのは、どの会場のどんなオルガンで演奏するかということでした。オルガンという楽器は、その“場”に合わせて一台一台作られており、手鍵盤・ペダルの数や様式、手鍵盤の段数、備わっている音色の種類や数、調律法やピッチ、スウェル(強弱をつけるためのペダル)やカプラー(手鍵盤やペダルを連結させるための装置)の有無などの点において、同じ“オルガン”と言っても、楽器の規模や様式(北ドイツタイプ、フランス古典タイプ、サンフォニックタイプなど)がさまざまであることは、日本ではあまり知られていないように思います。また、それによって演奏できるレパートリーも限られ、“オルガンのための作品”であっても、どのオルガンでも弾けるというわけではないため、オルガニストは曲を決める前に、演奏する楽器のディスポジション、あるいはストップ・リストと呼ばれる情報を得たうえで、どのような曲が演奏可能なのかをよく考える必要があり、これこそがオルガンの難しさの一つと言えます。
さらに、“音色のパレット”と表現されるたくさんのストップ(音色の種類)の中から、どの音色のストップを選び、組み合わせるかによって、同じ曲でも幾通りもの可能性があり、これもまたオルガニストを非常に悩ませるものの一つです。しかし言い換えれば、一台ずつの楽器に個性があり、教会やホールによって響きにも違いがあって、色々なオルガンとの出会いこそ、オルガンを学ぶ楽しさの一つでもあります。
私自身、学生時代には先生たちに色々なホールや教会に連れて行ってもらい、楽器のスタイルやストップの組み合わせ方を勉強しました。私がフランスで出会ったオルガンで特に印象的だったのは、カヴァイエ=コルという有名なフランスのオルガン製作者が作ったオルガンで、聴く人を圧倒するサンフォニック・オルガンの響きは、日本ではなかなか耳にすることのできないものでした。
本日演奏させていただくバプテスト教会のオルガンは、日本のオルガン製作者による10ストップの楽器で、非常に明瞭な音色を持つため、バロックの作品がよいのではないかと考え、バッハの作品を演奏することになりました。
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は、オルガンのために自由作品(プレリュードやフーガ、トッカータなど)やコラール作品などさまざまな曲を書いており、オルガニストにとってはまさに“教科書”のような存在と言えます。和声的、対位法的な完成度の高さはもちろんですが、どの作品も、勉強する度に新たな発見や驚きがあり、ときには新たな疑問点も浮かんできて、決して学び尽くすことのできない“音楽の世界”を象徴するような存在だと感じています。今回演奏させていただく曲も、オルガンで演奏するにあたっては多くの解決すべき課題がありましたが、オーケストラの皆さんと一緒に“オルガン協奏曲”という形での演奏を試みたいと思います。
『キリストの昇天』はメシアン初期の代表作である。四つの楽章それぞれにエピグラフ(題辞)が添えられている。第4楽章のそれは、キリスト昇天祭の徹夜祷で読み上げられる聖書の一節である――
父よ、……人々に、わたしは御名を現しました……わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。
(ヨハネ福音書17.1,6,11 新共同訳)
曲はこのキリストの祈りを音にしたもので、♪=40という異常に遅いテンポが採用されている。弦のみで奏され、主旋律を受け持つVn.Iだけが弱音器を付けている。伴奏は12人のソリスト(Vn.II5,Va.5,Vc.2)が受け持つ。
冒頭に現れる旋律Aは「昇天の主題」とでも云うべきもので、半音上行を特徴とする(譜例1)。
最初の和音は「非和声音」が付加された嬰ハ短調の短三和音(m)である。次の和音はニ短調の短三和音であり、更に変ホ長調の長三和音(M)、ホ長調の長三和音と続く。いずれも非和声音である短二度がバスであり、更に付加されたその六度上の音と相俟って、この旋律に上昇する感じを与えている。その後、全音音階(cis,es,f,g,a,)によって構成された和音(WT)が現われ、最後にト長調の属七和音D7に到達する。この旋律には移調の限られた旋法(MTL=注)第7番が使用されているが、実際のところ重要なのは、この上昇しつつm→m→M→M→WT→D7と変化する和音の方である。
D7は要所々々に現れ、曲全体の句読点のような役割を果たしている。それらが明確にトニック(主和音)に解決されることはなく、和音の階梯は恰も無限に続くかのようである。
続く旋律Bは『トゥーランガリーラ交響曲』の第5楽章「星たちの血の喜悦」を想起させる、魂の愉悦の音楽である(譜例2)。
旋律Aと旋律Bは交互に現れ、徐々に上に移行し、コーダ(最後の4小節)へと我々を導く。その役割は聖堂内部の柱廊に似ている。柱廊は、人々の視線を前方へ前方へ、上方へ上方へと導く。その向かう先には天井の採光窓がある。コーダでは、曲は信じられないほど力に満ちた、永遠に続くかのような(弓は何度返してもよい)ドミナント(属和音)に至るが、全てはここへ向かう為にある。聖なる天蓋を超え、見はるかす彼方へ。 (Vc.吉田)
注:メシアンが考案した、オクターヴを単一もしくは複数の音程で規則正しく分割してできる幾つかの旋法。第7番は、半音-半音-半音-全音-半音×2という構成である。
参考文献:Griffiths, P. Olivier Messiaen and the Music of Time, London : Faber & Faber, 2012
Hayes, M. Instrumental, Orchestral and Choral Works to 1948, in Hill, P. eds., The Messiaen Companion, London : Faber & Faber, 2011
交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲など、だれもが一度は聴いたことのある名曲の数々を世に送り出したドヴォルザーク。本日演奏する「弦楽セレナーデ」は1875年、彼が34歳の時の作品で、ウィーンからの奨学金により経済的に余裕が生まれた時期に作曲されています。曲は5楽章形式で構成されており、メロディメーカーといわれたその才能が遺憾なく発揮されています。
第1楽章 ヴィオラの八分音符に乗って、伸びやかで温かな旋律に始まり、中間部で快活なリズムの音楽が奏でられた後、再び冒頭の形が現れて静かに終曲となります。
第2楽章 舞曲の旋律で始まり、途中やや明るめな音楽が現れますが、全体的に憂いを帯びた雰囲気に包まれています。
第3楽章 今までの楽章とは異なり、スピード感のあるリズムが、思わず飛び跳ねたくなるような気持ちにさせてくれます。最初に呈示された主題が何度も登場し、最後は慌ただしく終曲します。
第4楽章 美しく、祈りのような旋律が印象的な曲。まさにロマン派と呼ぶにふさわしい美しさを持ったまま最終楽章に入ります。
第5楽章 フィナーレは活き活きとした勢いあるリズムと旋律が曲を駆け巡っていきます。さまざまな楽想が現れては消えていき、楽章の後半に第1楽章の主要主題が回想され平和のうちにそのまま終曲、とはならず、突然のプレスト(非常に速く)で楽章冒頭の主題が演奏され、華々しく終曲します。
どの楽章も印象的であり、平和でまた牧歌的な美しい旋律にあふれており、今も多くの人々に愛される理由が分かります。この曲が作曲された後も、ドヴォルザークはブラームスに見出されるなどチェコ国民学派を代表する作曲家として国際的名声と地位を高めていきます。ブラームスは「ドヴォルザークがごみ箱に捨てた旋律をつないでいけば一つの曲が作れる」と言うほど彼の才能を高く評価していました。
ドヴォルザークはその後、アメリカに音楽院の院長として招かれるなど多忙を極めましたが、アメリカの民族音楽を採集するなど積極的に活動を続けました。しかし彼の胸中にはいつも故郷への思いがありました。それらの曲を聴くたびにどこか懐かしい気持ちにさせてくれるのは、生まれ故郷への思いが多く込められているからではないでしょうか。このセレナーデでも、愛する故郷への思いを強く感じます。
私自身も遠く離れた故郷を思い出しつつ、皆さまにも故郷への思いを湧き起こしていただけるような演奏ができればと思います。どうぞお楽しみください。(Va.辰田)