「どうして『チェロ』を始めたんですか?」
これはチェリストをしていると最も多く聞かれる質問で、「体重は何キロあるんですか?」より圧倒的に多く、後者は簡単に数字で答えられる質問であるのに比べ、前者は少し説明が必要な内容なのです。
一番古い記憶にあるいわゆる「音楽教室」は3歳の時、中島公園のパークホテルの隣にあったヤマハの体験に母が連れて行ってくれたこと。「なぁ〜にちゃん」という黄色い大きい鳥のキャラクターがいて、楽しげな音楽に乗ってリズムをとったり体を動かしたり。いま調べてみると、その黄色い鳥は1983年に登場したヤマハの「3歳児ランド」というコースのキャラクターだったらしく、その後も豊平川の堤防を車で通る度に、教室の窓から「なぁ〜にちゃん」が見えるとうれしかったのです。
結局ヤマハには入会せず、3歳頃から近所のピアノ教室に通うことになるのですが、そのピアノの先生は「なぁ〜にちゃん」の見た目のユルさとは比較にならないほど「ちゃんとした」先生でした。そしてレッスンには毎日練習してから来るよう要求されたのです!(当然のことですが……)
小さい頃はまだ良かったのです。バイエルまでは。徐々に連弾、ブルグミュラー、ツェルニー先生ともなってくると、本当に毎日練習しないと弾けるようにならない。常に一緒に遊んでいた二つ年上の兄もピアノを習いに行っていて、僕は先に練習したくないから兄がまず練習。それが終わると、一緒に遊びたいので僕は適当にチャチャッと弾いて終わらせる。そんな適当な練習で上手になるわけないので、レッスンではちゃんと注意されるし、段々練習が義務のようになってきて、楽しくなくなってくる。「なぁ〜にちゃん」はあんなに楽しそうだったのに……。
そして、3年生の時に重大な転機が訪れます。ピアノがとっても上手な「みのりちゃん」が転校してきたのです。僕のは「頑張って弾いてる」レベルだけど、みのりちゃんのピアノは「音楽」だったのです! そんな風に自分も弾きたいと思ってちょっとだけ練習してみたりもしたんですけど、自分でもわかるんです。歌の伴奏はみのりちゃんがしたほうがいい。トボトボと学校から帰ってきた僕は母に言いました。「ピアノやめたいっす」
そしたら母が「せっかく小さい頃からピアノ習ってたんだから、何か違う楽器をやる?」。なんて素晴らしいご提案でしょう。道は一つではないと教えてくれています。特にやりたい楽器が思いつかなかった僕は、妹が行くヴァイオリンの先生のところについて行ってみることにしました。
レッスンを見学させてもらったものの、「た、楽しくない、、、」。ヴァイオリンっていう楽器は、まともに音を出すことがめちゃくちゃ難しいのです。ピアノで音を一つ鳴らすことは初めてピアノを触る人でもできるかもしれないけど、ヴァイオリンできれいな音を一つ弾けるようになるのに多分15年はかかります。レッスンを見るのがつまらなくなった僕は先生の家を探検することにして、部屋に置いてあったチェロをギターのように構えて遊んでたところ、先生が「キミは体が大きいからチェロがいいかもね」と。
「チェロの先生なんてどこにいるんだろう?」と思った母は、電話帳から札響を探して電話をかけて「チェロを教えてくださる先生をご紹介頂けないでしょうか」と問い合わせてくれました。そして紹介していただいたのが伝説の名教師・上原与四郎先生です。
初めてレッスンに行ってみると、先生はとても優しい。「最初からそんな風にできる子はなかなかいないよ」とか、とにかく何をやっても褒めてくれる。そして極めつけは、レッスンが30分ほど経った頃に、大好きなキャラメルコーンを出してくれるのです…! 初めてのレッスンが終わり、先生の家を出るなり言いました。「チェロおもしろかった。俺、チェロやる!」
こうして9歳でチェロを始めて、今年で35年。高校から東京の学校へ行き、チェロのおかげでハンガリーをはじめ多くの国を訪れて演奏することができ、大阪のオーケストラでも17年。レコーディングに参加した作品は1000以上にもなります。そのすべてが、あの時のキャラメルコーンに端を発していると思うと、自分らしくていいなと思うのです……。
最後に曲紹介を簡単に。1872年に書かれたサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番はロマン派の有名なチェロ協奏曲の一つです。演奏時間約20分と比較的短い協奏曲ですが、三つの部分からなる単一楽章という形であるため、楽章間で休憩できないから、弾き切るのは結構大変です。オーケストラの前奏が最も短い曲の一つでもあります。
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この曲は1916年ごろ作曲されたプロコフィエフの最初の交響曲です。音楽院在学中に「交響曲の父」であるハイドン(1732-1809)の作曲技法に興味を持ち、それをもとに「もしハイドンがいま生きていたら書いたであろう作品を書こう」と思い立ち、タイトルを「古典交響曲」としたそうです。
私たちとの初練習での長岡先生の第一声は「この曲、結構しんどいですよ〜」。そうなんです。聴くととても軽快で明るい曲ですが、「弾く」「吹く」はなかなか難しい。音の跳躍や急激な強弱、そして速いテンポ。とりわけ第4楽章は「これ指揮するとこんなに楽しいんだ〜!!」と長岡先生に言わせた楽章です。長岡先生との練習は毎回、緊張しながらも、先生の独特な言葉選びに笑わせていただき、そしてとても勉強になります。
第1楽章 アレグロ。ソナタ形式。いきなり元気な音の駆け上がりから第1主題が始まります。ファゴットの伴奏に乗った第1バイオリンが奏でる第2主題は、機械仕掛けの人形の踊りのようです。音が少ないだけに、上手に仕上げるのはとても難しい。「第2主題はプロコの指示通り弓先で弾いてください」「ファゴットは哀れっぽい感じで」というのが長岡先生のご指示。
第2楽章 ラルゲット。3部形式。ゆっくりなテンポの楽章です。第1バイオリンの高音の主題で始まります。その後フルートの主題が追いかけます。中間部はファゴットと低弦のスタッカート主体の軽やかな部分です。
第3楽章 ガボット。4拍子(通常のガボットは2分の2拍子で2拍目から始まる舞曲)。ハイドンを手本にするなら、ここにメヌエットが入るのです。最初は弦が、そして短い中間部で別の主題が出てきたあと、管によるガボットの主題が登場します。とても可愛いらしいガボットです。プロコフィエフのバレエ「ロミオとジュリエット」に同じモチーフが使われています。
第4楽章 フィナーレ。モルト・ビバーチェ(とても速く)。ソナタ形式。目が回るような急速な楽章。弦も管もとにかく大忙しです。速い上にSubito(すぐに)という表記があり、急激にffからppに変わるところが特徴的。最後は明るくスッキリ終わります。 (Vn. 齋藤)
メンデルスゾーン、弦楽器を手にする人はきっと一度は彼の曲にあこがれることでしょう。「Vn協奏曲を弾いてみたい」「やっぱメンパチ(弦楽八重奏)でしょ」「メントリ(ピアノ三重奏曲)は泣ける」などなど……(あ、どれも私の感想です)。
メンデルスゾーンは、パリで学び始めた16歳のときに弦楽八重奏曲を完成させる一方、演奏活動でヨーロッパ各地を巡ります。本日お届けする「イタリア」は、そのときの経験から生まれた作品の一つです。1833年、24歳のときに初稿が完成し、同じ年、自身の手で初演されました。
ロマン派の作曲家といわれるメンデルスゾーン。でも、ベートーベンが交響曲第9番「合唱付き」を完成させるのは1824年です。印象的に現れるいくつもの美しいメロディと耳と体に刻みこまれるリズム、という楽曲の姿に両者のつながりを感じます。「イタリア」という名前が付いていますが「フィンガルの洞窟」のような標題音楽ではありません。けれどもそれぞれの楽章からは、彼の国の眩い光や吹き抜ける爽やかな風、積み重なった街の歴史や人々のにぎわいが届いてきます。
第1楽章 600小節に届かんとする大きな楽章。8分音符六つのリズムが奏で続けられる中、二つの主題が姿を変えて重なっていきます。
第2楽章 ゆったりとした主題。その陰で刻まれる8分音符のリズムが時を刻みます。
第3楽章 つぎつぎ音があふれ出てくる楽曲が、管楽器のハーモニーとリズムからなる中間部を挟みます。ここの主題にも六つの8分音符が聞こえてきます。
第4楽章 イタリアの古い舞曲「サルタレッロ」が使われます。鍵となる六つの8分音符(三連符だけれど)が「タンタカタカ」ではなく「タカタカタン」と弾けていたら、私たちの想いはきっと「トリコローレ」に染まっているはずです。
この曲を完成させたメンデルスゾーンは、その後も演奏活動、作曲活動に取り組み、1843年にはライプツィヒに音楽院を開きます(Vn協奏曲はこのころの作品)。それから数年、1847年にメンデルスゾーンは38歳で早逝します。作曲者よりも長生きな者、作曲当時の年齢に近しい者、それぞれの「若さ」で、長岡先生からいただいた「ありえない9度の跳躍」「木でできた古い機械仕掛け」「こじらせた中二病」といったコトバとともに、鮮やかな音楽の世界を描くことに挑戦します。 (Va.石川)