今回は、縁あって北広島市の素晴らしい花ホールで初めて演奏会を開催させていただくことになりました。コロナ禍もほぼ終結し(感染者は出ているとは言え)、以前と同じように演奏会を行えるようになりましたが、コロナ禍中は多くの困難の中、様々な工夫や多方面からの協力を得て演奏活動をなんとか行っていました。2022年には北海道から芸術活動再開支援事業の支援金を受けましたので、これを機会に、札幌以外の北海道民のかたにも当団の演奏を聞いていただきたいと考えております。
本日は、長岡聡季氏をゲストコンサートマスター・ヴァイオリン独奏に迎え、モーツァルトとハイドンという古典派の楽曲を演奏します。長岡氏は、ここ数年札幌のアマチュアオーケストラなどで指揮者をされていますが、ヴァイオリン奏者としての長岡氏をもっと多くの人に知ってほしいと思います。本日は、ヴァイオリン協奏曲はもちろん、他の2曲(音楽の冗談、告別)にもヴァイオリンソロがあるので、長岡氏のヴァイオリンをご堪能いただけると思います。その2曲ですが、曲目解説にもあるように、一風変わった趣向が取り入れられています。音楽の冗談では、作曲家の指示通りわざと変な音で演奏するのに加え、わざとぐちゃぐちゃに演奏するかもしれません…。ハイドンの告別は、シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)期の名作ですが、最後に何かが起こります。どうぞご期待ください。
W.A.モーツァルト(1756-1791) 音楽の冗談K.522
1787年、作曲者31歳の作品である。いわゆる冗談音楽だが、作曲意図はよく分からない。
第1楽章 ソナタ形式。第1主題は4小節の2つの小楽節からなるが、前楽節の最後の小節がそのまま後楽節の最初の小節になっており、7小節の大楽節となる。続いて第2主題がアルベルティ・バスを伴って現れると思いきや…主題がない! それは再現部の後楽節でようやく現れるのである。
第2楽章 優雅な舞曲であるメヌエットにマエストーソ(荘厳に)とあるのが冗談である(もっとも今宵の我々の演奏はそれほど遅くはない)。
第3楽章 3部形式。問題含みなのは中間部である。28小節目から約9小節の間に(右上の譜例1、小節線変更は筆者)、聴き手は3度肩透かしを食らう。1度目は30小節目で、その3拍目はホ短調の属七和音である。加えて上声部がトリルとその後打音を奏し、低弦では根音がオクターブ下がることで強調され、明らかに完全終止を目指しているのだが、行き着いた先は主和音ではなく、イ短調の属七和音だった! 次は32小節目、その3拍目はイ短調の属和音であり、Vn.IIとVa.が導音を強調するにも関わらず、行き着く先はニ長調の属七和音! 最後は34小節目で4拍目がニ長調の属和音だが、行き着く先はニ短調の主和音! まるでトリスタン和音のように、調は確定されず、浮遊するのである
第4楽章 フーガが主要部を占めている。その主題(譜例2)は4小節からなり、3小節目の8分音符の連続が主題そのものの要約となっている。この主題は二重の意味でフーガには適していない。第一にそれは主和音で始まり、主和音で終わる。和声的に発展しようがない。第二にその反行形、逆行形、逆反行形はいずれも原形と似たようなものであり、素材が乏しい。この不完全極まる代物を基に、モーツァルトは果敢にもストレッタにさえ挑戦するのである。
作曲意図が分からない、と先ほど書いたが、巷間囁かれているのはその風刺的な意図である。いわく才能のない作曲家を揶揄しているとか、下手な演奏家をおちょくっているとか。しかしそうした冷笑的なものがこの曲の本質だろうか? 逸脱や乱調を重ねることで異形の相貌を保ちつつも、この曲とて見はるかす彼方に美のイデアを眺望する真摯な試みには違いあるまい。かかる考え方に基づいて、今宵我々はこの曲に敬意を持って接し、この曲と生真面目に戯れる所存である。(吉田)
W.A.モーツァルト(1756-1791) ヴァイオリン協奏曲 第4番 二長調 K.218
モーツァルトの5曲のヴァイオリン協奏曲のうち、2番から5番までが1775年、この時期にだけ集中して作曲された。生涯にわたり創作され進歩した30曲近いピアノ協奏曲と比べると対称的である。幼・少年期から多くの年月を旅に過ごし、ヨーロッパ各地の音楽を吸収し成長したモーツァルトは成人を迎えようとしていた。青年モーツァルトが描いた本作品は若々しく颯爽とした雰囲気にあふれており、ザルツブルク宮廷楽団のコンサートマスターとして、また音楽の絶対的な師である父レオポルトから巣立つ心が芽生え始めた一人の演奏家・音楽家としての姿を投影するようである。現在ではこの曲は、ヴァイオリンを学習する生徒にとっては避けて通れない(!)なじみ深い一曲である。
第1楽章 ソナタ形式であるが、軍隊ラッパを彷彿させる印象的な第1主題は再現されない。全体の曲調は、モーツァルトの作品に共通する「快活」「清涼」「幸福感」そのもの。言葉にすると簡単だが、これをモーツァルトたりえる音楽として築き上げることは、アマチュア奏者にとっては極めて難しい。本日は、長岡先生が紡ぎ出す疾走感によって自由に駆け踊り舞っている音符に団員一同魅了されながらも、一体感のある演奏ができればこの上ない幸せである。
第2楽章 “cantabile”(カンタービレ)の名に違わず、ソロヴァイオリンが紡ぐ甘美で愛嬌のある旋律と、優雅なハーモニーに満ちあふれている。緩徐楽章としての魅力を持ちながらも、Andante(Adagioよりやや速く)の速度で時計のように刻まれるtutti(伴奏オーケストラ)のモチーフが音楽を軽快に運んでいくのが小気味良い。
第3楽章 優雅なロンド主題と軽快なアレグロの旋律が繰り返される。協奏曲第3、5番と同様、民族的な雰囲気のある音楽が挿入されるのが特色。本作品ではフランス風舞曲のミュゼットが展開され、ドローン(バグパイプ)を模した特徴的な低音を鳴らしながら旋律が奏でられる。本日はそのミュゼット旋律をソロヴァイオリンとコンマスの二重奏の形式で演奏する。聴きどころの一つとなれば幸いである。 (小野)
F. J. ハイドン(1732-1809) ■交響曲第45番 嬰ヘ短調 Hob.I:45「告別」
交響曲の父ハイドンは、モーツァルトと20歳以上歳が離れていましたが、良き友人であり、お互いの才能を認め合っていました。ハイドンはモーツァルトを「私の知る中で最も素晴らしい作曲家」と賞賛し、モーツァルトは、ハイドンを研究して作った曲に「わが最愛の友」という献辞を添えて本人に献呈しています。交響曲第45番のニックネーム「告別」はハイドンが付けたものではないとされていますが、次のような逸話があります。
その時代、音楽家は貴族に仕えるのが一般的でした。ハイドンはハンガリー系ウィーンの貴族エステルハージ家に仕えていました。当主は自宅から約40km離れたハンガリーのノイジードル湖のそばに城を建て、毎年の夏季休暇はそこに滞在していました。滞在には、ハイドンをはじめ貴族お抱えの楽団員らが同行します。
1772年は、なぜか滞在がいつもの年より長引いていました。家族を置いてきた楽団員たちはわが家に帰りたいと思っていましたが、当主に「早く帰りたい」などとは言えません。そこでハイドンは曲中にある演出を加えます。演奏を聞いた当主はその意図を理解し、滞在を終わらせることにしました。楽団員は城に別れを告げ、家族の元に帰ることができたのでした。めでたしめでたし。実はこの逸話には証拠がないそうなのですが、不思議とそういう曲に感じられます。皆様にはどう聞こえるでしょうか。
演出の面白さもさることながら、曲の構成にも創意工夫があふれていることを見逃すわけにはいきません。当時、交響曲は長調で書かれるのが一般的でしたが、この曲は短調、しかも嬰ヘ短調というかなり珍しい調で書かれています。
第1楽章 嬰ヘ短調。切迫した楽想から始まる。馬車でガタガタ揺られながらの移動風景か。途中から夏の日差しが暑い!(長岡先生はこの部分を「ドバイ!」と表現していました) 束の間の休憩をして、また移動。
第2楽章 イ長調。こっそりワクワクした感じで始まるが、次第に間延びし不協和音が現れるように。長引く滞在への不満なのか。
第3楽章 嬰ヘ長調。明るいはずなのに、何となく不満げに終わる。#が六つもあり、弦楽器的には弾くのが難しい調である。
第4楽章 嬰ヘ短調に戻り、急速なテンポで始まる。突然曲調がガラリと変わり、緩やかな長調になる。そして、楽団員たちはある行動に…!?
(小松)