INTERVIEW/PROGRAM NOTE
ロマン派の扉開いた満たされぬ思い
長岡聡季さんに聞く
——今日演奏するシューベルトのドイツ舞曲とロンドはともに十代の作品です。なぜそんな若さでこうした曲が書けたのでしょうか。
もちろん天賦の才能もあるとは思いますが、教育の賜物でもあるでしょう。シューベルトは、父親をはじめ家族が音楽を愛好していて、当時ウィーンで宮廷楽長を務めていたサリエリなど一流の先生に作曲などを習っていました。教師をしていた父親は彼をプロの音楽家にするつもりはなかったようですが、いい教育環境を与えようという考えはあったと思います。
——当時のウィーンでは、家庭で音楽を演奏するハウスムジーク(Hausmusik)が流行していました。
ウィーンは大作曲家ハイドンやモーツァルトが定住したことで、音楽の先進地になっていました。そこに、芸術などの教養を分かりやすく市民階級に定着させようとする啓蒙主義の波が押し寄せてきたことが背景にあります。複雑で、やや装飾過多なバロック音楽よりも、平易な音楽が求められた時代だったと言えます。
十代のシューベルトも、ベートーヴェンのようなシリアスな音楽ではなく、初期のハイドンのように、アマチュアが弾いて楽しめるような作品を手掛けていました。「ドイツ舞曲D90」などはまさにそうです。父がチェロを弾き、2人の兄がヴァイオリン、シューベルトはヴィオラを弾いていたかもしれません。
一方で、シューベルトの作曲のお手本はモーツァルトやハイドンでしたので、オペラやソナタなどの本格的な作品づくりにいつか取り組んでみたいという憧れも芽生えていたはずです。同時代で先を行くベートーヴェンは、旋律を細かい部分まで分解した部品を組み立てて作品を構築するのが得意だったのに対して、シューベルトは、魅力的な旋律を生み出し、それを反復しながら作品を創るのが得意でした。ですから歌曲の作曲に適正を示したのでしょう。
——ドイツ舞曲は同じ3拍子のメヌエットとはどう違うのでしょうか。
メヌエットはもともと宮廷などの貴族階級で流行した踊りで、やがて交響曲の一つの楽章などに取り入れられるようになり、多楽章形式の器楽曲の中に定着していきました。一方ドイツ舞曲は、地方の民俗的な踊りにルーツを持ち、市民に愛されていたのではないかと思います。モーツァルトやベートーヴェンも作品を遺しています。
——ドイツ舞曲D90の最後にはコーダという終結部が付いていて、それまでの優雅な雰囲気がミステリアスに一変します。
楽しい舞曲のラストシーンが、なんとも形容しがたい不思議な音楽で閉じられますが、そこにはシューベルトの「本音」が込められていると思います。16歳の早熟な青年ですから、どこかに背伸びをしてみたいという気持ちがあったのではないか。何しろゲーテに代表される詩人の時代だったので、シューベルトの日記や手紙にも、今の時代なら赤面するような言葉が書かれています。そうしたいわばロマンティックな感情は、成熟した彼の作品の中に多く顔を出すようになってきて、モーツァルトやベートーヴェンとは違う個性を生んでいきました。
——ドイツ舞曲D90の3年ほど後に書かれたのが「ロンドD438」です。
ヴァイオリンが上手かった2番目の兄のために書かれたのでしょう。高速のアルペジオやオクターブ跳躍の連続など、ヴァイオリニストにとっては難易度の高い作品です。その頃にはすでに交響曲も手掛けていましたが、世間ではほとんど評価されず、演奏の機会も少なかった。若書きのロンドには後期の作品ほどの深みはありませんが、シンプルな構成の中に天才の萌芽がたくさん隠されています。
——同じく16歳の頃に「弦楽八重奏曲」を書いたメンデルスゾーンも早熟の天才です。
こちらはシューベルト以上に本格的な英才教育を受けていたようです。どのように勉強すれば良い作品を書けるのかを的確に教えられる先生役が周りにいたのでしょう。メンデルスゾーンは特に新しい形式を生み出したわけではありませんが、先人が切りひらいた形式の上で存分に羽ばたいたという印象を受けます。先人たちの遺産をとても大切に思っていたのでしょう。この八重奏も、16歳の作品とは思えないほど精密で高度な作曲技法を用いていますが、理屈っぽくならず、フレッシュな印象を受けるのが素晴らしいところだと思います。
一方シューベルトは、死の直前まで、静かに階段を降りていくように独自の世界を深めていきました。短い生涯の最期にたどりつくのは、遺作の「ピアノソナタ第21番」に見られるような謎めいていて不気味な世界です。ソナタの作品など出版されるあてもないのに、最後まで、世に認められる可能性を求めて書き続けた。愛する人との触れ合い、永遠の時への憧れが人一倍強かったとも言えるでしょう。
——それがロマン派の音楽の扉を開くことになった。
彼らが生きた時代は、今よりはるかに他人の胸の中を想像した時代だったのではないかと。それがロマン派の作品を理解する鍵だと思います。
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F.P.シューベルト(1797-1828)
■5つのドイツ舞曲とトリオ D90
家族や友人たちと演奏するために作られたシューベルトのドイツ舞曲集には、いくつかのメヌエットとトリオ(中間部)を組み合わせた弦楽のための作品のほか、ピアノ曲も多く残されている。
1813年に書かれた本作は大きく6つの部分に分けられる。基本のメヌエットは5つで、それぞれに二つか一つのトリオが付く(四つ目のメヌエットはトリオなし)。メヌエットとトリオはすべて16小節からなるシンプルな3拍子だが、それぞれに趣向が凝らされている。締めくくりのコーダ(終曲)で死の淵を覗き込んだのち、天に舞い上がる。
■ヴァイオリン独奏と弦楽合奏のためのロンド D438
シューベルトが生きた時代は、モーツァルトやブラームスが手掛けたようなヴァイオリン協奏曲の分野はやや下火だったが、いくつかの短い曲が残されており、1816年作の本作もその一つ。一見、地味な作品のようだが、独奏ヴァイオリンとオーケストラが、テンポや奏法に細かな変化をつけながらクライマックスを築いていく過程が聴きどころだ。
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F.メンデルスゾーン(1809-1847)
■弦楽八重協奏曲 Op.20(弦楽合奏版)
ベートーヴェン(1770-1827)やシューベルトの晩年にあたる1825年の作。八重奏という形態は、ハイドンやシュポアがダブルカルテットの形で実験して以来、人気のある編成になっていた。ヴァイオリン4パート、ヴィオラ・チェロ各2パートからなる本作は、第1ヴァイオリンが極めて技巧的な協奏曲風であると同時に、残りの7パートが単なる伴奏にとどまらず独立した役割を与えられている点で、八重奏の模範的な曲とされる。
情感豊かで輝かしい第1楽章、悲しみをたたえた瞑想的な雰囲気で始まる第2楽章、妖精の踊りのように軽快でファンタジックな第3楽章、第2チェロから始まる壮大なフーガ主題が印象的な第4楽章。1楽章や3楽章の後半に現れるスリリングなユニゾン(複数のパートが同じ旋律を演奏すること)など、弦楽合奏の魅力を奏者と聴衆がともに味わえ、全編に若々しい疾走感があふれる傑作である。 (インタビュー・解説/Vn.仮屋)